ハイデガーの思想 (岩波新書 新赤版268 新赤版 268)

  • 岩波書店 (1993年2月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004302681

みんなの感想まとめ

難解な哲学を解きほぐす本書は、ハイデガーの思想を分かりやすく整理し、幅広い分野にわたる考察を提供しています。特に「存在と時間」の解読を中心に、ハイデガーの生活史やナチスへの関与についても触れられており...

感想・レビュー・書評

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  • ハイデガー関連の書籍初挑戦。にしては、木田元著作のものを選ぶのは無謀だったかな、と読み終えた後の理解度を鑑みて少し後悔している自分がいる。

    そうはいっても、諸学者向けの網羅的な作品としてではなく、ハイデガーの「存在の思索」に思い切って焦点を絞った作品として自分の心づもりを変換すれば大変興味深い読書体験ということができる。本書の内容を要約するには力及ばず、なので付箋をした過去の自分を信じ引用箇所にコメントするに届め、個人的なおさらいとさせていただこう。

    <存在了解>という用語の説明。<存在企投>という用語に言い換えているが、観念的な話でどうもふわふわとして腑に落ちない難解さがあるな。
    P83:<存在企投>とは、現存在がいわば<存在>
    という視点を投射し、そこに身を置くことだと考えればよい。つまり、<存在>とは現存在によって投射され設定される一つの視点のようなものであり、現存在がみずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが<存在者>として見えてくる、ということである。

    ハイデガー流の「現象学」の定義。私はもちろん、現象学に対しても学びが足りないので、へーそうゆうものかという程度の感想で不甲斐ない。
    P99:<存在>というものがけっして存在者に属する何かではなく、人間において正起するある働きだということを原理的に解き明かし、その働きを体系的に解明することが現象学の使命だと言っているのである。

    アリストテレスとプラトンの存在概念を対比させながら、その二つの起源的な根源的存在を解き明かさねばならないというののがハイデガーの主張だと理解。プラトン・アリストテレス解釈のまとめとしては以下の引用か。
    P124:古代・中世・近代にわたる伝統的存在論のうわべの多様性が解体され、そこにはプラトン/アリストテレスのもので形成された<存在>概念がさまざまに歪曲されながらも一貫して受け継がれていること、そしてそれが<存在=現前性=被制作性>という存在概念であることがみごとに明らかにされる。

    前期の<存在了解>から後期の<存在の生起>への「思索の転回」。「存在」というものが現存在(人間)が主体か、自然が主体かの重心の変化かなと理解。
    P143:この転回を、<現存在が存在を規定する>と考える立場から<存在が現存在を規定する>と考える立場への転回ということができるのかもしれない。

    ハイデガーによるプラトンの存在論への評価。繰り返しになるが、これ以降本書内でアリストテレスと対比されている。
    P164-165:つまり、存在を自然として捉える立場と、存在をイデアとして捉える立場は、<存在する>ということを<発言し現れ出る>ことと見る点では違いはないのだが、ただその視線を向ける先が違うのである。前者はあくまで現れ出て存続しつつあるその動きに目を向けるのに対し、後者はすでに現れ出たものが外からをそれを注視する働きに対しおのれを提示するその姿だけに目を向け、これを超自然的存在に高めてしまう。こうして、後者の視線のもとでは、。その目撃される存在の外観によって示されるその「何であるか」、つまり<本質存在>が表立ってきて、それに対して、それから取り残されたものとして<事実存在>が区別される。

    プラトン/アリストテレスの存在観の対比を端的に述べている個所。ここから始原の単純な存在=自然としての存在が押しやられ、忘却されてしまう「故郷喪失」という時代が今なのだとうまとめかな。
    P173:つまり<被制作性>と同義である。ただ、その際プラトンは、その作品がいかなる<外観>を提示し、<それが何であるか>にもっぱら目をとめ、つまりはその制作を導いてきた<イデア>の現前性に優越的な存在を認めたのに対し、アリストテレスは、あくまで個物が作品として眼前に現れ出ているその現前性、<それがある>としての現前性、<現実態>としての現前性を第一義的なものと見るのである。

    後の章で技術・芸術論に踏み込んでいるが、ここはより詳細な説明を求むかな。著者本人も概略だけを説明するに留めるてきなことで、簡便なものにまとめているので。

  • だいぶ近くなった。でもまだ遠い。まだ遠いよハイデガー。

  • 2025年153冊目の読了。この本を読むのは、人生で3回目。
    240頁の新書で、難解かつきわめて幅広い分野に考察が及ぶハイデガーの思想を、知る限り、一番分かりやすく整理している。

    読み物としても、「存在と時間」の解読を中心とする、ハイデガーの思想のみならず、ハイデガー本人の生活史、ナチスへの加担の理由の考察なども述べられ、読み物としても非常に面白い。

    アリストテレスやニーチェの思想との関係についても、深い考察、整理がなされている。

    これを読んで、改めて「存在と時間」に再挑戦したい。

  • ↓僕なりの理解

    現存在は、現存在自身をも含む存在を存在者たらしめ、世界を構築する意識的な現場である。存在は無意識で知覚され、存在者は意識で認識される。この存在了解=存在投企は、自然現象的に起こる出来事であり、現存在はあくまでその座として出来事を眺める。その意味で、存在は現存在に先立つ。
    ソクラテス以降の哲学は、存在を本質存在(-である)と事実存在(-がある)に分節し、ニーチェは存在を力への意志と永劫回帰で捉え直し、哲学は極地に至る。個体は、この混沌と秩序を志向する力としての二つの存在が拮抗し、その結果として表現される存在者である、ということだろう。しかし存在は、本来分節していない自然(ピユシス)なものであり、哲学の外部にある。名詞的な現前として分節する(非本来的時間性)のではなく、動詞的な瞬間として捉える(本来的時間性)ことでしか、形而上学を乗り越え実存を捉えることはできない。言葉は無意識(存在)の表出のひとつだが、あくまで意識的なものである。形而上学、つまり存在忘却、故郷喪失の時代にいる我々にできることは、思索や詩や芸術を通して、失われた存在を追想しつつ待つことである。
    作品を端緒として、クローズアップされ分節され再構成された存在者を見ることで、その背景にあるコミュニズム的世界が開かれ、現れ出る。この世界を含んだ存在者をソクラテス以前のギリシア人は自然(ピユシス)と呼んだ。ある作品=被制作物=存在者(神殿)を通じて、それまで混沌であったところに世界の明るみ=ピユシス(太陽、潮騒、生物たち)が開かれる。その現成と同時に、暗みにある故郷とも呼ぶべき基底としての大地が初めて姿を現す。ここで、世界と大地は闘争の関係にある。つまり、大地=混沌と闘争しながら存在者が存在者として立ち現れ、それらの相互作用から世界が開かれるという無意識の過程こそが真理の実現態であり、芸術作品は、形而上学の外部にある、この自然(ピユシス)な存在と無意識の深みにある感性との交響を、増幅し具象化して追想させる存在論的機能をもつ。

  • 読んでいてここまで面白い哲学の本はなかなか無い。論旨が非常に明瞭である。小説のように読むのが止められなかった。そういった意味で非常におすすめできるが、ではこれを全くの初学者が読むべきかというと、かなり微妙だと思う。「ハイデガーといえば『存在と時間』なのだから、『存在と時間』を読む前に何か読んでおこう」という用途にはまるで向いていない。というのも、著者の関心は『存在と時間』の未完問題(公刊されたのは上巻のみであり、下巻が出されなかったこと)に集中しているからだ。本書の中心課題は『ハイデガーが「下巻」で展開しようとしていた企てまでもふくめて考えてみる』ということになっている。したがって、実際に手に取ることができる『存在と時間』の既刊部分に関する解説はかなりそっけない。そのような本なので、まず既刊の『存在と時間』そのものについての理解を提供する他の解説書なりを読んでから、本書を読むのが良いと思う。
    ハイデガーが問題としたことはただ一つ、『存在』である。そもそも『存在』などを問題とするのは、ハイデガーが『<存在者が存在する>という驚異』と表現した事態にある程度の感受性を有する者だけだろう。著者は同じ感受性を、ウィトゲンシュタインの『何かが存在するという驚き』という表現や、プラトンやアリストテレスの著作に登場する『驚き』に見いだしている。本書によるとハイデガーは、プラトン・アリストテレス~現代に至るまで支配的であり続けた『存在』概念を『現前性』=『被制作性』であると理解し、それ以前の古代ギリシアの『思索』に、全く異なる『存在』概念である『生成』を見いだした。さらに著者は、ハイデガーは『一種の文化革命の理念』を抱いていたと推測する。著者によると、それは人間を『本来性』に立ちかえらせ、『生成』という『存在』概念を構成し、『もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権すること』で、『ゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそう』というものである。しかし私が疑問なのは、仮に『生成』という『存在』概念が復権していたとして、ヨーロッパ文明は本当に革命されたのかということである。著者は『生成』という『存在』概念について、『古代日本人の自然観にも、万物を<葦牙の萌え騰るがごとく成る>と見る見方』という類似した見方があったことを挙げ、『日本人にはそれほど分かりにくいものではない』と指摘する。つまり、現代日本の文明が、ヨーロッパ文明と様々な点で異なりながらも、やはり資本主義に取り込まれていることを考えると、たとえナチスがハイデガーの主導する方向に向かっていたとしても、やはり彼の思うようにはならなかったように思う。著者が指摘するように『理念の領域と現実政治の領域はまったく異なる』のだから。これも著者が指摘することだが『あの当時、世界的な自由主義経済の皺寄せを全面的に受けていた資本主義後発国にとって、ファシズムかボルシェヴィズムか、この二つの選択肢しかないように思われた』ということも、ハイデガーが文明のオルタナティブを求めた強い理由の一つだと思われる。
    なお、若きハイデガーを知るレーヴィットによる次の証言は非常に印象的である。私としては、そのような人間が根源的な思考を求めることは十分に理解できるように思う。
    『ハイデガーは「目立って背が低く」、真黒な髪と黒ずんだ顔色、暗い表情をした「黒っぽい男」だったらしい。真正面から相手の眼を見つめることができず、いつも伏し眼がちで、ときどき一瞬間眼をあげてまわりの様子を確かめる。大体が打ちとけない不確かな表情をしているが、それは彼が他人に心を開いて率直につきあうことができなかったからだろうと、レーヴィットは推測している。もっとも、そうした自分自身が欲した孤立に苦しんで、他人とのつきあいの範囲を広げようと時たまやってはみるが、またすぐに自分のうちに逃げこみ閉じこもってしまう、というふうだったらしい。ハイデガーにとって対人関係での自然な感情の動きは「用心深く狡猾な不信感」だったのであろうし、この不信感が既成の伝統へのあれほどにも厳しい批判を可能にしたのだろう、とレーヴィットは観察している。』

  • 避けては通れないのはわかっているが、ハイデガーの哲学を理解するにあたってどうしてもナチスの一件が絡んできてしまうのがどうにも。

  • ハイデガーの「存在」の解明に焦点を当てた解説書。存在とは何かと聞かれたときに「存在とは~である」と答えるのは、「である」という言葉を使用しているという点で自己撞着に陥っているという難しさがある。ハイデガーの唯一の著作に当たる「存在と時間」にもある通り、ハイデガーはそれを時間に求めた。ハイデガーは存在は現存在と呼ばれる、過去と未来の概念を持つ者によって了解されることで生じると考察する。これはハイデガー以前の、「存在は制作されることにより生じる」という視点を解体することで生じる。ハイデガー以前の哲学の考え方では、神の存在を仮定しないと人間の存在を規定できないという欠点があるが、ハイデガーのそれはその部分を克服している。
    全体的な感想としては、幅広い哲学的教養がないと全体の理解は難しいと感じた。浅学故、中後半の、各哲学者をどのようにハイデガーがとらえたかを記載した部分は正直理解ができなかった。

  • 解説のおかげで少しわかったような気になれる
    考え方おいておいてハイデガーの性格嫌い

  • 著者は、ハイデガー、フッサール、メルロ・ポンティの研究で知られる。新書といえどもなかなかの読み応え。講演録まで射程に含め、ハイデガーの思想を、「存在と時間」を中心に詳説。
    生起・生成された自然との一体が身に染みている日本人的自然観?からは、なかなか腹おちが難しい世界もあるが、デカルトもカントもアリストテレス以降の存在論の系譜に位置づけられる、とする本著の提示は、ヨーロッパ近代哲学の理解に役立つ。

  • ハイデガーの存在論や哲学観の全体像がよくわかる。カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの関係性や影響も時系列ごとに綺麗に整理されていて読みやすい。

  • 技術論については、紙幅の制約と、著者の理解不足により、ここでは取り上げることができなかった、とある。残念。

  • 最近、木田元の哲学書をいくつか漁り読みしたので、木田元のハイデガーへの思い入れと「存在と時間」の解釈について大分わかってきたので、それを補強するための適書。形而上学を否定するハイデガーの企てには恐れ入るが、そもそも形而上学ってリアルな人生において何の意味があるかが分かっていない自分には理解できない。まあヨーロッパに生まれ育たないと理解できないようなので、日本人である私にはわからなくて当然なのでしょう。哲学は所詮は、時代・場所・文化に深く根ざしているものなのだから。

  • 「はじめての新書」フェアで気になった本

  • ハイデガーの言う「存在」とは何か。本書はそれを丁寧に説き明かしてくれる。その説明の中で「世界内存在」という概念についてわかりやすい解説が行われている。これらを杖にもう少しハイデガーの思想について勉強していこうと思う。

  • わかりやすくまとめられていた記憶がある。

  • 存在、という驚異。
    これは人間に固有のものである。

    特定の環境に依存せず、複数の環境をメタ的な視点で再構築する能力、そしてそれは存在ということなる。

    そしてその存在というものは、自らの意思ではなく、超越した力により存在する。
    「神秘的なのは、世界がいかに存在するかではなく、世界が存在するということである」と述べたのは、ウィトゲンシュタインであり、ライプニッツの「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのか」という問い。

  • 大船図書館で読む。この図書館は狭いですね。非常に読みやすい本です。この人が、売れっ子である理由がわかります。図書館ではなく、購入してじっくり読む必要がある。

  • 存在論とは哲学そのものであり、それを考え続けることが哲学だが、例えば本書後半にあるように芸術にその試行を転用してみたりするとまた面白さと深みが倍増する。
    ゴッホの絵画や神殿建築に寄せられたことばのきらめきは感動的である。
    ラディカルに問い続けること。光は闇を背景としてしか存在しない。

  • ウィトゲンシュタイン「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである」『論理哲学論考』p78

    【3つの命題】p82
    ①現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある(エス・ギブト)
    ②存在は了解のうちにある(エス・ギブト)
    ③現存在が存在するかぎりでのみ、存在は<ある>(エス・ギブト)

    <世界開材性>とか<世界内存在>というのは、人間がそうした<世界>という構造を構成し、それに適応しながら生きる生き方、存在の仕方を指すと考えてよい。このような高次の機能によって、現存在が現に与えられている環境から身を引き離すその事態を、ハイデガーは<超越>と呼んでいる。現存在は、<生物学的環境>から<世界>へと超越するのである。p86

    ハイデガー「あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、存在の声によって呼びかけられ、<存在者が存在する>という驚異のなかの驚異を経験する」p89

    <存在=現前性=被制作性>というアリストテレス以来の伝統的存在概念は、ハイデガーの考えでは、非本来的な時間性を場としておこなわれる存在了解に由来する。p139

    ハイデガー「ピュシスとはギリシア人にとって存在者そのものと存在者の全体を名指す最初の本質的な名称である。ギリシア人にとって存在者とは、おのずから無為にして萌えあがり現れきたり、そしておのれへと還帰し消え去ってゆくものであり、萌えあがり現れてきたっておのれへと還帰してゆきながら場を占めているものなのである」『ニーチェ』p156

    ハイデガー「<力への意志>という名称は、存在者がその<本質><仕組み>から見て何であるかを告げており、<等しきものの永劫回帰>という名称は、そうした本質をもつ存在者が全体としていかにあらねばならないかを告げているのである」p182

    【存在が言葉になる】
    すべてに先立ってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へにのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。思索する者たちと詩作する者たちは、この宿りの番人である。彼らがおこなう見張りとは、彼らが語ることによって存在の明るみを言葉にもたらし言葉のうちに保存するというふうにして、その明るみを仕上げることにほかならない。『<ヒューマニズム>についての書簡』p201

  • 一通り読んだけれど、理解しきれなかった。別の色んなものに触れてから、数年後にもう一度読み直したい。

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著者プロフィール

(きだ・げん)
1928~2014。山形生まれ。東北大学文学部哲学科卒業。哲学専攻。中央大学名誉教授。

「1996年 『否定弁証法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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