職業としての編集者 (岩波新書 新赤版 65)

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  • / ISBN・EAN: 9784004300656

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  • 『君たちはどう生きるか』の著者として有名な吉野源三郎氏ですが、
    本職は編集者でした。もともとは歴史哲学を志していた学究の徒で
    したが、ひょんなことから1935年に日本少国民文庫の編集主任を務
    め、1938年には岩波新書を企画・創刊。戦後は、総合雑誌「世界」
    の初代編集長に就任し、以後、編集責任者として、岩波書店の経営
    を支え、岩波文化を育てることに貢献した方です。

    今考えてもスケールの大きな編集者ですが、編集の仕事を通じて吉
    野氏が問い続けていたのは、眼前の現実をどう認識し、どう生くべ
    きか、ということでした。それは、同時代の日本人、戦争・敗戦・
    戦後という大転換の時代を生きた同胞たちにとっても切実な問いで
    した。そういう人々が求める知識や情報を届けること。それが吉野
    氏にとっての編集であり、自らの歴史哲学の実践でもあったのです。

    本書には、吉野氏が編集者として生きた1930年代から60年代までを
    振り返っての文章が収められています。歴史哲学を志していた人の
    現実認識であり、国家の最高機密にも触れていた人の文章ですから
    面白くないわけがありません。敗戦後の虚脱状態から再建に向かっ
    ていく過程の描写には特に引き込まれました。

    印象的だったのは、民衆にとっての敗戦が「欺された」と言う言葉
    に集約される体験だったということ、そして、占領軍がもたらした
    戦後民主主義を盾に、自由と権利を声高に叫び始める風潮が生まれ
    たということでした。特に終戦直後は天皇制さえなくせば日本がよ
    くなるかの如く、天皇制廃止論が盛り上がったと言います(今の原
    発廃止論の盛り上がりにそれはよく似ています)。

    この騒動の中にあって、「世界」の創刊を企画していた吉野氏は、
    「こんどの雑誌は、あまり威勢のいいものにしないようにしよう」
    と誓ったと言います。そして、声高に叫ぶだけでは何一つ解決され
    ない、語り出すなら、低い声で語り出すのがふさわしい、という思
    いから雑誌「世界」のコンセプトを作り上げていくのですが、その
    過程にとても共感しました。ここぞとばかりに叫ばれる声高な主張
    は、結局、自己満足以外の何ものをも生み出さないと思うからです。

    この時代をどう捉え、どう生くべきか。これは今の日本人にとって
    も切実な問いです。だからこそ昭和の激動の時代、そのことを誠実
    に問い続けた一人の編集者の生き様には学ぶ点が多いと思うのです。

    最近読んだ中で、最も感銘を受けた本です。再建の時代を生きる上
    で必読の書ですので、是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    岩波新書は、この時期の日本を支配しようとしていた神がかりな国
    粋主義や中国蔑視その他の帝国主義的な思想に抵抗して、国民の間
    に科学的な考え方や世界的なものの見方を広め、中国に対する日本
    の軍事行動を反省し批判する資料を提供しようという考えから出発
    したものでした。

    正確な知識や真実の報道なしには、正しい行動、適切な決断は望め
    ません。誤った知識やウソの報道が広く社会に流されたら、その害
    悪は、いろいろな公害にも劣らない大きなわざわいを社会に及びし
    ます。いや、少し長い時期にわたって観察するならば、その害悪は、
    どんな公害よりもはなはだしいといえましょう。(…)
    本来が公共のものであって社会の大切な機能を果たすはずの出版と
    か放送というものが、逆に社会に大害毒を流す役割を演じさせられ
    て来ているのでした。

    たしかに民衆のためになることなら、牛のように首をたれて黙々と
    それに仕え、人からなんと見られようが心にかけない、という心構
    えは、編集という仕事を――本当に意味のあるものとしての編集の
    仕事を――やってゆく上に、何よりも必要な心構えだと思います。
    自分というものを世間に認めさせたいと考えたり、著者やその他ま
    わりの人々によく思われようとしたり、あるいは世間に媚びたりし
    たら、本当の仕事はできませんね。

    こんどの戦争とその敗北とは、なんといっても日本人にとっては、
    歴史はじまって以来のもっとも深刻な出来事であるが、その体験を
    民衆が「欺された」という言葉に集約したということを、私たちは
    決して忘れてはならないと思う。

    もはや全く無意味となった抵抗を軍部や政府がつづけているばかり
    に、国民の悲惨が、こうしてとめどもなくひろがってゆく。しかも
    大部分の国民は、戦局がそこまで来てしまっていることを全然知ら
    されていない。自分たちのおかれている運命を知らずにただ忍従を
    つづけている何百万、何千万の人々と、それを少しは知りながら何
    ひとつできないでいるこの自分と――、私には、それが苦しいほど
    あわれだった。

    ひと口に日本の再建といっても、いかなる日本が、いかにして再建
    されるか、がそもそもの問題なのであった。その上に、古い価値体
    系が敗戦や占領と共に、みるみる崩壊してゆく最中であった。この
    総崩れの中に立って、どこに足を踏みかためたらよいのか、どこに
    拠りどころを求めたらよいのかという、価値観の問題が、このころ
    には普通の市民にとっても、その生活を根底からゆすぶる問題にな
    っていた。こういう再建をめぐるさまざまな基本的な問題は、どれ
    も、広い意味での思想の問題であった。思想的整理を必要とする問
    題であった。

    新しい雑誌が創られるのは新しい時代のためであった。しかし、い
    ま私たちが迎えようとしている時代は、なまやさしい時代ではなか
    った。そこに待ちかまえているのは、容赦を知らない冷酷な現実で
    あった。道は嶮しく、私たちの背中にかかる負担は恐らく背骨を折
    りかねないほど重いのである。解決をまって山積している問題は、
    どれをとっても、けっして一気に駆け抜けられるような問題ではな
    い。新しい時代の到来を声高く叫ぶだけでは、それは、何ひとつ解
    決されないのだ。(…)語り出すなら、低い声で語り出すのがふさ
    わしいのであった。

    たしかに、これまでがひどすぎた。だから、いままでの権力が崩壊
    して堰を切ったように自由が与えられると、その解放感で一時人々
    が熱に浮かされたようになったのも無理はなかった。しかし、この
    権力を突き崩したのは占領軍であった。革命的気分が奔流のように
    なったのは、その権力の下に抑圧されていたエネルギーの解放を示
    すものではあったけれど、問題は気分ではなかった。日本人自身の
    力が、どれだけの革新をなしとげるか、十年たって果して何が歴史
    の上に定着しているか、それが問題であった。

    それにしても、現に自分が生きている同時代を正確に把握し、同時
    代の出来事の歴史的意味を過たずに知ることは、なんとむずかしい
    ことなのであろう。

    ふりかえってみれば、歳月はたしかに人を待たずに過ぎ去っていっ
    たが、人間というものは、その割に変っていない。四十を過ぎた人
    間の性格が、もはや移しにくいように、民族の性格とまでなったも
    のは、少しぐらいの時代の変遷では変らないのだろうか。

    およそ何事かが歴史の上に実現される場合、それは常に、観念的な
    批判などではビクともしない現実というものの、重い重い抵抗を排
    除しないで行われたためしはないのです。歴史の歩みは、実に重い。

    こういう歴史の非合理的な重さというものを受けとめないならば、
    私たちの願望も思想も、現実に喰いこめないし、一切の行動お事業
    も現実によって叩き負かされてしまいます。歴史を動かすなどとい
    うことは、思いもよりません。でえすから、単に合理的な考え方で
    非歴史的な批評をするに留まるならば、絶対に歴史的現実と対決す
    ることはできないし、現実の前には他愛もなく敗北するほかありま
    せん。

    私たちは、誰も彼も、生きてゆきながら、生きてゆくことによって
    人生を知ってゆく。こうして人間は、何千年の昔から、自己の現実
    性を知ると共に現実を問題として受取り、それと格闘しつつ環境を
    変え、その秘密を開き、自分をも変えながら自分を知って来た。こ
    のような人間の行動の集積として歴史が展開して来、展開してゆく
    以上、歴史的現実に対する私たちの接近も、特に同時代の現実に関
    する場合、私たち自身の行動や生き方を離れてはありえないであろ
    う。問題は、どんな生きてゆく態度、どんな行動の立場が、最も深
    く現実に喰い入ることを可能にするか、ということにかかる。

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    ●[2]編集後記

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    暦の上では立秋。立秋は実は暑さの頂点で、二十四節気では明日か
    らの処暑に入って暑さが和らぐことになっていますが、東京は連日
    の冷たい雨で、すっかり秋の気配です。

    食欲の秋と言いますが、実際、立秋に入ってから、この夏より飼い
    始めた金魚達の食欲が凄いのです。人の気配を認めるとそわそわし
    始め、餌をあげると競うようにして食べます。これが食欲の秋だか
    らなのか、はたまた先日入れたメダカとエビという新参者への対抗
    意識からなのかはわかりませんが、とにかく貪欲になっています。

    そんなことを思っていたら、今度は台所で妻がネズミに遭遇。どう
    も敵情視察に来た感じで、まだ住み着いている感じはないのですが、
    食欲の秋になってネズミも行動範囲を広げているようです。住み着
    かないうちに退治しようと、さっそく粘着シートを買ってきました。

    秋の気配が訪れてから、色々な生き物が活発に動き始めたのを感じ
    ます。病原菌や微生物の活動も活発になるでしょうから、体調も崩
    しやすい時期ですね。我が家でも、週末の急な冷え込みで、親子三
    人とも体調を崩してしまいました。季節の変わり目、お風邪など召
    されぬくれぐれもご自愛ください。

  • ふむ

  • 吉野源三郎のことは、「君たちはどう生きるか」の著者としてしか知らなかったんだけど、本職は岩波新書や「世界」を立ち上げた編集者なのか。しかも30半ばまでは歴史哲学者だったとは。

    本著は、彼が編集者として書いた短文を集めたもの。「世界」の立ち上げ時の話を読むに、根底には学者の矜持があり理念的でもありながら、でも現実に強く関わろうする点でアクティビスト的でもある。彼が、名編集者の条件として引用した「ロンドン・タイムズ」の編集長ウィッカム・スティードの言葉「広い知識とわかりが速いこと、青臭い判断をしないこと」が、言い得て妙だ。津田左右吉の天皇制維持論を「世界」に掲載するときのエピソードが、まさにこの言葉の通りなんだよな。

    ぼくがこの本を読んだきっかけは、「はじめての新書 岩波新書80周年企画」で大澤聡が選んでいたから。他に彼がチョイスしていたのは清水幾太郎「論文の書き方」と三木清「哲学入門」で、なるほど、人脈的にこの3人がつながっているのがよくわかった。

    あと文末の解説、とても力が入った内容なんだけど、誰が書いたのか気になる。

  • 本を読む人・作る人、本に関心ある人全てが読むべき本だと思う。別著で有名な著者だが、歴史哲学志向的である事もあり最近読んだ本の中では最も面白かった。中でもⅡの原田文書と津田左右吉の件は史料的価値もあり、必読に値すると思う。

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 戦中、戦後と岩波書店において岩波新書創刊、雑誌『世界』の創刊、編集と携わってきた吉野源三郎の自伝

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著者プロフィール

編集者・児童文学者。1899(明治32)年〜1981(昭和56)年。
雑誌『世界』初代編集長。岩波少年文庫の創設にも尽力。


「2017年 『漫画 君たちはどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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