命こそ宝―沖縄反戦の心 (岩波新書)

著者 : 阿波根昌鴻
  • 岩波書店 (1992年10月20日発売)
3.93
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  • レビュー :4
  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302490

作品紹介・あらすじ

薬莢・模擬爆弾から、軍服や戦争中の生活用具-。伊江島の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」には戦争と基地被害の証拠品がところ狭しと並べられている。沖縄戦の悲劇を体験し、基地反対闘争の先頭に立ってきた著者の新たな平和を創る実践活動の舞台である。90歳になる著者が、沖縄の復帰20年を語り、自らの生涯と思想を語りつくす。

命こそ宝―沖縄反戦の心 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • この時期になると無意識のうちに手に取る沖縄関係の本。
    今年も現地には行けなかったが、このような形で沖縄の想いを感じ取ることができたことは意義深いかなと。

    【付箋メモ】

    (前略)
    だが、いまの「日の丸」は次の戦争を準備するための道具になっておると、わしはみております。「君が代」もそうですね。
    最近、沖縄では、「日の丸」「君が代」が問題になっていて、復帰前は「日の丸」をあげていたのに、いまは反対するのはなにごとかなどという人たちがおりますが、悪い日本の象徴になっているのだから当然であります。
    (p117-p118)

    「会議のときは必ず座ること」
    「耳より上に手をあげないこと」
    「大きな声を出さず、静かに話すこと」
    「ウソ偽りを絶対に語らないこと」
    「道理を通して訴えること」
    「人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること」
    (p119)

    (前略)
    だが気の毒であると思っておることと、天皇に戦争責任があるかどうかは、まったく別のことであります。
    宣戦布告したのは、天皇の名前において行なったのである。
    戦争をやめさすときは、天皇の考えでできたのに、戦争をやったときには責任はないというのは何事か。
    戦争をはじめるときには、閣議で決まっておったから何も発言できなかった、自分はロボットであったというのは、やはり許されない。
    わしが想像するに、天皇は軍部の飾りものにされておった。
    もし反対したりしたら、軍部に殺されたかもしれない。
    天皇は追いこまれておった。
    その意味では、気の毒な立場にあったのでありましょう。
    だからといって、全然、戦争責任がないなどということは、これは絶対にいえない。
    (p136-p137)

  • 目次

    序章 語り伝えたいこと―沖縄戦と「島ぐるみ」闘争の体験から
    1 復帰後の沖縄、そして伊江島
    2 「反戦平和資料館」を創る
    3 戦争の証拠が訴えるもの
    4 国の不正をただす裁判
    終章 心の勉強と真理の闘い

  • (2005.08.21読了)(1998.07.12購入)
    副題「沖縄反戦の心」
    【日本の戦争・その④】
    1979年11月新婚旅行で、沖縄へ行った。中南米を旅行すると、スペインによるインディオ征服の旅という趣になってしまうが、沖縄の旅は、沖縄戦跡の旅という趣になってしまう。沖縄海洋博の会場に残る水族館を見に行ったとき、近くの海上に見えた島がこの本の舞台になる伊江島だったと思う。小さな島なのに、半分が米軍基地になってたなんて、なんとも痛ましい限りである。日本自体が、外国の軍隊の駐留を許し続けていることもなんとも情けない限りではある。敗戦後60年経っても未だに自立していないということであり、自立しようという話も聞いたことがない。郵政民営化よりは、日本の自立、日本人の意識の自立のほうがもっと大事じゃないのかい。小泉さん。

    この本は、自分の土地を取り戻すための、基地反対闘争を続けながら、戦争・軍隊というものはどういうことを、資料館を作って訴え続けている阿波根さんの話です。
    「沖縄戦で死んだのは20万人以上、うち沖縄県民は12万人を超えるといわれております。」
    「最初はアメリカとはすばらしい国だと思った。死んだ母親のそばに赤ちゃんが生きていると、これを助けてきてミルクを飲ませる。一人も虐殺しない。米軍に占領された後、捕虜となったわしら島民は、まず慶良間島に移され、それから転々とさせられて、ようやく1947年3月に故郷に帰りついたのでありました。」
    「1955年、米軍は完全武装してきて土地を取り上げた。この土地がなくなると生活できないと、手を合わせてお願いする農民を縛り上げて半殺しにする。家を焼き払って飛行場・演習場にしてしまった。」
    1959年に、世界人権連盟議長のロジャー・ボールドウィンさんが那覇に来たので、日米両政府は核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありますかと質問しました。答えは「みんなが反対すればやめさせられる」でした。
    「沖縄が本土復帰したのは、1972年5月15日であります。沖縄返還に当たって、沖縄関連四法というのが国会で強行採決されいますが、そのひとつが「公用地法」という法律で、これで土地の強制使用を「正当化」したのです。復帰前に「公用地等」して使用されてきた土地、これはつまり軍用地のことを言うのでありますが、これは所有者の同意を得ることなく、復帰後5年間は継続使用できるというのです。」
    ●資料館の展示で訴えたかったこと
    「すべて剣を取る者は剣にて亡ぶ。基地を持つ国は基地で滅び、核を持つ国は核で亡ぶ。」
    ☆陳情規定
    「会談の時は必ず座ること」「耳より上に手を挙げないこと」「大きな声を出さず、静かに話すこと」「道理を通して訴えること」「人間性においては、生産者であるわれわれ農民のほうが軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること」
    「わしらには米軍に悪口を言う権利はないし、資格もない。米軍が沖縄、そしてこの伊江島に来たのは戦争があったからですよ。その戦争は誰が起こしたか。日本が起こした。戦争がなければ米軍は来ていない。」
    「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。」
    誰が戦争を起こしたのかという根本のことを忘れてはいかない。
    「軍人は上からの命令があれば、今でも原爆を落とさねばならない。だから戦争をしてはならない。」
    ●天皇について
    「天皇とは実に気の毒な人である。この世で天皇ほど不幸な人はいない。警察やら軍隊やらに守られて生活している。そういうものに守られないと、夜も眠れないし、自由に外に行くこともできない。人間として、こんな不自由で不幸な人はいない。」
    ●天皇の戦争責任
    「宣戦布告したのは、天皇の名前において行ったのである。戦争をやめさすときは、天皇の考えでできたのに、戦争をやった時には責任はないというのは何事か。戦争を始める時には、閣議で決まっておったから何も発言できなかった、自分はロボットであったというのは、やはり許されない。」
    「敗戦の時、天皇は出家されるべきであったのではないか。戦争の責任を感じたから天皇を辞めるといって、坊さんになって山にこもるとか、そして生物学の研究でもなさるとか、そういうことをされればよかったと思う。」
    ●大切なはずの農民
    子供の頃「役人や学校の先生とか偉い人たちが村に来て、農民をうんと誉める。みな農民は国の宝だというのです。農業は国の元、農民がいなければ人間は生きていけない、仕事の中で一番尊い、素晴らしいのは生産、農業であるという。」そういう話を聞きに行ったことがある。
    ある年寄りが講演した先生にこう質問したですよ。「今のお話しでは、この世で一番立派な仕事は農業であるというお話でありましたが、先生は自分の息子さんも娘さんも、みんな農業をさせるお考えでありますか。」

    著者 阿波根 昌鴻(あわごん しょうこう)
    1903年 沖縄本島の上本部村生まれ
    1925年 移民としてキューバへ、のちにペルーへ
    1934年 帰国、伊江島に住む
    1945年 沖縄戦で一人息子を失う
    1984年 反戦平和資料館を建設

    (「BOOK」データベースより)amazon
    薬莢・模擬爆弾から、軍服や戦争中の生活用具―。伊江島の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」には戦争と基地被害の証拠品がところ狭しと並べられている。沖縄戦の悲劇を体験し、基地反対闘争の先頭に立ってきた著者の新たな平和を創る実践活動の舞台である。90歳になる著者が、沖縄の復帰20年を語り、自らの生涯と思想を語りつくす。

  • 公文書館で教えてもらってから足掛け10年くらい?ようやく読んだ。
    「原爆を落した国より落とさせた国の罪は重い」阿波根 昌鴻氏の精力的活動のみならず、数々の言葉の視野の広さに驚かされた。西田天香の一燈園にも学んだというのが情報はどこかでつながるものだ。20090819

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