- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004304098
感想・レビュー・書評
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好みのタイプはという問いに対して、「やさしい人」という回答は、男女問わずかなりよく聞きます。
一緒にいたい人の条件として、かなりの深度で根付いているこの「やさしい」という概念ですが、改めてそれは一体何かと問われると、根深いゆえになかなか簡単に答えられません。
そのやさしさを主題にしたのがこの本です。
現代(1995年第1刷)の“やさしさ”と旧時代の「やさしさ」を別の性質を持つものとして分析しています。
旧時代の「やさしさ」は、相手の気持ちを理解し共感するところにありましたが、新“やさしさ”はむしろ、相手との距離感を保ち、踏み込まない踏み込ませないところにあると。
数人の患者のエピソードから、新旧やさしさのすれ違いや、新やさしさどうしが噛み合わなくなった場面などを抽出していきます。
現代の“やさしさ”が機能しなくなったとき、人は精神科を訪れると著者は言っています。なぜなら、自分で決めて後から傷つくのが怖いから。そして、その彼らの言う傷つきやすい自分とはどんなものか、とさらに深めていきます。
現代の“やさしさ”に近い感覚を持つ私は、我が事が語られているような気がしました。そして、それがある程度時代によって作られていることに新鮮さを覚えました。
この本ができてからまた数年経ち、この“やさしさ”や「やさしさ」やはたまたまた別のやさしさが生まれているのだろうと思います、そしてそれはどんなものかなと、考えるきっかけになりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔は「ホット」なやさしさ、つまり相手の気持ちに入って同情・共感することが「やさしさ」を伝える行為だった。
しかし今は「ウォーム」なやさしさ、つまり相手の気持ちに立ち入らないことが「やさしさ」を表す。
それは、自分も相手も傷つけたくないという「予防」である、と著者は分析している。
私は知人には「ホット」なやさしさ、他人には「ウォーム」なやさしさ、って使いわけてる気がするな。
新しい「やさしさ」の面が知れて、面白かった。 -
読んでいてとても興味深かった。
心理に詳しい友人が居るのだが、相談を持ちかけると「ある話題になると急に口数が減るよね…」「コレとコレは…」などと自分の無意識下にある行動に気付かされる。その一言だけでパッと分かるようになるものだから心理というものは凄い。私も…と言いたいところだが中途半端では"やさしい"人をただ単に傷付けてしまうことになるだろう。それは必ず避けたいと思う。
私たち現代人には周りが"やさしい"で溢れ返っている。昔は「親の言うことには従うべき」という家父長制で成り立っていたものだが、今ではキャッチコピーに「自分の未来は自分で〜」「私らしく」そう言われることが多い。確かにそれは必要だがホダシにしかない自分や、ホダシから気付ける自分もあるだろう。しかし、中高生の何も完成していない不安定な中で自分を迫られるのはなかなか難しい。自分探しという何も見えない霧の中に突き放すのは果たして"やさしい"のだろうか。"やさしい"人は責任を持ちたくないだけで、誰にも責任を押し付けたくない訳で。「やさしい」人間がこの社会に必要だ。私はそう思う。 -
本書に出てくる”やさしい”人々は、中島義道さんの言う”善人”と同義だと思った。
何がやさしいか、だなんて悩むことはないのだと思う。
集団の中で発動させる”やさしさ”はある程度空気に則ることが必要だろうが、1対1の通常の人間関係においては相手によってその発動の仕方を変えれば良いだけ。
勿論まったくの他人なのだからそれを間違えることもあると思う。しかしトライアルアンドエラーを繰り返してその"やさしさ"がお互いに心地よいものになる。諦めたくない。
2017.10.8 -
ひとの気持ちに寄り添い、深く理解する旧来の「やさしさ」に変わって、相手の気持ちの深いところにあえて踏み込まない「やさしさ」、あるいは、相手の負担になるような自分の気持ちの深い部分を見せない「やさしさ」を、テーマにした本です。
周囲の人びととの「やさしい」付き合いのなかで、しだいに自分自身の心のスタミナをすり減らせてしまった多くの〈患者〉たちのエピソードを通して、現代人が抱える心の問題に迫っています。 -
「ドライな関係」を好みがちな現代社会の人々は優しさを拒んでいるのではない。「ホットな」優しさを嫌い、拒絶し、「ウォームな」優しさを求めているのである。この本には、現代社会の中での優しさを再度認識させられた。冷たさ、と優しさは表裏一体の関係なのだ。それは現代社会を生きる人々のパーソナルスペースの縮小、自立性に起因しているのかもしれない。
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臨床を手掛ける精神科医が、現代日本に蔓延する「やさしさ」について、自らのカウンセリングの経験に基づいて考察したものである。
著者が「やさしさ」に対して疑問を持つようになったのは、「面接室の中で、「行き過ぎたやさしさ」とでも呼びうるようなことを経験することが増えてきたから」といい、具体的に、電車で老人に席を譲らない“やさしさ”、上司の前で黙りこんで返事をしない“やさしさ”などを強調する患者の例を引き、「何と“やさしさ”の意味がねじれてしまっていること」かと語る。
昭和30年代生まれの私にとっても、自分が子供の頃には使われなかった文脈で「やさしさ」という言葉が使われることにはしばしば違和感を覚え、著者の考察は非常に興味深く感じた。
旧来の語法による人間関係の「やさしさ」とは、「相手が自分の気持ちを察してくれ、それをわが事のように受け入れてくれる時に感じられ」、「自分が「やさしい」気持になれるのも、自分が相手と同じ心持になった時のことで」、「いずれの場合も「やさしさ」が双方にとって心地よいのは、自分と他人の気持のずれがなくなり、一体感が得られる」ためであるのは、言うまでもない。
しかし、著者は、多数のカウンセリングの事例を示しながら、「やさしさ」とは、傷ついた心を共有する治療としての「やさしさ」よりも、お互いを傷つけない予防としての「やさしさ」を表すことが多くなり、それは、取りも直さず、人間関係の有り様の変化を表し、人間関係自体が、“ホット”なものよりも“ウォーム”なものが好まれるようになったのだという。
本書が出版されたのは1995年であるが、その後の20年に発達した通信手段、特にSNSは、こうした流れを加速させているように思う。自分の強い気持ちを特定の個人に伝えるのではなく、当たり障りのない話をSNSを通じて(不特定)多数につぶやく。。。人間同士のつながりは弱いものになり、かけがえのない関係性を築くのは難しくなっていく。。。
「やさしさ」の変化を追いつつ、人間関係の有り様の変化を捉えた、今改めて読むべき作品と思う。
(2009年7月了) -
人はどんなときに,他人に対して”やさしさ”を感じるのだろうか.
また人はどんなときに,自分はやさしいことをしていると思っているのか.
現代の若い人のこの感覚が,著者の時代とは変わってきているようだ.
精神科医である著者と,精神科を訪れる患者との対話をもとに話が進む.それぞれの患者が話す内容は今の日本の現状を端的に表しているようで,読後なんともいえない気持ちになった.
以下,引用―
犬が舐めてくれると僕たちがそこに小さな傷を見つけるように,「やさしさ」を向けられると人々は誰しも自分が傷付いていたことに気付かされ,― -
意外とつまらなかったです。
古い本なので、
インパクトも弱いし,
事例の紹介が主で、
深みがかけるので、
読み継がれるものでもないでしょう。
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