神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004201038

感想・レビュー・書評

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  • 授業の参考書

  • 1979年刊行と古い本だが違和感なく読めた。神仏分離と廃仏毀釈について政治・歴史など背景を含めて解説し考察を加えている。

    以前に文春新書『仏教抹殺』を読んだときは、正月飾りや七夕まで禁じた京都の事例を不思議に思いつつ読んだが、廃仏毀釈で廃絶しようとしたのは仏のみならず国家により権威づけられていない神仏すべてであったと言われて納得。新しい開明的なもの(文明開化だけでなく国家神道もこちら)と、古くて民俗的なもの(仏教、民間の習俗)との対立軸があったようだ。明治はおもしろい

  • 廃仏棄釈は民衆のエネルギーの爆発ではなかったのですね。神社祭祀の体系化を目指したものですか?今、神社と聞いて思い浮かべる鳥居・社殿・参拝作法の多くは明治の国家政策を起源にしていると気づかされました。一方で、列強に対して国家死守を賭け切羽詰まったほどの危機意識を読み取りました。廃仏棄釈関係は封印されているのかと思うほど出版物が乏しいのですが、知るべきことは多い気がしました。

  • 奈良以前から輸入され、日本の国情に深く根を下ろし、荘園などももって大いに儲け大いに力を得た仏教。
    中世、武装し国家に逆らう仏教徒を討伐しようと信長の時代は躍起になっていた。その反面で先進技術と抱き合わせで入ってきた耶蘇教にはある程度寛大な態度がとられたが、秀吉、家康あたりから、死をも恐れぬ耶蘇教の排斥に向かう。
    耶蘇教排斥のために、元々排斥の対象であった仏教が利用されるようになったが、天皇を中心とする新国家の建設に神道を利用することが維新政府の意向で決まると、仏教の、来世や死後の世界を説く思想がそれに悖るとみなされ、仏教はまた排斥の対象となる。
    結局、仏教排斥に大いに息巻いたのは、長い間仏教のもとで補佐役に甘んじてきた神道家で、政府の政策を鶴の一声とばかりに、積年の恨みを霽らすべく、一挙に仏教排斥に動く。
    しかし人の死霊を弔う方法を神道はもっていない、あるいはあっても原始的すぎて、仏教の格式だった葬祭の前には霞んでしまう。江戸時代に、耶蘇教排斥にあわせて仏教の檀家にさせられ、それ以来何世代もその仏式に慣れ親しんだ庶民からすれば、今更神式で弔えと言われても確かに心もとない。本当に神式で「成仏」できるのだろうかと不安になる。
    新しい時代の到来を予期して一部の藩では仏教排斥を大いに進めたが、藩制がおわってみると、日本国内にだけでなく、世界を視野に物事を考えることが必要となり、結局耶蘇教も仏教も有耶無耶のままに日本人の宗教の中に残留する。



    面白かったが、引用される文はどうしても江戸時代のものが多いため、非常に疲れる。

  • 「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
    215p ¥320 (2017.09.04読了)(2017.08.31借入)
    副題「神仏分離と廃仏毀釈」
    明治維新のころ、廃仏毀釈がおこなわれ多くの仏像、仏画、仏具、経文、などが破壊・焼却されたり、海外に流出したりしたということは展覧会などで知りました。
    なぜそのようなことがおこなわれなければならなかったのかを考えたことは特にありませんでした。
    先日、50年来の積読を経て読んだ島崎藤村著『夜明け前』を読んだときになぜ廃仏毀釈がおこなわれたのか、が少しわかりました。国学だったのですね。
    本居宣長、平田篤胤、などの国学思想が、尊王思想を醸成し、尊王攘夷、大政奉還、王政復古、と進んだ結果、日本のもとは神道であり、外来思想である仏教は排斥されなければならない、となって、廃仏毀釈が実施された、ということなのでしょう。
    『夜明け前』の主人公も、国学思想に染まり、一時明治政府の一員として働いたり、神社の宮司を務めたりしています。
    この本の副題に「神仏分離」という言葉が出てきますが、これは、仏教が日本社会に浸透してゆく中で、本地垂迹、神仏習合、という考え方が浸透し、日本古来の神と渡来の仏が一体化していたので、廃仏毀釈のためには、神と仏を分離しないといけなくなった、というわけです。山岳仏教などの場合は、神と仏が融合してしまっているので、分離不能といったことも起こったようです。
    仏教を排除して、天皇崇拝の国家神道を浸透させるためには、伝道師が必要だったのでしょうけど、神職の人々では足りず、説法を得意とした和尚たちの力を借りないといけなかったとか。また、仏教信徒たちの信仰をすべてやめさせるというのも至難の業なので、仏教は残りました。海外との付き合いとの関係で、信仰の自由という問題もありますので、キリスト教徒の弾圧ということも辞めざるを得ませんでした。

    【目次】
    はじめに
    Ⅰ 幕藩制と宗教
    1 権力と宗教の対峙
    2 近世後期の廃仏論
    Ⅱ 発端
    1 国体神学の登場
    2 神道主義の昂揚
    Ⅲ 廃仏毀釈の展開
    Ⅳ 神道国教主義の展開
    1 祭祀体系の成立
    2 国家神の地方的展開
    Ⅴ 宗教生活の改編
    1 〝分割〟の強制
    2 民俗信仰の抑圧
    Ⅵ 大教院体制から「信教の自由」へ
    1 大・中教院と神仏合同布教
    2 「信教の自由」論の特徴
    参考文献

    ●国教ともいうべき地位の仏教(26頁)
    16世紀末まで、政治権力としばしば争った仏教は、その民心掌握力のゆえに、権力体系の一環に組み込まれた。仏教は、国教ともいうべき地位を占め、鎌倉仏教が切り拓いた民衆化と土着化の方向は、権力の庇護を背景として決定的になった。
    民衆が仏教信仰を受容するようになった民俗信仰的根拠は、さしあたり次の二点から理解することができよう。
    第一は、仏教と祖霊祭祀の結びつきで、これを集約的に表現するのが仏壇の成立である。
    寺請制・寺檀制と小農民経営の一般的成立とを背景として、近世前期にはどの家にも祀られるようになっていった。
    第二は、多様な現世利益的祈祷と仏教の結びつきである。観音・地蔵・薬師などはその代表的なもので、これら諸仏はやがて、子安観音、延命地蔵など、多様に分化した機能神として、民衆の現世利益的な願望にこたえるようになった。
    ●国学(37頁)
    明治初年に急進的な廃仏毀釈を推進したのは、水戸学や後期国学の影響を受けた人々であった。
    明治初年の新政府の宗教政策の直接的前史をなすものとしては、水戸藩、長州藩、薩摩藩、津和野藩などにおける寺院整理と廃仏毀釈があった。(38頁)
    ●神道(60頁)
    記紀神話などに記された神々と、皇統につらなる人々と、国家に功績ある人々を国家的に祭祀し、そのことによってこれらの神々の祟りを避け、その冥護をえようという思想
    ●信仰心(92頁)
    信仰体系の強制的な置換が、信仰心そのものの衰退を招いた
    ●苗木藩(106頁)
    (苗木藩の)廃仏毀釈は、寺院仏教をほぼ完全に絶滅したが、民俗信仰を絶滅することはできなかったし、民俗信仰と結びついた様々な行事や芸能なども、やがて復活伝承された。
    ●朝廷の意思(115頁)
    廃仏毀釈のような強引な政策は、地域の権力の意思だけでは容易には実施しえず、廃仏毀釈は朝廷の意思だとか、全国でおこなわれている(やがておこなわれる)などと強調することで、はじめて実現可能になった。
    ●修験(145頁)
    修験は、神仏分離政策の影響をもっともつよくうけたものの一つである。
    各地の修験組織も僧侶出身のものに支配されていることが多かったから、仏教色がつよかった。しかし、その宗教としての実態は、修験たちの山中修行を中核に、神道とも仏教とも区別しがたい独自の行法や呪術などからなりたっていた。こうした性格の修験に神仏分離が強行されると、しばしば信仰の内実そのものが失われ、各地の修験は、還俗して農民となったり神官となったりした。
    ●神田明神(160頁)
    神田明神は、もともと将門の御霊信仰として発展してきたものであった。

    ☆関連図書(既読)
    「明治維新の分析視点」上山春平著、講談社、1968.06.28
    「明治という国家」司馬遼太郎著、日本放送出版協会、1989.09.30
    「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
    「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
    「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
    「翔ぶが如く(二)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
    「翔ぶが如く(三)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
    「翔ぶが如く(四)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.02.25
    「翔ぶが如く(五)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
    「翔ぶが如く(六)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.03.25
    「翔ぶが如く(七)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
    「翔ぶが如く(八)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.04.25
    「翔ぶが如く(九)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
    「翔ぶが如く(十)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.05.25
    (2017年9月14日・記)
    (amazonより)
    維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。

  • 神仏分離とは、地域の信仰と、そこに根付くコミュニティを破壊する為の「刀狩り」であった。 明治政府自体は直接的にこの〝悪法〟を施行したのではなく、各自治体の解釈によって 暴挙が広まった様だが、真相はいかがか。IS国が行なった様な歴史物への破壊活動が、かつてこの国にもあった事を風化させてはならない。この暴挙と太平洋戦争が無かりせば、より多くの歴史ある仏像を拝めたと思うと本当に惜しいなあ。

  • 伊勢神宮が神社の最高峰のように扱われるようになったのが明治以降だと知ってびっくり。歴史で「廃仏毀釈」ということがあったことは習ったいたが、ほんの150年くらい前に、こんな文化を踏みにじるような所業が行われていたものだとは知らなかった…。明治の時代、辛酸をなめたお寺もたくさんあったんだろう。
    梨木香歩さんの『海うそ』が廃仏毀釈の話をもとにしていて、お寺にそんな歴史があったとはあまり認識がなかったので、ちゃんと廃仏毀釈のことを知りたくて読んでみた。

  • 織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の宗教政策を前史とし、明治維新とともに起きた神仏分離と廃仏毀釈について、深く,広く紹介している。

    いろいろな場所に行き資料を拝見したり,いろいろな人にお会いしお話しをお聞きすると、腹に落ちて納得できることも多そう。

    あちこちに行きたくなる本です。

    参考文献も多く,時間をかけて勉強してみたい。
    天皇制を考える際の基礎資料となるかもしれない。

  •  神仏分離令による廃仏毀釈から神道国教化政策の展開と挫折に至る明治維新期宗教=「国民教化」史。神仏分離は単なる「神」と「仏」の分離ではなく、「民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするもの」と断じ、神道・仏教のみならず各種の習俗・信仰が受けた影響を明らかにしている。江戸後期の国体神学の成立、幕末諸藩における「廃仏」の実相等の「前史」、真宗(特に東西本願寺)の抵抗や制限付き「信教の自由」の確立過程等の「後史」を含め、基本的史実が過不足なく叙述されており、今もって神仏分離・廃仏毀釈の最適な入門書の座を失っていない。

  • 興味深かったが
    読みにくかったというか…

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授・故人

「2019年 『民衆宗教論 宗教的主体化とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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