原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)

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著者 : 七沢潔
  • 岩波書店 (1996年4月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004304401

原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 1996年刊行。著者はNHK教養番組部ディレクター。タイトルにはもんじゅも含まれるが、本書は、主にチェルノブイリ原発事故の原因、事故後の経緯、放射線被爆の影響、これら検証過程等を追跡取材したもの。正直、チェルノブイリ原発の制御棒の特殊性に関する技術面の解説を理解したとは言い難く、畢竟、事故原因の解説も同様。が、事故の実態が、小規模ながらも核兵器の爆発と同様の構造を持ち、核兵器と原発との垣根の議論は無意味な点、事故原因に関する米ソ大国間の情報収集の在り様、IAEAの強い政治色と大国に翻弄される姿は印象的。
    フクシマ前でも、探せばいくらでも出てきたであろう原発問題関連書。我が身の不明を恥じるばかり…。

  • (2014.03.31読了)(2011.12.11購入)
    【東日本大震災】
    副題「-チェルノブイリから,もんじゅへ-」
    読んでみて、もっと早く読むべきだったなあ、と思いつつも、福島原発事故がなかったら読む気にはならなかったろうとも思う。
    原子力発電は、電力の確保の問題でもあるけど、原爆の原料作成の問題でもあるので、経済・政治・科学・技術、さらには健康の問題、人類の未来にかかわる問題でもあるので、なかなか簡単にはいかない。
    原発の燃料になる核燃料は、生命体の毒になる放射能を放出しているし、無害になるまでに、何万年もかかるというもので、簡単に無害化する技術がない。
    そんなものは、早くやめてしまえということなのですが、防衛問題が絡んできたり、工業製品製造のための安い電力の確保なども絡んでくるのでなかなかすんなりとはいかない。
    チェルノブイリの事故が起こったのは、1986年4月26日ということですので、この本が出版される10年前です。事故が起こったときは、ソ連がまだ存在していたときなので、事故の真相はよくわからないままでした。その後、ソ連が解体し、チェルノブイリは、ウクライナ共和国に属しています。チェルノブイリの事故後、10年間、著者は、この事故のことを機会あるごとに追い続けて来たようです。その中で、事故の関係者などにもインタビューしたりして、真相に迫るための取材を続けて来たようです。その成果をまとめたのがこの本です。2011年3月11日以後の福島原発事故に際しては、「ホットスポット」という番組を制作し、まとめています。
    事故原因は、当初、運転作業員のルール違反によるものという発表だったようですが、実際は、原発の設計上の欠陥だった、ということです。設計上の欠陥であることを認めると、すでに稼働している同じ設計の原発すべての改良工事をしないといけなくなるので、経済的負担が大きくなるという理由で、運転作業員を悪者にして、逃れたということです。
    原発事故では、どこでも、住民への健康被害をできるだけ少なくしようという方向より、事故をできるだけかくして、被害を恐れて逃げ出そうとする人たちを少なくしようという方向に向かうようです。チェルノブイリの原発事故でも、原発近くの住民をすばやく安全な場所に移動させるのではなく、危険な場所に長くとどめたようです。
    人口の多いキエフの住民にも、メーデー過ぎまでは、事故のことは知らせない、という方針だったようです。
    事故が覆った場所では、発生した火災の消火作業や放射性物質の拡散を防ぐための作業に多くの人たちが携わり、高濃度の放射線にさらされたために死亡したり、後遺症に悩まされている人たちがたくさんいるようです。
    放射能に汚染された地域が広大にあるため、汚染された地域に住み続けている人たちもいるとか。福島でも、一部帰還が始まったようです。チェルノブイリに比べれば、汚染度はかなり低いとは思うのですが、子どもたちは住ませたくないというのは、わかる気がします。

    【目次】
    序章 もんじゅとチェルノブイリ
    第一章 「パニックを回避せよ」 チェルノブイリ・事故と政治①
      一 はがされた機密のベール
      二 「ありえない事故」の呪縛―運転員たちが語る「その時」
      三 遅れた避難―プリピチャ市民・四万五千人
      四 キエフの長い二十日間
    第二章 隠された事故原因 チェルノブイリ・事故と政治②
      一 運転員たちの汚名
      二 〈原子炉の欠陥〉は、こうして隠された
      三 国際検討会議の舞台裏
    第三章 世界は事故をどう受け止めたか
      一 原発見直しの波
      二 脱原発への挑戦―スウェーデン
      三 「推進」からの「撤退」―ドイツ
      四 「もんじゅ」の国―日本
    第四章 〈チェルノブイリ〉は終わっていない
      一 汚染地帯に生きる
      二 「グレーゾーン」の憂欝―事故処理作業者六十万人のその後
      三 原子炉の骸のなかから
    あとがき

    ●チェルノブイリ原発(54頁)
    あの原発はウクライナの独立まではソ連政府の電力電化省の管轄下にあったのです。それゆえ、事故後の処理も、ルイシコフ・ソ連首相の緊急対策会議およびソ連政府事故調査委員会からの情報と命令で動いていたのです。どんなことでも、ウクライナ独自で決めることはできませんでした。必ずモスクワに相談しなければなりません。
    ●経済的要因(73頁)
    わが国(ソ連)に限らず、日本でもイギリスでも、アメリカでも、非常事態が起ったら、普段のレベルよりも高い基準が導入されるようになっています。これは仕方ないことだと思います。たとえば、キエフ市民三百万人が本当に疎開するとなったらどれだけの社会費用がかかることでしょう。もちろん被爆による健康上のリスクは生じますが、それと、この社会的費用とを秤にかけて考えなければならないのです。
    ●事故原因は、原子炉の欠陥(110頁)
    設計に携わった人々は、原子炉の欠陥を認めたら全部改善しなければならず、そんな面倒で金もかかることをやりたくないと思っていたんです。
    ●残った原子炉(157頁)
    今、チェルノブイリ原子力発電所を訪ねると、まず驚くことは原子炉が稼働していること、そして人々が大勢働いていることである。「石棺」と化した四号炉と、九一年に火災を起して停止した二号炉を除いて、一号炉、三号炉が発電を続けているのである。
    ●原子力のもつ三つの危険性(193頁)
    第一に、原子力システムには絶対的な安全性が確立されていないこと。そして万が一の大惨事が起きた場合、膨大な数の人命が脅かされ、居住不可能の土地が生まれ、またはっきりとした影響も定かでない遺伝的影響があらわれてしまいます。
    第二に、放射性廃棄物の処分法が確立されていないこと。今後何千年も確実に安全に保管しなければならないという課題が、いかに困難であるかは、キリスト生誕以来二千年の人類史が教えてくれます。
    第三に、原子力の軍事利用と民生利用をはっきり区別することの困難さです。民生利用という迂回路をとって核兵器を調達したインドやパキスタンがいい例です。
    ●原発の優等生(205頁)
    いまや原発の安全管理と技術において日本は本家本元のアメリカをも凌ぐ世界の優等生である
    ●世界第三位(205頁)
    チェルノブイリ事故ののち、日本で運転が開始された新しい原子炉は十六基。その数は世界で群を抜いている。1996年3月現在、運転中の原子炉は全国で五十基。さらに三基(もんじゅを除く)が建設中で、二基が建設準備中である。原発の発電規模はアメリカ、フランスについで世界第三位に上り、総電力の三一パーセントを生産している。
    ●事故処理作業者(247頁)
    ロシア国防相の機関紙『赤い星』が事故から八年目の九四年四月に報じた記事によれば、ロシア人の事故処理作業者三十万人のうち、三万人が身体障害者となり、すでに五千人以上が死亡したという。
    ●黒鉛除去作戦(258頁)
    当初、この作業はあまりに危険であると考えられ、西ドイツ製のリモート・コントロールのロボットを使って無人で行うはずだった。しかしロボットは、強い放射能の影響で、電気系統の故障があい次ぎ、動かなくなってしまった。そこでやむをえず、人海戦術によって黒鉛を除去する作戦が立てられたのである。
    ●核燃料は外へ(266頁)
    八六年に公表されたソ連政府報告書では、核燃料の九六パーセントが、この炉心室に残っていることになっていた。しかし、マイクロカメラが映し出す炉心室には、核燃料はまったく残されていなかった。チェチェロフ主任は、調査の結果、ほとんどの核燃料は事故によって炉心室から外に放出されていたことを確信したという。

    ☆関連図書(既読)
    「恐怖の2時間18分」柳田邦男著、文春文庫、1986.05.25
    「食卓にあがった死の灰」高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代新書、1990.02.20
    「チェルノブイリの少年たち」広瀬隆著、新潮文庫、1990.03.25
    「チェルノブイリ報告」広河隆一著、岩波新書、1991.04.19
    「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」菅谷昭著、ポプラ社、2001.05.
    「福島原発メルトダウン-FUKUSHIMA-」広瀬隆著、朝日新書、2011.05.30
    「原発の闇を暴く」広瀬隆・明石昇二郎著、集英社新書、2011.07.20
    「ホットスポット」ETV特集取材班、講談社、2012.02.13
    (2014年4月23日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    事故の影響も原因究明も―チェルノブイリは終わっていない。原発作業員からゴルバチョフまで多数の証言と、膨大な内部資料をもとに、新事実を発掘。さらに、ソ連一国を越える「真相を隠す側」の巨大な構図を追及。ソ連の原発政策と情報操作の結末と、スウェーデンやドイツの試行錯誤を前に、「もんじゅ」の国がえらびとるべき道を問う。

  • 原子力発電は人間に制御不可能な技術であるのに、なぜ始め、なぜ進めたのか?核廃棄物をどうするのか?世界全体で取り組まねばだめだ!

  • 福島原発事故後に読んだ本。そして就活で原発業界志望だったから読むべきだと思って読んだ本。

    チェルノブイリ事故の起きた原因とその組織間(国家、IAEA、原発発明者)のやりとりなどが詳しく書いてあり、今後の日本の原発事情を考える上では大変為になった。

    事故後の国民に対する政府の対応。時間経過とともに増えるガン患者。ロシア製の原発はエネルギー発生機構上問題があった。偉人の功績を守るため国は謝らなかった。などなど・・・。

    今後の日本の行く末の参考になったと思う。

  • 今の日本の状況と読めば読むほど重なってきて気分が悪くなります。
    放射能と一生付き合っていかなければならない我々は読まなくてはいけない本の一つだと思っています。

  • 多くの当事者へのインタビュー、内部資料や議事録に当たり綿密な取材がなされている。原発に対する隠蔽体質は国を問わない。安全神話なんて夢物語だ。チェルノブイリの時点で、日本は立ち止まるべきだった。

  • 資料ID: C0018880

    配架場所: 本館2F文庫・新書書架2

  • 2011.04.05-
    「放射線が人体に与える影響について放射線医学の分野ではまだまだ未解明なことも多く、とりわけ百レム以下の低線量域での被曝がもたらす健康上の障害については、はっきりとした影響がわからず、グレーゾーンと呼ばれている。一レムでも多く被曝すれば、それだけ発ガンなど健康上のリスクが増すと考える科学者もいれば、それは無視できるという立場の人もいる。また、一度に大量に被曝する場合と、長時間に渡り被曝し続ける場合の影響も違うと言われている。」

    被曝許容線量は、人の健康を守るために定められた。これは、住民保護の対策を決める際の客観的な目安となる。しかし、非常事態が起こったら、平常時のレベルより高い基準が導入されることになっている。

    理由は二つある。
    一つ目は、むやみに人の移動を認めて、パニックが起こるのを防ぐという政治上の理由。
    二つ目は、大都市の全市民の疎開の費用をまかなうとしたら、財政が破綻しかねないという経済的な理由だ。

    被曝による健康上のリスクと、社会的費用を秤にかけて考えなければならない。というのが、被曝許容線量引き上げの論理だ。
    この考え方は、IAEA(国際原子力機関)や被曝許容線量に関するガイドラインを決めるICRP(国際放射線防護委員会)でも「オプティマイゼイション」と呼ばれる。
    「公衆の健康を守るための原則と、経済的利益との調和点としての基準値」を決めるために用いられる。
    原発労働者の被曝許容基準もこの考え方に沿って決められている。だから同じ人間でありながら、一般人の被曝許容線量より高い値が許されているのだ。

    被曝許容線量引き上げの論理は、グレーゾーンをめぐる放射線医学のデータが不十分なことに支えられている。被曝許容線量を決める当事者が、「低いレベルでの放射線が人体に与える影響がわからないから、影響がないものと考えてよい」と都合のいい解釈を持ち込み、政治的に利用している。
    広島、長崎、ビキニ、ムルロワなど核の被災地で、その論理は何度となく悲劇を引き起こしてきた。
    チェルノブイリでも、この「数字の政治術」がさらに住民達の心と健康をさいないでゆく。

    巨大な組織って、一度進むと止まれないんだな。柔軟性がない。それに原子力発電って、そんなに経済的か?原子力発電所は事故があった時のために、辺鄙な場所につくる。だから電気を供給するための設備投資が必要だ。それに原子力発電で50年繁栄したとしても、たった一度の事故でなにもかも台無しになっちゃう可能性があるなら、デメリットの方が多くないか。

    IAEAは核兵器の拡散は防止するけど、原子力の平和利用については推奨している。

    スウェーデン
    1980年 スリーマイル島の事故(1961年)を受け、国民投票を行う。その結果、政府は2010年までに全基を段階的に廃止すると発表した。
    1986年 12基の原発を持ち、総電力の約50%をまかなっていた。
    1999年 バーシェベック原発一号基が廃棄される

    2002年 社会民主党政権は左党(閣外協力)と中央党(当時は野党)の合意のもとで「10年までに全廃」という目標は現実的に達成不可能と判断し、時間的目標を撤廃した。既存の10基は少なくとも2030年頃に寿命を迎えるまで使う。政府の方針としては、当初の予定よりも時間がかかるものの、エネルギー転換を現実的に可能な範囲で進めていく方針だ。
    2003年 再生可能エネルギー(renewable energy)は時間帯により需給のバランスが崩れたり、価格競争に弱いというデメリットがある。そこで枯渇性エネルギーの電力料金に一種の課徴金を上乗せし、REからの電力の供給者に配分することで、経済的な公的支援を行っている。
    2005年 バーシェベック原発二号基が廃棄される。
    2009年 原発依存度45%。
    2009年2月 政権を構成している中道右派4党が「代替エネルギーを確保する前に原子炉が寿命を迎えたらその原発の更新を認める」と合意した。また、原発は「エネルギー転換までのつなぎ」にすぎないという姿勢を改めて強調。原発の代替エネルギーとなる再生可能エネルギーの開発と普及の公的支援を強化することにも合意している。
    一方で原子力発電に対しては「中央政府は直接・間接的を問わず、経済的な支援は一切しない」とこの合意の中で明言している。更新するかは各電力会社の判断に任せられるが、場合によっては原発建設の方がコストが高くなる可能性もある。
    スウェーデン国内にも原発推進派は存在するし、国政政党の間でも原発の位置づけについて意見の相違がある。しかし、環境税などを用いて省エネを推進すると同時に代替エネルギーの開発を進めていくという方針が大きく変化することはないようだ。

    雇用と豊かさを犠牲にすることなく、原子力依存を減らすために、省エネや代替エネルギーの開発によって減らそうとする努力が行われている。

    参考
    Wikipedia
    「はんげんぱつ新聞」2009年04月号 『「スウェーデンが原発新設」報道の真相』佐藤吉宗より (ブログ「スウェーデンの今」)

    スウェーデンでは六十代になると議員が引退するんだ!いいなそれ。
    いくつもの党が政権に参加しているんだ。国民投票って何だろ。日本でもするのかな。

    三 「推進」からの「撤退」――ドイツ
    「揺れた原子力政策」
    西ドイツ
    ドイツは反核、反原発、三政府など公害に対する反対キャンペーンの先頭に常に立ってきた。
    1970年代に、環境保護を政策の根幹に置いた政党・緑の党が誕生する。
    1986年 21基の原発 原子力依存の30% 当時世界第五位 (日本は世界第四位)
    将来的には原発の比重を総電力の50パーセントにまで拡大する方針だったが、国土に濃厚な汚染地帯ができ、長い間食料汚染を体験することで、国民の原子力への信頼感は、不信と拒否の姿勢に一気に変わっていった。追い打ちをかけるように原子力をめぐる不祥事がマスコミを通じて次々と明るみにでたことで、原発からの撤退を求める声が高まった。

    西ドイツは、チェルノブイリ事故以後の三年間、「原子力」をめぐって揺れに揺れた。原子力政策が国政レベルから、権限の強い地方政治レベルに至るまで争点になった。その中心に、野党第一党にして、当時40%の支持を得ていた社会民主党の動きがあった。

    社会民主党
    1962~1975年 十三年間政権を担当する。当時は原子力推進の政策を進めた。
    1973年 第一次石油ショック 輸入石油に依存していたエネルギー供給構造の変革が叫ばれ、急ピッチの原子力発電推進が行われた。西ドイツの原発のほとんどが、社会民主党の政権担当時代に計画されたものだった。
    1987年 チェルノブイリ後の党大会で、それまでの推進策を転換、脱原発の政策を決議した。当時野党であったとはいえ、五つの州で政権を握り、支持率も高かった有力政党の政策転換は、もともと原発反対の緑の党の勢力拡大も加わって、大きな衝撃をもたらした。
    1988年 「十年以内の原発から段階的に撤退すること」と「省エネと再生可能エネルギーの開発」への巨額投資を骨子とした「核エネルギー清算法」を国会に提出した。そのための新税導入も含めて、原発推進策を維持する与党と激しい議論を展開していた。

    1950年代から70年代まで、技術の進歩が全ての人類の進歩を可能にするという進歩主義的思想が全盛だった。しかし、一部にあった原子力懐疑論が、ついにチェルノブイリ事故によって正しい予見であったことが立証された。

    原子力のデメリット
    ・三つの危険性
    1 原子力システムには絶対的な安全性が確立されていない。万が一の大惨事が起きた場合、膨大な数の人命が脅かされ、居住不可能の土地が生まる。また、遺伝へどのような影響があるのかもよく分かっていない。
    2 放射性廃棄物の処分法が確立されていない。今後何千年も確実に安全に保管しなければならないという課題は、紀元後2000年の人類史からみても、非常に困難だ。
    3 原子力の軍事利用と民生利用の区別の困難さ。インドやパキスタンは、民生利用という迂回路をとって核兵器を調達した。

    ・経済性の悪さ
    1 原子力はエネルギー利用効率が低い。
    2 都市部で使う電気を田舎で発電するので、送電設備への投資が必要になる。
    3 事故が起きた場合、何十年にもわたって経済を圧迫する。

    当時の西ドイツでは、原発の見直し議論が市民レベル、政治レベルだけでなく、経済学者達の研究対象にもなって、この頃次々に論文が発表された。その中でも最も世間の注目を集めたのは、連邦政府・経済省の委託を受けて、1986年8月に発表されたライン・ヴェストファーレン経済研究所(RWI)の報告書だった。ドイツの五大経済研究所に数えられるこの研究所は、1920年代の創設以来、運営費の90%を政府が拠出する公共的性格の研究所であり、連邦政府の経済政策に多大な影響を与えてきた。
    RWIは報告で、「多少の犠牲は伴うものの、社会・経済的にはすぐにでも脱原発可能」と回答をだした。
    報告書を作成したハイレマン博士は、「国民の大多数が原発の安全性に疑問を持ち、負担を覚悟で脱原発を望むのなら、一つの選択肢として用いてきたにすぎない技術に国が長期的に執着し続けるのは不可能だ」と語った。


    1989年11月 40年間にわたってドイツ国民を分断してきた冷戦の象徴、ベルリンの壁が崩壊した。
    1990年10月 統一ドイツに復帰する。歴史の激動の中で国民の意識は高揚し、関心は統一をめぐる政治の問題へとむかい、原発問題は片隅に追いやられていった。
    加えて、社会主義国家・東ドイツの崩壊によって、それまで人々を苦しめた非情な政治体制の実態が知られるようになり、社会民主党という名前はマイナスイメージを抱え込むことになった。特に、東の人々にとってそれはもう聞きたくないものだった。
    1990年 総選挙で社会民主党と緑の党の野党連合は惨敗した。ベルリンの壁崩壊までは不人気だったコール首相のキリスト教民主・社会同盟と連立与党の自由民主党が圧勝した。
    その後は失業問題や、外国人排斥の動き、ネオナチの台頭など、経済や民族に関係した話題が多くなった。だが、「原子力の推進からの撤退」は、その後も着実に現実化していった。

    1991年 ドイツ研究開発省大臣が、それまで州政府の運転許可が出ず凍結中だったカルカーの高速増殖炉の計画を中止すると正式に発表した。
    1992年 連邦経済省内に与野党の政治家や産業界、環境団体の代表で構成される「エネルギー・コンセンサス委員会」が設置された。
    1993年 ミュルハイム・ケーリッヒ原発の運転許可申請が正式に却下された。
    1994年 地元の反対で核燃料サイクルの実現のための切り札と考えられていたMOX燃料(ウランとプルトニウムの混合燃料)の工場の操業再開が断念した。さらに、原子力法の改正案がドイツ連邦議会で可決され、新規の原発建設が事実上不可能になった。また、この法改正で核廃棄物を再処理せずに直接処分することが認められるようになった。これで核燃料サイクルの道が事実上閉ざされることになった。

    このようにドイツ統一後も原発の新規建設も原子力の開発も行わない現状維持、「推進からの撤退」が貫かれていた。しかし、90年代半ば頃から、長年の不況と深刻な失業問題解消のために、原発の新規建設を期待する声も高まってきた。それは社会民主党も後押ししていた。

    「原発にすがる道を選択する地方自治体の追い詰められた「貧しさ」に、私はこの問題の根深さを見る思いがした。それは「一極集中と膨大な過疎」という、戦後の日本国家の国土計画の失敗の結果だった。そして国家は、みずからの失敗の結果としての「地方の貧しさ」を利用して、原発の立地を押し進めようとしている。それによって苦しむのは原発のつくり出す巨大な電力とは縁もゆかりもない小さな村の人々なのである。」

    「「もんじゅ」への道」
    「プルトニウム利用計画への懸念」
    「もんじゅの事故は、放射能漏れを伴わない、二次系配管部での事故であったにもかかわらず、日本のみならず世界中にニュースとして伝えられた。その理由は二つあった。第一に、先発各国がその技術的困難さからすでに撤退していた原子力技術に独自に挑んでいた日本の失敗自体がニュースだった。それは地震にはじまり、地下鉄サリン事件、不良債権問題など、日本の信頼性が急落した都市の最後のニュースでもあった。チェルノブイリ原発事故の後、些かもペースを変えずに原発を増設し、「原子力こそ未来の日本を支える」、「これからは安全文化の高い日本が世界の原子力をリードしてゆく」と自負していた日本の自信に満ちた姿が、世界各国の人々にはすでに相当奇異に映っていたことも背景となっていた。」

    「政治の不在」
    「〈チェルノブイリ〉はヨーロッパの人々に、立ち止まって考える期間を与えた。そして人々は、かつて未来永劫に人類にエネルギーを供給すると考えた原子力が、将来、より理想的なエネルギーを手にするまでの過渡的なエネルギー源に過ぎないことに気付いた。スウェーデンやドイツでは、人々は将来に向けて準備を始めた。〈チェルノブイリ〉でその考える機会を逃した日本人は、〈もんじゅ〉の経験を機に、それをすべきだと思う。そのためには文字通り「文殊の知恵」を官僚組織や専門家の枠を越えて広く集める必要がある。エネルギーや巨大科学技術の選択を、閉鎖的な官僚機構の手から解放して、市民社会の中に位置づける。エネルギーや巨大科学技術の選択を、閉鎖的な官僚機構の手から解放して、市民社会の中に位置づける。それが、〈チェルノブイリ〉が世界に伝えたメッセージの内で、最も早急に具現すべき事だと、私は思う。
    もう一度繰り返そう。日本はプルトニウム利用も含めて、このまま21世紀以降のエネルギー供給を原子力に賭けるのか(もしそうならば増え続ける核廃棄物の処理をどうするのか)、それとも方向を転じて、ヨーロッパやアメリカで進む再生可能エネルギーや省エネ技術の開発に、より重きを置き、環境とエネルギーが調和した社会を目指すのか――国家百年の計が今こそ必要とされているのである。」

    チェルノブイリから十年経った後でも、被災者への補償や、汚染された土地の復旧作業などに、年間予算の15%(ウクライナ)もの財政支出を強いられている。
    86-91年までにソ連が支出した金額は六兆七百二十億円

    広島・長崎の被曝影響評価は、50年後も書き改められていた。
    放射能が生命に対してどのような影響を持つのか、特に低いレベルの放射能が将来どのような影響を与えるのかは、ほぼ何も分かっていない。

    ソ連政府は、事故の規模を小さく見せるために、公式に放射能事故で亡くなったと発表した人以外は、「神経血管疲労」という「病名」を作った。ソ連保健省が急性放射線症と発表した人数は187人と公表。その中に避難民など一般住民は含まれていないとしていた。
    「神経血管疲労」と診断された患者達が、くわしい追跡健康調査を設けた形跡は、ごく少数を除いて見受けられない。

    IAEAは加盟国の政府の利益と意向を代表する組織であり、各国の国民や、世界の市民のための組織ではない。「原子力推進」という基本姿勢を持つ政治的な組織。

    チェルノブイリ原発事故は、予想を越えた事故だと言われた。しかし、その予想とは、科学という言葉の持つ本来の意味とはほど遠い、きわめて政治的な思考によって作られた原子炉の神話のようなものでしかなかった。

  • 1996・4・22 1刷 278p 4004304407

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