インパール作戦従軍記―一新聞記者の回想 (岩波新書 黄版 269)

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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004202691

感想・レビュー・書評

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  • 2018年1月読了。印象に残った箇所と所感を記す。
    (47ページ)「将軍はめったに、この安全な「司令部」から外に出なかった。(中略)将軍は「司令部」から外に出ない理由を「将軍は危険をおかしてはならない」「将領は血を目にすべきではない。それによって憐憫の情をおこし、指揮統率にためらいが出るようなことがあってはならない」からだといった」→程度問題だと思う。現場を知らなければ正しい判断もできないわけで。

    (172ページ)「軍司令部と聞くと、一時は泣く子も黙るほどに、その名には権威があった。しかし、いまや「軍司令部」といわれても引き下がるものはない。軍隊の統帥も失われた。われもわれもと先を争った。」→組織はトップの権威に寄って動く。

    (179ページ)「のち、日本に帰って旅好きの人の旅行記を読むと、砂漠にはいると、孤独というものがわかる、そこにはほんとの孤独がある、孤独が好きだ―といった文章が目についた。旅の孤独とは、いってみれば遊びであろう。ほんとの孤独は、そんな生やさしいものではない。それは生きるか死ぬかの追いつめられた絶対の世界しかありえまい。ほんとの孤独にはエンジョイする余地はないはずである。」→「一人でいる今は気楽でいいけど、家に帰れば誰かがいる」と思えるからこそ、その一人の時間・空間を楽しむことができるわけであって、「天涯孤独な孤独」に人間は能く耐え得ないということか。

    (191ページ)「サイゴンでは「明号作戦」が待っていた。(中略)「八月革命」を中心とするベトナム・ナショナリズムのすさまじい爆発をつぶさに見た。」→特にベトナムでナショナリズムが高揚したのは何故?

    (195ページ)「兵隊であったら、おそらくわたしも生きて帰れなかったであろう。ほんとに自由であったかどうかよりも、自由だと考えられるかどうかである。自分は自由だと考えることのできる、その自由のあることが大事なのである。」→「自由の総量」は規制されざるを得ないとすれば、規制のされた自由の範囲内でどれだけ自由を享受できるかということが自分の自由度を決めるということ。

    (198ページ)「戦後、ビルマ軍もインド国民軍も日本軍の「傀儡」であったと批判されたことがあるが、事実は反対だったと思う。わたしは彼らの自己主張のしぶとさを傍で見てきた。」→「上から目線」仕事をさせても継続はしない、「独立心」に火をつけて独立させることが必要だったということではなかろうか。

    (199ページ)「兵隊とは何であろうか。軍隊のなかでもっとも弱い存在である。弱いものは銃後では国民大衆である。最後に苦しむのは弱者である。」→弱者なりに抵抗する術は身に付けておきたい。

    (200ページ)「大義名分を大事だとするのは、兵士、国民を十分に納得させられるような明確な戦争目的なしに突入する戦争は必ず敗れるということだった。」→大義名分の立たない事業も失敗する。

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