キリスト教と笑い (岩波新書)

著者 :
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レビュー : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302193

作品紹介・あらすじ

「イエスは笑ったか」。聖書をこの観点から読み直しつつ、喜びと解放のメッセージとしてのキリスト教の新しい側面をさぐる。使徒パウロから宗教改革者ルター、さらにカール・バルトまで、キリスト教的ユーモアの精神史をたどりながら、激動する時代を醒めた眼で見すえ、人間らしく生き抜くためにの精神の復権を説く。

感想・レビュー・書評

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  • 「笑い」というよりは「ユーモア」に主眼が置かれていたが、楽しく読めました。ヨナ書や福音書について書かれている前半よりも、教会史〜現代の神学者カール・バルトについて語られている後半の方が、得られる者が多かった。福音書にはキリストが笑ったという描写はなかった=笑いは不要のもの・悪徳であるとした中世の神学者・宗教者たちの解釈には深い暗黒が感じられた。ユーモアなきところに恐怖ありって感じ。一方、バルトのユーモアあふれる語り口や人となりはとても魅力的に描写されていて、僕も名前しか知らないんだけれど、バルトの著作を読んでみたいと思わされた。

    僕自身の考えではキリストは笑ったと思う。福音書に書かれていないのは、あまりに当然過ぎるので書かれていないだけ。キリストが行った最初の奇跡はカナの婚礼、水をワインに変える奇跡。結婚式という喜びの場で、こっそりこの奇跡を行ったキリストは、絶対に破顔して新郎新婦を祝福し、共に笑い、踊ったりしたはず。それに一切笑わない暗いメシアなんて、弟子もついていかないだろう。きっと、おっちょこちょいのペテロのしでかす失敗に、イエス一行は笑いが絶えなかったんじゃないかと。

  • 著者は、「武器としての笑い」であるウィットと、「解放としての笑い」であるユーモアを区別します。著者によれば、ユーモアの精神とは、終末論的状況においてキリスト教的な希望を失わず、それゆえにこの世の存在を相対化することのできる精神を意味しています。

    その上で、こうした観点から、キリスト教の歴史の中からとくにユーモアを感じさせるエピソードを紹介しています。とりわけ『旧約聖書』におけるヨナの物語や、イエス、パウロ、ルター、カール・バルトについて、比較的くわしい検討がおこなわれています。

  • 【状態】
    展示中


    ++1

  • ちょいとイエスなどを贔屓目に見ているんじゃないかなあ、という印象を受ける。キリスト教と笑いが相反する、という歴史的な事情を前提として、それに対する反論、と言う部分があるためそう感じられるのだろうか。

  • 旧約聖書、イエス(福音書)、教会、神学者などの切り口で、「笑い」にまつわるエピソードを解釈する内容。"イエスは笑ったか" なる命題を追求するが、この「笑い」とは、単なるsmileやlaughではなく、ユーモア・ジョーク・ウィット・アイロニーまで含めた「笑い」。キリスト教のバックグラウンドとしての知識がないので、読み進めるのは、ちょっと厳しかった。

  • 本書では、「笑い」の一般的な類型について概観した後、旧約・新約聖書のユーモアについて述べていた。その上でキリスト教史の「笑い」を記述し、時代・社会により「笑いとユーモア」の評価の違いなどについて言及していた。特に興味深かったのはイエスの「アイロニカルなユーモア」である。その機知に富んだ言い回しが聖書の1つの魅力ではないかと思えた。また、「決して笑いの言語では語らない」という中世キリスト教の世界観に驚いた。キリスト教と笑いとの関係が学べる良書であると思う。

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プロフィール

1928年生まれ。東京大学法学部卒業。東北大学名誉教授。専門は、政治学、ヨーロッパ思想史。著書に、『ナチ・ドイツの精神構造』、『国家と宗教』、『カール・バルト』ほか。

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