イスラームの日常世界 (岩波新書 新赤版 154)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004301547

感想・レビュー・書評

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  • イスラームの内側からその世界を要領よくまとめた良書。
    その生活感情の魅力がなければ、人が引きつけられて三大宗教となるわけがない。
    ちなみに、マホメットの子孫のみを認めるシーア派(イラン等)と教団の継承を認めるスンニ派に分かれる。

    「人間は強いか弱いか」
    人間を弱いものと考え、戒律によって不測の事態を最大限に防ごうとする発想。
    飲酒によるトラブル、豚肉による感染等→形骸化してもそれを忠実に守っている。
    飲酒運転を取り締まるのでなく、飲酒自体を禁止する。
    1.ファルド・ワージプ:ムスリムの義務
    2.マンドュープ(ムスタハップ):した方がいいこと
    3.ハラール(ムバーフ):どちらでもいいこと
    4.マクルーフ:しない方がいいこと
    5.ハラーム:禁止
    弱い者は助けなければならず、弱い者は助けられて当然と思っている。
    一方、人間は弱いので契約をする。→結婚するときに結納金や離婚の条件を決める。
    反対に契約しないことはいい加減になりがち。

    「祈りと仕事のいい関係」
    1日5回の礼拝は、個人と神との交流。まわりに合わせる必要はない。
    いわゆる事前の神頼み(ドュアー)もあるが、サラートは純粋な神への感謝。
    サラートにより忘我状態「無」になり、至福の時を得る。
    夜明け前、正午過ぎ、午後、日没後、夜の5回。
    疲れたからお祈りでもしようか→体操代わり、気分転換でもある。
    清潔な流水で顔、手足を洗浄する必要があり、衛生対策でもある。
    ただし、何かのために祈っている訳ではなく、礼拝はムスリムの根幹となる義務。
    神以外には、王様でも頭を下げない。神の前には皆平等がイスラムの根本思想。
    マホメットもキリストのようにあがめてはいけない。国の権力、国自体も意味をなさない。
    細かい内容の正誤よりも、1000年以上変わらないこと自体に意味があるのかもしれない。ある意味、何も考えなくても、誰でも純粋に問題なく生きることのできる方法、であるかもしれない。

    「ベールの下の女の世界」
    都市で産まれた宗教→多様性をそのまま認める。弱者は当然に救済される。
    ベールで覆うのは間違いを起こさないため。
    多様性対策として、融合を試みるのではなく、別々の世界を作りながら調和を目指す。
    女性は「男性の目」を気にしない方が自由に行動できる→仕事もしやすいという論理。
    家は女性のものだが、扶養は男性の義務。一夫多妻制度は、一夫一妻制度の陰で保護されない女性が
    出るよりいいではないか、という意見、未亡人を引き取るために必要な制度という意見あり。
    最近は、若い人の方がイスラム帰りしている。(服装、習慣ともに)親の方が西洋服。

    「断食月は楽しい」
    新月から新月までの1月がラマダーン(断食月)。日の出から日没まで水を含めて食べてはいけない。
    モハメッドが聖遷(メッカ→メディナ)してから、太陰暦(354日)で毎年。→10日づつずれる。
    ユダヤ教、キリスト教、仏教でも断食はすべきもの→形骸化、イスラムでは逆に増えている。
    イスラム教は形から入るために、生き残ったのかもしれない。→観念は屁理屈をつけて変容する
    夜はお祭り騒ぎ→断食月には特別の食べ物、深夜までネオン、交流の場(面識ないところにも訪問)
    みんなが苦しい思い→みんながやさしい気持ちになるとき。
    食物を与えてくれる神への感謝、食べれない人への思いやり。

    「メッカへ、メッカへ」
    イスラムの義務(イバーダート)
    信仰告白(シャハーダ)・礼拝(サラート)・喜捨(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)
    巡礼はできれば、でいい。カアバ聖殿のまわりを7周、二つの丘を7回(3往復半)→同じ格好(イフラーム)のドラマ
    巡礼月→完走・お祝い

    「なるべく動きたまえ」
    滞ることは良くない。→銀行は利子を取らない。けちは最も嫌われる。
    同じ所ばかりでなく、いろんなところで、いろんな人と礼拝するのがよい。
    都市の宗教。砂漠のホスピタリティ→最後の水を客人に。
    人間関係は固定していない。社会的な関係と経済的な関係も別。
    本来、区別した共存がイスラム社会の真骨頂。→区別が差別になって(民族主義的)活力失うケースもある。

    「何が一番大切か」
    ぼんやりする、瞑想する(ラーハ)→価値が高い→知ること(イルム)、旅行すること、家族と過ごすこと
    仕事→ネガティブイメージ(アダムとイブの神話から)
    遊び→子供のイメージ
    日本人はエコノミックアニマル→仕事と遊びのみ
    仕事とラーハを一体化したがる。

    近年、イスラムの復権が叫ばれ、機運も高まっている。共産主義の失墜により平等重視の勢力を多く巻き込んでいるふしがある。アラブのみならず、アジア(イスラム人口はアジアが一番多い)、インド、アフリカにもイスラム教徒は多い。
    15億人というから、世界の人口の4分の1にあたる。
    彼らは国を重視せず、イスラームとして一体化している。「神の前にはみな平等」の思想が根幹にあるためである。
    イスラム過激主義の行動原理はわからないが、イスラム教が弱者にやさしく、どのような魅力で人を引きつける宗教であるかは垣間見えた気がした。

  • イスラームについての考えが360度変わった。
    勝手に怖いイメージがあったり極端なイメージがあったけれど
    そうやって印象だけで決めつけたくないと改めて思った。

  • 【215冊目】1990年初頭に第1版が発刊されてから、2010年代になっても版を重ね続けていることから名著と判断。基金のあるような名のある文化人類学者による本だと知るのは購入後のこと。
    ◯ 池内恵先生が、イスラームを西欧や近代以降と対峙するイデオロギーとして理解、あるいは利用するため、必要以上に美化している連中がいるとおっしゃっていた。そういう論者に出会ったことがなかったのでいまいちピンとこなかったのだが、この本を読んで「なるほど」と思った。資本主義でも社会主義でもない、第三の軸としてのイスラームの解説という面が目立った。
    ◯ それなのに、エコ・フレンドリーであるとか、女性の活躍だとか、特に昨今の日本を始めとする欧米諸国の価値観がイスラーム社会では生きているというような論調が垣間見え、結局評価基準は西欧的価値観に拠って立ってしまうのね、とも思ってしまった。
    ◯ スンニ派とシーア派という重要な区別を、意図的に無視しているように思える。例えば、サラートとドゥアーの違いを説明する一節。
    ◯ とまぁ、イスラム原理主義の時代を経て、日本でもイスラーム社会の研究が進んだ現在からは本書を様々批判することが可能ではあるものの、イスラーム社会に生きる人々の(ある種理想形の)価値観を提示することに成功している本書は、イスラームと向き合うためには一読しておきたい名著だとは思う。
    ◯ あと、イスラーム社会は三層構造から成るという指摘はハッとさせられる。表層(第一層)の西欧近代社会の価値観。基底(第三層)には現地の土着社会。その間(第二層)にイスラーム文化が広がっている、と。

  • 日本人にとって、イスラームというと礼拝、断食やブルカといった千年一日の変わらない習慣と男女差別いったイメージに加え、昨今はテロも交えた文脈で語られがち。しかし、そんな頑なな宗教が世界人口の1/4近く、15億人から信仰されるものなのか?という疑問から読んでみた。いろんなことが分かった。

    厳しいといわれがちな戒律は「生弱説」を下敷きにしていて、厳格に行うべき事柄は契約で、それ以外は「イン・シャー・アッラー(神の意あらば)」という言葉で「やれたらやりますね、行けたら行きますね、未来のことですからまあ当てにしないでください」程度にゆるく捉えるという使い分けをしているものだったり、
    女性たちはベールを被ることで外見の良し悪しを男性たちに言われることがなくなるためむしろ己の実力で勝負できると考えており、女性社長や政治家は珍しくなく、事実ムハンマドの最初の妻は15歳年上の女性実業家であったり、
    一夫多妻はムハンマドの時代に戦争で男不足に陥った社会を立て直すための特例処置に過ぎず、しかも家は女性の持ち物で男性はいわゆる通い婚をしていたり、
    親であろうが社長であろうが王であろうが神以外は全てが平等という思想から、神以外のものに頭を下げることを拒んだり、
    一日5回の礼拝も1か月の断食も全ての人が平等に行うので裕福な人が貧しい人の気持ちを身を以て知る機会になっていたり、
    それ故に裕福な人は施しをするのが当然と思っており、貧しい人は施しを受けることが当然と思っていたり。

    この本で語られているのは比較的富裕層と言える人たちの身の回りであるため、貧困層に焦点を当てれば暗い話だって当然出てくるだろう。しかし、これらのような寛容で知性のある人々がいることもまた事実。初版が湾岸戦争の直前の1991年で、日本人女性によって書かれているということも特筆すべき。イスラームに対する新たな視点を持とうとしているなら、良い導入書の一つと言える。

  • 私の周りにもムスリムの方がいる。朝会社で同じエレベータにのり、私とは違う階で降りていくから、同じビルに入居する別の会社である事は解るが、そこは最近伸びているIT企業である。その女性は頭をすっぽりとヒジャブで覆っており、一瞬でムスリムなんだと理解できる。世の中のニュースも最近は不穏な中東情勢からか、パレスチナの人々がテレビ映像に頻繁に登場してくる。彼らはイスラームであり、敵対するイスラエルは勿論ユダヤ教だ。日本人は何かと宗教に疎く、質問すれば神道でも仏教でもなく無宗教と答える方が多い。だから生活リズムや社会が教えによって動いているイスラームの世界観を斬新なものと感じる。当たり前だがムスリムの人々にとっては、それは宗教というよりも生き方、生活そのものとなっており、寧ろそれが当たり前の価値観である。海外旅行した際にタクシー運転手が目的地でもないところに途中で停車して、お祈りで20分ほど待たされたこともある。急か急かする日本人の私から見れば、客がいるのに、と理解に苦しむことも若い頃にはあった。だがそれも価値観の異なる国に居る事を忘れた、ただの日本人の感覚だったと今は思う。イスラーム人口は増えている。多産を善とする文化や教えもあるだろうが、それだけではなく、あらゆる人種民族を受け入れ、人が持つ生きる権利や平等を自然と実践するムスリムの生き方への憧れもあるのではないかと思う。
    本書はそうしたイスラームの生活様式や考え方について書かれている。砂漠をゆったり流れる時間や、砂が風によって流され美しい紋様を描き、今にも白い建物からお香の香りが漂ってくるかの様な描写がされている。気がつくと私も部屋でウードを焚いて寝転びながら読んでいる。
    全くの日本人の私には描かれる世界観への憧れはあるが、最近身近に増えてきたムスリムの人々の価値観を知っておきたい、という知的好奇心もある。彼らの世界を受け入れ互いに力を合わせてプロジェクトを進める。そんな日が近々来るに違いない。
    テレビ映像で流れる悲惨な戦禍だけでない。本来は平和を愛し、隣人が互いに助け合って生活する社会が世界中に戻ってくる日を待ち望みながら、真っ青な空から突き刺さる様な陽射しが照りつける街並みを想像して本書を閉じた。

  • NDC(8版) 302.28

  • 思想が偏っててしんどい。

  • イスラム圏の人々の日常生活や価値観を分かりやすく書いた本。民博で行われるセミナー「文化人類学者・片倉もとこの見たサウジアラビア」に参加する前の予習として読んだ。

    イスラム世界における女性の生き方や、労働感、断食の様子などが、著者の体験を元に詳しく書かれている。医学部では約半が女性であり、看護師も男性が女性と同じくらい必要とされているのだそうだ。さらに女性専用の銀行まであり、店員も客も全員女性だそうな。本書の出版が1991年となっているが、今はどうなのだろうか。(というか元々本当か?)

    欧米的な近代社会とは違った社会のあり方を示し、イスラムに対する偏見へのカウンター情報を発信するのが重要なテーマだと感じたが、少し肯定的に書きすぎているのではないかという印象はある。

    登場する人々は善良で高学歴で煩悩の薄そうな人ばかりで顔が見えてこないし、どことなく一昔前に共産圏の国を好意的にレポートした知識人たち文章のようでもある。

  • ムスリム社会の人間観(人と神は区別。人は弱いもの)と 近代西欧社会、日本社会の人間観との比較は 興味深い。近代西欧社会の人間観(人は強いもの)、日本社会の人間観(人と神は区別しない。性善説にたつ)

    この本を読む前と 後では ムスリム社会の人に対する印象が 全く異なる。ムスリム社会の人にとって、西欧社会より 日本社会の方が 生活しやすい気がする。時間をかけて、日本人の ムスリム社会の人に対する誤解、先入観を 取り払う策は必要だが。


    男女隔離、男女平等(女性優遇)の社会とは知らなかった。「男女隔離社会だからこそ、女性の実力が発揮され、社会進出が促される」とは なるほどである。女性専用の銀行、女性専用の公園があるらしい

  • 男女観が想像と違っていた。

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著者プロフィール

1937年、奈良県生まれ。<br>東京大学大学院地理学博士課程卒業。理学博士。<br>津田塾大学教授、国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授を経て、現在、中央大学総合政策学部教授。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。<br>[主な著書]<br>Bedouin Village(東京大学出版会、1977年)、『アラビア・ノート』(日本放送出版協会、1979年)、『人々のイスラーム』(日本放送出版協会、1987年)、『イスラームの日常世界』(岩波書店、1991年)、『「移動文化」考』(岩波書店、1998年)、『イスラーム世界事典』(編集代表、明石書店、2002年)ほか多数。

「2003年 『イスラームを知る32章』 で使われていた紹介文から引用しています。」

片倉もとこの作品

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