- Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004303817
感想・レビュー・書評
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オルタナティブな経済のあり方の提案。提唱する「FEC自給圏」(Food/Energy/Care)は令和の日本において必要とされるビジョンであり、人間のための経済を実直に考えた一冊。
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内橋克人さんの本を初めて手にしました。これほどまでとは正直驚きです。四半世紀も前からここまで見抜き、見通している。知らないことが満載でした。
いままさに通用する! ということはまったく進歩してないということなのかもしれませんね、わが日本のやり方は! それも驚きです。 -
利益のみを追求する資本主義が世界全体を覆っていくなかで、地域や環境との共生をめざすオルタナティヴな可能性をさぐろうとしている企業やNPOの活動についてのルポです。また、そうした試みをめざす人びとの前に立ちはだかる行政の壁についても触れられています。
いろいろな事例が示されていて興味深く読めましたが、すこし気になったのは行政対市民という二項対立的な枠組みが採られているように見えることです。本書が刊行された1995年にはまだはっきりと認識されていなかったのでしょうが、インターネットの普及によってさまざまな草の根の運動が叢生した現在にあっては、市民の内実も多様なものになっていて、行政対市民という単純な枠組みではとらえられない動きも多く見られるようになってきているのではないかという気がします。 -
経済とは何だろうか。著者は本書の序文で次のように謳っている。
「今日に明日をつなぐ人びとの営みが経済なのであり、その営みは、決して他を打ち負かしたり、他と競り合うことなくしてはなりたちえない、というふうなものでなく、存在のもっと深い奥底で、そのものだけで、いつまでも消えることのない価値高い息吹としてありつづける、それが経済とか生活というものではなかったでしょうか。おぞましい競り合いの勝者だけが、経済のなりたちの決め手であるはずもないのですから。」
利益を求めることは悪ではない、いやむしろ善である。そのためには何をしてもよい。他者を蹴落としたり、陥れたりしても……。そのような「自由」主義経済が、現代社会に瀰漫している。はたしてこれが、正しい経済のあり方なのだろうか。
利潤最大化と、そのための競争のみを行動原理とする「企業」は、社会が要求するニーズのすべてに応えることはできない。たとえば、福祉・教育・文化がそうであり、われわれ人間が人間らしく生きてゆくために必要とされるあらゆる領域がそうである。企業だけが唯一のモノやサービスの供給主体であり、雇用の場の提供者である限り、人間の幸福はありえない。そのような「企業一元社会」から脱却し、多元的社会へと転換を図る必要に迫られている。 -
1995年と古い本だけど、書いてあることは今でも使えるような内容が多いように感じた一冊です。それぞれの地域で抱えていた課題にどう取り組んだのか、それを妨げたのは何だったのか、最終的にそれは中央も問題に収束していき、日本と世界との関係性も踏まえて改善すべき点を明らかにしていく。多少、インターネットや携帯電話の普及など技術的には変化はあるにせよ、20年前に解決が必要だと考えられていたことがほとんど解決していないようにも読めて、根が深そうだけど取り組まないといけないよなと感じました。結構しっかりまちのことを考えてる人向けだと思います。
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内橋克人氏の著作「匠の時代」は、
仕事をする中で、実に示唆を受けた。
ベンチャー精神とはなにかを考えさせられた。
そして、今年に入ってから、
「浪費なき成長」を読み、
新しい時代が生まれてきていることを知った。
「節約と成長」は、両立しないかという
大きなテーマにとり組み、そして、
「浪費なき成長」という結論を出すにいたる。
<人は「生きる」「働く」「暮らす」
というものがバラバラでなく、統合されていてこそ、
全的な存在としてこの世にあり得る。>
という命題にいきあたることとなる。
ある意味では、この著作「浪費なき成長」
のコアとなるべき考え方が、
「共生の大地」で提起している
「多元的経済社会」であろう。
食と職の確保において自立を達成する
「協同の思想」の原点を確かめ、
そこから、利益共同体でもなく運命共同体でもない
「使命(ミッション)共同体」のあるべき姿と
その時代が到来していることを指し示している。
<どのような考え方で、
どのような仕事をしてきたのか?>が重要であり、
「考え方が先にあって、
それが技術を蘇生させよう」としている。
「経営者とは社員を守るためにあるんです。
従業員に奉仕できることができてこその
企業家です。」
ウオパカ・ファンドリー社 ゲイリー社長
バイタル・マジョリティとしての日本の中小企業
を支えるものは、人の身の丈に相応し、
人間に会わせてものと組織と事業を
作りあげようとする気風と精神をおいてほかにない。
たくさんの情報よりも、
それをささえる人の魂にふれることが大切。
利潤極大化とそのための競争をもって
行動原理とするカイシャは、
経済社会が要求するニーズのすべてには
対応できない。
福祉・環境・文化にとどまらず、
およそヒューマン・インターフェースを
必要とするような新しい領域において、
需要と供給とのあいだに広がる
ミスマッチング(すれ違い)をさけることができない。
社会的に必要とされ、なくてはならぬ労働
として人々が実感し認知する領域の多くが、
利潤動機から大きく外れた、
市場経済の圏外に広がっている。
満たされざる労働
人々に充分な職を提供できない経済とは一体何なのか?
そこに働く人々が求める
「働きがい」「生きがい」に本当に結びつくのか?
国際協力は、「カネの施し」と
「モノ乞い」であるはずがない。
根こそぎの熱帯雨林の破壊が、
途上国自立の代償であるならば、
引き替えに地球の未来は消えてしまう。
「ゼロエミッション」
完全なゼロエミッションを可能にするには、
企業・産業活動で投入される総インプット(投入要素)が
その企業・産業内で完全に消化され、
総アウトプット(産出物)に等しくなるよう
生産システムを構築することだ。
「例えばリサイクルというのは、
非常に金がかかって面倒な仕事ですが、
なんとしても先駆けでやっておかなければならない。
先駆者はさまざまなシステムつくりにおいて、
すぐれた発明を生む。
ひとつの企業の正義を有識者が
支援してくれるようになるまでまってはいられない、
というのが私どもの正直な哲学です」
キャノン 山路会長
「人生はエンジョイするためにあるもの、
会社もまたエンジョイのための
空間でなければなりません。
一人一人が自分の裁量するのが仕事です」
ベネッセ 福武総一郎 -
題名から「シェア」を連想した。
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1995年の作品だが、非常に有用な提言がある。今もって実現されていないが、国民がいけないのか?国策を立案・実行する国会議員・官僚がいけないのか?いま一度社会的にとり上げ検証して頂きたい内容である。