昭和天皇の終戦史 (岩波新書 新赤版 257)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302575

感想・レビュー・書評

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  • 誰しも責任を人に押し付けたがる傾向は多少なりとも持っている。中には明らかに責任逃れをしている大人達を見ると殴り倒してやりたい気持ちよりも憐れみを覚えることさえある。斯くいう私だって、仕事の不手際(自分ならまだしも部下の大きな失敗など)について、言い訳をしたい気持ちになる事は多い。後からその様な気持ちを抱いた事にまた自己嫌悪にも陥るのだが。
    ご存知の様にポーツマス条約により中国に権益を得たのち、日本が中国侵攻を見据えて仕掛けた満州事変、そして太平洋戦争の敗戦へと続く時代を振り返りながら、戦争責任がどこに存在するかを追いかけていく無い様となっている。
    確かに当初は陸軍の暴走の様にも映るが実際にはそれを止める事が出来なかった政治体制、そして陸海軍の統帥権を含む最高度の権限を有していた昭和天皇と、実際の責任が誰にあるか特定する事は出来ない。強いて言うなら、陸軍の進撃に酔った国民も、礼賛した経済界も含めて全員であると感じる。それこそ一億総懺悔が相応しく思う。
    戦後行われた極東軍事裁判の記録や裁いた側のアメリカの公文書が期限切れにより次々と明らかになっていく中、つまりは「共産主義の防波堤」として日本を利用したかったアメリカと「国体護持」が絶対であった日本との間に奇妙な共通利益が生まれた事で状況は決定してしまったと言える。
    戦後の占領軍が来るまでに時間的に余裕があった軍部は国内の公文書を徹底的に焼却処分してしまった。だから裁判自体はアメリカの先入観に始まり、国内は聞き取り調査が主になったことから、軍部、政治家、天皇すらも参加した責任なすりつけ合いの様相を呈する。軍部に至っては承知の通り陸軍と海軍の間には元々ライバル心、敵対心があるから当然のごとく醜いなすりつけ合いとなる。結論は知英米派に属する海軍の勝利は、A級戦犯処刑者が海軍からは誰も出ていない結果からも明らかだ。だが本当にそうだったのだろうか。
    人は強い信念を持っていても、環境や周囲との関係性、本人の性格(優しさもその一つ)で空気に飲まれてしまい、例えば反対出来ない様な経験は誰しも持っているのではないか。あまりに強い意見に出くわすと、反論する事自体を諦めてしまい、尚且つ「俺は言ったんだけど、知らん」という態度で逃げようとする。心の内ではもうその時点で責任逃れに陥ってしまってるのは言うまでもない。実際はその様なケースの方が多いだろう。既に責任放棄してるそのくせ、後から後から反対だったという立場を誇示する人は見るに耐えない。
    太平洋戦争時も結局は時期的に反対の立場をとった者や、喜んで推進した者、喜ばずとも何か目的があって推進せざるを得なかった者、終始反対の立場をとりながら地位を守り切った者。いったい誰が一番悪いかという議論はしても無駄だ。
    本書はあくまで歴史的事実を元に背景から各自がどの様な立場にあったと考えられるか、そこから始まっていく。特定の誰が悪いか、そうで無いかを判断するのはあくまで読者側に委ねられる。
    しかしながら、読んでいると誰もが情けなく感じると同時に、その立場・状況に完全に身を置く事などあり得ない傍観者として見ている自分が、勝手にそれら当事者を批判する事は出来ないという焦ったさが付き纏う。
    天皇も東條も病没した松岡でさえも、大きな歴史の渦に飲み込まれ、なるべくしてその様な結果になってしまったとしか言えない。唯一期待したいのは彼らが書籍に残すと残さないとに関わらず、その瞬間にどこまで平和を望み、何をしたか言ったかだと感じる。松岡でさえ国益が国民を幸せに出来ると考えていただろうし、最終的に天皇を守るために全責任を背負った東條も安堵の中で最後の仕事を終えた充実感の中で逝ったかもしれない。
    結局人間一人、一国家だけではどうにもならない大きな渦の中に人は飲み込まれていく。せめて、生き残った人々はそれを背負いながら生きて欲しいものだ。
    明日も会社で誰かの言い訳を聞く。誰かが言い訳を言うなら、その様な心を改善できない自分の責任と逆らえない会社方針などの状況がそうしたものを生み出しているのだと、優しく接してあげたい。

  • 井上ひさしの本で、昭和天皇が戦争責任をとらなかったことが批難されていた。この本を読んでそれが正当なものであることがわかった。


    ・一般には、十五年戦争の時期は、「軍部独裁」が成立してゆく時期と考えられているが、軍部とてオールマイティの権力を握っていたわけではなく、この「穏健派」の黙認や追認、あるいは支持や協力がなければ、軍部の推進する路線は国策とはなりえなかったのである。  さらに、敗戦という危機的状況のなかで「穏健派」は、東京裁判への積極的協力にみられるように、すべての戦争責任を軍部を中心にした勢力に押しつけ、彼らを切り捨てることによって生き残りをはかろうとした。その意味では東京裁判は、日本の保守勢力の再編成の一環として位置づけることができる。そして、この「穏健派」のなかから、アメリカの対日政策の転換に呼応するかたちで、占領政策の「受け皿」となる勢力が成長してくるのである。四八年一〇月の第二次吉田茂内閣の成立は、そうした「受け皿」の形成を意味している。

    ・天皇の戦争責任の問題が封印され、マスコミや学校教育のレベルで事実上タブー視されたことは、この国の戦争責任論の展開をきわめて窮屈なものにした。本来、戦争責任論とは、政策決定の当事者であった権力者の責任を追及するという次元だけにとどまらない、裾野の広がりをもった議論である。それは、戦争の最大の犠牲者であった民衆にも、戦争協力や加害行為への加担の責任を問い直すものだったが、国家元首であった天皇の責任がタブー視され、戦争責任論のなかに最初から大きな例外規定が設けられることによって、戦後の戦争責任論は国民的ひろがりを欠く結果となった。

    ・すべての戦争責任を軍部に押しつけることによって政治的なサバイバルに成功した「穏健派」のなかから、戦後の保守政治をになう主体が成長してきた。この結果、パワー・エリートの人的構成という面では、戦前―戦後の「断絶」より、「連続」が主たる側面となった。

    ・わたしたち日本人は、あまりにも安易に次のような歴史認識に寄りかかりながら、戦後史を生きてきたといえる。すなわち、一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧をくわえる粗野で粗暴な軍人を置き、他方の極には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的なシビリアンを置くような歴史認識、そして、良心的ではあるが政治的には非力である後者の人々が、軍人グループに力でもってねじ伏せられていくなかで、戦争への道が準備されていったとするような歴史認識である。そして、その際、多くの人々は、後者のグループに自己の心情を仮託することによって、戦争責任や加害責任という苦い現実を飲みくだす、いわば「糖衣」としてきた。しかしそのような、「穏健派」の立場に身を置いた歴史認識自体が、国際的にも大きく問い直される時代をわたしたちはむかえている。

  • 陸軍がかわいそう。
    というか、全員無責任状態が令和大日本にもつながりますわね。
    退位してれば、まだマシな社会になってたかも…

  • 終戦の時期ということで、積読の中からチョイス。
    終戦後の昭和天皇と国体護持をめぐる様々な動きが、明確な根拠とそれゆえのリアリティを持って書かれています。ここまでの文献とそれに対する考察が加えられているのはさすがの一言。敗戦を経ながらも、天皇制と政治体制がなぜ連続性を持って続いたのかがよくわかる本。
    昭和天皇個人の戦争責任はもちろんのこと、それよりもさらにその先の国体護持のためにほとんどの人が統一的な行動をとっているのには感嘆。当たり前だけど、現代の皇室観からは全く理解できるものではない。そして当時の天皇観と、それに対して天皇の生々しい人間的な言動が明らかにされている。そして米国の思惑とその他世界の思惑。様々な思惑が工作し過ぎていて、当時の交渉で中心的になっていた人々がいかに優秀だったのかを感じる。しかしその人々ですら、日中戦争に対する戦争責任の概念が欠けていたというのは印象的だった。

  • 昭和天皇の終戦史
    吉田裕
    岩波新書
    1992年12月21日第1刷発行
    1993年12月6日 第5刷発行
    ISBN4-00-430257-9

  • 独白録成立の政治的背景が明らかになる。GHQ提出文書の下本として、未だ国体護持や退位の回避が確定せざるときに著された。戦犯容疑者や宮中グループやGHQの一部などが行った、天皇の責任回避を目指すあらゆる行為のひとつが独白録の作成だった。

    記憶に強く残った指摘。
    ニュルンベルク裁判と違い、東京裁判は文書による証拠が少ないため、日本側の恣意的な証言が判決に有利に働くことがあった。
    敗戦直後の日本は対米開戦責任をフォーカスしすぎて、近衛文麿はまさか大陸政策で己が戦犯容疑者になるとは思っていなかった。昭和天皇も同様で、独白録のなかでの大陸政策に対する責任回避のためにする供述は甘い。41年の対米英の開戦決断は多分に政治的な要因があったのに対して、満州事変や盧溝橋事件等の大陸政策は陸軍とその独走に圧倒的な責任があることを確信していたのかもしれない。

  • 1990年に発見された「昭和天皇独白録」の成立過程・記述内容を元に、戦後の天皇制の存続の意味合い、いわゆる「穏健派」「宮中グループ」「昭和天皇自身」が、①GHQや東京裁判に対して果たした役割や、②戦争に至る過程において果たした役割等を明らかにしようとするもの。東京裁判の当不当というやや不毛な議論に入り込むことがなく、資料を駆使して説明しようとする点は好ましい。本書からは、①上記グループの日中戦争の過小評価、②宮中の右翼人脈によるGHQ関係者らへ接待攻勢、③天皇の戦争開始拒否権行使の容易性等がよくわかる。
    また、④天皇への情報伝達(内奏・御下問等)の程度・実態や十五年戦争期の内大臣の機能強化の実情などは興味深い。

  • -2014/09/09

  • 昭和天皇の終戦史は、これまで色々読んできた戦中~戦後の記録本のひとつの総括を与えてくれる。単に昭和天皇の、ということだけではなく、ひろく戦争に対する責任とはどういうものなのか、ということについて深く考えさせてくれるという意味でも稀有な本だろう。それも具体的な人物の言動を通してさまざまな感慨をかみしめることがでいる構成がすばらしい。ただ、平成も20年余りを数えたが、「あとがき」にある「国民の多数が天皇像の落差を落差として認識できる」という状況は到来していない。昭和を歴史にするためにも、本書は広く読み継がれるべきだろう。

  • 宮中グループによる昭和天皇免罪工作。
    いやはや終戦工作って大変だね。

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著者プロフィール

吉田 裕(よしだ・ゆたか)
東京理科大学准教授。専門はカリブ文学及び思想、文化研究。著書に『持たざる者たちの文学史 帝国と群衆の近代』(月曜社)。訳書にノーム・チョムスキー『複雑化する世界、単純化する欲望 核戦争と破滅に向かう環境世界』(花伝社)、ニコラス・ロイル『デリダと文学』(共訳、月曜社)、ポール・ビュール『革命の芸術家 C・L・R・ジェームズの肖像』(共訳、こぶし書房)、ジョージ・ラミング『私の肌の砦のなかで』(月曜社)、スチュアート・ホール、ビル・シュワルツ『親密なるよそ者』(人文書院)など。

「2023年 『アンカット・ファンク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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