ハイデガーの思想 (岩波新書 新赤版 268)

著者 :
  • 岩波書店
3.43
  • (14)
  • (37)
  • (81)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 622
感想 : 42
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004302681

作品紹介・あらすじ

主著『存在と時間』の精緻な解読を通じて、ハイデガーの存在論や哲学史観の全貌を描く。と同時にその作業を通じて、なぜナチスに加担したのか、その理由をさぐり、思想の核心に迫る。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ハイデガー関連の書籍初挑戦。にしては、木田元著作のものを選ぶのは無謀だったかな、と読み終えた後の理解度を鑑みて少し後悔している自分がいる。

    そうはいっても、諸学者向けの網羅的な作品としてではなく、ハイデガーの「存在の思索」に思い切って焦点を絞った作品として自分の心づもりを変換すれば大変興味深い読書体験ということができる。本書の内容を要約するには力及ばず、なので付箋をした過去の自分を信じ引用箇所にコメントするに届め、個人的なおさらいとさせていただこう。

    <存在了解>という用語の説明。<存在企投>という用語に言い換えているが、観念的な話でどうもふわふわとして腑に落ちない難解さがあるな。
    P83:<存在企投>とは、現存在がいわば<存在>
    という視点を投射し、そこに身を置くことだと考えればよい。つまり、<存在>とは現存在によって投射され設定される一つの視点のようなものであり、現存在がみずから設定したその視点に身を置くとき、その視界に現れてくるすべてのものが<存在者>として見えてくる、ということである。

    ハイデガー流の「現象学」の定義。私はもちろん、現象学に対しても学びが足りないので、へーそうゆうものかという程度の感想で不甲斐ない。
    P99:<存在>というものがけっして存在者に属する何かではなく、人間において正起するある働きだということを原理的に解き明かし、その働きを体系的に解明することが現象学の使命だと言っているのである。

    アリストテレスとプラトンの存在概念を対比させながら、その二つの起源的な根源的存在を解き明かさねばならないというののがハイデガーの主張だと理解。プラトン・アリストテレス解釈のまとめとしては以下の引用か。
    P124:古代・中世・近代にわたる伝統的存在論のうわべの多様性が解体され、そこにはプラトン/アリストテレスのもので形成された<存在>概念がさまざまに歪曲されながらも一貫して受け継がれていること、そしてそれが<存在=現前性=被制作性>という存在概念であることがみごとに明らかにされる。

    前期の<存在了解>から後期の<存在の生起>への「思索の転回」。「存在」というものが現存在(人間)が主体か、自然が主体かの重心の変化かなと理解。
    P143:この転回を、<現存在が存在を規定する>と考える立場から<存在が現存在を規定する>と考える立場への転回ということができるのかもしれない。

    ハイデガーによるプラトンの存在論への評価。繰り返しになるが、これ以降本書内でアリストテレスと対比されている。
    P164-165:つまり、存在を自然として捉える立場と、存在をイデアとして捉える立場は、<存在する>ということを<発言し現れ出る>ことと見る点では違いはないのだが、ただその視線を向ける先が違うのである。前者はあくまで現れ出て存続しつつあるその動きに目を向けるのに対し、後者はすでに現れ出たものが外からをそれを注視する働きに対しおのれを提示するその姿だけに目を向け、これを超自然的存在に高めてしまう。こうして、後者の視線のもとでは、。その目撃される存在の外観によって示されるその「何であるか」、つまり<本質存在>が表立ってきて、それに対して、それから取り残されたものとして<事実存在>が区別される。

    プラトン/アリストテレスの存在観の対比を端的に述べている個所。ここから始原の単純な存在=自然としての存在が押しやられ、忘却されてしまう「故郷喪失」という時代が今なのだとうまとめかな。
    P173:つまり<被制作性>と同義である。ただ、その際プラトンは、その作品がいかなる<外観>を提示し、<それが何であるか>にもっぱら目をとめ、つまりはその制作を導いてきた<イデア>の現前性に優越的な存在を認めたのに対し、アリストテレスは、あくまで個物が作品として眼前に現れ出ているその現前性、<それがある>としての現前性、<現実態>としての現前性を第一義的なものと見るのである。

    後の章で技術・芸術論に踏み込んでいるが、ここはより詳細な説明を求むかな。著者本人も概略だけを説明するに留めるてきなことで、簡便なものにまとめているので。

  • だいぶ近くなった。でもまだ遠い。まだ遠いよハイデガー。

  • 解説のおかげで少しわかったような気になれる
    考え方おいておいてハイデガーの性格嫌い

  • 著者は、ハイデガー、フッサール、メルロ・ポンティの研究で知られる。新書といえどもなかなかの読み応え。講演録まで射程に含め、ハイデガーの思想を、「存在と時間」を中心に詳説。
    生起・生成された自然との一体が身に染みている日本人的自然観?からは、なかなか腹おちが難しい世界もあるが、デカルトもカントもアリストテレス以降の存在論の系譜に位置づけられる、とする本著の提示は、ヨーロッパ近代哲学の理解に役立つ。

  • ハイデガーの存在論や哲学観の全体像がよくわかる。カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの関係性や影響も時系列ごとに綺麗に整理されていて読みやすい。

  • 技術論については、紙幅の制約と、著者の理解不足により、ここでは取り上げることができなかった、とある。残念。

  • 最近、木田元の哲学書をいくつか漁り読みしたので、木田元のハイデガーへの思い入れと「存在と時間」の解釈について大分わかってきたので、それを補強するための適書。形而上学を否定するハイデガーの企てには恐れ入るが、そもそも形而上学ってリアルな人生において何の意味があるかが分かっていない自分には理解できない。まあヨーロッパに生まれ育たないと理解できないようなので、日本人である私にはわからなくて当然なのでしょう。哲学は所詮は、時代・場所・文化に深く根ざしているものなのだから。

  • 「はじめての新書」フェアで気になった本

  • ハイデガーの言う「存在」とは何か。本書はそれを丁寧に説き明かしてくれる。その説明の中で「世界内存在」という概念についてわかりやすい解説が行われている。これらを杖にもう少しハイデガーの思想について勉強していこうと思う。

全42件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

中央大学文学部教授

「1993年 『哲学の探求』 で使われていた紹介文から引用しています。」

木田元の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
フランツ・カフカ
ドストエフスキー
ドストエフスキー
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×