大往生 (岩波新書 新赤版329 新赤版 329)

  • 岩波書店 (1994年3月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004303299

みんなの感想まとめ

老い、病、そして死をテーマにした本書は、人生の知恵をユーモアを交えて語りかけます。著者は、全国各地で集めた庶民の声を通じて、死を恐れずに受け入れることの大切さを伝えています。読者は、明るい視点から死を...

感想・レビュー・書評

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  • 永六輔さん(1933~2016)の著書、ブクログ登録は2冊目。

    「BOOK」データベースによると、本書の内容は、

    ---引用開始

    人はみな必ず死ぬ。死なないわけにはいかない。それなら、人間らしい死を迎えるために、深刻ぶらずに、もっと気楽に「老い」「病い」、そして「死」を語りあおう。本書は、全国津々浦々を旅するなかで聞いた、心にしみる庶民のホンネや寸言をちりばめつつ、自在に書き綴られた人生の知恵。死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す。

    ---引用終了


    本書とは直接関係ないのですが、本書の最後に、「岩波新書創刊五十年、新版に際して」(1988年1月)と題した一文が載せてありますので、味読してみました。

    以下は、その書き出し部分です。

    ---引用開始

    岩波書店は、1938年11月に創刊された。その前年、日本軍部は日中戦争の全面化を強行し、国際社会の指弾を招いた。しかし、アジアに覇を求めた日本は、言論思想の統制をきびしくし、世界大戦への道を歩み始めていた。出版を通して学術と社会に貢献・尽力することを終始希いつづけた岩波書店創業者は、この時流に抗して、岩波新書を創刊した。

    ---引用終了

  • 死に直面しながら 庶民は 明るい。
    その明るさが 楽しい。

    老い。病い。死。仲間。父。

    テーマが いいねぇ。
    こうやって、読んでいると
    年をとり 病気になり 死ぬのは 当たり前なんですね。

    長生きするのが あたりまえ。
    そんな時に 長寿 とつけるのもおかしいと言う。
    長命で いいじゃないかと。 ガッテン!

    ニンゲン 今がイチバン若いんだよ。ガッテン!

    今はただ小便だけの道具かな 圓正師匠。

    おじいちゃんは 仏様になる。
    客様は 神様ですが、死んだら仏様になる。
    中国では お客様は、帝王なので、死んだら 何になるのかな。

    ストレスはスパイスみたいなもんで、ストレスがまったくない人は、
    ニンゲンとしてもお粗末です。

    痔とか、腰痛と言うのは、ニンゲンが立って歩くようになってからです。
    動物には、痔も腰痛もありません。

    死にたいように死なせてあげたい。
    こういう死に方をしたいというイメージのない人ばかりなんです。

    ペットは死んでも、気が楽なのは 遺産がないことである。
    ふーむ。

    死んだら 天国ではなく 極楽に行きたい。

    死んだ当人が 死んだとわからなければ、それは 大往生なんですね。

    昔はね。ぼけるほど長生きしなかった。ガッテン!

    それは、ガンではなく ガンモドキだ。

    ふーむ。
    明るく死にたいね。

  • 死について考えさせられる新書だった

    「「天涯孤独っていう人がいるじゃない、あァいう人がうらやましいわ。  呆けた両親を見ていると、老人とかかわらないで一生が終われるなんて最高よ!」」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「☆二十歳の頃から、自分が三十歳になったら、四十歳になったら、六十歳になったら、八十歳になったら、ということを考えている人は上手に歳がとれるという。若者から、「歳をとったら、あァいう老人になりたい」と憧れられてこそ、本当の老人である。くれぐれも「あァいう老人になりたくない」と言われないように。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「「私の障害は一級一種です。  障害者の中ではエライんです」 ☆盲人で車椅子の方が、そう名乗ったとき、僕は「エライ」という発想が面白くて笑ったが、これがテレビだったために問題になった。障害に「エライ」という区別はないというのである。福祉の世界では洒落や冗談が通じないことが多くて残念だ。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「「死ぬということは、  宇宙とひとつになるということ」」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「「病院で死ぬか、在宅で死ぬかじゃありません、誰に看取られて死ぬかなんです」 ☆病院の集中治療室で、医療器具と技術者に囲まれて死にたくない。家族や仲間に囲まれていたい。遺族になる家族が納得のゆく臨終でありたい。  これには病院の協力が必要だ。死への協力も病院の仕事と理解してほしい。病院は生だけでなく、死についての学習を。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「「日本もひろいねェ!  毎日、六十人が自殺しているんだって!」」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「「人さまの前で「人の世話にはならない」という人がいますが、自分で墓の穴を掘るんでしょうか」」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「山崎  どうも皆さんいろいろな意味で誤解しているのではないでしょうか。ホスピスというのは決して死ぬ場所ではなく、最後まで生きるところなんです。だから、ホスピスの考え方でいけば、淡谷さんのように舞台の上で歌を歌って最期を迎える、というのは非常に自然なことだと思いますね。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「山崎  まず、財産では救われませんね。それから医療だけでも救われませんが、かたい信仰をもっている人はそれで救われると思います。しかし、日本人は信仰をもっていない人がほとんどです。結局、患者本人と周りの人たちとの深い友情関係によって出てくる「愛」の世界によって救われるのではないでしょうか。愛の世界というのは宗教に共通するものですよね。永  日本人には信仰があるんでしょうか、ないんでしょうか。無着  日本には仏教があるんだけれども、お坊さんたちがお経をきちんと読めるようにしなかったわけです。つまり日本の宗教それ自体が、教祖のやったことをみんなに話すチャンスを奈良時代以後失って、読経仏教になってしまったという問題がありますね。そのために、日本人が宗教に対してオンチであり、宗教オンチの国になってしまった。だから、世界でも極めて特殊な状況下にあるんですね。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「山崎  まず、財産では救われませんね。それから医療だけでも救われませんが、かたい信仰をもっている人はそれで救われると思います。しかし、日本人は信仰をもっていない人がほとんどです。結局、患者本人と周りの人たちとの深い友情関係によって出てくる「愛」の世界によって救われるのではないでしょうか。愛の世界というのは宗教に共通するものですよね。永  日本人には信仰があるんでしょうか、ないんでしょうか。無着  日本には仏教があるんだけれども、お坊さんたちがお経をきちんと読めるようにしなかったわけです。つまり日本の宗教それ自体が、教祖のやったことをみんなに話すチャンスを奈良時代以後失って、読経仏教になってしまったという問題がありますね。そのために、日本人が宗教に対してオンチであり、宗教オンチの国になってしまった。だから、世界でも極めて特殊な状況下にあるんですね。永  そうすると、世論調査にあったように最後は財産を頼りにして死ぬしかなくなってしまうんですか。無着  そうですね。死をどのように受け入れるか、ということが一番発達していないのが日本なんですよ。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「永  そういう淡谷さんの強さを支えているどこかに信仰ってあるんですか。淡谷  あります。お不動様と観音様。毎朝お明かりあげて拝むの。子供の時からやってます。前に、心霊の人のところへ行って、死んだ母を呼んでもらったことがあるの。そのとき母が「あんたはお不動様に助けてもらったことがあるんだから、しっかりご信心しなきゃだめよ」って言ったの。永  お不動様に助けられたことは自覚していますか?淡谷  はい。ハルビンへ巡業でいったとき、ホールの屋根が落ちたんです。ほんとでしたらそこにいたはずなんですが、あんまり人さまが来て下さって、ホールに入りきらないんで、収拾がつくまでホテルにいなさいって言われて、そこで待機してたんです。そのとき、お不動様に助けられたんだと思うの。永  でも、そこが大切なところで、子供の時からお参りをしているから助けられたという考え方と、偶然いなかっただけだと考えるのでは、ずいぶん違いますよね。無着  いよいよ死ぬという時に、自分の信じるものをもっている人の場合には死を納得させることができるけれど、信じるものをもっていない人は、ほんとに死ぬことが納得できないんです。だからその人に何を信じ込ませて死を迎えさせるか、というのは一番重大なことでしょうね。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「永  そういう淡谷さんの強さを支えているどこかに信仰ってあるんですか。淡谷  あります。お不動様と観音様。毎朝お明かりあげて拝むの。子供の時からやってます。前に、心霊の人のところへ行って、死んだ母を呼んでもらったことがあるの。そのとき母が「あんたはお不動様に助けてもらったことがあるんだから、しっかりご信心しなきゃだめよ」って言ったの。永  お不動様に助けられたことは自覚していますか?淡谷  はい。ハルビンへ巡業でいったとき、ホールの屋根が落ちたんです。ほんとでしたらそこにいたはずなんですが、あんまり人さまが来て下さって、ホールに入りきらないんで、収拾がつくまでホテルにいなさいって言われて、そこで待機してたんです。そのとき、お不動様に助けられたんだと思うの。永  でも、そこが大切なところで、子供の時からお参りをしているから助けられたという考え方と、偶然いなかっただけだと考えるのでは、ずいぶん違いますよね。無着  いよいよ死ぬという時に、自分の信じるものをもっている人の場合には死を納得させることができるけれど、信じるものをもっていない人は、ほんとに死ぬことが納得できないんです。だからその人に何を信じ込ませて死を迎えさせるか、というのは一番重大なことでしょうね。山崎  特定の宗教だけではなく、例えば家族の愛とか、そういうものが信じられれば、信仰がなくても大丈夫だと思いますよ。つまり、兄弟の愛とか家族の愛というものを信仰ととるか、とらないかによるんですけど。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「無着  生きている目的は死ぬことですよ。だとすれば、見事に死んでみせようとするためには、今死んでも大丈夫なように生きるしかないんですよ。死ぬことを語るのは縁起の悪いことではなくて、楽しいことなんです。淡谷さんのように、このように死にたい、あのように死にたい、と語るのはうんといいことなんですよ。淡谷  そうです。だから、あたくしは、皆さんにご迷惑だけれども、ステージで死にたいと思ったんですよね。きたやま  死ぬということを言葉にして皆さんと話をするのは非常に難しいですね。宗教の話でいくと、日本には神道がやっぱり根強く残ってます。日本の神様はどちらかというと死に弱いんですね。むしろ死を正視できないというか、死を受容できない。心理学の立場から言うならば、生き生きと美しく輝いていたものが突然何も言わなくなるというあの落差がすごく痛ましいわけですね。ですから、淡谷さんがむしろ堂々と「人前で死んでやる」とおっしゃってくれるのは、日本人が変わるチャンスかもしれないし、すごく画期的なことではないかと思いますね。でも、見る側にとっては大変な課題を押しつけられたことになりますね。それを見つめてくれっていうわけだから……」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「きたやま  亡くなっていく方の気持ちをうかがうということは、私たちも非常に苦しいわけですね。これはやっぱり宗教がないとなかなかできない仕事なんです。ガンだと言われても、やっぱりみんなどこかでそれを「疑う」んですね。「そんなことはないだろう」「そんなはずはない」って。だから、それを信じ切る気持ちというのはなかなか生まれてこないんです。  それが、一定期間たつとだんだん実感になってきて、今度は何で自分が死ななきゃならないんだという「怒り」がわいてくる。ここですごく重要なのは、それをしっかりと受けとめてくれる神様や友人やお医者さんに囲まれているということ。その怒りを周りに迷惑だからと我慢してしまうと、当人は非常に辛いんです。だから僕は、その時はしっかり腹を立ててもらわないと困ると思っています。  そしてどんなに腹を立てても死は免れられないとなると、「憂鬱」とか「絶望」とか「悲しみ」というのがあって、分かち合える相手がいるといいけれど、これは一人で嚙み締めねばならないものというふうに言われています。  そして最後に、冷静に自分の死を迎えるという心境の「受容」の時期が来ると一番素晴らしい。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「永  さっきのアンケートで日本人が最後に頼るのは財産だとありましたが、でもやっぱり信仰をもっているほうが強いとお感じになりますか。山崎  それは感じますね。宗教を本当にかたく信じている人たちの場合には、いろんな状況を乗り越えて最期を迎えますけれど、それはやはり世の中を信じられるからなんでしょうね。しかし、特定の宗教をもたなくても周りの人たちと生きることを共有してきた場合には、お互いにその場で信じあえるという状況が生まれると思います。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「永  ぼくはよく「死亡率一〇〇パーセント」と言うんですけど、人間は必ず死ぬ。その最終的な死の場面をどうやって迎えるかは、当人にとっても家族にとっても、たいへん重大な問題なんですね。  わが家を例にすれば、父の希望通りに最期は家で見送ろうと決めまして、お医者さんには「家へお連れしたら、それでお終いですよ」と言われたけれど、帰ったんです。帰ったら、父はにわかに、あれが食べたい、これが食べたい、と言い出して、病院にいたときより元気になっちゃったんですよ。今度は食べ過ぎだったんでしょうね。また救急車で病院に運ばれて、最後はそこで亡くなったわけですが、でも、ぼくはとてもよかったと思っています。退院させてくれたお医者さんに感謝しています。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    「永  ぼくらの世代がギリギリなんだけど、かつてはだれもが家で生まれ、家で死んでいましたよね。それがごくふつうの人生の舞台だった。ところが、現在はほとんどの人が病院で生まれて、病院で死ぬ。家は、その間を通過する仮の舞台に過ぎなくなってしまったわけ。ぼくらには、人間が生まれたり死んだりするときのドラマが記憶のなかにある。あの部屋でおじいちゃんが亡くなって、そのときに親戚のあのおじさんが活躍したとか、反対に、弟妹が生まれたときに近所のおばさんが集まってきて、子供は向こうに行ってらっしゃいなんて言われながら、お産婆さんが駆け込んできたりして、オギャーッて生まれたところへ間接的であれ立ち会っていたんですね。命の誕生とお終いには。そんな生活体験が、いまやまったくなくなっちゃったわけでしょう。その代わりに、何かをしなければいけない。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    本日の注目本
    #永六輔 『大往生』(岩波新書 赤329)
    90年代後半、よく売れていた一冊でロングセラーです。
    永六輔さんは、港町の清水を愛して下さったので当地の書店・戸田書店にもよく来てくださいました。サイン会も懐かしいです。

    「山崎  死とはだれにも訪れる通り道なんですね。どうしても避けられない。その意味で、さきほどのロマンティックな死に方だけを言っておくのはどうも不十分で(笑)、もうひとつぼくの頭のなかに理想的な死の形があるんです。  これは本にも書きましたが、ぼくは一九八三年に調査船に乗って南極へ行ったときに氷山の氷を拾ってきて、家の冷凍庫にしまってあります。それから、ぼくの医者としてのものの考え方を根底から変えた『死ぬ瞬間』の著者、キュブラー゠ロス女史に三年前にアメリカでお目にかかったとき、手作りのクッキーをご馳走になって、そのうちのいくつかをこっそり持ち帰り、冷蔵庫にしまってあるんです。もう黴が生えて食べられないかもしれないけれど(笑)。つまり、冷凍庫に南極の氷が、冷蔵庫にロス女史のクッキーが入っている。それは、ぼくの人生にとってかけがえのない場所と人の記念です。だから、ぼくは人生の最期のときを自分の家で、その氷で作った水割りを飲み、クッキーを齧りながら迎えたいと思いますね。そして、やはり家族に「いい人生だったね」とお祝いしてもらって、ぼくも素直に「さよなら」と言えたら、これはとても安らかな死だろう、と。永さんが言われたように、死とは決して恐怖ではなくて、自然の道筋のうえにあるものだと家族に伝えられたらいいですね。」

    —『大往生 (岩波新書)』永 六輔著

    永 六輔「大往生」を読み切る。
    著者が伝聞した一般人の「名言」や、自身の近しい人々を通した経験を交えつつ、生老病死をあくまでも明るく考えようという一冊。
    それだけあり終始軽やかな気持ちですらっと読める。
    「名言」は現在からすると時代錯誤なものはあれどユーモアや説得力に溢れていて良い。

  • 現代を生きていくうえで、生老病死を意識することは処方箋になる。日々の辛さや雑事、面倒くさいと思う感情は、それに比べれば些末なものであるからだ。そのことは、「メメントモリ」という言葉が古来から残されているとおりである。
    その意味で本書、「大往生」は処方箋以外の何物でもなかった。
    辛くなったとき、しんどいと感じるときにこそ、読めて良かったと痛感した。
    続編はまた辛くなった時に読もう。良い薬を見つけたと思った。

  • 死生観というと、西行法師の辞世の句が思い出される
    いつ死ぬかわからないというのは確かにそうなんだけど、まだ老いや死が身近な歳じゃないのであんまりピンと来なかった

  • 「待合室患者同士が診察し」
    「フルコース食後の薬飲んですみ」
    こうした句にひそむ実感こそ、この本の姿勢としたい。

    「人は死にます
    必ず死にます
    その時に 生まれてきてよかった
    生きてきてよかったと思いながら
    死ぬことができるでしょうか
    そう思って死ぬことを大往生といいます」
    で〆られていた。

    老人の日常に落とすことばが深くておもしろい。
    歳を重ねるほどに、このことばを実感していくのだと思う。

  • うちは母がTBSラジオの熱心な?リスナーなので毎週土曜は永六輔とその新世界を聞くとはなしに聞いております。今骨折で入院されているので早くよくなられると良いな、と思います。

    で、中身ですが半分色々な人の一言と親友への弔辞と対談とお父様が書かれたと言う文章で構成されており、簡単に読み終わってしまいました。個人的にそうだよなあ、と思う色々な方の一言があったりこれは違うだろうと言うのがあったりで1章が一番面白かったです。
    私なんかは永さんの作詞家としての時代よりもマルチタレントの時代の方が長く知っているのでそれほどあの大ヒット作、と言われてもピンと来ませんでした。それでも上を向いて歩こうとか見上げてごらん夜の星をとかこんにちは赤ちゃんとか知っている曲ばかりではあるので凄いなあと思いますが。

    個人的に一番面白かったのは淡谷先生の演歌歌手を束にして火をつけたい。ついでにジャリタレも燃やしたいってとこでした。過激だ(笑)

  • 生きて行くこと
    死んで行くこと

    誰にでもいつまでも付き纏う問題について、面白く考えさせて頂いた。

    死についての(この柔らかい哲学)本に評価を付けるのは気が引けるが、星は上記の数である。

    最近はもっぱら外国人著者の本を手にする機会が増えていたが、日本人が書く思想も捨てたものじゃないね。

  • 60歳の頃に出版した死に際、死に関する思いを書き綴った。

  • 死について優しく語っている一冊。
    老いや死について、本音で語る1文が多数掲載されてます。
    フフンと笑う文章がたくさんあり、考えさせられます。

  • 914

  • 生きることや死ぬことの考え方は人それぞれで、だからこそというかいつも私は違和感を感じる。
    長生きしたい、死にたくないと思った事は1度もなく、今この瞬間に死んでも何の後悔も持たないからだ。
    むしろ長く生きること、長く生きなきゃいけないことが悩みの始まりなんじゃないかと思う。

    昔のように50歳や60歳で死ぬことができていたら、人生設計もしやすく、体もある程度コントロールができる状態で死ねる。
    ただ今のように100年も生きなければいけないとなると、50歳からの50年は不自由との葛藤なのではないかとさえ思ってしまう。

    言うことをきかなくなってくる体や心をメンテナンスし、いつまでかかるかどれぐらいかかるか分からないお金の心配をし、その中でメタバースのような新しいことにも順応していかなければいけない。
    そう考えると歳をとるってしんどい…と思ってしまうので、であれば今逝ったとしても何ら後悔はない。むしろその方が幸せだと思ってしまう。
    そう考えると自分の中に「大往生」と言うワードは重要視されないと感じる。

    ====
    ジャンル:トレンド
    出版社:岩波書店
    定価:880円(税込)
    出版日:1994年03月22日

    ====
    永六輔(えい ろくすけ)
    1933-2016年、東京浅草に生まれる
    本名、永孝雄。早稲田大学文学部在学中より、ラジオ番組や始まったばかりのテレビ番組の構成にかかわる。放送作家、作詞家、司会者、語り手、歌手、ラジオパーソナリティなどとして、多方面に活躍

    ====
    flier要約
    https://www.flierinc.com/summary/3007

  • 20220319

  • 生と死についての本。
    生きることについての本は多くあるが、
    死についてこんなにネガティブでなく潔く書いてある本は出版当初珍しかったと思う。

    死への向き合いかた、受け入れ方など勉強になった。
    そして生の尊さや儚さなども同時に感じる一冊。

  • 面白かった。
    川柳も読んでいて楽しい。
    記憶に残った1節は
    過去の人生で考えれば今が一番年寄り、
    これから先の人生で考えれば今が一番若い、との言葉。
    コップ半分が空とみるか満たされているとみるかという話があるけど、それの人生版みたいな感じ。
    今を後悔しないように精一杯生きるということでしょうか。

    明るく死にたいとは思うけど、これはできるかどうかあまり自信はないです。

    死んだ後のことは遺族に任せる。それも大事かなと思いました。

    借りを作らない、も気に入りました。
    生きているということは借りをつくるということ、
    生きていくということは借りを返していくということ。
    そういう心持は持ち続けたいです。

  • 東京浅草にある浄土真宗・最尊寺の次男として生まれた永六輔。早稲田大の在学中に放送作家としてデビューし、「上を向いて歩こう 」や「遠くへ行きたい」などヒット曲の作詞でも有名なのだが、何と言っても半世紀にも及んだラジオパーソナリティーとしての功績が光る。視聴者からラジオに寄せられた数多くのハガキ、自ら全国を旅する中で市井の人々から聞いた、「老い」「病い」そして「死」に関する短くて深~い寸言(すんげん)を30万点もの中から厳選して編纂したという超大作。「生まれてきたように死んでいきたい」・「人生は 紙おむつから紙おむつ」・「死に方っていうのは、生き方です」などなど、ユーモアの中にもあっと驚く真実が記されている。巻末では「あとがき」に代えて自分自身に宛てた「弔辞」を捧げているのが何とも斬新でカッコいい。

  • ・12/04 読了.人は健康な時は死を恐れず、いざ実際に死に直面すると怖くてしょうがなくなるというのはなんとなく想像できる.死ぬことに動じない人なんていないよなぁ.それでもできれば穏やかに受け入れられるような心の準備ができる死に方がしたいと思う.思いがけずいきなり死んでしまったら恐怖を味わう時間も持たずに済んで幸せなのかもしれないけど.どっちがいいんだろうか.

  • 朝日デジタル記事で注目!
    人間らしい死を迎えるために、ホンネや寸言をちりばめつつ、自在に書き綴られた一冊。

  • 永さんの、独演会を聞いているような、達意の文章。
    生死の境、不謹慎との境目、ぎりぎりのラインでの
    上質なユーモア。面白い!

  • 死んだら。。?!
    究極だよね。でも、少し元気になったかな。

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著者プロフィール

1933年、東京都に生まれる。早稲田大学文学部中退。中学生の頃からNHKラジオに脚本の投稿を始め、大学在学中から放送の世界にかかわる。以降、テレビやラジオ番組の放送作家、作詞家、語り手、歌手などの幅広い方面で活躍中。TBSラジオ「誰かとどこかで」「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」は共に長寿番組として知られる。作詞家として世に送りだした曲には、「上を向いて歩こう」「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」などの昭和を代表する名曲が多い。著書にはミリオンセラーの『大往生』(岩波新書)をはじめ、『生き方、六輔の。』(飛鳥新社)、『職人』『芸人』『伝言』(以上、岩波新書)、『あの世の妻へのラブレター』(中公文庫)などがある。

「2012年 『上を向いて歩こう 年をとると面白い』 で使われていた紹介文から引用しています。」

永六輔の作品

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