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Amazon.co.jp ・本 (222ページ) / ISBN・EAN: 9784004161035
みんなの感想まとめ
農業の起源と栽培植物の進化を探求する本は、米やコムギなどの作物がどのように野生の草から育成され、農業として確立されていったのかを深く考察しています。読者は、ただの知識の提供にとどまらず、農業が人類の文...
感想・レビュー・書評
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宮崎駿が「出発点ー1979〜1996」の中で、「ものの見方が変わった」と推していた本を読んでみた。
Amazonで購入。
タイトル通り、米やコムギ、イモなどの栽培作物の起源と伝播の仕方を研究した硬い本。
とても興味深かったが、一度読んだくらいではちっとも頭に入ってこない。
ただ人類が野生の草からどうやって米やコムギを作り出しやがて農業として栽培していったか、なんていうことは言われれば確かにそういう過程を経たのだろうが、あんまり考えたことはなかったな、と思った。
そういう意味ではたしかに、ものの見方は変わるかも。
なんにせよ、一読したくらいではあんまり理解できないです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ニンゲンは生きるために食べてきた。食べるために農作物を育ててきた。ニンゲンの生きる糧だった。中尾佐助は『「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思い浮かべる人が多い。農作物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。
しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。
これが日本語になると、もっぱら「心を耕す」方面ばかり考えられて、はじめの意味が、きれいに忘れられて、枝先の花である幻術や学問の意味のほうが重視されてしまった。
しかし 根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい』といって、本書ははじまる。
中尾佐助は「農業を、文化としてとらえてみると、そこには驚くばかりの現象が満ちみちている。
ちょうど宗教が生きている文化現象であるように、農業はもちろん生きている文化であって、
死体ではない。いや 農業は生きているどころではなく、人間がそれによって生存している文化である。消費する文化でなく、農業は生産する文化である」という。
中尾佐助は「1本のムギ、1茎のイネは、その有用性のゆえに現在にも価値がある。それはもっと価値の高い文化財であるといえよう。われわれがふつう見るムギやイネは、人間の手により作り出されたもので、野菜のものとまったく異なった存在であることを知る必要がある。
純粋な野生植物から再びイネとムギの品種を作り上げようとしたら、何年かかるだろうか。10年か20年か。ミロのビーナスを再びつくることはできないが、イネやムギの品種も人間は、再び作ることはできないのだ」という。
いいなぁ。この文章と言わんとすることの格調の高さ。学者センセイは、難しいことを言ったり細部にわたるところで、重箱の隅をつついたりして、その学問の眺望を見ることをしない。学問の根っこについて語ろうとしない。この中尾佐助の文章の持つかざりげなさと 肩の荷を降ろした語り口は、なんともいえずいいなぁ。
「人類はかって猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった時代に
までやってきた。その間に経過した時間は数千年ではなく、万年単位の長さである。また、その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である」
中尾佐助は「照葉樹林文化の一つとして、酒は特別におもしろい問題である。この東アジアの照葉樹林帯を中心として、それよりややひろく、シナ北部、日本、インドネシアまでの間で醸し出されれる酒は世界のいずれとも違った特色がある。それは 穀類の澱粉をカビの力を借りて、糖化する方法である」
カビを使った酒の製造が照葉樹林文化の特徴。この視点がとても重要な気がする。照葉樹林文化とは、発酵の文化でもある。酒は、酔うことで、ヒトとヒトはつながり、酔うことで 違った世界が生まれる。そして、酒の文化は、その地域独特の祭りをうみ、ヒトは、踊り、歌いそして楽しむのだ。
照葉樹林文化の作物は、ワラビ、コンニャク、ヤマノイモ、シソ、カイコ、ムクロジ、ウルシ、チャ、
ミカン、ヤマモモ、ビワ。
この大づかみで大胆な把握の仕方。生半可なことではできない仮説。仮説が出されたがゆえに論議が弾む。木の間から文化が生まれる。ここではイネがはいっていない。その文化から、雑草から、野草へ、
そして栽培植物から、農耕作物へと発展した。
『栽培植物と農耕の起源』は、中尾佐助の記念碑的作品とも言える。ずいぶん昔に読んだことがあり
エンピツなどでシルシをつけている。これを再度読み砕いて、中尾佐助が何を考えどうとらえていたのかをしっかりと見つめる作業がいる。
稲のルーツが遺伝子学的には長江中流域から下流と明らかにされた今でも 中尾佐助の提唱したことは 重要ではなかったろうかと思う。 -
名著
宮崎駿の自然観に強い影響を与えた植物学者の中尾佐助さんの本がKindleUnlimitedに来てる。ジブリファン必見の書。もののけ姫好きすぎて10回以上見た。
『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』 中尾佐助 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
https://booklog.jp/item/1/4004161037
中尾佐助 なかお-さすけ
1916-1993 昭和後期-平成時代の栽培植物学者。
大正5年8月12日生まれ。昭和36年大阪府立大教授となり,55年鹿児島大教授。栽培植物の起源などに関してアジア,アフリカをひろく学術調査する。日本の農耕文化の起源と南アジア一帯の照葉樹林文化との関連を指摘した。平成5年11月20日死去。77歳。愛知県出身。京都帝大卒。著作に「秘境ブータン」「花と木の文化史」など。
【格言など】僕がアジア人だから文化の母である林にピンときた(日本,中国,東南アジアと連なる照葉樹林について)
京大在学中から、朝鮮北部、モンゴル、ネパール、ブータン、インド北東部、ミクロネシア、サハリンなどを探検し、植物分布などの学術調査を行った。1952年、日本山岳会のマナスル踏査隊に参加し、また1958年には日本人として初めてブータンを訪問し、単身踏査。ネパール・ヒマラヤの照葉樹林帯における植生や生態系を調査する中で、そこに生活する人々の文化要素に日本との共通点が多いことを発見、後に佐々木高明らとともに「照葉樹林文化論」を提唱するに至る。
「人間のもつ文化財に何があるだろうか。ミロのビーナスは美術上の文化財として偉大であっても、もともと古代人の礼拝の対象として作られたものだった。信仰はなくなったが、その美だけが残った文化財だ。このような意味の文化財は農業には貧弱である。ところが、ビーナスが信仰されている故に、立像に価値がある時代があったわけである。しかし、一本のムギ、一茎のイネは、その有用性のゆえに現在にも価値がある。それはもっとも価値の高い文化財でもあるといえよう。そんな草がなぜ文化財であるのか、ちょっと不審に思う人もあるだろう。つまり、われわれがふつうに見るムギやイネは、人間の手により作りだされたもので、野生時代のものとまったく異なった存在であることを知る必要がある。そのもとをたずねることすら容易でなくなった現在の栽培植物は、われわれの祖先の手により、何千年間もかかって、改良発展させられてきた汗の結晶である。人間の労働と期待にこたえて、ムギとイネは人間に食糧を供給しながら、自分自身をも発展させてきたものだった。もしかりに、現在の世界から、栽培しているムギとイネの種子が全部なくなったとしよう。原子力の利用まで進んだ近代の植物育種学者が、大急ぎで金にいとめをつけずに、純粋な野生植物から再びイネとムギの品種を作りあげようとしたら、何年かかったらできるだろうか。一〇年か二〇年か。おそらく、育種学者はその責任を負うのを避けるだろう。ミロのビーナスを再び作ることはできないが、イネやムギの品種も人間は再びそれらを作ることはできないのだ。近代農業技術は、いま存在するイネとムギの品種が、過去何千年間発展してきたと同じように、将来にむかって、わずかにスピードアップして発展させることができるようになっただけである。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「これらの重要な穀類の野生種と栽培されている品種とを並べて栽培して比較してみるといろいろおもしろいことに気づいてくる。野生種のスタイルは一般に細くやせて、スマートな姿である。決して強壮に大型に生長するものではない。ブヨブヨと大がらに育つのと反対で、葉も茎も細く、硬い茎の先端に小さいパラパラと粒のつく穂を出す。その姿は人間にたとえてみると、小型ながら、スラッとした八頭身の美人である。それにくらべると日本の豊産性のイネ品種や、改良されたコムギ品種は、ズングリと育ち、太くて厚ぼったい穂がつく。これは大がらな六頭身型の不格好さを示している。イネやムギでは八頭身より六頭身の方が実用的として、愛されているのである。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「バナナは全世界的にみると、果物の中でいちばん重要なものだ。その生産量はあらゆる果物の中でいちばん多い。リンゴやブドウ、柑橘類よりバナナの方が多いらしい。多いらしいというのは、東南アジア、アフリカ、中米などで原住民の自家消費が圧倒的な量を占めるからだ。統計なんてそこにはない。簡単な推算をしてみた結果こうなるわけだ。けれどもバナナは果物といっては都合が悪いかもしれない。バナナの中には煮たり焼いたりして食べる、イモのように使用される種類がそうとうある。バナナはおそろしく多様性に富んでいる。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「バナナの品種改良はあらゆる果物の中でいちばんみごとな成果をあげている。熱帯でも類のすくないオールシーズンに収穫できる果物となったし、種無しの果実という点ではブドウよりもミカン類よりも、ましてリンゴや桃とは大ちがいの大発達である。バナナでは単為結果性という遺伝的突然変異体を探しだし、それを土台として三倍体を主力とする種無し果実を実用化させた。果物類でバナナほど倍数性を上手に利用したものは文明国でもまったく比べられるものがない。その改良はほとんどがこんにち民族名すらはっきりしないような未開発地域の土民たちが成しとげたものである。それにはとても長い年月がかかったにちがいない。その年数の長さがここでは重要な問題点である。残念なことには現代の植物学では、バナナのたくさんの品種を交配したりして、その結果から交配したそれぞれの品種の年齢を知ることはできない。それで総括的にバナナの品種群をながめたり、エジプトのピラミッドを作っていた頃から栽培されていたことがはっきりしているブドウの状態などを考慮に入れると、バナナが栽培化された最初の年代はおそるべき古さであると推測される。それを一万年以上に見積る人もあれば、数千年と考える人もある。直接の証明はないが、私は五〇〇〇年以上昔と推定している。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「太平洋戦争が始まる直前の昭和一六年の夏、私はカロリン群島のポナペ島に数カ月滞在していた。島民は、大戦をひかえあわただしい日本人の空気をよそに、昔とほとんど変わらない生活だった。彼らの食糧は、一年の半分はパンの木の実を食べ、あとの半分はヤムイモを食べてくらしていた。どちらも宅地のまわりにボチボチと植えられているだけだったが、それでも結構日常の食糧にこと欠かなかったのである。 ポナペ島は小さい島なのに、ヤムイモの品種は二〇〇もあり、そのうち五〇品種ばかりは私も手にとって調べることができた。ヤムイモというのはヤマノイモ、或はトロロの仲間のイモで、いずれも蔓になる多年生植物である。植物学的にはディオスコレア( Dioscorea spp.)という属にはいるイモである。この属にはいる植物は全部蔓性で根はイモになる性質があり、そのイモは加工法さえ適当であれば、全部食べられる。分布地域は湿度さえあれば、熱帯と温帯の全地域に野生種があるが、人類がじっさいに食用にしているものはおのずから限られている。それでも非常にたくさんの種類が栽培化され、また野生種が採集食用にされている。植物界で一つの属で一番多くの種(スピーシス)が食用にされているのは、このディオスコレア属であるといえよう。これらの食用になるイモを全部一括してヤムイモと呼ぶことにしよう。日本のジネンジョやナガイモはそうするとヤムイモの中の小さな一部分ということになる。とにかく世界各地でそれぞれ特有なヤムイモが利用されていることが第 2表からすぐ読みとれることである。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「東南アジアの熱帯、そこは温度と湿度を過大にまでめぐまれた植物の世界だ。その環境は、植物生態学の用語でいえば熱帯降雨林である。もし人為がぜんぜん加えられることがなければ、陸地はほとんど全部がこの森林に覆われているはずだ。そしてそれは当然人類が活動をはじめたころの自然でもあった。 熱帯降雨林の植物界は驚くべき豊産性とバラエティに富んだ世界である。そこに初めて住みついた原始人にとっては、そのまわりに食用となるイモや果実がいたるところに見いだされる。その世界は、狩猟や放牧にたよらねばほとんど人間の食物が見いだされない乾燥地や北方の寒冷地とまったくちがった世界である。熱帯降雨林の中では、まったく植物にたよりきった生活法が容易になりたつ世界である。そこでは、バナナ、ヤムイモ、タローイモ、サトウキビのような植物が、原始人にとってきわめて容易にとれ、しかもおそらく人類最初の栽培がはじまった。そしてそれは品種改良という点からみると、驚くべき高度にまで到達してしまっている。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「さいごにパンノキを述べてこの章の終りにしよう。パンノキこそは南太平洋の島々の楽園をつくる植物だ。パンノキが二〇本も家のまわりにあれば、半年ほどは天からパンが降ってきて、一家の人は何の苦労もなく食べていかれるというものだ。パンノキはクワ科に属するアルトカープス・インシサ( Artocarpus incisa)という小喬木である。パンノキは品種改良がバナナについでよく発達している。大体は二群に分けられ、種有りと、種無しの品種群となる。種有りはマレーシアからメラネシアに主に分布しており、種無しはポリネシアの諸島にふつうに見られる。パンノキの種無しはバナナのように三倍体になったもので、注目すべき品種改良の成果である。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「照葉樹林文化の一つとして、酒は特別におもしろい問題である。ヒンドゥー文化が穀類の酒をもたないのに、インド東北部の山地の温帯にいくと、穀類の酒があらわれることはまえに述べた。この東アジアの照葉樹林帯を中心として、それよりややひろく、シナ北部、日本、インドネシアまでのあいだでかもしだされる酒は世界のいずれの地域ともちがった特色がある。それは穀類の澱粉をカビの力をかりて糖化する方法である。ビールは麦芽の酵素で澱粉を糖化するが、照葉樹林文化では麴(コージ)というカビのかたまりをつかってその中の酵素で糖化するわけである。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「コージには外型上「バラ麴」と、「餅麴」の二型がある。とはいっても餅麴はモチ型の固型物のつもりの字だが、中国語からみるとどうもよくない字だ。なぜなら中国語では〝餅〟はコムギ粉製品の通称で〝月餅(ユイピン)〟のようにつかわれるから、餅麴とはコムギ粉で作ったコージの意味になるからだ。しかしここではまあ醸造学の慣用にしたがって餅麴の字でいこう。ヒマラヤ地域やインドネシア、さらに中国酒のほとんどが餅麴をつかっている。ヒマラヤのダージリン附近ではこの餅麴がふつうに売られており、ムルチャ( Murcha)と呼ばれ、ジャワではラギー( Ragi)の名がある。ところが、シコクビエはヒマラヤ地域では酒原料の基幹になっており、そのベンガル名、低ヒマラヤの呼び名はムラ( Marua)で、アフリカ諸語にも通ずるシコクビエのもっとも広い通名と餅麴名が一致する。またインド文化の被影響地域のジャワでのラギーはインド国内でシコクビエに対してもっとも広くゆきわたった呼び方である。つまりヒマラヤ、ジャワの餅麴の呼び方には、シコクビエと一致し、餅麴の原型はシコクビエで作られたことをよく示している。後章で述べるように、シコクビエこそがすべての雑穀の共通分母的な役割りをはたし、雑穀の指標となる穀類であることからみて、照葉樹林文化が雑穀栽培を西方から受け入れたとき、シコクビエを使用してコージによる酒づくりをはじめたと推定される。ちなみに、アフリカではシコクビエの芽生をつかって糖化する酒造りの方法がある。これらからみると、坂口謹一郎氏はタイ、マレー、インドネシアは中国酒の文化圏に属するとしたが、事実は中国酒は照葉樹林文化圏に属するとした方が合理的であろう。こうしてみると、日本酒ではバラ麴ではあるが、コージを使う酒造りという点ではまぎれもなく照葉樹林的な酒である。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「雑穀という穀類の通有性をみると、そのすべてが夏作物であることが第一の特色である。日本のような温帯ではムギ類はすべて冬作物であるが、雑穀に入るアワ、キビ、ヒエなどはすべて夏作物である。この特性は熱帯のインドやアフリカまでまったく共通しており、それは夏の高温だけでなく、アジアではモンスーンの雨期の作物である。てみじかにいえば雑穀とは、モンスーン農業の穀類である。それはまた一方において日長反応などのいろいろな生理的特色も夏作物としての通性をもっている。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
“「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い”
“しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい”
中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」(#岩波新書)
農業史研究の名著。「栽培植物と農耕の起源」は、中尾佐助が農耕起源を体系的にまとめた一冊。農耕起源の必読書として、今でも読まれ続けています。#農業史 #名著 #必読書
中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』は「文化」(culture)の原義を問い、「耕す」(cultivate)で、「地を耕して作物を育てること」だと記す。「農耕」こそ、人類史を貫く文化の原初かつ中核的存在である、というわけだ。
「ジャワ──ジャワ島では山棲みでオカボ栽培をする農業は痕跡的といわれるが、じつはそれほどでもなく、たとえばオカボの栽培面積は水稲の約八パーセントあるとされている。またジャワのイネ作の品種にはアウス群に属するブルーという名で一括される品種群が重要な地位を占めている。ブルーの分類的地位は議論があるが、日本稲に近いもので、アマンよりアウスに近いとみるのが常識であろう。ジャワではこのほかインドのアマンとまったく同一とみなされるチレと呼ばれる品種群があるが、たぶんこれは比較的新しいものであろう。なぜならジャワ島より東部の島々、バリ、ロンブックなどは古くはイネ作農業の東限であったが、そこはブルーが主作となる。インドのオカボはアウス群といわれるが、ジャワのブルーもオカボと関係づけるとよく理解できる。 ジャワ島は平地水田農業が定着し、人口の増加が大きく、オランダ人到着前に地方的王国が成立していたが、統一国家にはいたっていなかった。ジャワにはインドからの航海者による文化導入がはげしくおこなわれ、その影響はきわめて大きい。ちょうど日本に対するシナ文化の役割りを、ジャワではインドがはたしたといえよう。その結果こんにちのインドネシア国の中核がジャワということになった。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「セイロン──セイロンは意外なまで文化の古いところで、紀元前より国家らしいものが成立している。セイロンでは民族構成が比較的簡単で、シンハリー族はこんにちはかなり混血しているが、かつては純血であっただろう。セイロンは近接したインド半島部と異なって、あきらかに山棲み農耕文化をもっている。シンハリー族がその担い手で、セイロンの京都ともいうべきカンディーは海抜約六〇〇メートルの高地にある。シンハリー族は大陸の影響もあって、平地農業へもいくらか転換したが、こんにちのセイロンの平地水田農業の担い手は主として、インドから比較的近代に移住したタミル族によってなされている。要するにセイロンは山棲み農業が、インド文明の刺激を受け、もっとも早期に開花してしまった島というべきである。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「マダガスカル──マダガスカル島は主力となるマラガシー群民族は遠くインドネシアより移住した民族が根幹になっていて、水田農業の段階まで進展した。彼等は山棲み生活者の習慣をもち、こんにちのマダガスカルの首都のタナナリーブは、海抜一〇〇〇メートル以上の高地の水田の一角、さらに三〇〇メートルの崖の上にたてられている。この首都の附近には中世にすでにいくつかの小王国が成立していたが、統一政府までには進展しなかった。マダガスカルにはアフリカ本土からバンツー系の平地雑穀農業者が移住し、その影響を受けたが、それは文明度が低いものであったので、国家形成力としてはほとんど影響がなかった。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「このようにムギを中心とした一群の雑草の中から、ぞくぞくと二次作物として栽培植物が昇格してきたことは地中海農耕文化の特色の一つである。これはサバンナ農耕文化ではほとんどおこらなかった現象である。とくにサバンナ農耕文化にひじょうに多くの種類の雑穀とマメ類があることを考慮に入れると、それらが二次作物として起源したらしきものがほとんどみあたらないことは奇異なほどである。イネ作雑草のヒエから、栽培ビエへの昇格など当然考えられるのに、ヒエの系統的研究の結果は否定的である。まして根栽農耕文化に二次作物らしきものはない。また新大陸で独立におこった農耕文化にも二次作物らしいものはない。二次作物の発生の原理、そこに地中海農耕文化の特色がいかんなくあらわれているのだ。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「ところがここに奇妙なことがある。それはシナもインドも、ともども古代はオームギが主力であったらしきことである。シナの古代のムギにあたる漢字はいろいろあり、文献学的にはどうもそのムギがオームギであるらしいことだ。シナ文化でオームギ、コムギがはっきり文書の上で区別されてきたのは漢代のことで、それ以前はオームギが主力、あるいは唯一のムギであったのではないかといわれている。またインドでは、アリアン侵入の初期、その主食はヤバと呼ばれ、オームギが主力と考えられている。インドの文献学者はインダス文化にコムギが出土しているのに、それにつづいたアリアンの古典にコムギの名がみあたらないことの説明に困難を感じている状況だ。したがってこの二つのアジアの二大文明はともども相似た変遷をとげて、文書の歴史の時代の間にオームギからコムギへと主食が転換したと判断できる。チベットはそれがまだできないだけだ。シナとインドではそれではいつごろこの転換がおきたのだろうか。この問題にはほとんど文献上の資料がない。ただコムギが主食化するには粉食だろうと考えられるので、両国における製粉の歴史時代における発展ぶりの状態が間接的な推定となりうる。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
「こんな内容を書いた本はまだどこにもない。しかし今はもうこれを書かねばならない時代になってきたと思う。農業の起源と発達の歴史は、二〇世紀までの人類の歴史の中心的事実であったのだし、それは今まであまりに断片的にしか報告されていなかったからだ。〝農業の歴史は栽培植物の中に書きこまれている〟というプリンシプルを前提として、この本に書かれている体系ができあがってきた。そうして、その結果は、従来の歴史観・世界観とたいへんにちがったものになった。」
—『栽培植物と農耕の起源 (岩波新書)』中尾 佐助著
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しばらく前に金曜ロードショーの『もののけ姫』を観て、改めてその世界観やら今に通じるところとかをいろいろと考えさせられて、もののけ姫の考察的なサイトを読み漁っていたところで辿り着いた本。もののけ姫やトトロは照葉樹林文化論に基づいているとかで、そういう太古の森の話かなと思って読み始めてみると全然違った。野生植物から良い品種を選び出し、それをどのように栽培植物化して改良していったか、それがどれだけ文明発展の重要な基礎になったかということがエリア別・品種別に述べられている。読み進める中で、昔感じた素朴な疑問も思い出した。中1の歴史の授業では、「弥生時代に大陸から稲作が伝来した」と習ったけど、あんな水田なんていう複雑なものを最初に考え出した人すごすぎるだろと思った記憶がある。当然いきなり水田で栽培したわけではなく、湿地に自生する野生の稲を採集し、良い品種を選んで栽培・改良した結果が日本に伝来したと言われる稲作の姿ということらしい。読んでみると当たり前のようにも感じるけど、そこには長い年月をかけた数え切れない試行錯誤があったことだろう。そこには人類の歴史の基礎となる劇的な進歩があったのだと思い知らされる一冊だった。
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農耕からホモサピエンスの文明が大きく発展したことはよく知られている。しかしながら、どのようにして主食となる作物を作ってきたかは知らなかった。
さまざまな試行錯誤と努力と観察があって初めてこれらのことは成し遂げられたのだろうと思う。そう思うと、いくつかの農耕の起源が実に尊いことに気がつく。
小麦などを主食とする人以外が多いということにも驚いた。 -
初版は1966年1月なので、かなり昔の本です。
でも、書かれていることは大昔の栽培植物と農耕の起源ですから、古くても問題ないです。
私が手にしたのは、2024年4月発行の第67刷でした。
果物の中では、バナナが一番たくさん作られていること、
小麦や米などの穀類は野生種には多年草のものもあるけれども、栽培植物になったのはすべて一年草であること、
小麦と米を比較すると、米のほうが美味しいので、どちらも栽培できる地域では米が主流になることなど、いろいろとおもしろい知識を得ることができました。
人類の文化のおおもとは農耕なのだから、農耕の起源を知ることはアジアの文化、アフリカの文化、ヨーロッパの文化などを理解するのに一助になると思いました。 -
アグリカルチャーがカルチャーの一環であるとする著者が、各地を回って調べたもの。
農耕文化単一起源説を否定し、起源地はアフリカ、中近東、メキシコ、東南アジアの四系統であると唱える。
さらに、メソポタミアで発生した農耕文化は、それ以前に東から来たとする説を紹介する。
文章はわかりやすく、面白い。 -
(1993.07.27読了)(1992.10.01購入)
内容紹介 amazon
野生時代のものとは全く違った存在となってしまった今日のムギやイネは、私たちの祖先の手で何千年もかかって改良に改良を重ねられてきた。イネをはじめ、ムギ、イモ、バナナ、雑穀、マメ、茶など人間生活と切り離すことのできない栽培植物の起源を追求して、アジアの奥地やヒマラヤ地域、南太平洋の全域を探査した貴重な記録。 -
【読前メモ】
・宮崎駿に影響を与えた本、らしい -
文化"culture"の元の意味は耕す"cultivate"から来ているという指摘は言われてみれば目から鱗。なるほど、農業"agriculture"はまさにカルチャーそのものってわけだ。マクニールの『世界史』が紀元前における農耕文化の発展に対してやたらとページを割いていたのも今となってはよくわかる。農耕文化とは技術や儀礼だけでなく、栽培植物の品種それ自体も含まれるというのはその通りだと思う。僕らが日々食べているご飯も何万年もの改良の跡が刻まれているわけで、美味しく食べられるってのは一つの歴史的行為なんだ。
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宮崎駿がもののけ姫をつくるきっかけになった本のうちの一冊にあげていたので読んだ。関連知識をもっていないので「そうなのかぁ」とおもっただけだったがおもしろかった。
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歴史上での記述と近代までの農耕の世界分布を、農耕文化複合の概念によって合理的に説明している。
世界の農耕文化の時代を超えた全体像や、文明の初期段階における農業の発展が原始国家の形成に対し果たした役割などを具体的にイメージできるようになった。
少し読み難い日本語で書かれていることと、新大陸原産の作物が殆どおまけ程度にしか触れられていなかったのが残念。発行が1966年なので現在の定説とは違う点もあるかもしれない。 -
照葉樹林文化は、ヒマラヤから日本まで連なり、共通の自然資源利用形態を基盤とする文化。こういう人と自然の関わりを反映した文化っておもしろい。もっと詳しく書いてあったら良かった。
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宮崎駿の愛読書らしい
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農学部生たるもの、中尾佐助大先生の著作ぐらいは読んどかなきゃ、ということで大学3回生のときに読みました。
イネ、ムギ、マメ、イモ、その他雑穀、茶などの私たちの食生活に欠かせない栽培植物について、現地調査や遺伝学的な解析から民俗学、文化的な考察を交えながらその起源を追求した傑作。
中学や高校の地図帳に載っている、根菜農耕文化(南アジア熱帯;イモ、バナナ)、サバンナ農耕文化(アフリカ・北部インド;雑穀、ゴマ、マメ)、地中海農耕文化(トルコ東部;ムギ、えんどう豆等)、新大陸農耕文化(メキシコ;トウモロコシ、カボチャ、ジャガイモ)という4つの独立した起源から農耕が伝わっていく中で形成されたそれぞれの文化(農耕文化複合)があるという説を初めて説いた本です。
そして、根菜、サバンナ、地中海の3つの農耕文化複合とイネ(稲作)や茶といったアジア特有の作物と風土がフレンドされて「照葉樹林文化」(東アジア;イネ、茶、桑(絹))が形成されていると説明しています。
単に農耕の起源を追うのではなく、栽培作物を栽培したり利用する中で衣食住の文化的な面にも多く触れられてるのでいろんな視点から楽しめます。生物学的な部分は、出版されてから技術が進歩しているので専門的な方には不満かもしれません。また、生物学に疎い人でも、その部分を読み飛ばせば十分読めます。
意外にも栄養バランスがいいのはサバンナ農耕文化だったり、日本などの照葉樹林文化に人々はイネが伝わるまでは山岳民族だったなどが面白い発見でした。 -
1966年初版の古い本です。
この本には、遺伝育種学、栽培植物学の立場から、人類がどうやって
栽培植物というものを獲得したかの仮説が書かれています。
大学生の時にこの本のp146〜p148のくだりに、えらい感動しました。
内容を適当に端折りながら書き出すと
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原始採集経済の人々が大草原に入り込み、
野生の種の採集と狩りをしキャンプをするようになる。
すると、キャンプの周囲には窒素を濃縮した排せつ物がまき散らされる。
そのことが、大草原の中に島のように土壌の異なる場所を作り出す。
この人間が新しく作り出した環境の中に入り込んで育つ植物は
普通の野生植物とは異なる植物となる。
具体的には、突然変異によって適応を遂げた植物群が生じたのである。
簡単に言うと、野草から雑草へと進化したのだ。
さらにこの雑草群の中にムギ類の野生種が入り込むと
もう農業に非常に近いものとなる。
このようにムギ類は、野生から雑草へ、そして栽培植物へと
変わってきたのだ。
特に注目すべきは、野生から雑草へと変化したときには、
農業はまだ始まる以前のことなのに、植物の品種改良ともいえる
遺伝的な変化が起こっていたことだ。
こうして、人間が土地を耕すことを 植物の側から準備して待っていたのだ。
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最後の結びは、多分に詩的なとらえ方ですが、人間は本当に自然と
つながって進化してきたのだと感動したくだりです。 -
栽培植物と農耕を通して人間は文明を発展させたわけですが、豊かな食糧事情が必ずしも文明を発展させるわけではないということがわかり、新たな発見をさせてくれた本書です。
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1966年に刊行された書籍であり、50年以上昔の書籍であるが、おススメとして紹介されたため手に取って読んでみた。
人類の基本的な文化として「農耕文化」を挙げており、その文化を大きく、「根栽農耕文化」「照葉樹林文化」「サバンナ農耕文化」「地中海農耕文化」としてそれぞれの特徴を分析し、その特徴を有することになった地理的な要因に言及している。
書籍作成時に推測で記載された内容も多く、若干今の知識と比較して相違している部分もあるように見えるが、全般的な傾向の分析としては納得感のある内容になっていると感じた。
また、西洋文明の基になった「地中海農耕文化」が優れている、といった無意識的な見方に惑わされず、「根裁農耕文化」が優れている点を評価しており、納得感があった。 -
宮崎駿さんと鈴木敏夫さんが、この本を読んだと見て読んでみた。
50年以上前の本で、今は新しい知見が出てきているのかもしれないが、
古代文明発生以前からの植物と人の文化を描いていて、とてもワクワクしながら読み進めることが出来た。
身の回りにある植物の背景や歴史を感じることが出来、日常の楽しみが増えた
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