戦後文学を問う: その体験と理念 (岩波新書 新赤版 371)

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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004303718

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    廃墟の光景から出発し、時代の推移と社会の変貌につれ、その時々の課題を担ってきた戦後日本の文学。
    時代の伴走者たる文学者たちの営みの軌跡を「政治」「性」「モータリゼーション」「家」「アメリカ」などのテーマに沿ってたどりながら、さらに在日朝鮮人の文学活動をも視野におさめて、新しい文学のたどるべき行方を探る。

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    [ 参考となる書評 ]

  • これまで多くの論者によって「戦後文学」の終焉が宣言されてきたが、著者は「私たちの文学はまだ「戦後」の影に覆われすぎているような気がする」と述べて、現代からは少し見えにくくなってしまった「戦後文学」の実像を冷静に描き出そうと試みている。通史ではなく、「政治」「性」「家」「アメリカ」などのテーマに沿って議論が進められる。

    戦後文学は、政治と文学との間の緊張関係をテーマとしてきた。だが倉橋由美子は、「パルタイ」を絶対視せず、あたかも学生時代を愉しく過ごすためのスポーツのように「パルタイ」と関わる若い世代の登場を描いた。その後、学生運動の隆盛の中で多くの小説が書かれたが、舟橋聖一「エネルギイ」、柴田翔『されどわれらが日々―』などの小説は、学生の政治運動が「太陽族」的な心情に基づくものだったことを図らずも実証している。それらの小説は、「衝動的」なものを「思想的」なものに、「風俗的」なものを「理念的」なものに勘違いしたもののように思えると著者は述べる。だが、そうした青年たちのイデオロギーとエネルギーの放散は、石川淳『天馬賦』『狂風記』のような作品を生むことになった。それらの作品の底流には、イデオロギーとエネルギーの放散という嵐が過ぎ去った後には何も残らないことを冷徹な眼で見るニヒリズムがある。

    また、皇太子と美智子妃の御成婚を揶揄する内容の二つの小説、深沢七郎「風流夢譚」と大江健三郎「セヴンティーン」が招いた事件についても論じられている。そこで著者は、天皇と庶民の「聖なる合一」が、天皇制を支える国民的心情の中にあることを指摘した上で、両作品はそうした幻想に楔を打ち込むものであったため、むしろ国民の側にとって不謹慎な作品だったと述べている。天皇制が「戦後文学」におけるタブーとなったのは、こうした事情に基づいていた。その後の「戦後文学」の展開は、このタブーの存在をみんなが忘れたふりをすることで進められたのであり、その結果、タブーの存在は本当に忘れられてしまったと著者は述べる。ここにも、終焉を迎えたはずの「戦後文学」の影を現在にまで引きずっているという著者の診断の根拠がある。

    とくに私たちの世代には、「戦後文学」における「政治」や「戦争」、「性」といったテーマの扱い方についての見通しを得ることが難しくなっているが、本書を読んでその理由が少し分かったような気がする。

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著者プロフィール

1951年2月、網走市に生まれる。文芸評論家。1981年「異様なるものをめぐって──徒然草論」で群像新人文学賞(評論部門)優秀作受賞。1993年から2009年まで、17年間にわたり毎日新聞で文芸時評を担当。木山捷平文学賞はじめ多くの文学賞の選考委員を務める。2017年から法政大学名誉教授。
『川村湊自撰集』全五巻(作品社、2015‒16年。第1巻 古典・近世文学編、第2巻 近代文学編、第3巻 現代文学編、第4巻 アジア・植民地文学編、第5巻 民俗・信仰・紀行編)。

「2022年 『架橋としての文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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