読書論 (岩波新書)

著者 : 小泉信三
  • 岩波書店 (1964年11月1日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004150879

読書論 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 読書論。などと名乗ると堅苦しいのですが、何のことはない、読書の悦びについて、一冊丸ごと語る本であります。今から63年前の初版とは思へないほど、本好きの思考回路は変つてゐないことが分かり、微苦笑を禁じえない、と言つたところでせうか。

    第一章「何を読むべきか」、第二章「如何に読むべきか」は余計なお世話ですと片付けることも出来ますが、多読の勧めは理にかなつてゐる。本を選ぶ際の選球眼は、ある程度読書量がないと養へないと勘考するものです。

    第三章「語学力について」、第四章「飜訳について」では、読書にも外国語の知識が必要となることを説いてゐます。もつとも、昔の岩波文庫赤帯の翻訳は、酷い誤訳だらけだつたと聞いてゐますが。

    第五章「書き入れ及び読書覚え書き」。読んだ本を自らの血肉とするにはどうすれば良いか、のヒントが書かれてゐます。文豪たちの書き入れは(特に夏目漱石)実に愉快ですね。

    第六章「読書と観察」、第七章「読書と思索」では、受動的に本を読むだけでふむふむと納得するだけでは、結局他人の思考を自分の頭でなぞるだけであるといふ危険性に言及してゐるのだ。

    第八章「文章論」。ある程度読書人としてのレヴェルが上ると、文章論は避けられないさうです。さうなのか? 

    第九章「書斎及び蔵書」。昔も今も変らない、読書家の永遠の悩みであるとともに、愉しさであります。理想を語るのはタダですから。

    第十章「読書の記憶」は、著者小泉信三氏の読書自叙伝となつてゐます。あくまでも小泉氏の読書遍歴なので、一般人が参考にするやうなものではなく、一種の読み物と申せませう。

    先ほども述べたやうに、読書好きの興味は、昔も今も変らないやうです。本書がいまだに流通してゐるのは、そんな事情もあるのではないでせうか。そして一生に読める本の量を類推して絶望し、選択眼が向上する。
    ま、たまには外れを引いて、くだらぬ本と付き合ふのも愛嬌かな、とも思ひますがね。

    ぢやあ、こんなところでご無礼します。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-136.html

  • どうのような本を如何にして読めば良いのかというテーマから始まって、読書の注意点や利益、文章論や翻訳に関する事、さらには書斎や蔵書に関する見解まで書いてあります。

    一つ一つは奇をてらったものではなく、答えだけを聞けば「知ってるよ」と言いたくなるようなものばかりです。
    ただその理由付けの中にこそこの本の面目があります。

    例えば「どのような本を読むのか」というテーマに関しては「古典的名著で、さらに大部であるとなお良い」という答え。
    これだけだとこの本を買ってまで読む価値はなさそうです。
    ですがその後に森鴎外や福沢諭吉などを例に出したり体験談を交えてその理由を書いていくのですが、この理由付けの中にこそこの本の面白みが詰まっています。
    そしてその理由があるからこそ、読んでいてスッと頭に入ってくる感覚があります。

    この本に書かれているような事を実践せずに、徒に奇をてらった読書法や速読法などに振り回されて乱読するだけの読書家にはなりたくないものだと痛感しました。

    そうかと言ってこの本の内容を鵜呑みにする事は禁物です。
    それはこの本の中でも著者自身が戒めている読書の弊害の一つなんですから。

  • 1950年刊行。著者は元慶應義塾大学塾長。古典的・教養主義的読書論。参考になる点(心構えを含む)は多い。もっとも、今でこそ、効率性追求"のみ"には大きな落とし穴があることが自覚できるが、効率性追求のみを良しとしていた学生時代にはピンと来なかったように思う内容ではある。だからこそ、特に、時間に余裕のある時には、本書に書かれている内容を実践するのは意義深い旨伝えたいところ。

  • 著者の小泉信三氏(1888~1966年)は、1933~1946年に第7代慶應義塾塾長を務め、東宮御教育常時参与として皇太子明仁親王(今上天皇)の教育の責任者ともなった経済学者。本書は1950年に発刊された。
    福沢諭吉、森鴎外、夏目漱石、ゲーテ、ショーペンハウアーなどの古今東西の知性の作品や考えを縦横に引用しつつ示された読書についての心構えは、60年以上を経た最近の読書論・読書術の書籍でも繰り返されていることが少なくなく、古さは感じさせない。また、渡部昇一氏の大ベストセラー『知的生活の方法』(1976年)は、本書を意識して書かれたとも言われているように、本書には(知的)生活論と言い得る部分もある。
    「(リンカーンは)40歳以上の人間は自分の顔に責任がある、といったということである。・・・偉大なる作家思想家の大著を潜心熟読することは、人を別人たらしめる。それが人の顔に現れることは当然であろう」
    「(皇太子明仁親王の英語の師として招聘されたヴァイニング夫人は)minor ecstasiesは平凡なる日常生活の間に、誰もが心して拾えば拾い得らるる「星の屑」に譬えらるべきものであるという。「美と真理の断片はすべての径に横たわる。」これを取ってminor ecstasiesの素材たらしむるに待つべきものは、ただ物を見る目と感受性ある精神とのみであるという。・・・このminor ecstasiesの幸福も、人の平生の心がけ如何により、豊かにも貧しくもなることを説くのである」
    まさに日本の読書論・読書術の先駆けと言える作品である。

  • 傍線を引いたり書き込んだりするのはやはり躊躇われるけれど,後に見返してみたときに良くも悪くも過去の自分がそこに注意した目印になる。福沢諭吉も「コンナコトガアルカ馬鹿ヲ云ヘ」「何故貴様ノ国ノ事ヲ書カナイ」などの書き入れをしたことがあるらしく,書き入れって著者との対話でもあるのかなと思った。そんな彼や森鷗外をはじめとする様々な著者の作品を挙げつつ,筆者の読書論が展開されている。1950年初版の本だけれど,流れるような文章で触れられている本や読書の仕方の中に,私も是非読み実践したいというものが多くあった。

  • 熟読はしてないのだけれど、なんとまぁ麗しい文章なのだと感動した。読んでて気持ちの良い、古式ゆかしい文章だ。1950年初版。本をめぐる時代・環境の違いはもちろんだけど、書物に対してのこういう真摯な姿勢、っていいよなぁと改めて思った。
    今って、書籍も消費の対象だもんね。

  • 著者が若い人に向けて、読書の仕方を語った本です。外国の本への取り組み方や文章術、著者自身の読書体験についての回想などを織り込んでいます。

    慶応大学の塾長を務め、福沢諭吉を深く敬愛する著者らしく、合理的でありつつ啓蒙精神に裏打ちされた教養主義的読書術が披瀝されています。

  • 最終章は筆者が書きたいことをありのままに書き連ねた物の集成のように感じられた。読書のハウツー本であり、筆者の体験や主観がたっぷり盛り込まれている。読書の指針を見失ったり、あるいはそれを現在形成中な人には特に読む価値がある。

  • 多くの筆者の経験や名著の引用が数多くあり,それとともに展開される読書論.
    1刷が1950年というものの,結論だけ見れば今でも変わらず通用するように思える.

    多くの古典が紹介されているので,それらの本を読みたいという気持ちにもさせられた.

    第9章で読書家の語る書斎の理想が書かれていて,「本読む人は今も昔も同じような書斎を作りたいという夢を抱くものなのか」なんて思って驚いてしまった.

  • (1967.07.18読了)(1967.07.01購入)
    *解説目録より*
    本書は著者の多年にわたる読書の経験と、ゲエテ、ショウペンハウエル、諭吉、鴎外、漱石などの先人が残した教えによって、何を如何に読むべきか、語学力や翻訳について、書入れや覚え書、読書と思索、文章論、書斎および蔵書等に関するあらゆる問題について懇切に、興味深く語ったものである。著者の博大な読書遍歴のあとをたどるものは、世代の如何を問わず、深い共鳴と、大きな鞭撻とを与えられるであろう。

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