ヒロシマ・ノート (岩波新書 青版 563)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150275

作品紹介・あらすじ

広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの"悲惨と威厳"に満ちた姿であり医師たちの献身であった。著者と広島とのかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。

感想・レビュー・書評

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  • ヒロシマノート読了。大江健三郎さんの小説もいいけどまずはこれを読んでみたかった。やっと読めた。
    1965年と被爆してからわずか20年後の作品なので、よりヒロシマ的な方たちの奮闘、葛藤がよく分かったし、軽々しくごちゃごちゃ言えるわけがない。
    とにかくいろいろな人に読んで考えて欲しい作品。

  • 戦後78年の2023年に読破。
    これを読むまでは、抑止力のための核保有の考え方に賛同派でした。
    しかし、これを読んで改めて感じたことは、抑止力といいながら、明らかに使用することが前提の核保有説であるということでした。
    戦争を知らない世代の私は、はっきり言って原子力爆弾の惨さ、人間がもたらした醜悪さ、悲惨さの極みといったものを知らない、全く無知な人間でした。
    ナチスのホロコーストは、歴史に語り継がれ、人々が忘れないように何度も映画化やメディアでとりあげられるのに、なぜ、広島長崎の原爆を克明に記した書籍や映画はメディアで取り上げられず(ときには残酷だといわれR指定もされるけれど、それこそ馬鹿げた話だ)、学校でもその意味を考えさせるよう、如実に教えないのか。
    アメリカの圧力を感じずにはいられません。
    私たちは、原爆を落とされてもアメリカを憎むことなく、ましてや敗戦して良かったのだ、原爆は落とされなければ、日本はもっと悲惨な道に突き進んでいたのだ、などと、どうしてそんな考えでいられたのか。戦争に負けても、アメリカを憎まない日本人の国民性に誇りまで感じていた、私はまったく無知で恥知らずな人間でした。

  • 大江健三郎氏の訃報を受け、ずっと積読となっていたこちらを。
    終戦後何年も広島の原爆被災者から、その苦悩や悲惨さは語られなかった。ずっと存在していた被爆者に対する差別。誤った原爆症に関する情報。。。
    忘れてはならない事、持ち続けなければならない信念がある。
    大江氏のご冥福をお祈りします。

  • 大江健三郎さんが亡くなり、G7広島サミットが開催される中で読みました。私が生まれた頃の広島の被爆者の状況が随所に記述があり、胸が痛くなりました。ケロイドや顔を被爆して外出もできない若い女性のことを想像するとやりきれない気持ちになります。多くの方の犠牲の上に、今の広島があると改めて深く平和を願います。

  • 広島旅行へ行く人は読んでから来てほしい。特に8月6日に平和公園へ集う人々。黙祷の時間、追悼の場で主張しているものがふさわしいのかこの本を読んで考えなおしてほしい。戦後20年後の広島の空気感を伝えてくれています。

  • いつか読もうと思って、ようやく手に取った。毎年読み返さなければいけない書

  • 今はもう、戦後ではなくて戦前なのだという話を聞いた。
    そういう世界で読む1965年の大江さんの静謐に満ちた、けれどとても力強い文章が隅々まで行き渡る。
    『われわれがこの世界の終焉の光景への正当な想像力をもつ時、金井論説委員のいわゆる《被爆者の同士》たることは、すでに任意の選択ではない。われわれには《被爆者の同士》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。』
    何も出来ないと思う前に、一冊本を読むことはできる。

  • 我々には知る義務があると思うのだ。
    知る義務とはすなわち
    考える義務だ。
    既読。

  • 広島旅行中に読了。ここで内容を振り返るのもなかなか辛い。原爆の後遺症に苦しむ人々にとって、命を断つことは何ら不合理なことではない。それでも彼ら・彼女らは生き続ける。彼ら・彼女らは、自分が生き続けることで、これが核がもたらす帰結なのだと、これが人間の浅ましさなのだと、訴えかける。そのことに、筆者は人間としての威厳を感じとる。

  • 広島という町に深く根付いている平和への祈り。その歴史を、意味を、少しは学べただろうか。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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