神の民俗誌 (岩波新書 黄版 97)

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  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004200970

作品紹介・あらすじ

人の一生の折り目や自然とのかかわりの中で出会う種々の災厄に対応して、さまざまな神仏が生みだされる。産神、山の神信仰、厄払いのお詣り、さらには合格や商売繁昌の祈願、道祖神の祭り等々。日本人の日常生活の中で生きつづけてきた民俗信仰の多様な姿を描き、そこに表われてくる伝統的な宗教意識を探った民衆精神史の試み。

感想・レビュー・書評

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  • こちらもたまたま立ち寄った奈良の豊住書店で購入。宮田登の著書を読みたいと思いながら長らく読めていなかった。伊藤比呂美との対談を40年ほど前に読んで衝撃を受けた。産屋とか忌屋とか、そういうことばに初めて出合った。子を産んでくれた女性をけがれているとしてしばらくのあいだ別の建物に住まわせるとか、月経があると毎月1週間ほども火を別にして生活するとか、なんという女性差別だろうか、などと思ったものだ。ただ本書を読んでの印象は少し違った。それは女性をいたわってのことではなかったのか。産後1ヶ月くらいは家のことはせず、ゆっくりさせてあげるとか、月経でつらいときもゆっくりしてもらうとか、何らかのそういう意味合いも含まれていたのだろうと思う。いろいろな神に神頼みをするのは、人間は自然には逆らえなかったからだろう。田植えの際、豊穣を願って、あるいは雨乞いであったり、家族の健康を願ったり、無事出産できることを願ったり。これは出産時に亡くなることが多かったり、病で突然亡くなる人がいたり、雨が降らずに凶作になってしまうことがあったり、そういうどうしようもないことが度々起こったために、神にお祈りをしたのだろう。「光る君へ」を見ていてもそういう感覚がよく分かる。日食なんていうのも相当恐ろしかったことだろう。それから興味深かったのは、まえがきにあったと思うが、日本人が、そこら中にいる神に、何でもかんでも願い事をして、節操がないと、外国人が驚くという話。まあそこが日本の良いところでもあるのだろうなあと、日本びいきに思うのでした。それから厄年というのが割と勝手に増えたりしている様子を見ると、厄除けの神様というのは、実は神社が金儲けのために行っているのではないかと邪推してしまいます。

  • ふむ

  • 民俗学の立場から、日本における神の信仰のありかたについて考察をおこなっている本です。

    とりあげられている話題は多岐にわたっていますが、「穢れ」についての考察が中心的なテーマとなっています。著者は、「ケガレ」を稲の稔りが弱まった状態を意味する「毛枯れ」に関連づける説を紹介して、「ハレ」と「ケ」の循環のなかに「ケガレ」とそこからの回復を位置づけることが可能ではないかという主張を展開しています。

    著者自身も「おわりに」で「本書では、神と人との関係がケガレを介在にして成り立っているということを民俗学的に説明しようとした」と述べつつも、「ケガレ」の諸相を紹介するにとどまっていることを告白しており、その体系化がなされているわけではありません。とはいえ、日本の信仰のありかたについて興味深い観点が提示されているように思います。

  • 筑波大学名誉教授、宮田登 著。
    筑波大学の授業科目「日本の宗教と芸能演習」の教科書。
    キーワードと各論をひと続きに辿る。

    民俗学の基本事項がまとまっており一冊で入門にも適している。各地の具体例が数多く紹介され非常におもしろい。
    私の地元にも白山神社とその近くに部落があり、興味があって本書を手に取った。何かわかったかというと微妙だが、持つべき観点というかヒントは散りばめられていた。本書のどの章もそうだが、広く取材してはいるが深入りはされていない。民俗学のトンデモ説も紹介され学者はこうも想像力豊か(皮肉)なのかと疑ってしまうが、それを批判するわけでもなく、賛同するわけでもなく、結論は出さないように見受けられる。総じて、初学者に考えさせる話題提供の感がある。
    頭から読むと引き込まれる構成になっている。章ごとにテーマは異なるが、つまみ食いせず、順番に読むと本書の良さを感じる。

    目次
    0.はじめに
    1.誕生の民俗―出産とウブ神
    2.山の神―女の力
    3.ハレとケ、ケガレ―日本人の「穢れ」観
    4.神々と厄年
    5.シラヤマ神―死と再生
    6.和合の神―ケの維持のために
    7.おわりに

  • これは本書の後書きにも書かれているが、
    いまだまとまり切ってないまま研究ノートを提示されたような本だ。

    とは言っても、新書ならそういうことがむしろ挑戦として許されるのだから
    向いてる方向さえ意識できていれば問題はなかろう。

    そして、この本はケガレと血/出産の関係性、
    ハレとケ、ケガレ、この関係性の揺らぎを見つめようとしている。

    まず、ケがあり、ケガレという
    危険な状態を経てハレによってケに戻す。
    そんなサイクルが示唆されている(p.97)

    そうであるならば、ハレとケは対立概念ではなくて、
    ケとケガレの二択の状態説明があってそこに介入する要素としてのハレということになるし、
    サイクルとしてハレが定期的に用意されるのはケガレが
    遠ざけたいが避けられない出来事であることを示しているだろう。

    女性蔑視に結びついたと批難されることの多いケガレの概念だが
    少なくとも始まりは差別のために編み出されたのではないと思う。
    >>
    気は生命を持続させるエネルギーのようなものだろう。その気がとまったり、絶えたりすることも、「穢れ」だった。そしてこれは死穢に代表されるものであり、不浄だとか、汚らしいという感覚はそこにはないのである。(p.99)
    <<

    (大事なのは差別のために考えられた訳でないものが、
    差別につながることがあるということを直視するほうだろう。
    しかしこれはこの本から離れすぎている。)

    この後、山の民と平地の民の交流からどのような相互作用があったかなどの
    記述もなかなかに興味深い。
    それらをキャッチボールする中で女性の立ち位置が
    不自由なところに押し込められているようにも見えるが、
    さて、その辺は後に続く研究家もそのうち出るかな。

    研究としてのまとまりは弱いけれど
    伝承と人々の風俗にしっかり寄り添う姿勢は最後まで貫けていると思います。

  • ほぼ30年ぶりに再読。

    覚えてないもんだな〜。

    「古語拾遺」、本居宣長「古事記伝」を初めて知ったのは、この本だったかも。

  • [ 内容 ]
    人の一生の折り目や自然とのかかわりの中で出会う種々の災厄に対応して、さまざまな神仏が生みだされる。
    産神、山の神信仰、厄払いのお詣り、さらには合格や商売繁昌の祈願、道祖神の祭り等々。
    日本人の日常生活の中で生きつづけてきた民俗信仰の多様な姿を描き、そこに表われてくる伝統的な宗教意識を探った民衆精神史の試み。

    [ 目次 ]
    1 誕生の民俗―出産とウブ神
    2 山の神―女の力
    3 ハレとケ、ケガレ―日本人の「穢れ」観
    4 神々と厄年
    5 シラヤマ神―死と再生
    6 和合の神―ケの維持のために

    [ POP ]


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    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
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    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 特に新しいことは書いていなかったが、今までの説をまとめた感じ。内容は割と幅が広い。柳田の引用が多い。

  • 記録だけ  



    2009年度 13冊目  



       『神の民俗誌』



      

     宮田 登 著

     株 岩波書店

     岩波新書 黄版97

     1979年9月20日

     193ページ 320円



     今回も私の好きな宮田 登 著の『神の民俗誌』を楽しむ。

     やはり興味深い。

     

     宮田 登氏の話の中に度々出てくる「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」の話は、好きだ。

     これは『日本書紀』巻二に記されている。



    「箒の神」は、はき出すとか 掃き寄せるとか。

     これはケガレとハレに関するのだろう。

     箒の丸く絞った形も、いかにも心霊が宿りそうで、こういったものを神に見立てる日本人の知恵には驚きと同時に、納得もする。

     こういった形は妊婦や出産にも見立てられている。

     妊娠中トイレを掃除するといい子が生まれるといった言い伝えは、こういったところから来ているとのこと。

     納得。



    『江談抄』や『諸社通用神祇服忌大成(じんぎぶっきれい)』http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_06343/index.htmlの例は興味深い。

    『諸社通用神祇服忌大成』での 「魚鳥、大社無レ憚 (魚鳥、大社にて はばかり無し) 」は、わた其の場合は 大神神社(三輪神社)の神餞(しんせん)である つるされた鯛と雉を思い浮かべる。



    『仏説目連正教血盆教』の、「血の池地獄」

     そうだったんだと変に納得。



     鍛冶屋の話は以前読みかけたままになっている柳田國男氏の『一つ目小僧』に関連性があるのだろうか・・・。

     職人の技術が呪術者としての役割も含むといった説もこの本には記され、全体を通して、非常に興味深く読んだ。

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著者プロフィール

宮田 登(みやた・のぼる):1936年、神奈川県生まれ。筑波大学教授、神奈川大学教授、国立歴史民俗博物館客員教授、文化庁文化財保護審議会専門委員、江戸東京博物館客員教授、旅の文化研究所所長等を歴任。その関心は民俗学から日本史学、人類学等、周辺諸学におよんだ。柳田賞、毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『江戸のはやり神』『日本の民俗学』『神の民俗誌』『妖怪の民俗学』『山と里の信仰史』『都市とフォークロア』『宮田登 日本を語る』(全16巻)等がある。2000年、没。

「2024年 『柳田國男全集 別巻2 補遺』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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