生物進化を考える (岩波新書 新赤版 19)

著者 :
  • 岩波書店
3.90
  • (26)
  • (19)
  • (31)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 361
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004300199

作品紹介・あらすじ

ダーウィンによって確立された進化論はどのように発展していったのか。分子生物学は進化論をいかに豊かにしたのか。進化の道筋は現在どのように考えられているのか。革命的な「分子進化の中立説」を提唱して世界の学界に大論争を巻き起した著者が、『種の起原』から中立説までの進化の考え方をやさしく説き、人類の未来にも想いを馳せる。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 著者の木村資生は、「分子進化中立説」と呼ばれる現在では広く受け入れられているが当時の主流とは反する学説を唱えた遺伝学者。1994年に齢70歳で没した故人である。本書は1988年に一般向けに書かれたもので、生物学の歴史と、生物学における分子進化中立説の概要と役割とがわかりやすく説明されている。丸々一章を当てて、生物進化からヒトが誕生する進化の歴史を丁寧に説明しているところもあり、また分子的な視点からのDNAや突然変異の構造についての解説もあり、進化論のおさらいとしても有用。フィッシャー、ホールデーン、マラー、ドブジャンスキーなど遺伝学の研究の歴史が紐解かれ、さらに遡ってダーウィンの『種の起源』を読み解く章はダーウィンに対するレスペクトにも溢れ、改めて『種の起源』を読んでみたいと思わせる。そういった内容が非常にコンパクトに書かれた良書である。

    著者の研究する学問領域は、集団遺伝学と言われるもので、各種の対立遺伝子の割合である遺伝子頻度が突然変異、自然淘汰などの進化要因の下でどのように変化していくかを研究するものである。分子進化中立説はその遺伝子変動を説明する理論であり、簡単に言うと、遺伝子の変化は繁殖に有利な表現型につながるものだけが進化の過程で残るのではなく、繁殖に中立な変化も偶然的に蓄積される、というものである。実際に、自然淘汰の結果として蓄積される繁殖に有利な遺伝子変化は、偶然によって固定化される中立的な変化と比べると少数であることが明らかになっており、木村の主張が現実においては正しいことが広く認められている。

    もしその遺伝子変異が繁殖に影響を及ぼすものであるなら、自然淘汰の影響が遺伝子頻度に与える影響は意外に強く、早い。二十世紀初頭のマンチェスターで工業化による煤煙によって周囲が黒くなる中、黒色の蛾が捕食されにくくなることで本来珍しい黒色の蛾が都市部の集団の中ではほぼ全数近くになるまで増えたことが有名である。このように遺伝子頻度は自然淘汰によって集団に蓄積されるという説は直感にもわかりやすく観察にも合致していたため、著者がこの分野の研究者として研究を始めた1960年代、自然淘汰万能主義が動かしがたい真理のように思われていた。そんな中で著者は、集団内の遺伝子頻度の変化を確率過程として捉えて、統計的分析の必然性から、進化に中立な変異が集団内に拡散していく中立説を唱えていったのである。

    そして、科学的手法の進歩により、遺伝子を分子レベルで分析できるようになった結果として、そのための機構の説明が必要になった ――「それまで一般的に考えられていたよりもはるかに多量の遺伝的変異が集団内に含まれていることが明らかになった。そして、その保有機構をめぐって、伝統的な自然淘汰万能に近い立場と、淘汰に中立な突然変異遺伝子の偶然的浮動を重視する中立説の立場とが衝突し、激しい論争が起きた」
    その論争の一方の中心に著者がいて、最終的には主張する進化中立説の方が受け入れられたという

    進化中立説から得られた重要な知見に次のものがある。
    「機能的に重要でない分子(または分子内の重要でない部分)ほど、そうでないものより進化の過程でアミノ酸やDNA塩基の置換が急速に起こり、置換率(進化速度)の最高は突然変異率で決まる」
    機能的に重要な分子における変化は、大抵が個体に対して致命的か悪い影響を及ぼすから、集団内での変異は蓄積されにくいが、中立な分子は単純に統計的な結論に従うのである。この理論をもとに生物進化の分子時計の理論が構築されて、種の進化の歴史についてかなり多くのことがわかるようになった。太古の昔から姿が変わっていないシーラカンスでもそのころと比べると表現型がすっかり変わってしまった近年の種であっても、分子レベルで見ると、DNA塩基の置換速度はほぼ同じであることが分かり、ここでも中立説の正しさが立証されているのである。

    一方、集団内で変異が固定化される確率は、中立な遺伝子が集団内で固定する確率は集団個体数をNとすると1/2Nであるのに対して、既存の対立遺伝子よりsだけ有利なら、集団の中で固定化される確率は集団個体数には依存せず2sとなる。変異した遺伝子が集団内で消滅する確率は、中立な遺伝子とあまり変わらないが、いったんある程度まで広まると、その後集団内に行き渡る確率は相当に高いということができる。

    「もし個体の生存や繁殖にはっきりと有利な突然変異遺伝子が集団中に出現すれば(偶然的消失をまぬがれたとして)、進化の過程で比較的短時間に既存の野生型遺伝子にとって代り、新しく「正常」な野生型遺伝子の地位についてしまう」
    というのが、先の黒い蛾の例でもわかる自然淘汰の明解なメカニズムなのである。

    数式が少なからず出てくるが、高校レベルで理解可能な数学であり、それらは理解のためにぜひとも必要な数式であり、新書だからといって無理に数式を避けて表現をしようとするよりもよほどよかった。

    【木村資生と優生学】
    これまで見てきた通り、本書は生物進化の入門書として非常に優れており、また著者自身がその中で傑出した成果を挙げたこともあいまって素晴らしい本であることは多くの人が賛同することだろう。しかしその上で、議論となることが避けられないのが最後の章の優生学に関する記述である。著者自身もタブーであると書くように、「論ずることすら悪であるかのような傾向」がある中で危険な論争を巻き起こしかねない言動であることは認識している。
    しかしながら、「生物進化の立場から、人類の遠い将来(一万年単位の)を考える上で、これは避けては通れない問題である」と前置きするように、敢えて批判を受けるリスクを冒して議論を持ちかけたものであるからこそ、善悪をいったん留保して主張を受け止めることが必要なのかもしれない。それでも、そういう前提で読もうとしても、そこにはグロテスクさを感じてしまう。一方で、この考え方が拒否感なく受け入れられたであろう時代があったことも想像することができるし、木村資生ほどの大家が主張するのであるから理論的に反論するのは意外に難しい。

    「優生の問題を考えるとき、すぐに頭に浮かぶのは、突然変異蓄積の害である。医学の進歩とともに死亡率が激減し、不妊が治療され、さらに家族計画が徹底してくると、異なった夫婦の間で、時代に寄与する子供の数の間に差が少なくなって、厳密な意味での自然淘汰は次第に減少することになる。このために、突然変異の除去は次第に困難になる」
    という記述は、その射程とする期間をどの程度長く置くのかに依存するが、理論上においては間違いではない。

    「過去には有害だった遺伝子の大多数が医学の進歩により淘汰に中立になり、突然変異の下で中立進化を行い集団中に固定するようになる」とする例に、遺伝子診断と食事制限により発症を抑えることが可能になったフェニルケトン尿症が挙げられている。

    しかしながら、次のように述べるあたりから、その内容は議論を呼ばざるを得ないものとなっていく。
    「この命令文の退化を許すことは、究極的には人類の退化をひきおこすこととなろう。何万年も先の長期的な話になるかもしれないが、人類が知能や労力や物的な資源の大部分を、いろいろな表現型対策に使うかわりに、より建設的、発展的な事業に使うためにはどうしても優生的な措置が必要だと思われる」
    この部分で生じる違和感に対して、個人に関する倫理と、人類という集団における倫理を区別して考えることが必要なのではないだろうかという疑問がまず浮かぶ。

    「現実に有効なのは、平均より多くの有害遺伝子をもった人が、何らかの形で子どもの数を制限するか、あるいは有害突然変異をもっていることがわかっている受精卵を、発育の初期に除去するかのどちらかになると思われる。とくに染色体異常を含む受精卵を発育させないのは、その個体自身にとっても社会全体にとっても、好ましいことと考える。ごく最近になって、いわゆる羊水検査によって、染色体異常を出生前に検出し、妊娠中絶によって除去することができるようになったのは、明るいニュースであろう。アメリカの遺伝学者ベントリー・グラスは「健康で生まれることは、各人が教育を受ける権利をもつと同じように、ひとつの基本的人権と考えられるときがくるであろう」と言っている」
    中絶の禁止を訴える向きには、とんでもない発言でもあるが、中絶は権利だと考えている人にとってさえも割り切ることができない内容が含まれている。その根底にあるのは、「平均より多くの有害遺伝子をもった人」というものを有効に定義し得るのかという疑問である。さらに気持ちの悪さが残るのは、ダウン症の検査は広く行われていて、その結果として中絶を選択する人も少なからず存在し、個人の選択としてそれを批判することはできないのではないかと考える事実である。

    木村資生はさらに突き抜けて、アメリカの遺伝学者のマラーも同様に提案した(そして批判を受けた)として、精子銀行を利用して生殖質の選抜を行う方法を有効な手段として挙げて、次のように評価する。
    「一般的知能とか健康、社会的協調性といった形質の遺伝的改善を行う上で、科学的にはおそらくもっとも安全・確実で、長期的にも有効な方法といえるかもしれない」
    ここで精子銀行に言及するが、卵子に関してはどうなのだという性の平等の観点で突っ込むことも可能だろうが、そもそも精子銀行に預けた精子だけを選択して次世代に継ぐのは、遺伝子プールの多様性を保つ上でもリスクがある。また、木村の中で、有害な遺伝子を除去するという目的と、優秀な遺伝子を選抜するという目的が、(もしかしたら意図的に)混同されているようにも見える。

    「遠い将来、女性を妊娠、分娩の労から解放する目的で受精卵の体外培養が自然的な出産にかわって広くおこなわれるようになれば、生殖質選抜を行うことに対する心理的影響も弱まってくるであろう」と唐突に書くとき、多くの配慮が足りないという印象は否めない。まず、特に若い女性を含む様々な層から批判を受ける内容であるし、生物学的観点からも妊娠出産の過程における胎児および母体に与える影響について、あまりにも楽観的にすぎることも問題であろう。おそらく、木村資生の頭には育種の観念がある。それは、人類自らによる自らの育種である。

    「何千年、何万年、またそれ以上の長期的な人類の未来を考えようとすると、これらの優生手段は十分考慮に値するものであると信ずる」と木村は言うが、これらの優生手段が木村が思い描く目的のために有効な手段なのかどうかについても疑問がある。必要な態度は、その前に立ち止まり、なぜ種としての遺伝的改善を行わなければならないのかと問う哲学的な態度であると思われる。

    【まとめ】
    遺伝学への貢献で、世界的にも高く評価される木村資生による集団遺伝学、特に心血を注いだ分子進化中立説の説明は非常に明晰でわかりやすい。遺伝学の研究の歴史やそこからわかった人類にまで至る生物進化の説明も、さすがに素晴らしい。
    一方で、優生思想については、彼がそういった結論に辿り着いたことも含めて批判的に考えてみることが必要だろう。これを晩年の一般向けの著作において堂々と世に問うたことは、彼の中で完全に論理的(論理的であるからといって正しいとは限らない)で、それを伝える必要性を強く覚えていたということである。また、それを積極的に受け入れる人がいると想像し、実際に少なからずいるであろうということである。また、おそらくは進化中立説における論争で、自らの信じるところが当初の強い反対を乗り越えて正しいと認められた経験が、木村をして優生思想に関する自説を強く主張する背景にあるのかもしれない。
    木村資生は、種としての人類を、人類の中の個よりも上位においている。遺伝学者らしく、人類の遺伝子プールの最適化と最大化を目標とする価値と置いたのかもしれない。これに対して、型通りのポリティカルコレクトネスや通俗的なヒューマニズムの観点から断罪する形で否定するのは全く有効な批判足りえない。木村資生という人物がこういった世界観を抱き、本書の最後にそのことを書かざるを得なかったという事実に向きあい、その事実を理解して真摯に考えるべきなのだろう。

    優生思想について書かれた最後の章「進化遺伝的世界観」のためにすっきりとした読後感に浸ることが許されなかったが、彼の業績とともに、字面通りに受けれられたならば論争を起こすべきである内容も含めて世に知られきちんと読まれるべき本である。

    ------
    『遺伝人類学入門』(太田博樹)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4480071385

  • 分子進化の中立説を提唱した木村先生の新書本です。進化中立説には、物理法則に通じる峻厳さを感じると共に、地球上の生物の有りようを深く考えさせられます。何となく恣意的に感じられる古典的な自然淘汰・自然選択説の進化の観念とは一線を画します。1988年の本ですが、古さを感じさせません。

  • ヒトに至る進化の流れ、進化論や自然淘汰については文系の自分にも読みやすかった。
    集団遺伝学や分子進化の章は数式も多かったが、言葉での説明のおかげてぎりぎり大筋は掴むことができた。
    突飛な主張はなく最新の研究とも大きなズレはないのではと思った。
    最後の章で優生や将来の宇宙植民などを取り上げていたのはやや唐突に感じた。

  • ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝学から統計的に生物の進化を捉える集団遺伝学が誕生した。その中で突然変異は自然淘汰に対し中立と説く著者の説は、現在の進化学において今尚重要な理論とされる。初期の進化論から中立説に至る変遷について大変参考になった。

  • 分子レベルと表現型レベルにまたがって進化と遺伝について網羅的に知ることができる。

  • 生物学の権威である著者が、生物進化論について概要をまとめたもの。古い本なので、現在の考え方との相違はわからないが、ダーウィンの進化論をはじめとする、生物進化の歴史的研究の経緯を理解できた。興味深く、役に立った。
    「進化のもっとも直接的な証拠は過去の生物の遺体である化石の研究から得られる。異なった地層に含まれる化石を地層の年代に沿って並べてみると、生物が遠い過去から次第に変化し現在に至った道すじがよくわかる」p6
    「メンデルの研究は長い間世に認められず、やっと、1900年になって3人の学者により再発見され、初めて注目を浴びるようになった。メンデルの仕事は35年間完全に無視され、埋もれていたが、再発見とともに突如として日の目を見るようになった(後日、注目していた人も相当あったことがわかる(ブリタニカ百科事典(1881)にも掲載されていた))」p21
    「ヒトは、生き物として格別高いものでもなく、樹木の保護を離れた後は、ただ大脳の発達で可能となった抜け目なさだけで生き延びることができた」p85
    「過去55万年の間に主な氷河期のうちでもっとも寒かったのは今から約1万8000年前で、その後は温度が上昇し、約1万年前に氷河期は終わり、現在われわれは極めて温暖な時期にいる」p87
    「ネアンデルタール人の頭骨の研究から、最近言われていることは、彼らは現代人のように流暢に発音できず、特に「i」「u」「a」のような母音や「k」や「g」のような子音の発音ができなかったらしい。おそらく、話し言葉より、複雑な情報を短時間に伝達するための脳の部分の発達も、現代人に比べてずっと劣り、そのため彼らはクロマニョン人との闘争に敗れたのではないかと考えられる」p88
    「(DNA内の情報量(25億字の文章相当))大英百科事典を例にとると、この1956年版は全体で23巻あり、各巻はおよそ1000ページからなり、全体として2億字を含むと推定される。したがって、受精卵核中にヒトを作るための設計書が含まれているとすれば、それは英文に換算して大英百科事典を12セットも合わせたほどの膨大なものになる」p95
    「(ダーウィン)有利な変異が保存され、有害な変異が除去されることを私は自然淘汰と呼ぶ」p128
    「(遺伝子変異は常時生起している)今までに一度も出現したことがなく、しかも今まで現れたどの突然変異遺伝子よりも個体の生存や繁殖に有利となるようなものは次第に底をついていくはずである。われわれが野生型遺伝子と呼んでいるものは、すべての生物種において、過去、何百万年、何千万年またはそれ以上にわたって、このような淘汰の過程を経て確立されてきたものである」p141
    「(141個のアミノ酸)ヒトとゴリラを比較すると、アミノ酸配列は1か所を除いてすべて一致している。また、ヒトとアカゲザルとを比較すると4か所、さらに系統的に離れたウシ、ウマ、イヌ、ウサギなどと比較すると、20個前後のアミノ酸座位について異なっているが、他の部分ではいずれもアミノ酸配列は完全に同一である」p203
    「(分子進化の速度の一定性)何億年間もほとんど形態的に変わっていない生きた化石のような生物でも、分子レベルでは進化の速度はほとんど同じであるという驚くべき結論が得られる」p206

  • 「分子進化の中立説」を提唱した木村資生博士による著書。著者は、生物進化が『ダーウィンの自然淘汰によってのみ起こる』と考えられていた時代に、それとは別の原理も働いていることを示した。ある個体にとって生きるために有利にも不利にもならない『中立な』突然変異遺伝子が現れると、それは自然淘汰の影響を受けない。したがって、その遺伝子が次世代に伝えられるか否かは、親から配偶子(精子・卵子)が取り出される際の偶然によって決まる。幸運なものが生き残るのだ。
    本書はダーウィンの自然淘汰から中立説に至る進化論の流れと、集団遺伝学(集団内の対立遺伝子の割合(遺伝子頻度)が突然変異や自然淘汰などの進化要因の下でどのように変化していくかを研究する学問)、分子進化学(DNA塩基やアミノ酸配列の置換から進化過程を研究する学問)、そして中立説の詳細について分かりやすく解説している。

    第一章 生物の多様性と進化の考え
    第二章 遺伝学に基づく進化機構論の発達史
    第三章 進化の道すじをたどる
    第四章 進化要因としての突然変異
    第五章 自然淘汰と適応の考え
    第六章 集団遺伝学入門
    第七章 分子進化学序説
    第八章 中立説と分子進化
    第九章 進化遺伝学的世界観

  • 1930年代フィッシャー、ホールデン、ライトが古典理論を確立した集団遺伝学。直系の著者によるプチ成立史から始まる。ヒトに矛先を向けると、優生学の怨霊や交配実験できないやらでデリケートそうだけど、机上の学問としてだけじゃなく、農作物や家畜の育種学との繋がりが深いのね。

    ちょっと古い本(1988年)で、「ゲノム」って言葉が一回も出てこない!分子レベルでの解析が可能になる前の時代、アミノ酸置換速度や遺伝子多型による研究って、どれだけ計算能力が必要だったの!?
    ゲノム万歳!

    面白かったのは、遺伝と環境の影響力の切り分けが難しい、量的形質の話。まあ計算式の内容はサッパリ解りませんがw。

    目に見える「突然変異」は全くランダムに起こるもので、進化の方向性を持たせるのは「自然淘汰」であることは、日常生活の時間的・空間的尺度をはるかに超えてて実感しにくい。さりとて物理学の中の数学理論みたいなツールが確立したとしても、今度はこっちのオツムがついていかない可能性が…。おっと、それは当方の問題かw。

  • 1988年刊。著者は国立遺伝学研究所名誉教授。◆分子進化における中立説と表現型に関するダーウィン的進化論とを組み合わせつつ、現代生物進化学までの議論展開と現代の到達点を解説。◆中立説関連叙述はそれほど違和感なし。ただより詳しい書はあるかも。◆一方の表現型。ダーウィン擁護と今西進化論への批判(生理的嫌悪にも思える書きぶり)が喧しいが、本書の全体がダーウィン擁護になっているかはかなり疑問。優位個体が集団に拡散し、種全体の変容・進化を齎すというのが、ダーウィン進化の肝とするのに、①観察では劣位個体の除去のみ。
    ②蜜蜂など社会性昆虫の働き蜂の如く、群進化としか言えないものや、クジャクなど性淘汰進化の説明が上手くできていない。③ヒトの脳やキリンの首などの急激な表現型の変容の説明に窮する。④環境大激変(隕石落下・大火山活動等)で恐竜絶滅、鳥類残存なんてのは優勝劣敗と言える?。◇むしろこれらは、環境適応の程度の差、つまり環境には食性・競合種・環境の多様性と変異の大小・棲み分け可能な変異化など多様な要因が含まれる上、種の生存如何はその複合要因と見た方が納得しやすいのでは。少なくともダーウィン一元論的崇拝は疑問。

    ◇勿論ダーウィン進化論も、環境適応性の強弱で種絶滅が起きる場合もあるという意味に抽象化すればそれほど違和感はない。このように記述内容に違和感はないのに、その一方で著者が何故これほど自然淘汰仮説の正しさだけを強調・強弁するのか??。◆また、分子進化と表現型進化との接合を「隔離」だけしか出せないのはかなり乱暴?。◆なお、狼から犬への短期間での進化、犬の多様な表現型など、分子進化が小さくとも表現型の多様性が実現できる実例がある。ここから色々派生させて考えると面白いかもしれない。

  • 中立説のことを知りたくて読んだ。
    統計の話しになると難しいのだがが、進化についての丁寧な記述は読んでいて気持ちが良かった。

全19件中 1 - 10件を表示

木村資生の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×