- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004303404
作品紹介・あらすじ
日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか。旧版(一九五七年刊)では答の得られなかったこの問いに、数多くの単語、係り結びや五七五七七の短歌の形、お米や墓などの考古学的検証、さらにカミ、アハレ、サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え、言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う。
感想・レビュー・書評
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日本語の起源はタミル語ではないか?
と言う説を持つ、大野 晋先生の著書。
この本を読んだからと言って、日本語の起源がタミル語であるのか、そうでないのかと言う判断は私には出来ないが、なかなか楽しく読ませてもらった。
それほど難しくかかれているほんではないので、日本語の歴史に興味のある方には、お勧めかもしれません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本語の起源を南インドのタミル語に求め、この二つの言語に見いだされる対応関係を指摘するとともに、両者の文化的類似性についても触れている本です。
よく知られているように、著者の主張する日本語のタミル語起源説にかんしては、比較言語学者の風間喜代三をはじめ多くの研究者が否定的な見解をとっています。著者は、五七五七七の和歌の韻律をはじめ、さまざまな文化的事象の類似点をあげていますが、これらの例のえらびかたについてはさらに無原則的な印象を受けます。
本書の「あとがき」で著者は、「私の考えでは、「文化」の中核は地域の自然条件に対する人間の対し方にある」とし、日本語という観点から文化論を展開する可能性について言及しています。こうした著者の発想は、いくつかの刺激的な議論を導き出すことに貢献したものの、人類学的な研究の裏付けを欠いた印象論を増幅させてしまう危険性もあるような気がします。 -
久しぶりに再読。初めてこの本を読んだとき、日本語とタミル語が同系語だという仮説にわくわくしたものだが、支持は得られていないようだ。1994年6月20日第1刷発行、2000年5月8日第13刷発行。定価(本体700円+税)。
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なんとも、読みたくなるタイトルやないですか。
著者が、これほどに正確に大量に「タミル語と同じ源流を持つ」と考えられる論を展開してるのに、比較言語学的には認められないという。でも、ぼくはロマンがあっていいなと、そう感じたし、大和言葉も素敵だなって思った。併読してる論語にも、何かつながったものが見えて来た。
ただ、ロマンと学問は違うので、比較言語学も学んでみて改めて考えていこうと思う。 -
なんとも読み難い本でしたが、日本語の起源をタミル語に求める論が面白いです。
ただ…、説としては面白いのですが、実際のところどうなんでしょう…? -
文字通り、日本語の起源を探る本。
これは、、、めちゃくちゃ面白かった!!!予想以上!
漢字流入以前の古来の日本語は、インドのタミル語ではないか?とする筆者の仮説を様々な根拠から明らかにしていく。
その根拠は多岐にわたる。
音、埋葬方法、農耕文化、土器、和歌、などなど。
個人的には和歌とタミル語の古い歌との対応関係とかはちょっと感動した。
これを読むと、とても説得力があるように感じるし、こりゃ日本語の起源はタミル語で決まりやな!と思ってしまうw
ところが、ちょっと調べると、どうやら学会的にはこのタミル語説は全然主流ではなく認められてないそうな。
(日本語の起源は、まだ不明、と言うのが今の状況らしい)
学術的にはまだまだ粗がある説らしいので、それは頭に入れておいた方がいいと思う。
それでも(いや、だからこそかな)、素人が読む分には大変興味深く、かつ面白い。
細かい、そして学術的には重要であろうと思われる証明部分があまりないのが読みやすいww
こう言う説がある、とわかっただけでも面白いし、こう言う学術的な分野の本にも興味がわいたのがありがたい。 -
日本語とタミル語との類似が丁寧に説明されており、確かに何らかのつながりが推測されることは理解できた。ただ、タミル人が稲作とそれに伴う文化とともに日本にやってきたと結論づけるのは無理があるように思う。
最近では、稲作が長江の中・下流域で発祥・発展したものの、後に黄河文明の南下によって稲作民は四散したことが明らかになっている。それとあわせて考えれば、四散した集団の一部はインドへ移動し、他の一部は朝鮮南部を経て北九州に移動したことにより、日本人が渡来系弥生人の文化を受け入れたように、南インドの人々も渡来した人々の文化と言語を取り入れたため、タミル語と日本語が類似する結果となったとも推測できるのではないだろうか。
著者の見解を聞いてみたいところだが、この本を発行した段階ですでに75歳であり、著者にとってはこの本が自身の集大成のようなものだったのだろう。それでも、インド南部という遠方の言語に目をつけ、ここまでの結論を導いたことは大きな成果であることは間違いないと思う。
・アルタイ語とは文法の構造はおよそ共通だが、単語の対応を見つけるのが難しい。朝鮮語とは単語の対応は少なく、基本動詞についてほとんど立証できない。アイヌ語とは基本的単語の対応は全くなく、文法的にも相違している。マレー・インドネシア語は発音の仕組みが近いが、文法の組織が全く違う。
・日本語のhはかつてpで、p→F→hと変化した。g,z,d,bには、室町時代頃まで前にn,mがついていた(東北地方のなまりとして残る)。
・アワ、イネ、コメ、モチ、ハタケ、タンボがタミル語との間で対応する。ナタ、クワなど9つの農業技術語が朝鮮語と対応する。
・オーストロネシア語の最古の母音体系はa,i,u,eの4つで、母音終止の単語が多い。基層言語としてポリネシア語族のひとつに近い音韻組織のある言語があった日本列島にタミル語がかぶさったことが推測できる。
・壱岐には、タミル語の村を意味するフレがつく地名が100例あり、弥生時代の巨大な遺構が発見されている。
・日本語にはタミル語と500の対応語があるが、朝鮮語もタミル語と400の対応語がある。
・朝鮮半島の前期青銅器時代に南インドの巨石文化と類似した墓制が見られる。 -
今年8月に読んだ、藤原正彦『心は孤独な数学者』(新潮文庫)の中で触れていた本。
日本語と南インドのタミル語が同系であるということを証明していく。
高校の授業以来、日本語は朝鮮語やアルタイ語に属しているとずっと思っていたが、これらは文法的には近くても基礎語の一致が少ない。
日本語とタミル語ではいくつもの言葉の音と意味の両面で対応があり、文法的にも似ている。五七五七七や係り結びが一致するとか、びっくりする。
係り結びっていう言葉を何年ぶりに目にしたことか。
理系の証明であれば、数式がどうとか、有意差がどうかとか、決まった材料を揃えれば説得力を持たせられるだろうけど、こういう文系領域では研究者間の、何に重きを置くかとかで意見が分かれそうだなと思った。
単語の音、語根、意味の比較、モノや文化、精神の比較と、本書で取り上げる内容はとても幅広い。言葉の話はまだ「へー」で読めたけど、モノの話はあまりに考古学的知識がなくて、ちょっと疲れた。あとがきで触れているように、「学際的」という言葉がぴったり。
さらっと「『岩波古語辞典』の編集に20年を費やした」と書かれいて、『舟を編む』のことを思い出した。やっぱり辞書作りは果てしない時間がかかるんだ。松本先生やマジメ君のような感じだったんだろうか。
途中で出てきた、ケルト語のところに俗ラテン語が入ってきてフランス語が成立した、というのも興味深かった。ヨーロッパにいくつもある言語も、こういう具合に説明できるんだろうか。
宮崎駿がもののけ姫の時に参考にしたという、照葉樹林文化論のことを思い出した。本書の言う、南インドから言語、文化が伝わったという説とも近いのか。それとも矛盾するものなのか。こちらも読んでみなければ。芋づる式にいろんな好奇心が湧いてくる。 -
言葉の起源ってこういう風にたどっていくのか、と思った。