- 岩波書店 (1969年7月21日発売)
本棚登録 : 5427人
感想 : 484件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (218ページ) / ISBN・EAN: 9784004150930
感想・レビュー・書評
-
学校ではあまり教えてくれないが知的生産に必要なこと~メモの取り方、カードの作成の仕方と活用法、読書法、日記と記録、文章の書き方など~について、梅棹忠夫先生がまとめた本。
まだワープロも一般に普及する前の1969年発行だが、"京大型カード"の利用法や、将来"情報科"のような科目が必要だということなど、著者の先見の明に驚くばかり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
名著ということで少し前に買っていた。置いていたが気になってふと読んだ。
知的生産とは、頭を働かせて新しいことを人にわかる形で提出すること。そして、そのやり方を教わらないので、自分なりの技術を持っていない人が多い。それを考えていこうというのが主題。
フィールドワークのごとく日常の発見をカードに書き、それを後で見て複数のカードの関連をみて、自分の関心を理解したり新たな発想を得たりすることが人間らしさをもたらす。仕事ではこの流れは定着していたが、それを日常に広げていくと、視野が広くなり物事の前提から捉えるような視座の高い思考ができるようになりそう。下手な旅なんかより、カードを使った日常の記録とその振り返りの方がよっぽど自分探しだと思った。こういうのをしていると、好きな領域が分かっていきキャリアの歩み方にも良い影響がありそう。
カードは一旦買ってみたので試す -
自分の知識や考え方を整理する方法について書かれたエッセイ。約半世紀前の1969年にリリースされたにも関わらず現在の情報化社会を予期したような情報整理の考え方がたくさん書いてあって興味深く読んだ。かなり具体的な記述が多いもののまえがきに記載されているとおり、いわゆる「ハウツー本」ではないから古びないのだろう。自分が何かに接したときに考えたことを逃さないように記録することの重要さが良くわかる。そして記録する方法はアップデートされていく。そこに合わせて自分を変革・訓練していく必要性が説かれていてテクノロジーをキャッチアップすることは昔から仕事をする上で必須だったことがうかがい知れる。よく年配の人が今のテクノロジーについて行けないと聞くが、本著を読むと年齢は関係ない気がした。(この著者がもし現代に生きていたらスマホのアプリ開発していたに違いない)文章から伝わってくる嬉々として自分のテクニックを紹介したい!という熱量も最高なのだけど合間に挟まれる人間味も好きだった。たとえば新聞の切り抜きについて。以下引用。
未指定の古新聞が山のようにたまって、すてることもならず、そのおき場をめぐって、妻とのあいだに紛争がたえないのである。
一番興味深く読んだのは読書記録と日記のくだり。両方とも自分が日々実践していることなので昔の人がどのように考えていたのか知れて参考になった。読書記録は自分がどう感じたかが重要で単なる引用にしていては意味がないと。”読書は、「発見」のための触媒作用” と書かれていて本を読む理由としてこれ以上の言葉はないように思う。日記について過去の自分に関する報告書と思って書くという心持ちと、客観的事実の記録と主観的考察を分けること、もしくは客観的事実だけでも良いのでは?という形式の提示が個人的には助かった。後半にかけて著者が懸念する多くの部分がテクノロジーで解決してるので多少退屈になる部分はある。しかし、逆に考えると今「面倒だな」「手間だな」と思っていることもテクノロジーがいずれ解決するのだろう。超間接的に本著は未来の技術者に対するエールになるかもしれない。 -
半世紀以上前の知的生産(情報のアウトプット)のための技術について筆者の経験をもとに書かれた本で、当時のエッセイ的に読むと興味深いが、どうしても情報としては今には通用しない部分が多いため⭐️2とした。
ただ、個人的には積読という単語が当時(※この本の中でもさらに「むかしからいわれている」とある)から存在していたことに驚いた。ただし現在と使い方が異なり、「一度読んだ本を積んでおき、しばらく経ってからノートをつける」という文脈であった。 -
感動の域に達しました。生涯最高の書のひとつです。
-
半世紀前の本なので、今のテクノロジーがあったら著者はなんというか聞いてみたかった。
全体を通してイチオシは京大カードだな。 -
山口周さんの読書を仕事につなげる技術より
-
再読。
飲み込みが悪くなったと感じてた去年出会って、それ以来折に触れて読み直してるが、読むたび学びがある。 -
たしかアウトプット大全(樺沢著)で引用されていて積読していた一冊。やや個人の主張がつよい気がしなくもないし、タイプライターや手書きの原稿など時代を感じるところもあった。カード式の思考法は思考の整理学?か何かでも聞いたことがあるけどどうにも手を出す気になれない。。なにか思うことはスマホか手帳にメモってしまう。しかし、全体通して考えることと文字に残すことのメリット・デメリットや主観的に本を読む創造的読書、日本語の流動性と正語法など著者の考えは面白かったし、知的生産の内容ではなく、そのメソッドの方に着目したのは50年前には新しかったのかなと思う。あと50年前にしてプログラミング教育の必要性に触れているのはすごい。
-
「知的生産」(人によって捉え方の違う言葉だと思う)何かをつくりだす、あるいは研究する技術について「考察」された本。
古い本で現代では解決されている問題(タイプライターなど)についても語られているのだが、
人の抱える悩みはいつの時代も同じなんだと、気付きを得られる部分も多かった。
例)整理と整頓の違い など
「創造することを突き詰めた人の意見」として参考になる。
昔を知るという意味では「ローマ字国字論」の話も面白かった。
-
-
古典となって久しいが、個人における莫大な断片的知識情報を管理することの有用性という基本的な構想は、パーソナルコンピュータ、スマホ時代にも通用する。
-
自分の読書を知的生産につながるものにできないかと読みました。
今はもっとその目的にあった本がありそうだと感じましたが、書かれていることは概ね納得です。
知識だけでなく、知識獲得の仕方や知的生産の仕方を教えることの重要さはこんなにも昔から語られてきているのに・・・と憤りや不甲斐なさも感じるところであります。 -
自分の興味のある項目だけ読めば良いと思う。自分にとっては、目新しい発見がなかった。
-
この本の初版が1969年ということを踏まえて、驚いた表現が2つ。
35ページの【日本に近視がおおいのは、画のおおい活字のせいだということになっているが】という表現。ゲームだ、テレビだ、スマホだ言う前から日本人は目が悪かったんだなぁ…
さらに111ページの【本のよみ方には精読、多読などとならんで、つん読というものも】、これもかなり気になります。積読ってそんなに歴史のある言葉なのか…意味合いも、読まずに積んでおくもの、なので今と変わりないですね。
ベストセラーをこんな読み方して申し訳ない… -
【読者ログ1冊目】知的生産の技術
京都大学で教授をされていた梅棹忠夫さんがインプットからアウトプットに至るまでに必要な技術、守るべき様式について書いた本。
本を読むまで知らなかったのですが、戦後の文化人類学の大家として数々の著作を残された方です。
個人的にこの方の天才ぶりを感じたのは下記の文章。
わたしは、たとえばコンピュターのプログラムのかきかたなどが、個人としてのもっとも基礎的な技能になる日が、意外にはやくくるのではないかとかんがえている。(中略)社会が、いままでのように人間だけでなりたっているものではなくなって、人間と機械とが緊密にむすびあった体系という意味で、いわゆるマン・マシンシステムの展開へすすむことが必至であるとするならば、それも当然であろう。(p.15)
情報の時代における個人のありかたを十分にかんがえておかないと、組織の敷設した合理主義の路線を、個人はただひたすらにはしらされる、ということにもなりかねないのである。(p.18)
この書籍の初版が1969年。今から50年前に書かれた文章です。おそらく当時これを読んでピンと来た人はそう多くはなかったのでなないかと思います。
50年後の今まさに議論されていることを言い当てられていて、その未来予測力にただただ驚かされました。
本題の「知的生産の技術」についても、非常に勉強になる部分がたくさんありました。
いかんせん50年前の本なので、内容をそのまま適用するのが難しい場合(例えば切り抜きやタイプライターの使い方など)もありますが、今あるITツールに置き換えて実践することも十分可能です。
アイデアを発想し、それをかたちにする技術や心得について学べるので、興味がある方はぜひ読んでみてください! -
著者は、知的生産とは、「頭を働かせて何か新しい情報を人にわかる形で明らかにすることである」と定義している。
知的生産は一般的には、個性的・個人的営みであり、普遍性がなく公開不可能なものであると受け止められがちであるが、実際はその反対で、皆同じような工夫や失敗をしており、技術と呼ぶに足る客観性・普遍性をもっている。
具体的には、著者が独自に開発したカードを活用することによって、「読む」という行為(日常の発見、新聞記事、ファイリング、読書など)から、いかに新たな情報を生産するか、ということを紹介し、一方でまた、「書く」という行為(日記や文章の書き方など)では、いかにわかりやすく自分の考えをまとめるか、ということを著者発明のカードはもちろんのこと、タイプライター、原稿用紙など、その他のツールの活用法を、実例を挙げながら述べている。
情報社会のもとでは、「いかに読み、いかに生き、いかに考えるか」を絶えず試行錯誤していく行動力を持つことこそ、知的生産の技術を磨く上で最も肝要である。
本書は1969年初版であり、今日のIT社会から見ると、活用するツールがやや古いと感じる点はあるものの、本質的な肝は変わらず、多くの情報が氾濫する現代社会でも十分通用する「技術」であると感じた。受験生当時使っていた京大カードの発明者が著者であると、今更ながらに知った。「読書力(齋藤孝)」の中で述べられている「線を引きながら読む」と本書の「傍線をひく」という箇所が重なっている部分があり、大変印象に残った。 -
いまや「古典」といってもよいであろう一冊。情報化社会となって久しい今日、私たちの周りには膨大な量の情報(あえてここでは重要性・種類を問わない)が氾濫した。そして、私たちは改めて気づかされる。「情報≠知」であると。むしろ、情報単体での価値は、低下したといっていい。では、私たちは、この大量の情報をどのようにして整理し、意味付けし、ある一定の文脈をもつ「知(知識ないし思考)」に練りあげていけば良いのか。その過程こそ、まさに「知的生産」であり、この本がいわんとするところである。現代版や類似本は多数出版されているが、原典に当たらずして、語ることなかれ。一種の通過儀礼として、一度頭に読み込ませておきたい一冊だ。
-
知的活動の技術の考察エッセイ
メモのとり方、カードの利用法、整理の仕方、読書論、印字方法、手紙、日記、原稿や文章の書き方について。
現在では既に様々なノウハウやツールができているが、当時のそれにまつわる過程が窺えるのが興味深い。
著者プロフィール
梅棹忠夫の作品
