- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004301059
感想・レビュー・書評
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教育を学校教育に絞らずに、まずは人類の営みのひとつとして、どのようにあったのかから始まり、どのような心持ちで子どもたちに接していくべきか、教育を大きな括りで論じる。
さらに、最終章では臨教審での出来事や1990年当時の学校教育の問題、それに対する配慮事項などにも触れる。
教育という大きく、ロマンのある、子どもたちを優しく包み込むはずの営みが、今現在、いかに矮小化され、経済社会の都合のいいように変えられてしまっているのか、ため息が出る。
原点に戻って考えた後で、また力をつけて教育問題に立ち向かいたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/61377 -
論点が散らかっているので、無駄に丁寧に読むことを強いられる。話が整理された著作があれば、そちらを読みたい。
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新 書 IS||370.4||Ota
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地球上のあらゆる生き物たちは、種の持続のための努力としての子育てをおこなっています。著者はキタキツネの子育てなどを例にとりあげ、子どもたちが厳しい自然環境のなかで生きていくための力を身に着けていく様子を語ろうとしています。さらに、人間の子どもたちが親たちの保護から離れて、新しい世代の個体として独り立ちし、未来に向けての種の持続のための努力に参加していくことが、大きな自然に根ざした営みだとする考えが示されています。
人間のばあいは他の動物たちと違って、単に生物的な意味で成熟するのではなく、社会や文化、歴史のなかでみずからの役割を知り、個性を伸ばしていくことが大切だと著者は考えます。教育者の役割は、子どもたち一人ひとりが自分の個性を十全に伸ばしていくことを可能にすることであり、さまざまな個性がたがいにかかわりあうことで、また新たな文化が生まれてくることになると論じられています。
理想的な教育を求める情熱は伝わってきましたが、その一方で、ずいぶん牧歌的な話だなあ、という感想もいだかざるをえないように思います。教育という社会の装置は、子どもたちの身体を社会に適応的な鋳型に嵌めるミクロな権力の渦巻く現場だという冷徹な認識も、(それが教育の現場においてどういう意義があるのかということはさておいて)必要ではないでしょうか。本書のあまりにも素朴なヒューマニズムは、こうした側面を覆い隠してしまうのではないかという反省も、教育について考えるうえでけっしてはずしてはならないポイントだと思います。 -
著者が2018年12月23日に亡くなられた。惜しい人もなくしたが、年齢を見ると大往生かとも思う。
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「いいこと」が書いてある。臨教審の時代のものらしくその批判が書きたかったのだろう。畢竟最後の2章だけあればよかった。「教育とは」を問うているのであって、教育学的見地など学問的背景はかなり希薄で、ある学者の漠然とした信条、くらいに読むのが良いと思われる。
「教育としつけは何が違うのか」であるとかといった問題に踏み込まれていなかったのは残念で、だからこそ「ヒト」にまで言及した大きな説明が空虚に響く。 -
出番をあたえる。みようみまね。しつけ。
C0237
蔵書
1990に初版 -
370