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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004302681
みんなの感想まとめ
難解な哲学を解きほぐす本書は、ハイデガーの思想を分かりやすく整理し、幅広い分野にわたる考察を提供しています。特に「存在と時間」の解読を中心に、ハイデガーの生活史やナチスへの関与についても触れられており...
感想・レビュー・書評
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だいぶ近くなった。でもまだ遠い。まだ遠いよハイデガー。
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2025年153冊目の読了。この本を読むのは、人生で3回目。
240頁の新書で、難解かつきわめて幅広い分野に考察が及ぶハイデガーの思想を、知る限り、一番分かりやすく整理している。
読み物としても、「存在と時間」の解読を中心とする、ハイデガーの思想のみならず、ハイデガー本人の生活史、ナチスへの加担の理由の考察なども述べられ、読み物としても非常に面白い。
アリストテレスやニーチェの思想との関係についても、深い考察、整理がなされている。
これを読んで、改めて「存在と時間」に再挑戦したい。 -
読んでいてここまで面白い哲学の本はなかなか無い。論旨が非常に明瞭である。小説のように読むのが止められなかった。そういった意味で非常におすすめできるが、ではこれを全くの初学者が読むべきかというと、かなり微妙だと思う。「ハイデガーといえば『存在と時間』なのだから、『存在と時間』を読む前に何か読んでおこう」という用途にはまるで向いていない。というのも、著者の関心は『存在と時間』の未完問題(公刊されたのは上巻のみであり、下巻が出されなかったこと)に集中しているからだ。本書の中心課題は『ハイデガーが「下巻」で展開しようとしていた企てまでもふくめて考えてみる』ということになっている。したがって、実際に手に取ることができる『存在と時間』の既刊部分に関する解説はかなりそっけない。そのような本なので、まず既刊の『存在と時間』そのものについての理解を提供する他の解説書なりを読んでから、本書を読むのが良いと思う。
ハイデガーが問題としたことはただ一つ、『存在』である。そもそも『存在』などを問題とするのは、ハイデガーが『<存在者が存在する>という驚異』と表現した事態にある程度の感受性を有する者だけだろう。著者は同じ感受性を、ウィトゲンシュタインの『何かが存在するという驚き』という表現や、プラトンやアリストテレスの著作に登場する『驚き』に見いだしている。本書によるとハイデガーは、プラトン・アリストテレス~現代に至るまで支配的であり続けた『存在』概念を『現前性』=『被制作性』であると理解し、それ以前の古代ギリシアの『思索』に、全く異なる『存在』概念である『生成』を見いだした。さらに著者は、ハイデガーは『一種の文化革命の理念』を抱いていたと推測する。著者によると、それは人間を『本来性』に立ちかえらせ、『生成』という『存在』概念を構成し、『もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権すること』で、『ゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそう』というものである。しかし私が疑問なのは、仮に『生成』という『存在』概念が復権していたとして、ヨーロッパ文明は本当に革命されたのかということである。著者は『生成』という『存在』概念について、『古代日本人の自然観にも、万物を<葦牙の萌え騰るがごとく成る>と見る見方』という類似した見方があったことを挙げ、『日本人にはそれほど分かりにくいものではない』と指摘する。つまり、現代日本の文明が、ヨーロッパ文明と様々な点で異なりながらも、やはり資本主義に取り込まれていることを考えると、たとえナチスがハイデガーの主導する方向に向かっていたとしても、やはり彼の思うようにはならなかったように思う。著者が指摘するように『理念の領域と現実政治の領域はまったく異なる』のだから。これも著者が指摘することだが『あの当時、世界的な自由主義経済の皺寄せを全面的に受けていた資本主義後発国にとって、ファシズムかボルシェヴィズムか、この二つの選択肢しかないように思われた』ということも、ハイデガーが文明のオルタナティブを求めた強い理由の一つだと思われる。
なお、若きハイデガーを知るレーヴィットによる次の証言は非常に印象的である。私としては、そのような人間が根源的な思考を求めることは十分に理解できるように思う。
『ハイデガーは「目立って背が低く」、真黒な髪と黒ずんだ顔色、暗い表情をした「黒っぽい男」だったらしい。真正面から相手の眼を見つめることができず、いつも伏し眼がちで、ときどき一瞬間眼をあげてまわりの様子を確かめる。大体が打ちとけない不確かな表情をしているが、それは彼が他人に心を開いて率直につきあうことができなかったからだろうと、レーヴィットは推測している。もっとも、そうした自分自身が欲した孤立に苦しんで、他人とのつきあいの範囲を広げようと時たまやってはみるが、またすぐに自分のうちに逃げこみ閉じこもってしまう、というふうだったらしい。ハイデガーにとって対人関係での自然な感情の動きは「用心深く狡猾な不信感」だったのであろうし、この不信感が既成の伝統へのあれほどにも厳しい批判を可能にしたのだろう、とレーヴィットは観察している。』 -
避けては通れないのはわかっているが、ハイデガーの哲学を理解するにあたってどうしてもナチスの一件が絡んできてしまうのがどうにも。
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ハイデガーの「存在」の解明に焦点を当てた解説書。存在とは何かと聞かれたときに「存在とは~である」と答えるのは、「である」という言葉を使用しているという点で自己撞着に陥っているという難しさがある。ハイデガーの唯一の著作に当たる「存在と時間」にもある通り、ハイデガーはそれを時間に求めた。ハイデガーは存在は現存在と呼ばれる、過去と未来の概念を持つ者によって了解されることで生じると考察する。これはハイデガー以前の、「存在は制作されることにより生じる」という視点を解体することで生じる。ハイデガー以前の哲学の考え方では、神の存在を仮定しないと人間の存在を規定できないという欠点があるが、ハイデガーのそれはその部分を克服している。
全体的な感想としては、幅広い哲学的教養がないと全体の理解は難しいと感じた。浅学故、中後半の、各哲学者をどのようにハイデガーがとらえたかを記載した部分は正直理解ができなかった。 -
解説のおかげで少しわかったような気になれる
考え方おいておいてハイデガーの性格嫌い -
著者は、ハイデガー、フッサール、メルロ・ポンティの研究で知られる。新書といえどもなかなかの読み応え。講演録まで射程に含め、ハイデガーの思想を、「存在と時間」を中心に詳説。
生起・生成された自然との一体が身に染みている日本人的自然観?からは、なかなか腹おちが難しい世界もあるが、デカルトもカントもアリストテレス以降の存在論の系譜に位置づけられる、とする本著の提示は、ヨーロッパ近代哲学の理解に役立つ。 -
ハイデガーの存在論や哲学観の全体像がよくわかる。カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの関係性や影響も時系列ごとに綺麗に整理されていて読みやすい。
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技術論については、紙幅の制約と、著者の理解不足により、ここでは取り上げることができなかった、とある。残念。
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「はじめての新書」フェアで気になった本
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ハイデガーの言う「存在」とは何か。本書はそれを丁寧に説き明かしてくれる。その説明の中で「世界内存在」という概念についてわかりやすい解説が行われている。これらを杖にもう少しハイデガーの思想について勉強していこうと思う。
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わかりやすくまとめられていた記憶がある。
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存在、という驚異。
これは人間に固有のものである。
特定の環境に依存せず、複数の環境をメタ的な視点で再構築する能力、そしてそれは存在ということなる。
そしてその存在というものは、自らの意思ではなく、超越した力により存在する。
「神秘的なのは、世界がいかに存在するかではなく、世界が存在するということである」と述べたのは、ウィトゲンシュタインであり、ライプニッツの「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのか」という問い。 -
大船図書館で読む。この図書館は狭いですね。非常に読みやすい本です。この人が、売れっ子である理由がわかります。図書館ではなく、購入してじっくり読む必要がある。
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一通り読んだけれど、理解しきれなかった。別の色んなものに触れてから、数年後にもう一度読み直したい。
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木田元の作品
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