中世倭人伝 (岩波新書 274)

  • 岩波書店 (1993年3月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (230ページ) / ISBN・EAN: 9784004302742

感想・レビュー・書評

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  • 商売、この行為が行われる時、人間はあらゆる障害を乗り越える。例えそれが如何に困難な問題であろうとも、いとも容易く解決してしまうのだ。生活の糧、そう、最初は生き残るために皆必死になる。しかし、その決死の覚悟で臨んだ商いの売上が上々、生き残るために必要な物資を得たとしても、活動は止むことはない。生存へ向けて活動するためのエネルギーである「飢え」を消費しきった人々の心の中に、「強欲」の種は芽吹きはじめるのである。

    本書に記されている倭人と朝鮮王朝との関係は、まさに上述したような商売人の心理を如実に表している。始まりは倭寇だ。山陰の日本海側や日韓の島嶼部を根城とした国籍不明の盗賊集団「倭寇」は中国沿岸部から朝鮮半島、西日本と東シナ海から日本海沿岸のありとあらゆる地域を荒らしまわり、各国の王朝に大打撃を与えた。その影響もあってか、倭寇の拠点として有名であった対馬から交易を懇願された際、朝鮮側は強気な態度を取ることができなかった。双方の取り決めでは純粋な公貿易の中継地点として三浦と呼ばれる3港のみを開き、居住の許可は与えないことになっていたが、倭人(対馬)の商人は船が故障した、商売がうまくいかなかったなど様々な理由をつけてこの地に住み着いた。一人許してしまえばあとは雪だるま式で、耕地の少ない対馬で困窮した人々が雪崩れ込み、次いで個人の商人や遊女なども加わり三浦は日本人植民地の様相を呈すこととなる。
    住民増加に危機感を抱いた朝鮮は対馬島主に対して居留民の戸数に制限をかけること、あぶれた人々を引き取ることを要請するが、なぜか人口は増えていくばかりで、その人口規模は港近隣の町をはるかに凌駕するまでとなる。

    朝鮮側は流石にたまりかねて商人から営業税を、開拓民から土地の税を徴収しようとするが、「どういうわけか」対馬島主がこれらの税金を勝手に徴収していることが判明する。
    倭人達は相手国の財政などお構いなしで金や銅、香木や香辛料を持ち込み、朝鮮側からは綿布のみを輸入し続ける。あげく王朝の綿布が枯渇する事態を招くが、倭人は強欲に綿布を要求し続けた。

    このような展開が続いた後、あるきっかけから倭人は対馬島主からの援軍を受けて反乱を起こし鎮圧され、港湾数の削減、入港できる船の制限、居留の不可といった多くの規制を受けるが、賄賂を含むありとあらゆる手を使って使者を送り込み、密貿易を行って制限前を大きく上回る利益をあげたのである。

    著者は対馬と倭人を交互に記述し時にその垣根を無くしている。この記述によって対馬と倭寇が限りなく近しい存在であることをにおわせているが、おそらくそれは真実なのであろう。李成桂は倭寇鎮静化に向けて盗賊達に官職を与えたり、土地や給与を与えて懐柔していった。朝鮮王朝の対馬に対する行動はその延長線上にあるのではないか。

    さて倭寇とはどんな人種から成り立っているのだろうか。著者の結論から言うと「わからない」のである。交易に携わる者は皆朝鮮語に堪能であったし、半島や大陸からあぶれた人々も参加していた。日本人は言わずもがなだが、島嶼部の農民ですら生活苦から倭寇に協力していたという。国籍不明の自由人たちによる、国を股にかけた組織犯罪、不謹慎ながらも心惹かれるものがある。

    さて、中世における対馬と朝鮮の関係、何か思い当たることはないだろうか。そう、移民問題である。様々なリスクを考慮して対策を講じなかった結果、その国はどうなっていくのかの見本のような対馬と朝鮮の関係は興味深い。私は政治家でもなんでもないし、専門家でもないのでこれ以上の発言は控えておこうと思う。

    『朝鮮王朝実録』を紹介するために本書を執筆したという著者だが、これほどまでに興味深い資料を世に広く公開してくれたことに感謝の意を示したい。平凡社『日本残酷物語』における対馬の実像の裏も取れたので満足である。中世の日中韓の交流について知るのに最適な一冊。

  • 朝鮮通信使を読んだのでもう一個似たようなものをと思いこちらを借りてきました。

    14世紀終わりから秀吉の朝鮮出兵までの「倭人」について朝鮮側記録に基づいて辿る本。

    なんですけども。

    冒頭に「倭人=日本人」じゃないよ、中国から見た東の蛮族(形質、風俗、言語などの共通点でひとまとめにしたもの)だよ、倭人は主に九州たけど倭とか倭種は日本だけじゃなく朝鮮南部、山東省、江南地域にひろがるよ、と教えてくれるんですが私にはこれがどうしてもこの境界線の感覚が掴めないので、読んでても本文が意味するより狭義だったり広義だったりする集団をイメージしているからかなんかフィット感がない。

    ただ倭人の境界線把握を後回しにしても、当時の倭人(だったり対馬だったり日本だったり)のヤクザぶりと朝鮮政府の狼狽える様子が伝わるものでした。

    ちょっと謎のままのところ

    その1
    日本の輸出は銀、朝鮮から欲しいのは綿反。
    朝鮮の綿欲しさに大量の銀を強制的に買わせた様子が書いてある。「銀は宝とはいえ衣食に使えない。このままでは綿が底をつき民が困る」と迷惑顔の朝鮮側。そこから時代が少しくだれば中国での旺盛な銀需要が出てきて、朝鮮に売った銀を買い戻す動きまであったらしいが、日本も朝鮮も本当に銀の価値を分かってなかったのかな。(中国はちゃんと分かってたみたいだから世界で2カ国だけパーだったってこと?そのパー同士で交易やってたの?)というよりも綿の価値がすこぶる高かったってことかしら
    ただ
    ここに引用されてるものが国の公式記録であることから「銀なんて日常生活に使えないし」「国の使節として来たからには交易を無碍には出来ないし(我々は先例や儀礼を重んじる文化的国家だから)」「あいつらはルールも守らずどんどん侵食してくるし国民も密貿易したり勝手に結婚したり金借りたり迷惑な存在」としているということは、自国に金銀の地下資源がないこと、交易物として指定される綿くらいしかめぼしいものがないこと、その綿も生産上限があり豊かとは言えないこと、交易を断ったら日本に何されるか分かったもんじゃないから従わざるを得ないこと、洗礼や儀礼に縛られた柔軟性のない社会であること、日本から来た海賊だか難民だか分からないような未開人のくせに、おそらく、衛生面でも文化面でも商売の才能でも識字率(外国語の習得)でもレベルの差を感じざるを得ず、それらの差が自国民の借金や隷属としてはっきりと現れていることは分かってたでしょうね。なんせ賢いから。中国や朝鮮の役人は。
    それだけに余計腹立たしいかなぁ。
    白人が「あいつら色付きじゃん」とか言って心の底から馬鹿にしてるのに走っても飛んでも投げても計算しても何しても「色付き」に勝てないように。

    その2
    「日本との交易は利益目的ではなく夷狄を手なづけるためのものであった。」「対馬は山ばっかりで田畑がない。島民は飢餓状態。だからうちに来る。」
    まぁ分かるんです。
    ただ朝鮮側に亡命のようにたどり着いた倭人(日本人)、その後米を備蓄して朝鮮農民に貸付たりして現地朝鮮人を従えた土地持ちになってるという。
    なんでこんなことが出来るの?わらしべ長者すぎるでしょ。
    中国は勿論、朝鮮も倭人(日本人)のことを蛮族として下に見てたわけですよね。貧しい地域から我々の豊かな国に来たと。にもかかわらず「米を蓄えて金持ちに」ってどうやってなるわけ?
    手ぶらで来た倭人がどうやって異国の地で金を稼いで貯めたのか、そのプロセスが想像出来ない。
    財産もなく手に職もなかったのならば、ただ商売上手だったってこと?

    朝鮮からすれば
    「倭人を我が国(朝鮮)に置いておくのは腹にがん細胞を置いてるのと同じ」
    「対馬は我々に冊封してる」

    対馬からすれば
    「朝鮮は大事な飯のタネ」

    日本政府からすれば
    「朝鮮南部は日本みたいなもの」

    まぁ人間だからデタラメなのは仕方ないか。
    仲悪いっていうか問題起きるのは隣近所の宿命だし。(仲良く出来るのは遠い国だけ)

    もっかい読めばもうちょっと分かるかな。
    1ページごとのイベント(各論)は理解出来るんだけど一冊通してのニュアンスというか流れというか、感覚が掴めない。

  • MS5a

  • 古本で購入。

    朝鮮王朝(いわゆる李氏朝鮮)の公式記録『朝鮮王朝実録』を根本史料に、15~16世紀の日朝間あるいは環シナ海世界を股にかけた「倭人」たちの姿を描き出し、線から面へと移行していく日朝交流を見ていこうという本。
    特に朝鮮半島東南部沿岸に成立した3つの倭人居留地・港町を総称した「三浦」をクローズアップして、朝鮮社会に異分子として入り込んだ、中世日本の本質をそこに探ろうとする。

    華夷思想とそこから来る小中華主義によってガチガチになった朝鮮政府と、わずかな隙に食い込んで利益を得ようとする倭人との応酬が印象的だ。
    地図上で見れば点にすぎない三浦が朝鮮社会に与えた経済的影響の大きさ、失敗に終わったとはいえ対倭人強硬策への反発としての武装蜂起など、『実録』に描かれた倭人の放つエネルギーがすさまじい。

    対馬の宗氏の動きがおもしろい。
    室町幕府の守護という立場に立脚しながら、交易を主な生業とする対馬人として、日朝双方を向いた両面外交を繰り広げている。倭人は日朝の境界地域に「マージナル・マン」として生まれたが、対馬は一国の単位でマージナルな存在だった。
    朝鮮国内のみならず、日本国内(西国大名)にも「対馬はもと朝鮮の地なり」という認識があったという点、対馬の特異さを表している。そのあたりが、現在の朝鮮人による対馬への入り込みを招いているかもしれない。

    海から見た中世日本の側面がわかる良書。

  •  「倭人」という呼称がどこで出てくるかというと、かの有名な邪馬台国の史料として知られる「魏志倭人伝」である。「倭人」は日本人の母体となった種族であるが、「倭人」という呼び名自体はあくまで中国の人が形質・風俗・習俗・言語等の共通性に注目してくくったものに過ぎない。「倭人」の分布の中心は九州にあったらしいが、それと類縁関係にある「倭」、「倭種」は、日本列島を超えて、朝鮮半島南部、山東半島、江南地方を含むシナ海域にまでひろがっていたという。だから「倭寇」「倭人」「倭語」「倭服」などという場合の「倭」は決して「日本」と等置できる語ではないそうだ。この地域に居住する人たちは、なかば日本、半ば朝鮮、なかば中国といったあいまいな人間類型を「マージナル・マン」と呼ぶ。

     本書はいわゆる「倭寇」が東アジア(朝鮮・中国)にもたらした功罪について論じられている。なかでも「朝鮮王朝実録」に登場する「倭人」について述べている。特に「倭寇」といわれる主に「倭人」のしわざと考えられた海賊行為の記述の中に、当時朝鮮が「倭人」をどうとらえていたか見出している。

     倭寇といえば昔日本の海賊が明や朝鮮の沿岸地帯を荒らしまわったぐらいの認識しかなかったが、実際にはその海賊の中には明人や朝鮮人も交じっていたり、また主導していた人物もいた。しかも一方的に倭寇が荒らしたわけではなく、明や朝鮮の商人が介在し、密貿易に加担している者も少なからずいたということだ。だから明朝も朝鮮王朝もなかなか倭寇をうまく取り締まることができなかったのだろう。

     本書は「実録」の引用が極めて多数出てきて、読み下し文であるものの、大変読みづらかった。ただ現在の地図のほかに当時の絵図面を用いての説明は、昔の様子を彷彿とさせ引き込まれるようだった。

  • 本書で、オホーツク文化と、環シナ海文化の違いを見つけようとしました。

    2つの文化は、日本が面している2つの文化のはずなのですが、あまりにも違うような気がします。

    中世の倭人に関する記述から、環シナ海文化を捉えるときに、日本側からの視点をまず確立したい。
    次に、朝鮮半島の文化における位置付け。
    さらに、台湾、沖縄における位置付け。
    最後に、中国における位置付けを捕らえられればと思います。

    本文から、すべてはわからなかったが、勉強を始めるきっかけになりました。

  • 日本の中世がいかにめちゃめちゃだったかわかりスガスガしい。

    居留地倭館でどんなだったかも想像するに余りある。

    韓国人はこのころから理詰めで日本人を説得しようとしてるけど
    ムリムリ!
    日本人相手には道理・正義うんぬんより、一発のゲンコツだってのが。わからないかな~

  • 《出版元内容説明》
    日本、朝鮮、中国に囲まれた環シナ海域―。そこは人と物の交流が活発に行なわれ、
    文明伝播の場として歴史の重要な舞台であった。中世には倭寇が跳梁し朝鮮や明との
    緊張が高まる一方で、倭人たちによる密貿易も拡大してゆく。国境を縦横に越え、境
    界の地に跋扈する彼らの活動を、新たに朝鮮の史料を駆使して描き、雄大な中世像を
    提示する。
    《目次》
    「魏志倭人伝」によるプロローグ/1:国境をまたぐ地域(倭寇と朝鮮;地域をつく
    るもの;境界と国家)/2:「三浦」―異国のなかの中世(都市「三浦」の形成;周
    辺地域への影響;三浦の乱)/3:密貿易の構造(三浦の乱後の「日本国使臣」;倭
    物にむらがる人々;〈環シナ海地域〉の成熟);中華の崩壊によるエピローグ

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著者プロフィール

1949年、大阪市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。博士(文学)。
同大学史料編纂所、同文学部・人文社会系研究科、立正大学文学部を経て、現在東京大学名誉教授、公益財団法人東洋文庫研究員。
専門は日本の対外関係史。国家の枠組みを超えて人々が活動し、「地域」を形成していく動きに関心をもち、あわせてかれらの行動を理解するのに不可欠な船、航路、港町などを研究している。
おもな著書に、『中世倭人伝』(岩波新書、1993年)、『東アジア往還─漢詩と外交─』(朝日新聞社、1995年)、『世界史のなかの戦国日本』(ちくま学芸文庫、2012年)、『日本中世境界史論』(岩波書店、2013年)、『日本中世の異文化接触』(東京大学出版会、2013年)、『古琉球─海洋アジアの輝ける王国─』(角川選書、2019年)ほかがある。

「2021年 『東アジアのなかの日本文化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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