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本 ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784004300533
感想・レビュー・書評
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経済学の入門書は沢山あるが、何よりもまず本書を読むべきだと思う。必ずしも分かりやすい内容とは言えないが、日本を代表する経済学者が経済学という学問をどのように捉えているかについて、その思考の一端を覗くことができる点で貴重な一冊だろう。
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日本で最も著名な経済学者である宇沢弘文による、世界の経済学を敷衍し、その発展の流れをまとめた本。
1989年刊行。
経済学は、人間の営む経済行為を直接の対象とし、経済社会の基本法則を明らかにすることを目指した学問である。
本書では、アダム・スミス以後の経済学の流れがまとめられている。
①アダム・スミスによる経済学の成立
経済学が学問として成立したのは、1776年アダム・スミスにより『国富論』が著されたときである。
スミスは、元々道徳哲学者として名声を得ており、彼からすれば、経済学の研究もハチスンやヒュームの思想を発展させ、社会を個々の人間の感情と行動の総体として捉えようするテーマの延長線上にあった。
このことは、経済学の本質理解のために特記すべきに値する。
『国富論』では、社会的分業、商品・貨幣・資本、産業組織、資本主義的再生産過程、国際貿易に関する論理が展開される。
まさにその後の経済学の枠組みを決定するプロトタイプそのものだった。
②古典派経済学の進展
スミスの経済学は、リカード、マルサスによって精緻化される。これが後年、古典派経済学と呼ばれる。
しかし、1825年の世界恐慌を契機に、資本主義経済が安定的な自律機構を内蔵しているという、古典派経済学の認識は虚構だったことが意識されるようになり、ジョン・スチュアート・ミルが『経済学原理』で厳しい批判を与える。
③マルクスによる共産主義の展開
また、1848年マルクスが『共産党宣言』を出版し、古典派経済学が解体される共に、「共産主義」という経済学の分流が生まれた。
共産主義は、ミーゼスによる批判、ハイエクによる一般化を受ける。加えて、ランゲとラーナーによって競争的社会主義にピボットされる。
後年、ハーヴィッチによって、インセンティブ・コンバラビティを満たす計画経済の作成が不可能であることが証明されることになる。
④新古典派経済学の進展
一方、1870年代に入り、古典派経済学は転換期を迎える。
限界効用理論を体系化したハインリッヒ・ゴッセンを初めとして、ジェボンズ、メンガー、ヴィーザー、バヴェルクなどの所謂オーストラリー学派が帰属理論を展開して、精緻化を行なったのだ。
さらに同時期、ワルラスが1874年に『純粋経済学要論』にて一般均衡理論を展開したことで、新古典派経済学へと変遷していく。
また一般均衡理論はフィッシャーの時間選好理論に発展した。
⑤新古典派経済学の衰退
しかし、新古典派理論はその後、ソースティン・ヴェブレンによって厳しい批判を受ける。新古典派理論が前提とする生産手段の私有制、ホモ・エコノミクスの概念、生産手段のマリアビリティなどの条件の非論理性と現実的妥当性の低さが指摘されたのだ。
さらに1929年に大恐慌が起こり、新古典派経済学はその支配的な地位を失った。
代わりに経済学の主流となったのが、ケインズ経済学だった。
⑥ケインズ経済学の登場
ジョン・メーナード・ケインズが1936年に展開した『雇用、利子および貨幣の一般理論』(略して一般理論と呼ばれる)を契機に、有効需要理論を柱として財政・金融政策の弾力的な運用の重要性を強調する新しい経済学派が生まれた。
ケインズの「一般理論」は、ヒックスにより均衡論的分析が行われ、セイモア・ハリス、ハンセンによって発展していく。
さらに、ローレンス・クレインが1950年に最初の計量経済モデルを提示した。
⑦WW2後の経済学
ハロッドと、それを敷衍したドマーによって経済動学の基本的枠組みが形成される。
ハロッド=ドマーの理論は、トービン、ソロー、スワン、荒憲治郎による批判を経て、二部門経済モデルを使った新開モデルに繋がる。
アレン、レオンティエフが投入・産出分析手法を開発し、アローとデブリューがワルサスの一般均衡理論における研究の頂点を作った。
このように、第二次世界大戦後の経済学は華々しい成果を挙げたが、一方で経済学的思考の深さや現実的対応について十分に検討がされなくなってしまった。
さらに、1962年、ケネディ政権がベトナム戦争介入に踏み切ったことも、アメリカ経済学界の分断をもたらした。
この状況に対し、早い段階で批判と警告を行ったのがジョーン・ロビンソンだった。
ジョーンは、リチャード・カーン、ラーナーらが率いたケインズ・サーカスと共にヒックスのIS-LM分析を批判し、ケインズ経済的の動学化を試みた。
⑧反ケインズ経済学の流行
ジョーンの警鐘とは裏腹に、ベトナム戦争勃発とニクソン政権の失敗、第一次石油危機などの展開を受けて、1970年代から世界の経済学の流れは「反ケインズ」というべき方向に傾倒するようになる。
この代表格は、ゲーリー・ベッカーの合理主義経済学、ミルトン・フリードマンのマネタリズム、ロバート・ルーカスの合理的期待形成仮説、フェルドシタインによるサプライサイド経済学などであるが、いずれもケインズ以前の新古典派経済学を基礎に展開された理論だった。
しかし、ある種の流行現象となったこれらの反ケインズ経済学は、共通して自由放任主義をとり、現実の様々な制約を捨象し、新古典派経済学の理論前提を極端に推し進めていた。
故に反ケインズ経済学は、理論的整合性が乏しく、深刻な矛盾を含んだ現実的妥当性の低いものであった。
にも関わらず、1970年代に取られた政策は、このケインズ経済学による論理的演繹を背景としていた。規制緩和・撤廃、社会資本の私有管理化、予算均衡主義、自由貿易、貨幣供給量を重視した金融政策などが、これにあたる。
⑨現代経済学の展開
1970年代に猖獗を極めた反ケインズ経済学も、1980年代に入ると、その勢いを落とし始める。
この状況の変化は、反ケインズ経済学の理論的矛盾が、ロバート・リカッチマンなどの経済学者によって指摘され始めたこともあるが、レーガン政権の経済政策が失敗に終わったことも大きい。
レーガノミクスの名の下で行われた所得税減税、軍事費の増大、社会保障関係費の削減、規制の緩和・撤廃は、失業率10%超え、大幅な連邦予算赤字と貿易収支赤字を作り出した。
この失敗を受けて、反ケインズ経済学は下火になっていった。
1980年代半ばから、世界の経済学は再びケインズ経済学の延長線上に立ち、新しい分析的枠組みを求めはじめた。
ホートレーと小谷清が提示した循環的・不安定なプロセスの説明を念頭に置き、新しい分析が生まれた。
特筆すべきは、ジョージ・アカロフが主導するゲーム理論と、ジョーゼフ・スティグリッツが主導する数理経済学を使った理論的分析の流れがある。
今後、経済学がどのように発展するかは予測が難しいが、これらの延長として検討されていくだろう。
以上が、本書で解説される世界の経済学史の流れである。
ざっくりと要点を書くに留めたが、かなり長くなってしまった。
本書ではさらにこれらの理論・概念に対して解説が与えられているので、200ページ程度の本ながら、非常に濃い内容となっている。
本書では極力数式や複雑なモデルを使うことを避けているので、経済学素人にも理解に易しいと思う。
ただ、本当の基礎部分の知識は前提としてあったほうが良い。
筆者の立場としては、ケネディ政権のベトナム戦争介入と反ケインズ経済学への嫌悪が明らかにあるところ以外は、フラットだと感じた。
この本が理解できれば、世界の経済学の主要な理論を知り、その発展を理解できたと言える。
30年以上前の本でありながら、とても勉強になった。
現在においても経済学における不朽の羅針盤といえる良書。 -
日本を代表する経済学者宇沢弘文氏による「経済学の考え方」の解説になります。本書で最も大事なのは第1章でしょう。経済学とはどのような性格の学問なのかについて、宇沢氏による明確な定義がなされています。経済学は科学でもありながら芸術(アート)でもある。また理論的でもある一方、きわめて実践的でもあり、高度な倫理、正義心が求められる学問分野です。経済学は貧困などの社会問題の解決策を考えられるのと同時に、実はその問題の根源にもなりえてしまうことがあるからです(権力におもねったり自己虚栄心によって反社会的な政策立案をしてしまうことも可能)。
宇沢氏が本書でどの経済学者を取り上げたのかについては、極めて宇沢色が強く、共通しているのは社会への実際的な貢献、正義感、倫理観を持った人を厳選したという印象を受けました。ソースティン・ヴェブレンとジョーン・オースティンに1章ずつ割いているというあたりにそれが現れています。またアダム・スミスを最初に取り上げているのも、「経済学の始祖だから」という単純な理由だけでなく、まさに経済学とは実践的、倫理的な側面を持っていて、アダム・スミスが人々の暮らしをいかによくできるのかを真剣に考えたという点を評価しているわけです。後半に登場する合理的期待形成派やマネタリズムについての文章からは宇沢氏の嫌悪感が十分伝わって来ます。本当は紹介すらしたくないのだが、経済学が反社会的、反倫理的、反実践的(現実社会をまったく反映していない前提)な存在になってしまった暗黒時代があるのだ、という反面教師的な教訓ということで紹介されています。
本書は岩波新書ですから、経済学を全く学んだことのない一般の人々でも読めるように工夫されていますが、同時に、現在および未来の経済学者に対してのメッセージにもなっている気がしました。世界をよくするために経済学を発展させよ、その道筋として不均衡動学と社会的共通資本という2つのキーワードを提示しつつ、それをやるのは君たち未来の経済学者なんだ、というメッセージを残しているのです。 -
宇沢弘文氏がケインズ経済学を中心に経済学の成り立ちと考え方について丁寧に論じている。
いろいろと目からウロコで感動的でさえあった。
高校生の頃、読んでいたらきっと経済学を専攻していただろう。
(きっとケインジアンになっていた)
が、高校生の頃、読んでいたら何が書かれているかわからなかったに違いない。
社会に出てからの日々の生活や仕事通じた蓄積によって理解できたのだろう。
この本は30年前に書かれたものだが、現在の課題を予言している。
いや、現在はその予言すらも越えてしまっている。
宇野氏が論の中でこきおろしている新古典主義の系譜につながるマネタリズムを中心とした反ケインズ主義は
その大前提として、雇用の流動性、必要な情報がいつでも必要なだけ入手できる環境、生産物AとBが時間を考慮することなくすぐに交換でき、またそのときに最大価値をもたらすものだけを生産できる仕組みだと述べられている。
これらについて当時は実現不可能と思われてきたが現代では技術革新によりある程度の実現性がでてきている。
・非正規雇用といわれる雇用制度の発達
・コンピュータの発達によるビッグデータの取扱い
・インターネットをはじめとする情報ネットワークの
高速化によるクラウドビジネスの発達
そういう意味ではその状況を踏まえた新しい「経済学の考え方」というものもあるのかも知れない。
しかし、
本来、経済学は経済現象を通じて人の幸せを追究する学問と考えるなら、それこそが経済学の本質だと考えるなら、
上記の現在の経済はその「経済学の考え方を使って」、人がいかにホモ・エコノミクスであるべきかを追究するものになってしまっている。
数値化・定式化できないもの(幸福感や生きがいといったような人の感情やいわゆる文化に関する活動)は除外される。逆にそういったものさえ数値化・定式化しようとしている。
それは、かつても今も科学技術がその非人間性の部分を増大したことで
公害をはじめとする環境破壊を引き起こしたのと同じように、経済学が科学技術化することで非人間的な社会を作り出そうとしているように思われる。
宇沢氏はそういった経済学の課題への対応として「社会的共通資本」を提言しているが、3.11の地震と福島原発事故を経験した今、それすらも、もう間に合わなくなってしまっているのかも知れない。
しかし、それでも現代の課題を解決していくのはこれら過去の思考の積み重ねの上ににしかないのだと考える。
この本を読み終えた上で中途で積読状態となっている「人類が永遠に続くのではないとしたら」加藤典洋著を読みなおしたいと考えている。 -
宇沢弘文は、数理経済学から社会的共通資本への急な転向により、ある種の奇矯な人として受け止められているところもあるかと思う。この本を読んで、宇沢が1970年代の「反ケインズ経済学」をどのように眺めていたのかよく分かった。解説することもしたくないのだが、避けても通れないのでイヤイヤ解説すると言明するくらい。学問としての理論がどうこうではなく、歴史的・社会的背景を無視した前提の置き方、そしてそこから演繹される理論を格差などの問題に対する免罪符として用いる姿勢が我慢ならなかったのだろう。もちろん宇沢自身も1960年代のベトナム反戦運動などの文化的影響から自由ではない(多分、日本からアメリカに来た人間には特に眩しく見えることもあったのでは)が、2021年時点の感覚で言うならば、宇沢の問題提起には当時よりもうなずく人が増えているのではないかと思う。
必ずしも紹介される学説の論理をきっちり追わなくても読める本ではあるが、宇沢先生は読者のレベルを想定するにあたり現代の感覚で言えば手加減がない。ワルラスの一般均衡理論を数式とグラフで解説してくれるのだが、「これまでの議論からただちにわかるように、この供給関数は賃金Wと財の価格Pjとにかんして零次同次である」なんて急に言ってくる。ただちにはわかりませんってば。だいたい零次同次の意味を知らなかった。 -
【引用】歴史的過程のもとにおける人間の社会的行動に関わるものであって、繰り返しを許さない歴史的な現象である。実験を行うことはできない、許されないし、天文学のように数多くを観察することのできない。したがって、経済学の研究に際しては、とくに深い洞察力と論理力が必要となってくる。
経済学は科学の中で最も芸術的なもので、芸術のなかでもっとも科学的なものである。また、すぐれて実践的な面をもつ。 -
70~80年代の反ケインズ経済学にはぴしゃりと厳しい宇沢先生。たしかに合理性だけで根拠に人間の複雑な行動の総体を一般化するのは無理があるし、そのことに寄りすぎると結局は世の中投機合戦になってしまって、どこが「経世済民」やねんと。
ソースティン・ヴェブレン、ジョーン・ロビンソンについて調べたくなった。アカロフとスティグリッツのことも、ちゃんと若かりし頃から目をつけていたんだなぁ。
近代経済学の導入として、ちゃんと勉強になる新書です。 -
2014年に86歳で亡くなられましたが、戦後長らく日本の経済学をリードしてきた著者による経済学の入門の書です。1988年刊行。
アダム・スミスからその後の経済学の変遷を平易に解説しながら、”経済学はどのような学問か”を自らの研究体験をまじえて説いています。
全編通じて大変示唆に富む内容ですが、とりわけジョーン・ロビンソンが1971年にアメリカ経済学会で行った講演『経済学の第二の危機』を紹介するくだりは著者の経済学にかける思いが強く伝わってきます。
(N) -
経済学の後退を論じた部分が興味深い。政治との結びつきを求めた結果か。
経済学の流れがよく分かった。万能で無いことも。
全体的に行間を埋める思索が必要だった。前提知識があれば良かったのかもしれないが、新書の読了にそのような知識求められるのも現代では酷だろう。数式や概念的な理解がハードルだったか。
ただ、古典の力は存分に感じた。歴史を画する書物は土台になる。そこから縦横に発展ができる。
・ハチスンの人間のための神
・資本主義から社会主義に変わっても人間性の向上はない。
・社会主義官僚に自由はほぼない。
・産業と営利の緊張関係。ヴェブレン
・財政支出の増加、所得税の減税。貨幣供給量を減らして、市場利子率を低下させる。ケインズ。
・所得再分配のパラドクス
著者プロフィール
宇沢弘文の作品





