- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004302278
作品紹介・あらすじ
戦前、戦後の激動を通して、日本の文化史・思想史上、宣長ほど高い評価をもって生きつづけてきた人物も珍しい。「日本とは何か」「日本人とは何か」が問われるとき、ほとんどつねに宣長は再生する。それは一体なぜなのか。生涯の半ばを費して完成させた『古事記伝』を徹底的に読み直すことによって、この問題の核心に迫ってゆく。
感想・レビュー・書評
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「本居宣長」子安宣邦著、岩波新書、1992.05.20
215p ¥550 C0221 (2017.10.03読了)(2017.09.28借入)
島崎藤村著『夜明け前』を読んで、国学が尊王思想につながり、倒幕運動へと突き進んでいったことに改めて気が付きました。
大政奉還、王政復古となって、天皇親政の祭政一致を目指すにあたって、日本文化の純粋性を国学思想に担ってもらうために、仏教や儒教、キリスト教の排除が試みられます。
神仏習合で仏教がしっかり日本の文化に組み込まれてきたにもかかわらず、神仏分離、廃仏毀釈が試みられ、国家神道が作られました。
海外との付き合い上、信教の自由が認められないといけないので仏教、キリスト教の排除というわけにはいかなかったようです。儒教もすっかり日本人の考え方のなかに入り込んでいますので、排除は無理ですね。
国家神道についての本を読んでみたいところですが、国学の大物「本居宣長」についての本を図書館で見つけたので、読んでみました。内容は、宣長の主著『古事記伝』の持つ意味についてです。著者は、熱く語っているのですが、残念ながらよくわかりませんでした。
賀茂真淵が万葉集を研究して万葉仮名を確定した? それを受けて本居宣長は「古事記」の読み方を確定させた。古事記は、大和言葉の宝庫なので古い日本の心が残っている、ということかな。
平田篤胤は、本居宣長の『古事記伝』を学び、「祝詞式、神代紀、古語拾遺、姓氏録、出雲風土記」と突き合わせて、『古史成文』を書きあげた。
【目次】
序章 なぜ宣長か、なぜ『古事記伝』か
1 再生する宣長
2 『古事記伝』という言説
3 「事件」としての『古事記伝』
第一章 「始まり」の物語-『古事記伝』への道・一
1 「松坂の一夜」―「始まり」の物語
2 真淵の遺志―「始まり」への回顧
3 真淵の遺志と宣長の継承
第二章 『直毘霊』と「皇国」像の形成-『古事記伝』への道・二
1 『直毘霊』―『古事記伝』の序章
2 『直毘霊』―「異国」像の成立
3 「異国」の反照としての「自己(皇国)」像
第三章 美しき「口誦のエクリチュール」-『古事記伝』への道・三
1 『古事記』の発見
2 皇国の声音言語の正しさ
3 「祝詞」か『古事記』か
4 『古事記』―この漢字表記のテクスト
5 『古事記』―美しき「口誦のエクリチュール」
6 「敷島のやまとことば」復元の作業
第四章 天地の「初め」の物語-『古事記伝』の世界・一
1 「アメてふ名の義は、いまだ思ひ得ず」
2 「天地の初め」の叙述の注釈
3 『古事記』と「天地の初め」の物語
4 「初め」の物語と聖なるテクスト
5 ひと続きの創世神話
6 「命」という言
7 高天の原と黄泉の国
第五章 神をめぐる言説-『古事記伝』の世界・二
1 「カミと申す名の義はいまだ思ひ得ず」
2 宣長はいかに神を語るか―「産霊の神」
3 「心に神やどる」―排除される神の言説
4 「近き世に作られた私説」―抑圧された神の言説
5 「神典のまま」という神の言説(1)
6 「神典のまま」という神の言説(2)
7 天照大御神は「天つ日」
8 「日の神」論争(1)
9 「日の神」論争(2)
10 近代の神の言説―「神道概論」
第六章 新たな「神代の再・語り」-『古事記伝』以後
1 『古事記』は「真澄の鏡」
2 「神代をもって人事を知る」
3 篤胤の「古史」の成文化とは
4 新たな「神代の再・語り」の課題
あとがき
荻生徂徠 1666‐1728
賀茂真淵 1697‐1769
本居宣長 1730‐1801
平田篤胤 1776‐1843
上田秋成 1734‐1809
●出会い(14頁)
本居宣長34歳のとき、宝暦13年(1763)の5月25日、やがて師とする賀茂真淵に松坂で出会う。
●万葉集(24頁)
真淵は、『古事記』における古言を得るには『万葉集』を明らかにしなければならないとし、その万葉解明のために多くの歳月を自分は費やしてきたという。かくて『古事記』注釈のために残された時間は少なく、その業の達成は若い宣長にゆだねたいと真淵は語ったというのである。
●祝詞(67頁)
篤胤は、「祝詞」にこそ「神代の故事」はもっとも正しく伝えられているという。その意味で「祝詞」を篤胤は記・紀二典よりも重視するのである。
●口誦(74頁)
漢字による書記がなされるまでは、古代の故事は口誦によって伝えられてきたのだが、その口誦による伝えはきっと『書紀』の言辞のようではなく、『古事記』のようであったはずだと宣長は言うのである。
●口述筆記?(78頁)
稗田阿礼が誦み習ったことは天部天皇がみずから口に誦まれた帝紀・旧辞であると宣長は解しているようである。
「勅語」とあるのは、ただ『古事記』を撰録するように命ぜられただけではなく、天皇みずからが口に旧辞を誦みあげられ、阿礼にそれを誦み習わしめたということだ、と宣長は解しているのである。
●三層の世界像(122頁)
『古事記』の世界像として、垂直軸の上方に高天の原という天上の国があり、葦原の中つ国を中にして下方に黄泉の国があるという三層の像があることがいわれる。
●神(135頁)
記紀などに見出す神とは、天地もろもろの神、神社に祀られるそれらの神の御霊であり、また人も神とされるし、鳥も獣も、草も木も、あるいは山でも海でも神とされる。すべて尋常ではない、すぐれた力をもち、畏敬、畏怖をもって対されるようなものはすべて神というのだと宣長は説くのである。
●神道、仏教、儒教(152頁)
人がそれぞれに行うべき教えをいうような神の言説は、儒教や仏教を羨んで作り出された「わたくしごと」だと、宣長は言うのである。
●陰陽(162頁)
宣長は「陰陽はただ、漢人の作り出でたること」だという。
●『古史成文』(206頁)
ここには、篤胤において「古史」がどのように編成されていったのかが明らかにされている。それはまず『古事記』を下敷きに置いて、「祝詞式、神代紀、古語拾遺、姓氏録、出雲風土記」という五部の古書の神代をめぐる記述を、『古事記伝』に引き合わせながら、解きほぐし、その個々の伝承や神名の異説、類説を照合し、検討して、そこから一貫した神代の筋を見出し、あるいは再構成しようとすることであった。
☆関連図書(既読)
「古事記」三浦佑之著、NHK出版、2013.09.01
「古事記」角川書店編・武田友宏執筆、角川ソフィア文庫、2002.08.25
「楽しい古事記」阿刀田高著、角川文庫、2003.06.25
「日本書紀(上)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.06.10
「日本書紀(下)」宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988.08.10
「万葉集」佐佐木幸綱著、NHK出版、2014.04.01
「万葉集入門」久松潜一著、講談社現代新書、1965.02.16
「万葉集」坂口由美子著・角川書店編、角川ソフィア文庫、2001.11.25
「神々の明治維新」安丸良夫著、岩波新書、1979.11.20
「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.02.05
「夜明け前 第二部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1955.03.15
「大系日本の歴史(12) 開国と維新」石井寛治著、小学館ライブラリー、1993.06.20
「明治維新の分析視点」上山春平著、講談社、1968.06.28
「明治という国家」司馬遼太郎著、日本放送出版協会、1989.09.30
(2017年10月4日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
戦前、戦後の激動を通して、日本の文化史・思想史上、宣長ほど高い評価をもって生きつづけてきた人物も珍しい。「日本とは何か」「日本人とは何か」が問われるとき、ほとんどつねに宣長は再生する。それは一体なぜなのか。生涯の半ばを費して完成させた『古事記伝』を徹底的に読み直すことによって、この問題の核心に迫ってゆく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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