東京の都市計画 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302001

作品紹介・あらすじ

住宅、交通、地価、緑、防災-。今日、巨大都市・東京が抱える都市問題は、昭和初期の計画の未達成や、戦災復興計画の挫折に起因するものが多い。明治の東京市区改正、後藤新平の帝都復興事業から現代にいたる都市計画の系譜をたどりつつ、その思想を問う。著者がみずから発掘した貴重な史料をふくめ、多数の図版を収録。

感想・レビュー・書評

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  • KA3b

  • 帝都復興計画が田舎地盤の政友会の反対によって大幅縮小。つまり、利権が偏在していたデモクラシーによって都市復興が中途半端になるわけだが、その結果東京大空襲で大惨事を招くという皮肉な結果に。都市計画というのは中々上手くはいかない事を痛感させられる。

  • 帝都復興計画から戦災復興計画にかけての通史。いろいろな横やりが入りつつも後藤新平以来息づいてきたグランドデザインが、戦災復興計画の挫折によって頓挫した、というのが基本的なメッセージである。なお、戦災復興計画が挫折した原因としては、安井誠一郎都知事の不見識が厳しく批判されている。

    プランナー目線からの叙述で首尾一貫しているというか、全くブレがないのが特徴である。だが、いわゆる市民参加といったことを考える際にも、本書の議論は無視できないだろう。

  • フォトリーディング&高速リーディング。

  • 明治以降昭和までの都市計画の理念と実際(の成果との対比)を描く本書。クライマックスはやはり帝都復興計画であることは揺るぐまい。
    戦災復興計画に携わった人々も、常に帝都復興の時のことを意識していたようだし、本書での著者の書き方もやはり帝都復興と戦災復興の両計画の出来の対比を意図している。

    ただしむしろ本書を読んで発見したことは、「都市計画の"理念"は基本的にいつだって大体類似しているのに、背景とするところ(世に対してよりどころ、根拠とするところ)というのは、そのときそのときで様々になる」ということ。

    具体的には、緑地や街路をつくる方向性はいつも変わらないのだけど、そのモチベーションは災害時の延焼防止だったり、郊外へのスプロールのストップだったり、戦時のいわゆる「疎開」(建築疎開)だったりする。
    世の中の流れに応じるというのは当然のことではあるけれど、いつだって、もっと素直に、生きる上での快適性とか(=景観とか)をもって社会に問いかけ、訴えられるようになったらと思う。

    蛇足だが、第1章、帝都復興事業に係る記述の佳境で、東京市長・永田秀次郎が市民に対して訴えた「区画整理について市民諸君に次ぐ」という演説が極上。心打たれたのでエッセンスを多少引用しておく。(本書がこれを引用掲載してくれたのはファインプレー!)
    「我々市民自身がなさなければならぬ事業。決して他人の仕事ではなく、また政府に任せて知らぬふりをしているべき仕事ではない」
    「何としてもこの際、災い転じて福となし、再びこの災厄を受けない工夫をしなければならぬ。これが今回生き残った我々の当然の責任。後世子孫に対する我々の当然の義務」
    「区画整理が最も公平であり、最も苦痛の少ない方法。この機会を外しては到底行われない相談」
    「我々東京市民は今や全世界のひのき舞台に立って復興の劇を演じている。我々の一挙一動は実にわが日本国民の名誉を代表するもの」

  • 14/10/12、ブックオフで購入。

  • 明治から昭和にかけての東京の都市計画がどのように、誰によって作られてきたか、その史実を淡々と述べながらも、彼の土木至上主義思想が随所でみられてする反射的に嫌気がさした

  • 第二の仕事に関係することもあり、なにげなく手に取ってみたら、引き込まれてしまった。

    関東大震災の後の復興を手早く引っ張っていった後藤新平の話がメインでありその構想力がすばらしく、その後の戦災復興、東京オリンピック前の都市計画がいかにまともでなかったかを事例を挙げながら説明している。
    当時人口500万人の時代に復興事業(1924~30)として計画・設計し、しかも未完成の状態にある道路網を人口3000万人の現在も使用しているということになる。

    著者の越沢明さんは北海道大学の教授であり、かなり手厳しい論調の書き方をしており、面白い。

    後藤新平は震災前から都市計画の研究会を主管しており、活発な議論が行われたこともあり、震災を受けても、直ぐに復興プランを策定できた。震災前までは東京市長でもあった。
    復興院総裁になってからは、普通では考えられないような復興プランをデザインし、予算の策定を詳細に行っている。が、政争に巻き盛られた形で、かなりの予算削減を耐え抜き、実行に移した。その成果は下記の通り。

    1)都心・下町の道路の整備
    ・行幸道路(幅員73m)、昭和通り・八重洲通り(幅員44m)
    ・幅員22m以上の幹線街路52本、延長119Km
    ・幅員11m-22mの補助線街路122本、130Km(東京市施行)
    ・幅員3-27mの区画街路492Km
    2)運河の整備
    ・小名木川、神田川、横十間川の幅員と深度拡張
    3)橋梁
    ・隅田川に架かる6大橋(相生、永代、清州、蔵前、駒形、言問)
     清州橋、永代橋は現在も当時の面影を残す。
    4)3大公園
    ・隅田(日本初のリバーサイドパーク。首都高の建設による大半の取り壊し)
    ・浜町(戦後改悪、当時の設計思想は維持しているとは言い難い)
    ・錦糸

    その後の、戦災復興の失敗、交通危機説に基づいた東京オリンピックにおける首都高整備の失敗などを挙げている。
    戦災復興の時はがれきの処理に困り、がれきを外濠、江戸以来の河川に
    持ち込み埋め立て、さらに分譲までしていまった。
    また首都高は、既存の公共空間(公園、河川など)を立体的に利用して、
    用地取得なしに、交通容量を増やした。景観への配慮はされておらず、
    隅田公園のプロムナードが犠牲になった。

    首都高以来、東京都の都市計画は停止したままであり、後藤新平らが
    考えた都市のグランドデザインは今でも考察する価値はある。

    戦災復興の過程において、東京都の都市計画課(石川栄輝)が友愛の都へ、楽しい都へ、太陽のある都へと新東京の3つの目印を掲げて「20年後の東京」というPR映画を作成したとのことである。現在は都立中央図書館に所蔵されているとのことで、一度見てみたいものである。と同時に後藤新平の逆境にめげない力強さとリーダーシップに敬服する。

  • 東京の都市計画、負けて負けて、負け続けたのだと思う

    でも落ち込まなかった、元気さへもらった

    都市、まち、への夢、それがこんなにも困難だとすれば

    日頃の連戦連敗が当たり前のこととして反転した

    負け癖がついてしまうというのとは少し違う

    歴史的な時間の中でゆっくり考えようよ、そんな勇気をくれた本だ

  • 今の東京がどうして出来て、何があったのか整理された良書だと思います。プレプレメイドイントーキョー。

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