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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004302230
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
フォトジャーナリズムの深いテーマを探求する本作は、報道写真が持つ力とその背後にある倫理的な葛藤を描いています。著者は、歴史的瞬間を捉える喜びと、同時にその瞬間が持つ影響力について考察し、特にマラカニア...
感想・レビュー・書評
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肋骨の浮き出た少女とその様子を背後から伺うハゲワシを撮影した報道写真家ケビン・カーター。ジャーナリズムの最高の権威であるピューリッツァー賞を受賞したが、少女に救いの手を差し伸べるより、先にシャッターを押したという世論の猛烈な非難にさらされ、自ら命を絶った。
フォトジャーナリストとは、一体どういう職業なのか。他者の価値観を汲み取り、好奇な視点の代理行為として時代のニーズに適した瞬間を切り取り、それを売り捌くアコギな稼業か。例えば女性が現場仕事をする絵面を写し、女性活躍を印象操作するような、無限の被写体を演出し編集する権利を行使する世論または利害の代表。エポックメイキングな写真こそ素晴らしいという価値観の奴隷。いや、そうではないはずだ。
ー 本当に歴史を動かすもの。一九八六年二月二十五日、マラカニアン宮殿の前に詰めかけた人々が門を乗り越え、宮殿内に突入した。門の前でその様子を撮影していた私は、「現代史の瞬間」をこの目で、このカメうでとらえたという興奮にかられていた。しかし、五年後のいま、別の思いにとらわれている。「世界のマスコミが注目し、テレピが映像を渡し続けたあの瞬間”は単に歴史の表層にすぎず、本当に歴史を動かす底流はもっと別のところにあるはず・・・・・」という思いだ。
フィリピンで、私は出会ったさまざまな人々とその生活にカメラを向けてきた。彼らにとって、マラカニアン宮殿の主が変わることより、自分の住むスラムが撤去されたり、仕事のなくなることの方が、大事件であった。世界のニュースという観点から見れば、とるに足りないそんな小きな出来事が実は歴史の底流を形作り、歴史そのものを動かしていく
視点は感受性に突き動かされ、興味関心の対象が目に映る。その時代にしか捉えられないシーンは、広範囲で悠久な歴史のほんの一幕だ。その静止画が、何やら人類や時代、地域を代表しているように見えるのは、一体どういう事なのだろう。他者の価値観を意識する時、大勢の視点は同質の被写体を生み出し、個体は違えど、記号化されたシーンは、根底では同じ無意識の象徴だからだろうか。
言葉と似たものとして、写真は面白い。本書に多数掲載される写真は言葉を発さないが、確かに何かを伝えてくる。そしてそれは、言葉を介さず、ダイレクトに響く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私に何ができるか、私は瞑ったままの目を見開いて何を見て何に気付くべきか、そして何を訴えていかなければならないか。読み終わった後に頭を巡る数々の言葉、カメラによって切り取られた瞬間。その場にいなくても充分に訴えかけてくれる映像と文字。私にはとても真似できないことだが、私にも何かできる事はきっと有る。頭の中で自分に考えろ!考えろ!と繰り返し自分が叫んでいるようだ。
本書は内戦や貧困に苦しむ世界中の人々を写真で追いかけ続けるフォトジャーナリストの魂の叫びだと感じる。魂から叫んでいるから読者の心にある普段立ち入らない様にしている自分の嫌な領域を簡単に踏み荒らしていく。
エル・サルバドルでは長引く内戦下に於いて、何年かぶりに訪れた筆者が昔を懐かしみながらも、未だ終わりの見えない危険な状況下で暮らす人々に迫る。貧しさから犯罪に手を染める若者、一方でただ安全に暮らしたいだけと、ささやかな希望を抱いて生きる人々。口々に多くを望まないから安心が欲しいと言う。これが地球の反対側の日常なのだ。私は今日も晩御飯で食べきれないおかずを残していた。
そして長らくソ連やアメリカなど大国の利害衝突に翻弄され続けたアフガニスタン。日本人であれば誰もが危険を感じるこの地に居た英雄アフマド・シャー・マスード。マスードを追い続け、他にも多数の書籍を出している筆者だけあって、中枢部の人間達のリアルな会話や、戦闘とは異なる優しい人間性に触れる。だだっ広い枯れた平原しか頭に思い浮かばない私。何も知らず漠然と危険な人々に扱ってしまう自分、そこには恋をし、家族を守る我々と同じ人間がいる。ニュース映像によって表層しか捉えていない自分が情けない。
スモーキーマウンテンでゴミ拾いをするマニラの少年少女達にも笑顔がある。大きな政変や外交問題だけが我々日本人に伝わってくる。正に首都マニラで道一本挟んで最底辺の暮らしがある。そこをニュースは伝えない。そこにもやはり優しい母の眼差しや子を亡くし悲しみに暮れる人間の姿がある。場所を変えて国内に目を向ければ、出稼ぎでやってくる海外の人々だけでなく、日本人であっても安定した職に就けず、日雇いで最低限の生を繋いでいる人々。
本書で描かれる世界は全て我々が簡単にニュース映像で見ているものとは訳が違う。社会には必ず表に見える姿の裏側の姿があり、それは遠く離れた異国の地だけで無く、我々がいつもいる場所の隣にある。筆者は言う。ミクロの目で見つめてマクロでその背景や原因を考えるのだと。ファインダーを覗く目と逆の目はファインダーに映らない別の映像もしっかり捉え続けなければならないと。
私は目に見えるもの耳で聞いたものにしか触れられないが、それは私が私の意識を「見たくないものから目を逸らす」から、そう思えているだけで本当は見えて聴こえている気がする。深く考えずにニュースや雑誌を聞き流しページをただめくってきただけの自分。パレスチナの人々の本当の声を捉えることが出来ず、何も言わずに何も考えなくて済まそうとする自分。虐げらるパレスチナの人々の血が大地を染める。その事実から目を逸らす自分。そして危険を顧みずに真剣にファインダー越しに向き合う筆者。この違いが迫力のある文章にそのまま現れる。
なぜ私を撮るのか?なぜ私の子供を写すのかと叫ぶ女性の問いかけに、なぜ真実と背景をその目で見ないのか?との声を聴いた。 -
彼に惚れた
彼の現地人との付き合い方、その姿勢
写真、文章からガンガン伝わってきて
もうだめだ。
久し振りにひっと
2009/02/14 -
ジャーナリストの眼。
何を思って撮っているのか、どう変化してきたのか、がわかる本人の解説本。
特にフィリピンの現状や日本への出稼ぎ問題は、近いこともあり、ニュースでは見えてこない本当の姿を知ることができて、報道写真の難しさと本当の意味を知ったように思う。 -
勝手に「私の英雄」と読んでいる人たちが何人かいる。それはフィデル・
カストロであり、チェ・ゲバラであり、チェーザレ・ボルジアであり、エンリ
コ・ダンドロであり、ティベリウスである。
その中でも強く惹きつけられるのがアフガニスタンの北部同盟司令官
だったアフマド・シャー・マスードだ。実際、「アフガニスタン国家英雄」
の称号を贈られている。亡くなった後だけれど。
マスードを知るきっかけとなったが、本書の著者である長倉氏の写真
だった。一目で惹きつけられた。アフガニスタンに侵攻して来たソ連
軍を相手に一歩も引かず、ソ連軍を撤退に追い込んだ男。
どんな強面かとおもうだろう。確かに厳しい表情を見せることもある。
だが、どこか洗練されているのだ。知性を感じさせ、エレガントでさえ
あるその佇まい。
それから長倉氏の写真集や著作を集めるようになった。ただし、未だ
全てを読み終わってない。それなのに、本書は再読である。発行当初
に既に読んでいるので、あれから20年以上の歳月が経っている。
1980年代から1990年代にかけて、長倉氏が取材に訪れた国や地域
を振り返りながら、そこで生きる人々の日常を「フォト・ジャーナリストの
眼」で浮き彫りにしている。
内戦のエル・サルバドル、フィリピンのスラム、イスラエルに包囲され
世界から見捨てられたパレスチナ、日本へ渡ったフィリピンからの
出稼ぎ労働者、日本の高度経済成長を底辺で支えた山谷の人々、
そしてアフガニスタンで戦士たちと過ごした250日。
取り上げられている国や地域の現状は本書が書かれた時期とは
異なっているのだろうが、日々のニュースが取り上げない現実は
今も世界各地にある。
内戦のエル・サルバドルに生きる人々にしろ、フィリピンのスラムに
住む人々にしろ、山谷の日雇い労働者にしろ、皆、生活は楽では
ない。それでも、他者を思いやる心を持っている。
持たざる者は心まで貧しい訳ではない。却って、持っている者たちの
方が心が貧しくなるのではないか。
どの章も印象深いのだが、やはりアフガニスタンでマスードたちと一緒
に過ごした日々を描いた章が一番心にしみる。それは9.11アメリカ同時
多発テロの2日前に自爆テロによって暗殺されてしまったからだろう。
「私は西でも東でもないイスラムの道を目指します。アフガン人による
アフガニスタンを……」
「われわれの考えるイスラム共和国。それは正当な選挙によって、
国民の声を反映させるものでなくてはならない。それは非イスラム国
と敵対するものではなく、他の国々と協調して、アフガニスタン再建
を第一に考えるものです。われわれは不公平がない限り、あらゆる
国と友好を結びます」
「私は自由と言葉が好きです。しかし、その実現は苦難の連続です」
アフガニスタンの状況が報道されるたびに、今でも思う。こんな考え
を持っていたマスードが生きていたのなら…と。それは詮無いことな
のだろうけれど。
本書の内容はまったく古ぼけていない。紛争地で、難民キャンプで、
貧困に苦しむ人々は、今でも世界各地にいる。そして、彼ら。彼女ら
はそこでその日を精一杯生きている。
そんな人々を世界中に伝えるのが、「フォト・ジャーナリストの眼」なの
だろう。 -
世界のどっかで(そこらじゅうで)
人が生きてるんだなー、と
テレビに映らない、歴史に登場しない人たち
なんでもないことに心から喜んだり笑えるように
ちゃんと生きなきゃ
20年も前の本だけど、
たぶん相変わらず -
右目でファインダーをのぞきながら、左目でファインダーに映らない世界を見続ける姿勢だけは失いたくない。
常に自分の視点で何を撮りたいのかを考えてる。 -
フォトジャーナリストの視線はどうしても「撮影対象」を探してしまう。そしてそれは、他人にとっては不快だったり、羞恥だったりすることが多い。そんなフォトジャーナリストならではの苦悩を抱えながらも「伝えなきゃならない」という使命感を感じずにはいられない。エルサルバドル、アフガニスタン、フィリピン、パレスチナ、そして日本の山谷など、彼の眼は世界中を映す。
彼が撮ったモノクロ写真と併せながら、まるで日記のように読みやすい文章で描かれた新書です。 -
大学時代に本屋で何気なく手に取り、読み耽り、長倉さんの本を読み漁るきっかけになった本。人への物事を伝える力はもちろんのこと、物事を捉える力の見本になる。
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[ 内容 ]
「右眼でファインダーを、左眼でそこには映らない世界を」。
戦乱のエル・サルバドルでは一人の少女を10年間撮り続け、またアフガンの戦士と250日間生活を共にするなど、世界を駆け巡るなかで、彼の「眼」はどう変化していったか。
国内外で同時代の鼓動を撮り続ける気鋭のカメラマンが、情報過多社会における報道写真のあり方を熱っぽく語る。
[ 目次 ]
1 戦場から人間へ―エル・サルバドル
2 一人ひとりの人間をみつめて―アフガニスタン・イスラム戦士との250日
3 歴史を生きる人々 ―フィリピンで見えたこと
4 マニラから日本へ―フィリピン出稼ぎ労働者を追って
5 もうひとつの日本―山谷の男たち
6 私のフォト・ジャーナリズム―パレスチナで考える
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
この自分とかけ離れた(ような)世界の生活を想像する力、バランスを放棄せずに持っていたいなあと思う。
あと、なんとなく手にとっただけなんだけど、予想外の収穫が3つあった。まず1つめは最近調べてた1982年のベイルートの事件が載っていたこと、2つめが寿町を含むドヤ街が載っていたこと、そして3つめが「コーヒーを飲むおじさん」の写真を見つけたことなのだ。 -
素晴らしい写真家の素晴らしい視点。
写真の向こう側が見えてきます。 -
世界各地の紛争地帯を回る、フォトジャーナリスト。現地の人々と生活を共にして、悲惨な状況をただ伝えるだけではなく、一人一人にスポットライトを当てて、メディアの情報では見えない、戦争の本当の悲惨さ、そこに生きる人々の力強い姿を撮ろうとする姿に感動した。
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第二章の「一人ひとりの人間をみつめて − アフガニスタン・イスラム戦士との250日」が特に好き。
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何十年も戦場で過ごした写真家のルポみたいなもの。結局こういうとき一番悲惨な目にあうのは、子供や老人、一般市民なんだなと思った。
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全体を通して、「政府vs.ゲリラ」の構造が本著のテーマのひとつであったような気がする。世界で起きている内戦をひとつとってみても、たいていこの図式は成り立つ。政府はそれをつぶそうとするものに恐怖感を抱き、徹底的に押さえつけようとする行動はごく自然なことである。だが、反対勢力の言い分を聞かずに一方的にかれらを悪者扱いするのはいかがであろうか。本著を読んで改めて事件の根本に眼を向ける大切さを感じた。
なるほどエル・サルバドル政府に抵抗する左翼ゲリラは、ただ聞いただけでは恐ろしく共産主義のニオイを孕んだ組織に思え、共産主義を敵視していた冷戦期では当然つぶされなければならなかっただろう。しかし、もし左翼ゲリラが非人間的な組織であるのにすぎないとすれば、かれらを支持する人々は存在しないはずだ。だが現実は反対である。かれらが支持される理由は本著にもあるとおり明快なものであった。国民は政府に苦しめられているからだ。苦しめられている国民はその打開を目指すものを支持することは当然である。ゲリラの出現は敢えていえば、それだけ政府が国民を苦しめた証拠でもあったといってもよいだろう。
同様なことはアフガニスタンの例にもみえる。王制のもとで貧富の差が広がるのであれば当然それを打倒しようとする勢力も生じてくる。ちょうど光(権力者)が強ければ闇(反対勢力、ゲリラ)も濃くなる原理に従っているような感じである。しかしこのとき、光で闇を消そうとすれば逆に闇が目立ってくるように、反対勢力を産出しているのが権力者であることを権力者がわかっていなければ逆説的な状況になるのであろう。
いまテロリズムが世界各地で起き、また警戒されている。だが、多くは一方的に善悪二元論を用いて分け、テロリズムを絶対悪とみなしている。テロリズムを肯定したり、賛揚したりする気は全くないが、テロリズムが起こる根本的原因を知ることは単にテロに屈するな、戦えというスローガンよりも効果的なのではないかと思う。そして本著が一般報道とは違った視点をとることによって根本が見えてきたことから、事件の根本原因を知るためにもある意味で視点の転換が大切であることを改めて感じさせられた。
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当時40歳の長倉さんの、フォト・ジャーナリズムに対する熱い想いがつまった岩波新書。「人間とは何か」、「生きるとは何か」、「世界とは何か」、そしてそれらをどのように伝えるべきかを、フリーになった27歳からの経験をもとに語っています。
出会いを大切に、とにかくそこに暮らす人々の視点から物事を捉えようという姿勢、そして「右眼でファインダーを、左眼でそこには映らない世界を」という言葉に代表されるような、マクロとミクロの視点の両立を大切にする姿勢に感銘を受けました。
著者プロフィール
長倉洋海の作品
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