- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004201984
感想・レビュー・書評
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「将校たりし人か、あるいは知識階級の軍関係でしかるべき地位にあった人々」が書いた旧来の従軍記に対して、一兵士=奴隷の立場から軍における生活記録としてまとめたもの。という。
著者は帝大法学部卒で将校となる資格がありながら「その機会がなかった」、また日立製作所勤務で工場勤務の軍需業務として召集を免れる中、赤紙を受け取り一兵士となった。
己の中で折り合いをつけることができなのは生来の性格か。傲慢な帝大卒老兵なら兵営で殴り殺されていただろう。とも思う。
一兵士、庶民の直接経験。(というと刊行当時のサヨク臭がにじむようでもある。)
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(2007.11.27読了)(2006.04.22購入)
副題「一兵士の回想」
1944年6月に召集され、インパール作戦「烈師団」の補充要員としてビルマに派遣され、南方へ向かう船団のほとんどが、米軍の潜水艦からの攻撃で、撃沈される中、二ヶ月ほどかかって、何とかビルマのマンダレーに到達し、インパールへ向かおうとしたが、すでに退却(転進)が始まっており、ひたすら南下するしかなかった。イギリス軍の空襲に何度かあうが、イギリス軍との戦闘は、ほとんど経験することなく、1945年8月15日を迎え、イギリス軍捕虜として、ビルマで、一年過ごしたあと、無事帰国できた。
この本は、この2年間の経験を、妻や息子に伝えるために、30数年前の記憶を呼び起こして、書かれたものです。戦争中に書いたものは、捕虜になる際、イギリス軍の手に渡るとあらぬ罪を着せられると困るということで、処分してしまったので、何もないので、通った場所や、ことの前後関係は、確かではないということです。
軍関係者やジャーナリストによってかかれたものが多いのですが、この本は、一兵士によってかかれたもの、従って、戦況は分からず、ただ命ぜられるままに、動くだけということになります。訳が分からず不安な反面、何も知らないという気楽な面もあるかと思います。(あれこれ余計なことを考える必要がない。)
敗走中に、現地ビルマ人に、随分親切にしてもらったりしたようです。気候がよく、作物もそれなりにあったのでしょう。
●出立(13頁)
この列車の一同、銃は三人に一人しか渡されず、後の二人は二メートルほどの太い青竹を一本ずつ持たされた。何にするのかと聞いたら、輸送船に乗ってから竹筏を組むのだという。
●魚雷(17頁)
フィリピンに向けてバシー海峡に乗り出した。20隻の船団が整然と、波静かなバシー海峡を進む。「敵潜」の警報が出て、非常脱出の訓練が繰り返された。一夜、10時過ぎだったと思う。白蛇のごとき魚雷が条を引いて迫ってくる。幸いに船尾数メートルでかわした。また一本くる。これも危ういところでかわす。交戦一時間ばかり、かろうじて危機を脱した。一寝入りして夜が明け、まわりを見て一驚した。20隻の船団が跡形もない。一夜にして万という兵員が失われた。一個師団全滅に当たる。
●インパール(38頁)
インパールでも白兵戦で負けたのではない。近代兵器の装備力の差、補給力の差で負けたのだ。
●亀の子爆雷(38頁)
背嚢爆雷、これを背負って敵戦車に轢かれる。そうすれば高価な敵戦車一台と乗員数名を殺傷することができる。
●解散(67頁)
日が暮れてから命令が来た。曰く。本部隊はここで編成を解く。西も東も分からぬ山中の敵地に連れてきて、糧食も与えず車もなし、勝手にどこなりと歩いていけと放り出されてしまったのである。
●インド商人(91頁)
ビルマでは、華僑よりインド商人のほうが優勢で、インド商人のいるところ華僑無し、アラビア商人のいるところインド商人なし、という俗言がある。
(インドとビルマは、同じイギリスの支配下にあったので、ラングーン(ヤンゴン)には、インド系の人たちがかなり入り込んでいたようです。)
●ビルマの小作人(農民)(109頁)
ビルマ人の言によると、英人が彼らの家に来たときは、彼らは英人と同じ床上に居ることを許されず、地上に下りなければならなかった。だが日本兵はこうして我々と同席して話し合ってくれるからよいというのである。そういう関係で、これらの連中は、自然私達兵隊と気心が通じたのであろう。
●原爆投下(111頁)
8月上旬のある日、時々回ってくる隊内ニュースを見た。便箋大の粗末なガリ版である。広島に敵の新型爆弾が投下され、閃光を発して爆発、被害状況その他目下調査中、という記事だった。
●被武装解除日本兵(116頁)
英軍の方針として、日本軍は武装解除するが、その軍隊組織は現状を維持する。そしてその強固な統率力を持って、自らの責任において自主管理させ、英軍は日本軍の指揮系統を通じて間接管理するというやり方である。
●帰還命令(174頁)
1946年6月28日、帰還命令が出た。この日、英軍将校が多数見送りに来てくれた。
7月9日、広島県の大竹港沖に船は停まった。
著者 荒木 進
1914年 東京生まれ
1940年 東京大学法学部卒業
日立製作所へ入社
(2007年12月8日・記)
☆関連図書(既読)
「アウン・サン・スーチー 囚われの孔雀」三上義一著、講談社、1991.12.10
「ビルマ 「発展」のなかの人びと」田辺寿夫著、岩波新書、1996.05.20
「ミャンマーの柳生一族」高野秀行著、集英社文庫、2006.03.25 -
2003年9月16日