ゲルニカ物語: ピカソと現代史 (岩波新書 新赤版 155)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004301554

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  • ピカソは1918年に、オルガ・コクローヴァと結婚した。彼女はロシア・バレエ団のバレリーナだった。彼女との間に長男パウロが生まれた。ピカソの名声も高まり、上流階級の人々との交際も増えてきた。芸術家としては幸福の絶頂と言ってもよいだろう。妻のオルガも鼻高々だったに違いない。しかし、元々がボヘミアン気質だったピカソは上流階級の生活には馴染めず、次第にオルガとの間にも溝が深まっていった。しかも、浮気性のピカソは若い愛人と付き合うようになったばかりでなく、愛人が女の子を生んだ。

    愛人の妊娠をきっかけとして、ピカソはオルガとの離婚を考えたが、スペイン人のピカソには難しかった。スペインはカソリックの国だったので離婚を認めていなかったのだ。やがてオルガと別居することになったピカソだが、彼女に養育費をはじめ、多くの財産を与えなければならなかったという。自分で蒔いた種には違いないが、ピカソは失意のどん底に落ちて絵を描くことをやめてしまったらしい。

    この時の苦悩が、やがてピカソの中で形になっていく。気を持ち直した彼が最初に描いたのは、手をさしのべる女と、牡牛と馬の対抗だった。この2枚の構図スケッチは単なるイタズラ描き程度のラフスケッチに過ぎないが、8日後に書かれた構図スケッチは、ほぼ最終的な構成を有している。ここからピカソは実際の壁画をカンバスに描き始めることになる。

  • ふむ

  • 11/07/19
    予備知識無しでbookoffにて100円で購入。大雑把な概要は(絵画の方の)ゲルニカの芸術性や技術面の内容では無く、スペイン内の紛争におけるピカソの演じた役割とドイツなどの連合軍によってゲルニカ(町の方)が蹂躙された後の政治及び社会的風景におけるゲルニカの訴えたメッセージとその役割を海を挟んだ大陸の東西からの視点で描いている。


    要は社会へどのようにゲルニカが関わったか、そして歴史の方はどう進んで行ったかに内容が絞られているので、ピカソの解釈だのといった芸術面の展開は一般的な素養の範囲内で皆無に等しい。ゲルニカの製作秘話が若干描かれている点、ピカソの一連の版画ワークについての言及や資料といった内容は一般的には絵描きという側面の認識が強いピカソという人を知るには興味深い資料と映るのではないかと思う。


    歴史にはさほど興味がなかったので、退屈な書き方になってしまっているけれど、絵画と社会という、つまりビジネスにおける絵画といった見方を考えている人間にとって、お金の為の製作と、尊厳の為の製作とが入り乱れた戦時中のピカソの懊悩とそれらビジネス面を一蹴したピカソの行動などは克明に記述されているので、自らのアートマネジメントを考える際の参考になるのでは無いかと思う。


    無理矢理安値で国から領収証を切ってでも(本当は無償を望んだ)ゲルニカをどうしてもスペインの民衆のものにしておきたかったピカソのの格好良さは十分に伝わった。

  • (2007.08.11読了)(2005.08.27購入)
    副題が「ピカソと現代史」です。
    「ゲルニカ」は、ピカソの代表作であるとともに、スペイン北部のバスク地方の都市の名前でもあります。
    1937年4月26日、スペイン内戦の際、反乱軍であったフランコ軍の支援をしていたドイツ空軍の爆撃機によって、ゲルニカは爆撃され多くの建物が破壊され、多くの市民も死傷したといわれます。爆撃の三日後にゲルニカは、フランコ軍により占領されたため、詳細はいまだに不明です。
    爆撃の目的は、一般市民に恐怖を与えるための無差別爆撃です。
    太平洋戦争におけるアメリカ軍による「東京大空襲」「広島・長崎への原爆投下」も同様のものです。戦争は、人と人が戦い、殺しても罰せられないことになっていますので、敵に恐怖感を与え、戦う意欲をなくすことができれば、と考えてしまうようです。
    戦争に戦闘員も非戦闘員も区別がないのです。日本の海軍は、アメリカの戦艦のみを相手にし、輸送船を相手にすることはなかったようですが、アメリカ軍は、戦艦と輸送船を区別することはありませんでした。輸送船は、戦争を継続するために必要な資源(物と人)を運ぶからです。
    ピカソの「ゲルニカ」は、1937年に開催されたパリ万博のスペイン館の入り口ホールの壁画として描かれたものです。
    スペイン人民政府の依頼により製作され、7月12日より公開されました。
    「ゲルニカ」の製作開始は、残されたスケッチからの推測では、1937年5月1日です。
    壁画の制作に取り掛かったのは、5月11日です。制作の過程は、ドラ・マールによって写真として残されました。
    パリ万博は、1937年11月25日に閉幕したが、北スペインは7月にすでにフランコ軍により占領されていたので、「ゲルニカ」は、スペインに行くことできなかった。
    1938年4月までは、北欧を巡回し、9月からは、イギリスを巡回した。1939年5月1日、「ゲルニカ」は、フランスからニューヨークへ向かった。
    それ以後42年間、ニューヨーク近代美術館に貸与され、管理されることになる。
    1981年10月24日、「ゲルニカ」は、スペインのプラド美術館で公開された。

    スペイン現代史とピカソの「ゲルニカ」についてよくまとめられてある本です。スペインとピカソについて興味のある方々にお勧めです。

    著者 荒井 信一
    1926年 東京生まれ
    1949年 東京大学文学部西洋史学科卒業
    専攻 西洋史、国際関係論
    茨城大学・駿河台大学名誉教授
    (2007年8月18日・記)
    ☆関連図書(既読)
    「人間ピカソ」瀬木慎一著、日本放送出版協会、1973.04.20
    「ピカソを考える」坂崎乙郎著、講談社、1979.11.26
    「スペイン戦争」斉藤孝著、中公文庫、1989.09.10
    「スペイン現代史」若松隆著、岩波新書、1992.03.19

    (「BOOK」データベースより)amazon
    スペイン内戦の時代に生まれ、20世紀最大の政治的絵画といわれる「ゲルニカ」。パリ万国博(1938年)に初めて展示されたこの壁画は、単にゲルニカ爆撃への怒りを語るだけではない。著者は、ファシズムと人民戦線が対峙する時代状況に重ねてピカソの内面的な苦悩を描き、さらに戦後史の激動の中でこの絵がたどった運命にも説き及ぶ。

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