民族という名の宗教―人をまとめる原理・排除する原理 (岩波新書)

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著者 : なだいなだ
  • 岩波書店 (1992年1月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302049

民族という名の宗教―人をまとめる原理・排除する原理 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 人間の歴史(猿人~古代国家~ローマ帝国~近代国家~明治維新、ユーゴスラビア、ユダヤ人)を振り返りながら、集団として人をまとめる原理について考察されている。対話形式のため読みやすい。国家、民族など普段は考えもしなかったことだったので、知的興奮もさることながら、知らず知らずの内に作られた「単一」「同じ」という意識が私の中にも浸透していたのだなとハッとさせられた。

    ・血の信仰→言葉の信仰
    ・宗教が部族を越えて広まり、人間を大集団にまとめた
    ・国家にふさわしいのは国民という呼び名、その国家と人間とをどろどろとした感情で結びつけようとして用いられるのが民族というフィクション
    ・民族=部族意識を越えさせる新しい宗教
    ・産業革命、大きな市場がほしい→国家(ネイション)統一運動
    ・近代化とは、民族の神話を創造するための、民俗的なものの容赦ない切り捨て
    ・民俗は現実だけど、民族はフィクション
    ・日本人の単一化が進んだのは、日清、日露の戦争をきっかけにしてであり、更にそれが進んだのは昭和の軍国主義の時代
    ・「日本人」は作られたもの
    ・単一民族だとフィクションになる→単一化された国民
    ・近代化は単一化

  • 本を読んで、こんなに思考回路が変わったことは、今まで無かった。読み終わって、ちょっと怖くなったくらいです。

  • 資本主義者だと思っていた自分の思想の行く末がわからなくなってきた…
    ネイションの訳語、アメリカの構造的人種差別の存在について言及がなかったのは気になったが、大変示唆深く面白く読めた。

  • つむじまがりが考える民族、それから宗教。民族がどういうものかとか、宗教がとういうものか考えるには、今までにどういうものが民族あるいは宗教と呼ばれてきたか考える帰納的な方法に、民族あるいは宗教ではないものから民族や宗教を考えるという方法がある。
    さて、つむじまがりの彼はどう考えるか。彼は、宗教や民族を必要とした側から考える。つまり、なぜ、それがなくてはいけないのか。民族や宗教が必要とされているという前提のもと、演繹的に考えていく。
    内容紹介の見出しには粘り強い対話と銘打っているが、決して粘り強くはない。たくみに痛いところをかわして、対話という物語を形成している。ひとは集団をつくらずにはいられない、このことを認めたうえで考えれば、民族というのは必要とされた宗教だと論理的に言える。彼はこの限界点を自覚しておそらく書いている。だから、基本的にはおおざっぱでいいのだ。だってこれは物語だから。
    なぜひとは集団をつくらずにはいられないのか、どうして集団をつくれるのか、この点に関しては触れられない。そして、民族が宗教だと言い切るのなら、なぜ国家や国民という考えを宗教だと言い切らないのか。彼はひとは集団をつくるということや国家というものを信じているからだ。「信じる」というこの一点については次作まで待たねばならない。
    理由づけなどいくらでもできる。起きたことにはどうとでも言える。彼はよく知っていた。彼の見方に従えば、ユーゴスラビアの紛争はこのように見える。物語とは、ほんとうにあったかどうかなんて問題にしない。物語から得なければならないのは、批判精神だ。
    社会主義は過去の遺物だと言うひとがいるかもしれない。しかし、社会主義が現に存在したという事実は誰にも揺るがさられない。社会主義の物語がある以上、なにがしかの見方があるはずだ。その物語を必要とした精神があるはずだ。それが批判だ。それをしないで資本主義万歳と社会主義を捨て忘れるのは「もったいない」。そんなわけで彼は「リサイクル」という批判を行うのだ。これが「抵抗」としての社会主義だ。新しい社会主義などでは決してない。それに彼は主義というものがただの信仰だと言い切っている。
    決してこの対話は建設的なものではない。彼は決して革命家ではないからだ。いや、ひょっとすると、「書く」という行為でそれを成し遂げようと考えていたのかもしれない。もう彼の生きたことばを聞くことはできない。しかし、彼は、現実に社会主義がすたれて、資本主義といわれる世の中に生きているというその事実に決して耳を塞いでいない。その一点において常に彼はまっすぐなのである。要はそういう信仰との「おつきあい」としての対話なのである。

  • 主張が明快で読みやすい。
    知識を総動員して思考を重ねていく様が鮮やか。

  • 対話形式で、民族とは何かという問いを考察している本です。

    著者を訪ねてきた「A君」は、社会主義の崩壊とそれにともなう民族どうしの対立についての質問を投げかけます。これに対して著者は、人類の歴史をたどって、人間が集団を維持するために宗教や国家といったさまざまな装置を必要としたことを説明し、民族もそうした装置の一つだと語ります。

    最後に、社会主義のイデオロギーも人びとの集団をまとめあげる装置であったにちがいないけれども、それが人びとの心をつかんだのは、産業社会の悲惨と国家のエゴイズムを克服する道筋を示したからだと説き、社会主義の有効性が否定された後でも、そうした問題を越えていこうとすることの重要性は変わらないはずだという考えが示されています。

  • オススメ度(1~10): 8 前知識:不要 読みやすさ:◎
    総ページ数:208p

    国民国家を理解する上で最適な入門書。対話形式で書かれているため読みやすい。

    第一章 人間は集団を武器とした
     第二章 血の信仰
     第三章 部族から帝国へ 血から言葉へ
     第四章 イデオロギー
     第五章 国民と民族
     第六章 国の中の少数派
     第七章 「同じ」意識
     第八章 理性的批判主義

  • 様々な民族の集合体において、国という概念が形成されるにあたり、共通言語がおおきな役割を担う。そのための教育が重要であり、これにより愛国心の素が築かれる。当然、誤れば危うい方向へ歩むこととなる。

  • 民族というもの近代国家というものは虚像であるということを、対話形式で書いてある。対話形式の為比較的読みやすかった。
    後半は社会主義の反省のようなもの。
    人類が誕生してからどのように集団を作ってきたかということを時系列的(かなりおおまかではあるけど)がに説明。
    民俗から民族への変化は共通の外敵を作ることによるものらしい。坂口安吾の堕落論を思い起こした。
    多くの人に読んでもらいたいと思う。

  • [ 内容 ]
    世界を激しくひき裂き対立させる民族主義。
    どうそれを超えるかに21世紀の平和はかかっている。
    こうした問題意識から著者は民族主義を「国家の宗教」であると把え、その克服の道をさぐる。
    対話形式によるねばり強い思考実験の後にほの見えてくるのは、創造的・批判的精神としての社会主義の復権である。
    『権威と権力』の姉妹篇。

    [ 目次 ]
    第1章 人間は集団を武器とした
    第2章 血の信仰
    第3章 部族から帝国へ血から言葉へ
    第4章 イデオロギー
    第5章 国民と民族
    第6章 国の中の少数派
    第7章 「同じ」意識
    第8章 理性的批判主義

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