- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004150312
感想・レビュー・書評
-
最終章の最後の一文が全て。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦後10年ちょっとの頃のインドで作家の著者が考えた日本とアジアと世界についての本。
西洋にばかり目が行っている人々にアジアという雑多で規則性に乏しい世界からの視点を供給する。
意図的なのかはわからないが、漢字があまり使われておらず読みづらい。
しかし、内容は今の日本にも通用する。
それが良いことでは無いのかもしれないけど...
50年以上も前の本であるが、本書で語られる様にいまだに日本は独自文化を主張せずにケ・セラ・セラ。
これからの国境が薄くなっていくであろう時代において、「侘び寂び」も「もののあはれ」も失っていく若者たちの日本ははてさて何という国なんだろうと考えさせられる。 -
(1970.05.06読了)(1970.03.02購入)
*解説目録より*
欧米へ行った人は、大むね満ちたりた顔をして戻ってくる。しかし、アジアの各地へ行った人は、皆真剣な表情で戻ってくる。アジアは、われわれ自身に共通な何ものかを感じさせ、また近代及び現代日本の運命を考えさせるからであろう。古い文明の重荷を担いつつ、新しい未来を切り開こうとして苦悩しているインドへの旅。鋭敏な現代感覚をもつ詩人小説家堀田氏のこの思想旅行記は、同時にまた現代日本に対する文明批評の書でもある。
著者 堀田善衛
1918年7月7日富山県高岡市生まれ
1951年『広場の孤独』で芥川賞受賞
1971年『方丈記私記』で毎日出版文化賞受賞
1977年『ゴヤ』で大佛次郎賞・ロータス賞受賞
1994年『ミシェル城館の人』で和辻哲郎文化賞受賞
1994年朝日賞受賞
1998年9月5日死亡、80歳 -
まだ海外旅行が人口に膾炙しておらず、まして「アジア観光旅行」など概念としてすら存在しない 1957年の本。アジア文学者会議のためにインドに赴いた著者は、インドの強烈な多様性、思想、植民地支配の歴史に圧倒されつつも、西洋と東洋の対比の中で、あるいは西洋的なもの(米英、植民地主義、資本主義)から抜け出そうとするアジア諸国といち早く工業化を成しとげた日本との対比の中で自らの思索を深めていく。圧倒的なスピードの中で生産と消費を繰り返す日本では、すでに文学すらもがその波に飲み込まれて、堀田が「教養消費」と描写する時代が到来している。そして、それは現在もまだその行き先を定めぬまま続いている。
-
「ゴヤ」「スペイン断章」などの印象からスペインのおじさんというイメージが強い堀田善衛が30才の頃に日本ペンクラブの代表としてインドへ行った時のことが書かれている。自らを「行儀の悪い作家」と称する作家の「アジア文学者会議」におけるアジアの概念(ソビエトもはいっていることへの驚きなど)、「国際的に評価が高い」とは英語圏での評価が基準になっていること。そのほかにも常識を超えた国インドの印象、インドからみた日本など、全体的に若い、異文化への畏敬にあふれていて、とても面白い。
この作家でこれが一番面白いかといわれるとそうでもないんだけど、とても面白い本、他の作品を読んでから読むと余計に面白い本です。