神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004201038

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  • 廃仏棄釈は民衆のエネルギーの爆発ではなかったのですね。神社祭祀の体系化を目指したものですか?今、神社と聞いて思い浮かべる鳥居・社殿・参拝作法の多くは明治の国家政策を起源にしていると気づかされました。一方で、列強に対して国家死守を賭け切羽詰まったほどの危機意識を読み取りました。廃仏棄釈関係は封印されているのかと思うほど出版物が乏しいのですが、知るべきことは多い気がしました。

  • 「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
    215p ¥320 (2017.09.04読了)(2017.08.31借入)
    副題「神仏分離と廃仏毀釈」
    明治維新のころ、廃仏毀釈がおこなわれ多くの仏像、仏画、仏具、経文、などが破壊・焼却されたり、海外に流出したりしたということは展覧会などで知りました。
    なぜそのようなことがおこなわれなければならなかったのかを考えたことは特にありませんでした。
    先日、50年来の積読を経て読んだ島崎藤村著『夜明け前』を読んだときになぜ廃仏毀釈がおこなわれたのか、が少しわかりました。国学だったのですね。
    本居宣長、平田篤胤、などの国学思想が、尊王思想を醸成し、尊王攘夷、大政奉還、王政復古、と進んだ結果、日本のもとは神道であり、外来思想である仏教は排斥されなければならない、となって、廃仏毀釈が実施された、ということなのでしょう。
    『夜明け前』の主人公も、国学思想に染まり、一時明治政府の一員として働いたり、神社の宮司を務めたりしています。
    この本の副題に「神仏分離」という言葉が出てきますが、これは、仏教が日本社会に浸透してゆく中で、本地垂迹、神仏習合、という考え方が浸透し、日本古来の神と渡来の仏が一体化していたので、廃仏毀釈のためには、神と仏を分離しないといけなくなった、というわけです。山岳仏教などの場合は、神と仏が融合してしまっているので、分離不能といったことも起こったようです。
    仏教を排除して、天皇崇拝の国家神道を浸透させるためには、伝道師が必要だったのでしょうけど、神職の人々では足りず、説法を得意とした和尚たちの力を借りないといけなかったとか。また、仏教信徒たちの信仰をすべてやめさせるというのも至難の業なので、仏教は残りました。海外との付き合いとの関係で、信仰の自由という問題もありますので、キリスト教徒の弾圧ということも辞めざるを得ませんでした。

    【目次】
    はじめに
    Ⅰ 幕藩制と宗教
    1 権力と宗教の対峙
    2 近世後期の廃仏論
    Ⅱ 発端
    1 国体神学の登場
    2 神道主義の昂揚
    Ⅲ 廃仏毀釈の展開
    Ⅳ 神道国教主義の展開
    1 祭祀体系の成立
    2 国家神の地方的展開
    Ⅴ 宗教生活の改編
    1 〝分割〟の強制
    2 民俗信仰の抑圧
    Ⅵ 大教院体制から「信教の自由」へ
    1 大・中教院と神仏合同布教
    2 「信教の自由」論の特徴
    参考文献

    ●国教ともいうべき地位の仏教(26頁)
    16世紀末まで、政治権力としばしば争った仏教は、その民心掌握力のゆえに、権力体系の一環に組み込まれた。仏教は、国教ともいうべき地位を占め、鎌倉仏教が切り拓いた民衆化と土着化の方向は、権力の庇護を背景として決定的になった。
    民衆が仏教信仰を受容するようになった民俗信仰的根拠は、さしあたり次の二点から理解することができよう。
    第一は、仏教と祖霊祭祀の結びつきで、これを集約的に表現するのが仏壇の成立である。
    寺請制・寺檀制と小農民経営の一般的成立とを背景として、近世前期にはどの家にも祀られるようになっていった。
    第二は、多様な現世利益的祈祷と仏教の結びつきである。観音・地蔵・薬師などはその代表的なもので、これら諸仏はやがて、子安観音、延命地蔵など、多様に分化した機能神として、民衆の現世利益的な願望にこたえるようになった。
    ●国学(37頁)
    明治初年に急進的な廃仏毀釈を推進したのは、水戸学や後期国学の影響を受けた人々であった。
    明治初年の新政府の宗教政策の直接的前史をなすものとしては、水戸藩、長州藩、薩摩藩、津和野藩などにおける寺院整理と廃仏毀釈があった。(38頁)
    ●神道(60頁)
    記紀神話などに記された神々と、皇統につらなる人々と、国家に功績ある人々を国家的に祭祀し、そのことによってこれらの神々の祟りを避け、その冥護をえようという思想
    ●信仰心(92頁)
    信仰体系の強制的な置換が、信仰心そのものの衰退を招いた
    ●苗木藩(106頁)
    (苗木藩の)廃仏毀釈は、寺院仏教をほぼ完全に絶滅したが、民俗信仰を絶滅することはできなかったし、民俗信仰と結びついた様々な行事や芸能なども、やがて復活伝承された。
    ●朝廷の意思(115頁)
    廃仏毀釈のような強引な政策は、地域の権力の意思だけでは容易には実施しえず、廃仏毀釈は朝廷の意思だとか、全国でおこなわれている(やがておこなわれる)などと強調することで、はじめて実現可能になった。
    ●修験(145頁)
    修験は、神仏分離政策の影響をもっともつよくうけたものの一つである。
    各地の修験組織も僧侶出身のものに支配されていることが多かったから、仏教色がつよかった。しかし、その宗教としての実態は、修験たちの山中修行を中核に、神道とも仏教とも区別しがたい独自の行法や呪術などからなりたっていた。こうした性格の修験に神仏分離が強行されると、しばしば信仰の内実そのものが失われ、各地の修験は、還俗して農民となったり神官となったりした。
    ●神田明神(160頁)
    神田明神は、もともと将門の御霊信仰として発展してきたものであった。

    ☆関連図書(既読)
    「明治維新の分析視点」上山春平著、講談社、1968.06.28
    「明治という国家」司馬遼太郎著、日本放送出版協会、1989.09.30
    「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
    「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
    「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
    「翔ぶが如く(二)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
    「翔ぶが如く(三)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
    「翔ぶが如く(四)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
    「翔ぶが如く(五)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
    「翔ぶが如く(六)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
    「翔ぶが如く(七)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
    「翔ぶが如く(八)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
    「翔ぶが如く(九)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
    「翔ぶが如く(十)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
    (2017年9月14日・記)
    (amazonより)
    維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。

  • 織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の宗教政策を前史とし、明治維新とともに起きた神仏分離と廃仏毀釈について、深く,広く紹介している。

    いろいろな場所に行き資料を拝見したり,いろいろな人にお会いしお話しをお聞きすると、腹に落ちて納得できることも多そう。

    あちこちに行きたくなる本です。

    参考文献も多く,時間をかけて勉強してみたい。
    天皇制を考える際の基礎資料となるかもしれない。

  •  神仏分離令による廃仏毀釈から神道国教化政策の展開と挫折に至る明治維新期宗教=「国民教化」史。神仏分離は単なる「神」と「仏」の分離ではなく、「民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするもの」と断じ、神道・仏教のみならず各種の習俗・信仰が受けた影響を明らかにしている。江戸後期の国体神学の成立、幕末諸藩における「廃仏」の実相等の「前史」、真宗(特に東西本願寺)の抵抗や制限付き「信教の自由」の確立過程等の「後史」を含め、基本的史実が過不足なく叙述されており、今もって神仏分離・廃仏毀釈の最適な入門書の座を失っていない。

  • 名著であると思う。明治維新期の日本における諸宗教の動向と国家神道への道筋が分かりやすく論じられている。それらの動きを担う日本社会の諸階層、集団の意識と行動を丹念に実証しながら、大変動期の日本宗教の動きをトータルに描いている。1979年発行の岩波新書だが、今日では硬すぎて出版困難だったかもしれない。

  • 明治維新が日本の近代化だったことを宗教を通して、実感として学ぶ。ナショナリズムの猛威としたたかさが描かれている。浄土真宗に初めて実質的な興味を持つ。

    ・家ごとに仏壇が成立したことが、他方で神棚の分流をもたらした。
    ・正成の威霊によって帝都を守護するという観念は、いまも皇居前の正成の騎馬像に名残を残している。
    ・東京招魂社が靖国神社に改称させられた。
    ・近世の仏教は、葬儀と年忌法要の仏教として一般化していったのに、真宗では死者供養が簡略化される傾向があり、仏前に位牌を安置しない場合もあった。児玉識『近世真宗の展開過程』

  • 廃仏棄釈の話に止まらず、江戸期の宗教事情や明治期に生じた日本の宗教地図を一変させた変化まで含んでいる。個別の事例も豊富で読んでいて面白い。注目するべきはやはり浄土真宗の特殊性か。

  • 神仏分離とは、地域の信仰と、そこに根付くコミュニティを破壊する為の「刀狩り」であった。 明治政府自体は直接的にこの〝悪法〟を施行したのではなく、各自治体の解釈によって 暴挙が広まった様だが、真相はいかがか。IS国が行なった様な歴史物への破壊活動が、かつてこの国にもあった事を風化させてはならない。この暴挙と太平洋戦争が無かりせば、より多くの歴史ある仏像を拝めたと思うと本当に惜しいなあ。

  • 神仏分離関係の必読文献ということで図書館から借りて読了。上から推し進められた神仏分離が、全国に敷衍していく過程で廃仏毀釈の嵐を生んでいった悲劇を思うと、心が痛む。仏教への多大な影響は元より、地域社会に根づいていた民俗信仰がどれほど破壊されたことだろう。仏教者のみならず、当時の民衆たちの不安は私の想像に有り余るが、それでも後年には明治政府が推し進めた説教が一大イベントとなり、僧侶と神職のバトルが繰り広げられて民衆の人気を博するなど、信仰というものが生み出す躍動感と生命力の強さも伝わってきた。
    神仏分離以前までは、神職すらも自身の勤める神社に何が祀られていたのかわからない、という事例がたくさんあったということを聞いたことがある。当時はけしからんなどと思っていたけれど、こうして歪な形で神社に氏神が配されていった過程を思えば、それがどんなに幸せなことだったろう。谷崎の「刺青」に“それはまだ人々が『愚』と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」という冒頭の一文があるが、これを想起せずにはいられない。

  • ちょうどお盆の真っ最中に読み終えた。日本の生活と宗教って、宗教に不勉強な人間から見るからか、色々突っ込みどころが多いけど、実際のところどうなんだろうかと気になって読み始めた。昔の民衆って自分の信じる宗教のために命がけで戦うことができた人が大勢いたんだと思って驚いた。それだけに、政治の大きな力によって自分の信仰が脅かされることがどれだけ怖ろしいことだったのかと思う。廃仏毀釈は日本社会に甚大なインパクトを与えて、その影響下に今も私は生きているんだと思った。

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