新しい文学のために (岩波新書 新赤版 1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004300014

作品紹介・あらすじ

文学とはなにか、文学をどのようにつくるか、文学をどのように受けとめるか、生きて行く上で文学をどのように力にするか-本書はこれから積極的に小説や詩を読み、あるいは書こうとする若い人のための文学入門である。著者は文学の方法的・原理的な問題について考えを進めながら、作家としての生の「最後の小説」の構想を語る。

感想・レビュー・書評

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  • 最近本当になぜか面白い本しか読んでいないのでまた言うのだけれどとても知的刺激と示唆に富んだ素晴らしい本だった。わたしは常々、平易な言葉、つまり日常で使われるようなありきたりな言葉で複雑な事柄を語る書き手が好きだと言っているのだけれど、その直感が「異化」という論理で示されており震えるほどの発見があった。「異化」とはぼやんと要約すると、言葉というのは色んな箇所で色んな文脈で使われて手垢が付きまくっており、文学者は一度その垢を言葉からすべて洗い流し、その一つ一つに新鮮な意味をもたらすことで、単語レベルから文章レベルから段落レベルまでに何かしらの情報伝達以上の手触りを宿す、というような風に私は理解したのだけれど、まさに詩を読む喜びや、優れた小説を読む喜びはここから湧き上がってくるもので、そうか、わたしは「異化」されていると感じられる文章を求めていたのかと痛感した。途中のバフチンの議論や女性論などはやや読み流してしまったのだけれど、差し引いてもとても大きな発見のある読書だった。やはり文学は励ましである、本当にそう思うな。

  • 非常に為になったと思う。じっくりと、非常に時間をかけて読み取って多くのことを読み取った。
    これから自分が一人の読み手/書き手としてどのような姿勢を持つべきなのか、どのようなものに着手するべきなのか、それを具体的に明示してくれていた。しかも、その内容が、示し方が、非常に納得の行くものであった。論理的に説き伏せられるのではない、感覚として実感を与えてくれるような言葉の力があったように感じる。
    異化するということ、そして想像力と言うこと...文学の中核を為す概念について、今まで自分がいかに無頓着であったかを初めて認識させられた。一冊一冊と、一人一人と、もっと真摯に向き合っていきたい。

  • (「BOOK」データベースより)
    文学とはなにか、文学をどのようにつくるか、文学をどのように受けとめるか、生きて行く上で文学をどのように力にするか―本書はこれから積極的に小説や詩を読み、あるいは書こうとする若い人のための文学入門である。著者は文学の方法的・原理的な問題について考えを進めながら、作家としての生の「最後の小説」の構想を語る。

  • 稀代の小説家による実践的文学理論入門書。とりわけロシア・フォルマリズム及び神話批評など。文学を心から愛し、それとともに生きてきた偉大な作家のことばによる文学理論は、理論書とはやはり異なる味わい。経験と深い考察に裏打ちされたことばを受け止めるにつれ、いかに読み手と書き手が同一の重要性を持つときがあるとしても、ああ遠い、と感じる。創作者と非創作者の壁は厚く、時々わたしはかなしい気持ちでいっぱいになるのだけれども、せめて良き読み手となれるように努めなければならない、のだろうなあ。
    「異化」の概念はわたしの知る限り文章表現について用いられるものだけれど、大江はそれを拡大し人生論とも取れるようなものにまで発展させていて非常に興味深い。大江の説明を読んでいて、突き詰めれば「異化」とは、こどものまっさらな視線を模倣することな等しいのでは、と感じた。それからシクロフスキーの芸術論については、文学/文学以外の境界線ってこれだなあっておもった。なぜ、映画でも音楽でもなく、文学なのか。わたしにとってどうして文学が最も重要なものなのか、ということに思い巡らし他の表現と比較するとき、やはりその一線は文学が言語による芸術だということに行き着くわけで、とすれば言語表現において文学とそれ以外の境界線はどこにあるのか、考えざるをえない。大橋洋一やイーグルトンによればその境界は恣意的、歴史的に限定を受けるものだが、それでもなお、境界線を設けるならばここしかないだろうとおもう。「芸術においては知覚そのものが目的であり、したがってこの過程を長びかす必要があるということ」である、と。そしてこれが、大江のいわゆる「悪文」を作り出すにいたったのだろう。個人的になにより興味深く感じたのはトリックスター、グロテスク・リアリズムについて。わたしが魅力を感じる物語は思えばほとんどすべてこの概念を含むものだ。みつけた、というおもい。この概念は大江自身の小説はもちろんのこと、たとえばわたしが高校時代あんなにも耽溺したポール・オースターの「ムーン・パレス」を、説明できるだろう。わたしが高橋源一郎の小説に惹かれる理由も説明できるだろう。自分なりに<文学>とはなにか、を考えるうえでこのうえない手がかりだ。なんか、もっと勉強して、もっと考えて、そうして生きていきたいとおもった。「自分のうちに柱を、世界軸をたてるべくつとめ、自分の言葉が事物・人間・社会・世界と、ついには和解しうることを信ぜよ」という大江からのことばを胸に抱いて。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706580

  • 文学作品を読むための方法について、著者がみずからの創作体験を踏まえながら考察をおこなっている本です。

    著者は、文学について「客観的な尺度」が存在するという考えが、たちまち裏切られるものであることを知りながらも、「小説を書きながら、あるいは小説を読みながら……ある客観的な尺度による批評、しかも自分としてそれを喜び、心から同意できる批評ということを夢想しないものがいるだろうか」と語ります。そこには、「客観的な尺度」を求める個の態度が、文学をつくり出す、あるいは文学を読み解くという試みにつながり、それを共同の場へもたらしたあと、ふたたび個の作業へと帰っていくというプロセスを後押ししているという著者の考えが示されています。

    本書では、ロシア・フォルマリズムの批評家たちによって提唱された「異化」の概念や、文化人類学者の山口昌男がさかんに喧伝したことで知られる「道化」の概念、神話学やユング心理学における女性像や、バフチンのカーニバル論などを紹介し、それらの概念が文学作品をつくり出し、あるいは文学作品を読み解くさいの想像力の働きにどのような影響をあたえるのかといったことが論じられます。

    さらに著者は、本書の冒頭でミラン・クンデラのことばを引用することで、文学によって賦活される想像力がもっているはずの可能性について示唆しており、文学の可能性をより広い領域へと開こうとする志向が示されているようにも感じられました。

  • 志學館大学図書館の【ノーベル文学賞受賞者作品】の企画展示で紹介された本です!

  • 題名の『文学』を他のものに読み替えても面白い。

  • 異化異化異化!

  • 「異化」という手法を使って、言葉によって世界に「意味」を与えていく、それが芸術であり、物語であり、小説であり、文章であるのだろう。

    「ことば」のもつ重みにあらためて考えさせられました。

    「電車の中で一冊の文庫本を熱中して読んでいた若者が一瞬窓から外の風景を見て、魂をうばわれたように放心している。僕はそうした様子をみるのが好きだ。」
    ・・・この感覚!!! 自分にもよくあります。

    「ことば」って、本当は「沈黙」の中から生まれてくるものなんじゃあないかなって思います。


    小説を書くこと、小説を読むこととはどういうことかを深く考えさせられる一冊です。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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