インドで考えたこと (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150312

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  • 最終章の最後の一文が全て。

  • 戦後10年ちょっとの頃のインドで作家の著者が考えた日本とアジアと世界についての本。

    西洋にばかり目が行っている人々にアジアという雑多で規則性に乏しい世界からの視点を供給する。

    意図的なのかはわからないが、漢字があまり使われておらず読みづらい。
    しかし、内容は今の日本にも通用する。
    それが良いことでは無いのかもしれないけど...

    50年以上も前の本であるが、本書で語られる様にいまだに日本は独自文化を主張せずにケ・セラ・セラ。

    これからの国境が薄くなっていくであろう時代において、「侘び寂び」も「もののあはれ」も失っていく若者たちの日本ははてさて何という国なんだろうと考えさせられる。

  • 少し誇張して云うならば、「日本人」と一口にまとめて云えるような工合には、「インド人」というものは存在していないのだ。存在の構造がまるきり違っているのだ。そして島国の、井戸のなかの近代的な蛙である小説家はびっくりしてしまうのである。宗教でこれを考えるならば、イスラム教は、スペインからインドネシアまで直通であり、ヒンドゥー教、シーク教、仏教、ジャイナ教、パーシー教、ユダヤ教、キリスト教、要するに一切がそれぞれの充分なリアリティをもって存在している。言語はどうかといえば、ひょっとすると中国語系統ではないアジアのあらゆる言語が、ここにある。ラテン語とギリシア語が欧州のことばの母語であるならば、ここにはサンスクリット語とペルシア語との二系統の諸言語が並存している。p41

    人間とその生活、文化文明などについて、何等かの意味、あるいはジャンルで、より根本的、根源的なことを考えてみたいという傾きのある人に、私はインドへ行ってごらんなさい、とすすめる。しかし、とにもかくにもいいころ加減のところで、ホドのよいカゲンのところでお茶を濁して生きすごしたいという人には、インド行をすすめない。後者は、もし真剣にインドの偉大と悲惨にぶつかったならば、そういうアヤフヤな人生観をひっくりかえされ、もしその人の仕事かなにかの意味で精神にかかわりのあるものであったなら、商売は一時的にも営業停止ということになりかねない。p68

    【ことば、ことば、ことば】p100
    "I thank you"→"I such you"「俺はお前を沈めたぞ」
    "I love you"→"I rub you"「俺はお前を揉んでやるぞ」

    山羊の脳味噌(goat's brain)p127

    「インドは貧しい人々の国である。しかしインドは貧しい国ではない」p149

    生と死、断絶と持続、絶対と相対、衆生と仏陀、これがみな本質的には同一なものだと云う。対立は、存在しない、という。宇宙の本質的同一性、同時性を認識することを、バーリ語でパーラ、すなわち般若、すなわち最高の叡智だという。勝手にしろ...」p188

    (最終文)
    「その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている」p210

  • (1970.05.06読了)(1970.03.02購入)
    *解説目録より*
    欧米へ行った人は、大むね満ちたりた顔をして戻ってくる。しかし、アジアの各地へ行った人は、皆真剣な表情で戻ってくる。アジアは、われわれ自身に共通な何ものかを感じさせ、また近代及び現代日本の運命を考えさせるからであろう。古い文明の重荷を担いつつ、新しい未来を切り開こうとして苦悩しているインドへの旅。鋭敏な現代感覚をもつ詩人小説家堀田氏のこの思想旅行記は、同時にまた現代日本に対する文明批評の書でもある。

    著者 堀田善衛
    1918年7月7日富山県高岡市生まれ
    1951年『広場の孤独』で芥川賞受賞
    1971年『方丈記私記』で毎日出版文化賞受賞
    1977年『ゴヤ』で大佛次郎賞・ロータス賞受賞
    1994年『ミシェル城館の人』で和辻哲郎文化賞受賞
    1994年朝日賞受賞
    1998年9月5日死亡、80歳

  • まだ海外旅行が人口に膾炙しておらず、まして「アジア観光旅行」など概念としてすら存在しない 1957年の本。アジア文学者会議のためにインドに赴いた著者は、インドの強烈な多様性、思想、植民地支配の歴史に圧倒されつつも、西洋と東洋の対比の中で、あるいは西洋的なもの(米英、植民地主義、資本主義)から抜け出そうとするアジア諸国といち早く工業化を成しとげた日本との対比の中で自らの思索を深めていく。圧倒的なスピードの中で生産と消費を繰り返す日本では、すでに文学すらもがその波に飲み込まれて、堀田が「教養消費」と描写する時代が到来している。そして、それは現在もまだその行き先を定めぬまま続いている。

  • [ 内容 ]
    アジア各地への旅行において、私たちは、自分たちに共通する何ものかを感じ、近代および現代日本の運命について、さまざまに思いをめぐらさざるをえない。
    古い文明の重荷を担いつつ新しい未来を切り拓こうと苦悩するインドへの旅。
    鋭敏な現代感覚をもつ作家によるこの思想旅行記は、同時に現代日本に対する文明批評の書でもある。

    [ 目次 ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「ゴヤ」「スペイン断章」などの印象からスペインのおじさんというイメージが強い堀田善衛が30才の頃に日本ペンクラブの代表としてインドへ行った時のことが書かれている。自らを「行儀の悪い作家」と称する作家の「アジア文学者会議」におけるアジアの概念(ソビエトもはいっていることへの驚きなど)、「国際的に評価が高い」とは英語圏での評価が基準になっていること。そのほかにも常識を超えた国インドの印象、インドからみた日本など、全体的に若い、異文化への畏敬にあふれていて、とても面白い。
    この作家でこれが一番面白いかといわれるとそうでもないんだけど、とても面白い本、他の作品を読んでから読むと余計に面白い本です。

著者プロフィール

1918年富山県生まれ。小説家。1944年国際文化振興会から派遣されて上海に渡るが、敗戦後は中国国民党宣伝部に徴用されて上海に留まる。中国での経験をもとに、小説を書き始め、47年に帰国。52年「広場の孤独」「漢奸」で芥川賞を受賞。海外との交流にも力を入れ、アジア・アフリカ作家会議などに出席。他の主な作品に、「歴史」「時間」「インドで考えたこと」「方丈記私記」「ゴヤ」など。1998年没。

「2018年 『中野重治・堀田善衞 往復書簡1953-1979』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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