読書と社会科学 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.95
  • (61)
  • (53)
  • (52)
  • (4)
  • (3)
本棚登録 : 891
感想 : 70
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004202882

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 大学や大学院で、リーディングアサインメントが課せられる。その際、学習課題上の指示は適宜あるものの、実は基本的な文献の「読み方」が、丁寧に指導されているケースは少ないのかもしれない。本書は、社会科学分野の本の読書論が説かれているが、書籍となった本だけでなく、前述の文献課題を読むときにも必要な思考法として活用できるだろう。この思考法を一口にいえば、自らが「概念装置」を体得することである。概念装置を作り上げ維持していくことで、幾多の学説と対峙できるという。別な表現をすれば、先行研究をチェックするときに必要な視座や、論文中で議論を展開する際に用いる道具、といえよう。

    「概念装置」の獲得には、①古典としての読みの習熟、②同語異議の例から異語同義の共通部分をなんとか見つけること、③対象である自然そのもの(学説ではなく)の観察・考察、といったことが求められている。つまるところ、概念装置とは、自分が苦労して得た、「認識手段」として活用できる「専門語の組み合わせ」である。この装置を用いて社会をとらえることが「社会科学」といえる。

  • 前提として、この本でいう社会科学はかなり広義にとっているようであり、人文科学や自然科学にも十分通用すると感じた。

    筆者の主張する、信じて疑う、高い授業料を払って経験する、は人生全般に言えるのだろう。概念装置という考え方もおもしろい。ベースとして概念装置を持つことで、本の読み方、社会の捉え方がクリアになっていくのだろう。

    そもそも読書は知的な食事のようなものであり、その知的栄養分は血肉となり体内?脳内?に蓄積され、人格を形成していくのだと思う。概念装置は大事にしたい。

  • タイトルどおり、読書と社会科学について書かれた本です。まず「読書会」。そして「読書そのもの」。そして「概念装置」というものについて。

    「概念装置」というのは、たとえば自然科学における顕微鏡などの「物的装置」と対になる言葉であるらしく、社会科学を発展させるための、頭の中にある方程式のようなもののようです。(自然科学に「概念装置」が必要でないかと言うとそうではなくて、その二つが入り混じって発展していくそう)

    この「概念装置」については、社会人向けのセミナーで語ったと思われる、

    Ⅰ章 「読むこと」と「聴くこと」と
    Ⅱ章 自由への断章

    では一切触れられず、主に社会科学に関わる学生に語ったと思われる、

    Ⅲ章 創造現場の社会科学――概念装置を中心に――

    において詳細に書かれています。

    ではこの「読書」と「社会科学」が完全に分断されているのかというとそうではなく、むしろⅢ章で語られた「概念装置」が、読書にとっていかに重要か、また読書によって如何に取り出され得るかが――本文では明言されていませんが――明らかに章をまたいで書かれています。

    第Ⅰ章にある一節です。

    ――A氏は、こういうふうに考えを展開するくせがあるらしい、するとここはこうなっているはずだが、果てしてどうだろうかといった作業仮説作りも自然身についてくる(この、仮説を作って、それに従う号が本文が自然に読めるかどうか、本文でためすという読み方は、是非じっさいに試して下さい)。同時に、自分の読みに対する信念も――試されることで――謙虚さ柔軟さを加えながら深まってきます。

    この「読みに対する信念」という言葉を、よく覚えておいて下さい。

    第Ⅲ章にはこうあります。

    ――既成の概念装置について、それも最新最鋭のものでなくていい、もっとも基礎的なものについて、その代りその概念装置の組み立て方、使い方をほんとうに呑みこんで自前のものとしておれば、それを基礎にして、新しいものを自由に自分で作ることができます。

    この2つの文章は、その結果でのインプット、アウトプットの違いはありますが、「読みに対する信念」と「概念装置」は極めて近い、というか入れ替えても文章はきちんと通じます。

    その他にも、

    第Ⅱ章

    ――何か安心できそうな他人の眼でなく――心細いながらも現にいま自分が持っている眼にすべてを託して、自分で読んでゆかなければならないでしょう。自分の眼をギリギリ精一ぱい使うよう努力して、作品に体当たりする他ありません。

    そして第Ⅲ章には、

    ――自分の眼をもち、自分のことばをもとうとするその絶望的な努力が、縁もゆかりもない学者の営みを、自分に近づけ、偉大な先達として彼を見、彼と共生することによって、彼の認識手段であったものを自分の認識手段に組みかえようとする。

    これは明らかに同じことを、読書に対する姿勢と、社会科学に対する姿勢とに対して書いています。

    この本は「社会科学」と「読書」について渾然一体となった、見事な実用書と言えるでしょう。

    第Ⅲ章の最後には、法学者ケネーについての講義を通して、実際に読者に「概念装置」を埋め込む試みがなされています。今まで読んできたすべてが結実する瞬間です。この興奮を、是非体験してみて下さい。

  • やや表現が古めだったりすることもあり読みづらさもあったが、読書の姿勢や考え方について触れられていて非常に面白かった。

    個人的には、深い読み方のできる古典や詩をもっと読みたいと思った。
    また、「経験が最良の学校だが、その授業料はきわめて高い」というのが非常に印象に残る。
    今だからこそできる経験というのを考えて実行していきたいと思う。

  • タイトルは『読書と社会科学』とありますが、内容は社会科学を学ぶことに主眼がおかれており、社会科学を学ぶための読書なのだ。
    本書で、私がすごいなぁと感じた部分を丸々抜粋しておく。

     異なった用例の奥にある共通の部分ーーことばの奥にひそむところの革新的部分ーーは、平素日常語として無意識に使っていたことばを注意深くーー少々無理をしてーー分析をし、掘りおこすという作業によってはじめて発見されます。ちょうど、「燃える」ということと、「錆びる」という一見無関係な現象の間にある「酸化」という同一の現象が、科学的分析の手つづきによって発見できるように。

    (123ページ)

    この部分の例えが秀逸で、なるほどと膝を打ったところ。

    本書に紹介されていて、ぜひ読んでみたい書籍も記録しておく。
    『漢語の知識』一海知義さん 岩波ジュニア新書
    『哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会編

  • 読書について書かれた本は山ほどあるが、個人的に最も共感できる内容であった。
    Ⅰ「読むこと」と「聴くこと」と
    本文中に掬うような読み方や粗読への批判や読書後の感想文の重要さが書かれているため今これを書くのですら非常にやりづらいが、焦点を定めることが大事ともあったので強いて言うなら、本で「モノ」を読むという考え方は根底に必要なものではないかと。そして「情報として読む」のと「古典として読む」(一読不明快)の二通りの読み方があること。楽譜通り正確に演奏することが基本であって、個人のくせや気質から楽譜にせまっていくところに演奏の妙味があるといった話は普段音楽を聴いたり演奏したりする際の感覚の構造的な理解を助けるものであった。
    自分の読みに対する信念と著者に対する信念が疑問への第一歩であると。そうなると普段朝井リョウを全面的に肯定して読んでるのは娯楽としてはよくても実は非生産的であり著者への人間的信頼が欠如していることになるらしいぞ…。
    高級な批判力っていう発想がすでに高級な批判力やと思う。批判っていうことをポジディブに捉えたいですね。
    Ⅲ創造現場の社会科学
    章によって割りとテイストが異なっている。
    単純に「人生の行楽は勉強に在り」っていい言葉、ちょっと無理をするって今風に言うとストイックとか意識高いってなるけど良いことよね。

  • 経済学史の先生による講義の体を取った読書論。

    いかに自分にとっての古典とするか。読みを深めるか。その本が提示するモノの見方を自分のモノにするか。鵜呑みにするとか新しい知識を得るということではなく、新しい顕微鏡(概念装置)を手に入れるということが必要だとする。

    考え方としてはよくわかる。それをどう実現するか?何度も真剣に考えながら読むしかないのだろう。


  • 経済学部 山川俊和先生 推薦コメント
    『経済学をはじめとした社会科学は、いわば社会をみるための眼鏡(レンズ)である。眼鏡が変われば見え方も変わってくる。私も学生時代に読み、「モノの見方」について理解を改めるきっかけとなった、印象深い一冊である。』

    桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/123386

  • 読書論としてはとても上質で語り口も聞き(読み)やすい。一方で「社会科学」の指すところは現代とは異なっており、かなり古臭い雰囲気もある。

  • 本をどう読むか、について書かれておるのですけれども、難しいところも多々あれど、本を読む、のではなく、本で「モノ」を読むということがどういうことか、が熱を帯びた文章で解かれているのです。自分の視点をきちんと定め、わからないものをわかろうとする。そのためにどう自分の眼を養えばいいのか。

    決して効率よくその方法を教えてくれてはいない。そんなものはない。まあしかし、あったりまえだ。だからこそ読書はおもしろいのだ。私が付箋を貼ったところからひとつ紹介するならば、「人間は、人間に不可能なことを敢えてして辛うじて人間になれる、そういう変な存在です」

    効率、スピード、How to…、巷に溢れるそんな言葉からは遠く離れた、1滴1滴、ゆっくりと身に染みていく言葉で満たされる読書論であった。もっかい読も。

全70件中 1 - 10件を表示

内田義彦の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
C.(カール)シ...
エミール デュル...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×