華僑 (岩波新書 382)

  • 岩波書店 (1995年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004303824

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  • 横浜中華街における中国人の歴史から派生して読了。
    内容としては、東南アジア、日本、北米における中華系移民の歴史といったところか。内容としては非常に興味深いが、書き進め方が非常に教科書的なあったであろう事実の羅列に近いところがあり、読み物としては少々面白みにかける。

    出身地、渡航した時期、受け入れ国とその受容性にいよって同じ東南アジアでも社会における根の張り方、中華性の維持にいろいろと差異があったことがわかる。

    P.16
    「ワンス・ア・チャイニーズ、オールウェイズ・ア・チャイニーズ(いったん中国人に生まれれば、未来永劫中国人でありつづける)」というきまり文句がある。もともとユダヤ人についていわれていた常套句をおきかえたものである。

    P.33
    いきづまった社会を打破するために上下方向の出世と没落のサイクルをはげしくしたり、ヨコ方向に自由に職業を変えることをモビリティという。出世ルートの「横綱」は科挙に合格して学位をとり、官界や学者仲間で顔をきかすことである。南宋では福建の進士合格者は全国一位で断トツに多く、明代でも福州・泉州・興化府、清代でも福州は上位十傑に入っていた。「大関」は僧侶や道士、そして商人ことに海商、海員であり、以下三役クラスに手工業者、技術者、俳優、芸人、農業移民とつづいた。人数からいうとこの順序は逆になるだろう。

    P.42
    宮田安氏によれば、長崎の唐人屋敷に来た華商や唐通事も大事にもてなされ、日本女性と結ばれたすえ、その子孫が平野(憑氏:ふうし)、彭城(陳氏)、巨鹿(おおが、魏氏)、林ないし官梅(林氏)、呉、などなど日本性の家系となって、いまでも九州や西日本に広がっている事情と共通している。

    P.45
    中国政府のマクロな外交姿勢として、宋・元から海上帝国にむかっていた振子が、明の洪武帝の海禁の断行、永楽帝の海上遠征の断念とともに、反転して内陸帝国の堅持とふりもどったことはまちがいない。永楽帝からの北京遷都、万里の長城の修復、真の藩部政策(理藩院設置)、アヘン戦争へとつづく事件史、この間の勘合貿易や朝貢貿易の体制をみれば、内陸重視の中華主義に逆にこりかたまってゆく振子のゆれがみてとれる。(中略)中華主義、うらがえせば「外国人嫌い」が、まともに中央の政策レヴェルで表に出てきたのは過去六〇〇年のこと、明・清の現象である。

    P.98
    一七〜一八世紀にフィリピン・マレー・ジャワに渡った華僑の本流は、福建省の南部、アモイと泉州のあたり、ふつう閩南(閩=福建)の人々で、福佬とかホッケニーズとよばれる閩南語を話す集団であった。ところどころに広人(広東人)がいたといっても、かれらは当初の数のうえでは劣り、この集団に接する広東省の東のはし、潮州、梅州、恵州の人々であった。この福佬を主とする集団が、すでにみたタイそしてカンボジア、ヴェトナムでもかなりのていど、わずkら一〜二世代で現地に同化し吸収されてゆくのに、フィリピン・ジャワ・マレーでは、それぞれメスティーソ・ペラナカン・パパとよばれる反中国風、反現地風の中間の社会相をつくったことが注目されている。

    P.137
    思い浮かぶ華僑の共通イメージ、すなわちアジア系労働移民の代表格、ナショナリズムのもとで、政治的・心情的葛藤の岐路に立つディアスポラ(離散の民)、そして柔軟で根強いネットワークをたよりに経済的上昇にたけた人々、こうした要素は一九世紀なかばから二〇世紀なかばの時期に表だってきたのである。

    P.154
    華僑社会の秩序を語るとき、かならず登場するのは秘密結社である。実際、一七〜一九世紀において、秘密結社の果たした役割は大きなものがあった。
    背景として考えるべき、ふたつの大きな歴史の流れがある。その第一は、清初のアモイの西の山中、少林寺を官軍が焼打ちしたことで発祥した三合会(天地会)シンジゲートである。これは曲折をへて、孫文の、華僑をまきこんだ革命につながってゆく。第二は、一九世紀の後半期をピークとする、華南移民の出港の洪水にかかわっている。政治でも経済でもすべてが無秩序で、移民の運搬・求職から日常の市役所的な仕事、さては商売の儲けまで、非合法結社の手で、あるいはそのバックでされる面がふんだんにあったという事情である。

    P.168
    政治的動向そして愛国心についていえば、華僑の実体にふれるいくつかの側面が示されている。そのひつは「中国の影:チャイニーズシャドウ」への反応である。古来、中国は政治単位であるばかりでなく、内なる諸種族を同化融合する実績をつんできた文化の単位でもあった。異国の地に同化吸収された人々はともかく、移住者の「胸中の中国」の存在感は大きく、ことに文化中国という統合体に対する愛着は容易には消えない。とくに政治統一がなるか、あるいはなりつつあるとき、「中国の影」は心理的に大きく映ってくる。逆に分裂がきざして、国・共の抗争がながびけば、期待は幻滅となり、そこにのこるのは愛郷心にとどまるだろう。

    P.170
    アジアの華僑が「招かれざる客」に転じた事情は、各国ナショナリズムとの摩擦という共通項をおびながらも、国ごと政策ごと、歴史状況ごとにニュアンスが異なっている。ことに東南アジアの全域でいえば、中国人移住者はその基層に「華商型」があり、周縁に「華工型」、「(愛国)華僑型」が位置する構造をとるのであるから、受け入れ側の反撥が華僑全体に及ぶのか、それとも特定の型にむけられたものなのかをみきわなければならない。

    P.209
    M=ウェーバーが、中国の都市や商人に近代の合理性が欠けているといったとき、それは都市や商人の成長が中国にたとえみられたとしても、都市ギルドの利害においては出身の郷里や宗族(拡大家族)との強い結びつきで生じる閉鎖的なエゴむき出しになっていて、もっぱら近代化への歩みの足をひっぱる役をはたしたという意味であった。

  •  まず、本書では華僑と華人を区別せず「華僑」の語を使うが、「華人」の語自体1970年代に大陸で現地同化への柔軟な姿勢が打ち出されて以来普及したとのこと。
     東南アジア華僑は8世紀にはじまり12世紀頃から増加、当初は商人や海員が主。17世紀頃から列強のアジア進出で通商や開発が活発化すると、労働者も含め華僑が増加。マニラやバタヴィアでの虐殺のような摩擦も起きる。19世紀半ばからは全世界的に華僑が急増、大半が労働者移民。
     移民先での華僑のありようは様々で、同化傾向だったり、ババなどと呼ばれる半現地風だったり。また、血縁・郷党のネットワークのほか、三合会などの秘密結社ネットワークも紹介しているのが興味本位で面白かった。

  • 2017/11/16 18:20:31

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