- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004150930
作品紹介・あらすじ
学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない。メモのとり方、カードの利用法、原稿の書き方など基本的技術の訓練不足が研究能力の低下をもたらすと考える著者は、長年にわたる模索の体験と共同討論の中から確信をえて、創造的な知的生産を行なうための実践的技術についての提案を試みる。
感想・レビュー・書評
-
自分の知識や考え方を整理する方法について書かれたエッセイ。約半世紀前の1969年にリリースされたにも関わらず現在の情報化社会を予期したような情報整理の考え方がたくさん書いてあって興味深く読んだ。かなり具体的な記述が多いもののまえがきに記載されているとおり、いわゆる「ハウツー本」ではないから古びないのだろう。自分が何かに接したときに考えたことを逃さないように記録することの重要さが良くわかる。そして記録する方法はアップデートされていく。そこに合わせて自分を変革・訓練していく必要性が説かれていてテクノロジーをキャッチアップすることは昔から仕事をする上で必須だったことがうかがい知れる。よく年配の人が今のテクノロジーについて行けないと聞くが、本著を読むと年齢は関係ない気がした。(この著者がもし現代に生きていたらスマホのアプリ開発していたに違いない)文章から伝わってくる嬉々として自分のテクニックを紹介したい!という熱量も最高なのだけど合間に挟まれる人間味も好きだった。たとえば新聞の切り抜きについて。以下引用。
未指定の古新聞が山のようにたまって、すてることもならず、そのおき場をめぐって、妻とのあいだに紛争がたえないのである。
一番興味深く読んだのは読書記録と日記のくだり。両方とも自分が日々実践していることなので昔の人がどのように考えていたのか知れて参考になった。読書記録は自分がどう感じたかが重要で単なる引用にしていては意味がないと。”読書は、「発見」のための触媒作用” と書かれていて本を読む理由としてこれ以上の言葉はないように思う。日記について過去の自分に関する報告書と思って書くという心持ちと、客観的事実の記録と主観的考察を分けること、もしくは客観的事実だけでも良いのでは?という形式の提示が個人的には助かった。後半にかけて著者が懸念する多くの部分がテクノロジーで解決してるので多少退屈になる部分はある。しかし、逆に考えると今「面倒だな」「手間だな」と思っていることもテクノロジーがいずれ解決するのだろう。超間接的に本著は未来の技術者に対するエールになるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
感動の域に達しました。生涯最高の書のひとつです。
-
2020年は梅棹忠夫先生の生誕100周年ということで、先生の業績が再注目されました。50年も前の著書ですが、情報の整理の仕方やアウトプットの技術に関する記述は、今にも通用するものであり全く色あせていません。
大阪府立大学図書館OPACへ↓
https://opac.osakafu-u.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2000285527 -
再読。
飲み込みが悪くなったと感じてた去年出会って、それ以来折に触れて読み直してるが、読むたび学びがある。 -
たしかアウトプット大全(樺沢著)で引用されていて積読していた一冊。やや個人の主張がつよい気がしなくもないし、タイプライターや手書きの原稿など時代を感じるところもあった。カード式の思考法は思考の整理学?か何かでも聞いたことがあるけどどうにも手を出す気になれない。。なにか思うことはスマホか手帳にメモってしまう。しかし、全体通して考えることと文字に残すことのメリット・デメリットや主観的に本を読む創造的読書、日本語の流動性と正語法など著者の考えは面白かったし、知的生産の内容ではなく、そのメソッドの方に着目したのは50年前には新しかったのかなと思う。あと50年前にしてプログラミング教育の必要性に触れているのはすごい。
-
古典となって久しいが、個人における莫大な断片的知識情報を管理することの有用性という基本的な構想は、パーソナルコンピュータ、スマホ時代にも通用する。
-
自分の読書を知的生産につながるものにできないかと読みました。
今はもっとその目的にあった本がありそうだと感じましたが、書かれていることは概ね納得です。
知識だけでなく、知識獲得の仕方や知的生産の仕方を教えることの重要さはこんなにも昔から語られてきているのに・・・と憤りや不甲斐なさも感じるところであります。 -
自分の興味のある項目だけ読めば良いと思う。自分にとっては、目新しい発見がなかった。
-
この本の初版が1969年ということを踏まえて、驚いた表現が2つ。
35ページの【日本に近視がおおいのは、画のおおい活字のせいだということになっているが】という表現。ゲームだ、テレビだ、スマホだ言う前から日本人は目が悪かったんだなぁ…
さらに111ページの【本のよみ方には精読、多読などとならんで、つん読というものも】、これもかなり気になります。積読ってそんなに歴史のある言葉なのか…意味合いも、読まずに積んでおくもの、なので今と変わりないですね。
ベストセラーをこんな読み方して申し訳ない… -
【読者ログ1冊目】知的生産の技術
京都大学で教授をされていた梅棹忠夫さんがインプットからアウトプットに至るまでに必要な技術、守るべき様式について書いた本。
本を読むまで知らなかったのですが、戦後の文化人類学の大家として数々の著作を残された方です。
個人的にこの方の天才ぶりを感じたのは下記の文章。
わたしは、たとえばコンピュターのプログラムのかきかたなどが、個人としてのもっとも基礎的な技能になる日が、意外にはやくくるのではないかとかんがえている。(中略)社会が、いままでのように人間だけでなりたっているものではなくなって、人間と機械とが緊密にむすびあった体系という意味で、いわゆるマン・マシンシステムの展開へすすむことが必至であるとするならば、それも当然であろう。(p.15)
情報の時代における個人のありかたを十分にかんがえておかないと、組織の敷設した合理主義の路線を、個人はただひたすらにはしらされる、ということにもなりかねないのである。(p.18)
この書籍の初版が1969年。今から50年前に書かれた文章です。おそらく当時これを読んでピンと来た人はそう多くはなかったのでなないかと思います。
50年後の今まさに議論されていることを言い当てられていて、その未来予測力にただただ驚かされました。
本題の「知的生産の技術」についても、非常に勉強になる部分がたくさんありました。
いかんせん50年前の本なので、内容をそのまま適用するのが難しい場合(例えば切り抜きやタイプライターの使い方など)もありますが、今あるITツールに置き換えて実践することも十分可能です。
アイデアを発想し、それをかたちにする技術や心得について学べるので、興味がある方はぜひ読んでみてください!
著者プロフィール
梅棹忠夫の作品





