ヒロシマ・ノート (岩波新書)

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  • 岩波書店 (1965年6月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (206ページ) / ISBN・EAN: 9784004150275

みんなの感想まとめ

この作品は、広島の悲劇を通じて人間の生き方や平和の思想について深く考察する記録であり、著者の個人的な体験と社会的な問題が交錯する重要な作品です。1963年に著者が現地を訪れた際、被爆者や医療従事者との...

感想・レビュー・書評

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  • ヒロシマノート読了。大江健三郎さんの小説もいいけどまずはこれを読んでみたかった。やっと読めた。
    1965年と被爆してからわずか20年後の作品なので、よりヒロシマ的な方たちの奮闘、葛藤がよく分かったし、軽々しくごちゃごちゃ言えるわけがない。
    とにかくいろいろな人に読んで考えて欲しい作品。

  • 著者、大江健三郎さん(1935~2023)の作品、ブクログ登録は3冊目。

    本作の内容は、次のとおり。

    ---引用開始

    広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。

    ---引用終了


    著者にとって、1963年は、転機の年になったようです。

    1963年 長男・光が、知的障害をもって誕生。
    1964年 『個人的な体験』
    1965年 『ヒロシマ・ノート』


    ウィキペディアによると、

    ---引用開始

    障害を持つ子との共生、核時代の問題という終生の大きなテーマを同時に二つ手にしたこの年は、大江にとって重大な転機の年であった

    ---引用終了

  • 学生時代から何度か読み返してきた本だが、手元に見当たらず買い直した。
    『ヒロシマ・ノート』は、1963年、参加団体の政治的立場の違いによって分裂した原水爆禁止世界大会を、現地で苦々しい失望とともに取材した大江健三郎が、その後に重ねた数度の広島訪問を通して、人の生き方について考え続けた記録である。そこで出会った被爆者や医療現場で働く人々は、希望に陶酔することも絶望に沈むこともなく、きわめて現実的で忍耐強い態度で日々暮らしている。
    今読んでも、原爆投下から約20年後の社会状況が生々しく伝わってくると同時に、それからさらに60年を経た現在においても、核兵器を廃絶できていない現実や、近年の大規模な自然災害の後に見られる政治の混乱や無策の中で、困難な生活を強いられている被災者の姿が、本書で描かれる人々の姿と重なって見える。本質的には社会が大きく変わっていないように感じさせられ、失望を覚える。
    「ヒロシマ」を単なる象徴として消費するのではなく、そこで生きた人々の経験に学び、自らをそこに「参加させる」ことの重要性を問い続ける姿勢は、今もなお有効であり、この本が何度でも読み返されるべき理由だと改めて感じた。

  • 自身の被った悲惨さについて、沈黙し、忘れる努力をすることの唯一の権利を持つ被爆者が、その経験をこそ生きる目的へと昇華させることを選択する。そこに、人間の威厳を見る。

    目も当てられないような人間の歴史について、想像することを怠らないことが、平和のさわりだと思う。なぜそれがこんなにも難しいのか

  • 大江健三郎氏の訃報を受け、ずっと積読となっていたこちらを。
    終戦後何年も広島の原爆被災者から、その苦悩や悲惨さは語られなかった。ずっと存在していた被爆者に対する差別。誤った原爆症に関する情報。。。
    忘れてはならない事、持ち続けなければならない信念がある。
    大江氏のご冥福をお祈りします。

  • 大江健三郎さんが亡くなり、G7広島サミットが開催される中で読みました。私が生まれた頃の広島の被爆者の状況が随所に記述があり、胸が痛くなりました。ケロイドや顔を被爆して外出もできない若い女性のことを想像するとやりきれない気持ちになります。多くの方の犠牲の上に、今の広島があると改めて深く平和を願います。

  • 戦後78年の2023年に読破。
    これを読むまでは、抑止力のための核保有の考え方に賛同派でした。
    しかし、これを読んで改めて感じたことは、抑止力といいながら、明らかに使用することが前提の核保有説であるということでした。
    戦争を知らない世代の私は、はっきり言って原子力爆弾の惨さ、人間がもたらした醜悪さ、悲惨さの極みといったものを知らない、全く無知な人間でした。
    ナチスのホロコーストは、歴史に語り継がれ、人々が忘れないように何度も映画化やメディアでとりあげられるのに、なぜ、広島長崎の原爆を克明に記した書籍や映画はメディアで取り上げられず(ときには残酷だといわれR指定もされるけれど、それこそ馬鹿げた話だ)、学校でもその意味を考えさせるよう、如実に教えないのか。
    アメリカの圧力を感じずにはいられません。
    私たちは、原爆を落とされてもアメリカを憎むことなく、ましてや敗戦して良かったのだ、原爆は落とされなければ、日本はもっと悲惨な道に突き進んでいたのだ、などと、どうしてそんな考えでいられたのか。戦争に負けても、アメリカを憎まない日本人の国民性に誇りまで感じていた、私はまったく無知で恥知らずな人間でした。

  • 広島旅行へ行く人は読んでから来てほしい。特に8月6日に平和公園へ集う人々。黙祷の時間、追悼の場で主張しているものがふさわしいのかこの本を読んで考えなおしてほしい。戦後20年後の広島の空気感を伝えてくれています。

  • いつか読もうと思って、ようやく手に取った。毎年読み返さなければいけない書

  • 今はもう、戦後ではなくて戦前なのだという話を聞いた。
    そういう世界で読む1965年の大江さんの静謐に満ちた、けれどとても力強い文章が隅々まで行き渡る。
    『われわれがこの世界の終焉の光景への正当な想像力をもつ時、金井論説委員のいわゆる《被爆者の同士》たることは、すでに任意の選択ではない。われわれには《被爆者の同士》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。』
    何も出来ないと思う前に、一冊本を読むことはできる。

  • 我々には知る義務があると思うのだ。
    知る義務とはすなわち
    考える義務だ。
    既読。

  • 広島旅行中に読了。ここで内容を振り返るのもなかなか辛い。原爆の後遺症に苦しむ人々にとって、命を断つことは何ら不合理なことではない。それでも彼ら・彼女らは生き続ける。彼ら・彼女らは、自分が生き続けることで、これが核がもたらす帰結なのだと、これが人間の浅ましさなのだと、訴えかける。そのことに、筆者は人間としての威厳を感じとる。

  • 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」

    広島の原爆を、当時の戦争を、少しくらい知っていないと読み進めるのには苦労するかもしれない。

    ただ、それでも多くの方に読んで欲しい。そんな本です。

    ウクライナとロシアの戦争の真っ最中。

    核戦争の危険性が、ほんの2ヶ月前までは薄れていた、嘘でも今より平和な空気感で満たされていた時代から一変した、そんな「核の今」だからこそ。
    読んでおくべき一冊。

    戦争直後。占領下の時代、原爆の悲惨さを書いた書籍の出版が、米国より発刊禁止になる。
    理由は、「反米的思想である」、その一点。

    ただただ惨劇を伝えようとした。
    事実のみを淡々と。

    今のウクライナとロシアの報道を見ていても、色々と感じてしまう。

    そこに真実はあるのか? いや欺瞞が紛れてないか?
    そこに事実はあるのか? いや疑念を入れてないか?

    思想や理念を越えたところで、物事を取り込める冷静さや柔軟さは、自己として持っていたい。
    そんな今日この頃。ですね。

    「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」
    この言葉が、読後に一番頭に残った本日です。

  • 原爆投下という悲劇を起こしてしまったわれわれ人類は、どのようにすれば次の世代へと歴史を繋いでいくことができるのか?大江健三郎氏が被爆から20年を迎えようとしている広島を訪れ、そこで見た人々の姿から、われわれ人類が再生していくための拠り所となるものは何かを思索したノートが集められている。

    大江氏は、1963年から1965年にかけての広島への訪問を通じて、このノートを綴った。この訪問において、様々な政治的な状況や思惑に翻弄される反核・平和運動の奔流の間をかいくぐって大江氏が広島で見つけたのは、人類史上類をみない悲惨な状況を体験し、その絶望的な状況に直面しながらも、絶望に打ち負かされることなく、かといって過度な希望を抱くことなく、地道に一歩ずつ日常の歩みを重ねていく被爆者の、尊厳に満ちた姿だった。

    それは、原爆病院に入院し、「悲惨な死えの闘い」と語る壮絶な原爆病との闘いを生きながら、政治的に迷走する原水禁世界大会に向かう平和行進を病院の前で見送り、その「成功を信じます」というはなむけの言葉を贈った宮本定男氏の姿であり、また広島日赤病院の院長として原爆投下の直前に広島に着任し、自らも重傷を負いながら限られた医療物資とスタッフで被爆者の救護・治療に当たり、その後は原爆病院の院長としてその姿が見えない原爆病に脅かされ続ける被爆者の治療に当たった、重藤文夫医師の姿である。

    その他にも、被爆者の悲惨な体験を忘れ去られないように記録し、後世に伝えていくために、原水爆被災白書の作成を訴え続ける中国新聞の論説委員の金井利博氏や、なによりも原爆後の広島に生きる多くの被爆者たちの姿が、原爆投下後の人類史を生きるわれわれにとっての唯一の思想的な基盤となりうるものであると、大江氏は述べている。

    このような「広島的な」人々のあり方を大江氏は、「モラリスト」、「人間の尊厳」、そして「正統的な人間」という言葉で表現している。このような人々の姿は、政治的な人間、経済的な人間として日常を生きている私たちに対して、人類が次の時代に向かっていくにあたって忘れてはいけない、鋭い疑問と指針を与えてくれているように思う。

    そして、「もし、政治的力関係によって核兵器が全廃されるにしても、それでは広島の被爆者たちの人間的復権のために無効だ」という大江氏の言葉に表されているような、被爆者が身をもって体現している人間の尊厳と人類のモラルを、決して忘れてはいけないということを強く感じさせられた。

  • 戦後80年企画で、ついにこの本を。毎年夏になると、戦争関連読書を行いたいと思って手に取るのだが、見ているNHKの番組と情報量が多く引きずられがちで、断念しがち、、なので、今回は読み通せて良かった。林京子作品も読みたいんだよなー

    ヒロシマ・ノート、これは人類必読の書では?という感じで、今まで読んでこなかったのが恥ずかしいレベルだった。新書だし、多くの人に読んで欲しいと思う。

    「広島的なるもの」と形容されるものは何か?それは色々な角度から定義されている。

    …彼女たちにもまた、沈黙する権利がある。もしそれが可能なら、彼女たちには、広島についてすべてを忘れ去ってしまう権利がある。…ところが、たとえば宮本定男氏は、自分の死を賭して、原水爆禁止運動に参加する患者だった。かれは意識的に広島をひきうけた。広島でおこなわれた人間の最悪の悲惨を、あえて思い出そうとし、文章に書くことで追体験し、たずねてくる外国人たちに、それをくりかえし語ったのだった、しかも微笑して。広島から逃れるかわりに、かれは広島をひきうけたのである。誰のために?自分の悲惨な死のあとにのこるべき、かれより他のすべての人間のために、われわれのために。…自分の悲惨な死への恐怖にうちかつためには、生きのこる者たちが、かれらの悲惨な死を克服するための手がかりに、自分の死そのものを役だてることへの信頼がなければならない。そのようにして死者は、あとにのこる生者の生命の一部分として生きのびることができる。…
    広島で生きつづける人びとが、あの人間の悲惨の極みについて沈黙し、それを忘れ去るかわりに、それについて語り、研究し、記録しようとしていること、これは実に異常な努力による重い行為である。そのために、かれらが克服しなければならぬ、嫌悪感をはじめとするすべての感情の総量すら、広島の外部の人間はそれを十分におしはかることができない。広島を忘れ、広島について沈黙する唯一の権利をもつ人たちが、逆にあえてそれを語ろうとし、研究しようとし記録しようとしているのである。(p.108)

    …広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間のイメージがうかびあがってくるように思われる。僕はこのようなイメージの人間こそを、正統的な人間という名で呼びたいのである。(p.147)

    どのエピソードも実際に迫るものがあって、胸を突いたのだけれど、特に最後の方の白血病の青年が、体調が良くなったタイミングで病歴を隠し就職し(病歴を隠した医師に対して、「医師たちは小っぽけな欺瞞にびくびくする、無能な清潔派でなかっただけのことである」にすげえってなった)、婚約者を得たものの、その後亡くなり、婚約者の二十歳の女性が病院にお礼を言いにきた翌日自殺したというエピソード。ちょっとトリイゾを思い出してしまった。

    …自己犠牲などという意味合いはいささかもない、決定的な愛の激しさにおいて。そしてこの激越な愛とは、そのまま逆に、われわれ生きのこっている者たちとわれわれの政治に対する凄じい憎悪に置き換えられることもあり得た感情である。…
    そして青年にはついに死の時がおとずれ、娘は穏やかに覚悟の死を選んだのであろう。娘は、婚約者の死に出会って、悲嘆のあまりに死を決意したのでもなければ、絶望し、死よりほかに選びようのない場所に追いつめられて自殺したのでもないだろう。彼女はおそらく、白血病の青年を愛しはじめたときから、間近の確実な死を眼のまえに見すえていたはずである。娘は青年の運命に参加し、自分自身をそこにまきこんだのであったが、それはこのようにもっとも徹底的なひとつの運命の選択であったのであろう。(p.154-6)

  • 広島的な人、それでもなお自殺しなかった人。
    出来事や被爆者の声が著者の感性、思考を通して書かれる。
    人への尊敬や怒りが感じられる。

  •  本書の『ヒロシマノート』のヒロシマがカタカナなのは、原爆被災地広島を示すだけでなく、広島・長崎に投下された原爆による人類史上初めてであり、最悪の「人間的悲惨」を象徴する。また核兵器廃絶の意思である「ノーモア・ヒロシマ」を意味する。そして、大江健三郎は悲惨な体験をした広島の人々の生き方から励ましを受け、「まさに広島の人間らしい人々の生き方と思想に深い印象」を受けた。広島の人は、漢字となっている。そして、そこから「人間の尊厳」と言う言葉を紡ぎ出す。

     1960年に広島を最初に訪問し、1963年から取材している。1963年は、大江健三郎が28歳の時だ。
    1964年に『ヒロシマノート』を出版し、『個人的体験』を出版している。60年前のことだ。ヒロシマに真正面に向き合う姿勢が真摯でもある。

     『ヒロシマノート』の冒頭で、大江健三郎は「このような本を個人的な話から書き始めるのは妥当ではないかもしれない。僕については自分の最初の子が瀕死の状態でガラス箱に横たわったまま、回復のみこみは全くない始末だった」と言う。そして、若い妻が、原爆の被害を受けても、子供を授かり、異常児を産むのではないかという不安があっても産む決意の人を眩しく見るのだった。

     原爆の投下された日に広島で生まれた子が、東京オリンピックの聖火ランナーとなり、健康に走り抜けたことを喜んでいる。被爆したからといって、諦めない姿勢、そのことについて全く語らない「黙る権利」を行使して、黙々と生活を送る姿に、共感している。ヒロシマの中で、広島で生きているのことが、重要なのだ。

     「尊厳、威厳、屈辱、恥」という言葉が大江健三郎にとって重要な言葉となっている。
     核実験再開に対して、あるひとりの抵抗的な怒れる老人は、抗議する割腹をしようとしたが、体力がなく失敗し、抗議書も無視されて、「とうとう生き恥をさらしてしまった」と語る。敗北感に苛まされていたにもかかわらず、確実に人間的尊厳があると大江健三郎は思う。原爆被害を受けながら、原爆被害者の治療をする医師の姿に尊厳を見る。

     原爆症が発症して働くこともできず10円がなくて電話がかけられなかったという極貧の孫の若者のお爺さんが、そのあまりにも貧しいことに、浅ましい理由、全く金がないという状況を嘆く姿の中にも尊厳を見るのだ。恥があるから、尊厳も輝くのだ。ヒロシマが生み出した、広島の人々の健気さ、尊厳に注目するのだった。「人間的な力への信頼」が、一筋の希望を見出していく。

     広島の原爆は、20世紀の最悪の悲惨だった。そして広島の人々は、ただちに彼らの人間世界を復活させるべく働き始めた。広島の人々は自分たち自身を救済すべくこころみ、彼らに原爆をもたらした人々の魂をも救助した。さまざまな国家による核兵器の所有というガンに侵されている20世紀の地球の時代においては、広島の人々が救助した魂とは、すなわちわれわれ今日の人間の魂のすべてであると大江健三郎はいう。

     彼女の動かぬひとみは 無表情だったが、
     しかし、そこには何か悲しみ、
     苦しみが、名づけようない、ひどく恐ろしいものがあった。

     人間として、個人的に、その書斎の中で、自分自身と人類の運命について、考えようとすれば、彼はつねに、20年前、現実に原爆を体験した人々について、思いださざるをえないはずです。そして彼の個人的な志が、そのまま被爆者たちの志につながるような方法はないものかと考えることだ。

     そういえば、50年以上前の学生の時に、広島の原水禁の集会に参加して、そして原爆記念館を見た時の衝撃を今更ながら、思い出したのだった。私の中にも、ヒロシマは、あった。思いをつなぐことの大切さを知った。

     フクシマの地震、津波による電源喪失による原発のメルトダウンによってもたらされた被害は、人為的な問題が多く、それに向き合い方を、この本から学べた。この災難によって、故郷を奪われ避難するという事態が、家族の崩壊と共同体の人間の魂に大きな打撃を与えた。また森林は壊されたままだ。100年近い被害のありようにも向き合っていく必要があると思った。

  • 広島という町に深く根付いている平和への祈り。その歴史を、意味を、少しは学べただろうか。


  • (2023.06.02)
    [題名]『ヒロシマ・ノート』
    [著者]大江健三郎
    [出版]岩波新書
    [動機]岩波新書のガイド本で、
        多くの文化人がお勧めに書いていた。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/702263

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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