原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 (岩波新書 黄版184)

  • 岩波書店 (1982年2月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (211ページ) / ISBN・EAN: 9784004201847

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  • 先週、古本屋で買って読んだ『あの人は帰ってこなかった』の、カバーの見返しに、この本や『ヒロシマ・ノート』、『沖縄ノート』などのタイトルが並んでいた。読んだことがなかったこの本を図書館で借りてきて読む。これは「原爆未亡人村」とよばれた旧安佐郡川内村(かわうちそん)温井地区の「ピカ後家」たち19人の生い立ちから、結婚、原爆被災、その後の人生を聞き取ってまとめたもの。被爆から37年後のこと。

    川内村は当時、広島市の北にひらけた近郊農村。本土決戦体制に応じて結成された「川内国民義勇隊」は、8月の4日、5日、6日と、原爆の爆心地にあたる中島新町の建物疎開作業に出ていた。6日は最後の作業日で、早めに終わる予定で、夫たちは「今日は早く帰れるから」と妻に伝えていたり、若い女性たちは作業後には映画を見に行こうと楽しみにしていたりしたという。

    義勇隊は全滅し、わずかに数名が焼けただれて村まで帰ったものの、間もなく息をひきとった。遺体が見つからなかった場合も多かった。義勇隊は男は16歳から60歳まで、女は16歳から40歳までで、小さい子どものいる母親や年寄り、病人、けが人のほかは皆が隊員だった。村では夫を失った妻が75人にのぼり、夫と子どもを失った人も少なくなかった。

    聞き書きをまとめた神田さんは、「原爆の当時を話して下さい」というのではなく、「あなたの出生から今日までの一代記を聞かせて下さい」と話し込んだ。それぞれの女性たちの来し方のなかで、原爆は、夫や子の死は、どう位置づけられているのか、生き方をどう変えたのか、そこを聞き取ろうとしたのである。

    父が広島出身でずっと広島に住む伯母がいることもあり、広島弁は耳になじみがあるせいか、19人の女性たちの語りは読んでいて、肉声が聞こえてくるように思えた。原爆のおそろしいこと、被爆者たちがどんなにむごたらしく死んでいったかを孫たちに折りにふれて話して聞かせるという人が幾人もいた。しかし、孫たちは聞きたがらないと、これも幾人もの人が語っている。その聞こうとはせん孫たちに、この本を見せるんよと杉田チヨコさんが言うのは、岩波写真文庫の『広島』(1952年)。最近復刊されたのが図書館にあったので、こんど見てみようと予約した。

    被爆から19年たった1964年の8月6日に、温井地区の人たちは「義勇隊の碑」を建て、広島市主催の式典ではなく、この義勇隊の碑に祈るという。編者の神田さんが、巻末に「証言の記録を終えて」で書きとめている「平和式典に警察が出て取り締まるようなことでは、平和じゃない思うとります」という未亡人の言葉に心をうたれる。

  • 日本は世界で唯一の、都市に対する実戦としての原子爆弾攻撃を受けた国だ。太平洋戦争末期の1945年8月6日、日本の軍都である広島はテニアン北飛行場を離陸したアメリカのB-29エノラ・ゲイ(機長であるポール・ティベッツ大佐の母親の名前を冠した機)号により、8時15分リトルボーイ(ガンバレル型ウラン爆弾)が投下された。広島中心地にあった島病院の上空600メートルで炸裂した爆弾は猛烈な高熱、爆風、そして放射能を放出させ、更にはそれらが引き起こした火災により広島は壊滅的被害を受けた。当時広島には34万〜35万の人口を抱えていたが、焼失面積13.2平方キロメートル、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらされた。また投下から2〜4か月以内には約9万人から16万6000人が被爆により死亡したとされている(正確な数字が判らないのは、広島に仕事で来ていた人や朝鮮半島からの労働者なども含まれること、爆心地近くでは瞬時に消失した人などが含まれるため)。
    この様に全体を見渡すと莫大な被害のあった原爆投下であるが、亡くなったり怪我をした人々のうち、特に一家の主人である夫を亡くして後妻となった未亡人たちにフォーカスし、約20人ほどのインタビューを纏めたが本書である。当時は日本全国の大都市が日々B-29による空からの爆撃、空襲の被害に遭っており、広島も陸海軍の重要な施設のある場所として、防備を固めていた。万が一広島が大規模な爆撃を受ければ、当時の日本家屋は大半が木造であったため、大規模な火災になる事は間違いない(3月10日の東京大空襲では爆撃・火災による損害家屋は85万戸に及ぶ)。よって火災の延焼を防ぐ事や消防隊の導線確保を目的とした計画的な家屋の取り壊し(建物疎開)が実施されていた。これには旧制中学校の生徒や住民が動員されており、8/6のその日も朝から広島市内には建物疎開に従事する住民が集められていた。本書で夫を失った妻たちの多くはこの様にして、原爆後に独り身となり、残された子や親たちの面倒を1人で行なっていく様になるのである。
    本書構成はインタビュー形式であるが、先ずは当時の若者達が両親が決めた婚姻相手と顔もほとんど見ずに結婚していた事に始まり、嫁いだ先で慣れない農業に朝から晩まで従事する姿、そしてその中で子をもうけて背中に子供をおぶりながら畑仕事する苦労話が多く出てくる。時代背景を考えれば、若い男は兵隊に取られ、残された女子共までもが働かなければ食うこともできない。ある程度の年齢に達し、兵役を免れた男達であっても、前述した様な「国家総動員体制」に組み込まれ、全てを戦争に捧げていた時代である。その様な中で唯一の拠り所でもある家族や夫を奪っていった原子爆弾。その時の彼女達の行動はワンパターンしかないかもしれない。突然夫や家族の消息もわからなくなり、かつ広島市内では地獄絵さながらの状況を目の当たりにする。誰もが同じ様に死体をひっくり返しては、火傷で原型を止めない腫れ上がった顔の中でも自分の知る夫や家族の面影を探し歩いた。そして身元が判明したならまだしも、多くの妻達に夫の遺体は見つける事はできず、今も墓の中には骨もない状態が続くのだ。そして、大量の残留放射線の中を歩き回った彼女達の体を、戦後何十年経過しても原子爆弾は蝕み続けるのである。これは誰かが書いた空想上の出来事ではない。ほんの数十年前、自分の祖父や曾祖父の時代に実際にあった真実である。
    今なお世界中で戦争が続き、こうしている間にも核の恐怖やミサイル、地雷に怯える人々がたくさんいる。日本が平和国家になって、自分も自分の親世代も戦争経験の無い人が殆どだ。戦争の本当の恐怖を知らない世代だけになってしまったとしても、本書で語る彼女達の言葉を思い出し、またこれから先も繋いでいかなければならないと強く感じさせる一冊だ。

  • ふむ

  • 辛い思い出、記憶を語る様子胸に響いた

  • 原爆で夫を失いながらも残った子供を立派に育て、必死に田畑を守った女性たちに本当に感銘を受けました。
    現代人にはとても真似の出来ないほどの根性。見習うところが山ほどある内容です。

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