神仏習合 (岩波新書 新赤版 453)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004304531

感想・レビュー・書評

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  • 古代以降、元来、基層信仰(神)を保有する日本が、社会環境の変化の枠組みの中で、どのよう普遍宗教(仏)を受容し、活用し、変容させていったのか?を戦国時代までの流れを簡潔に解明した名著。

  • 荻原規子さんの勾玉シリーズとかRDG関連でちょっと興味が湧いて読了。滅多に読まないタイプなので時間が掛かったうえに半分も理解できた気がしません。でも、祭祀と結び付けてしか成り立たなかった初期の租税システムといった古代の日本がこれほどまで宗教に支えられた存在であったことに驚きました。為政者の苦悩と向き合い、日本の神話を取り込んで変化していく仏教の在り方を知っていくと宗教に対する感じ方がまた変化した気がします。教科書では学べなかった日本の一面を垣間見れる一冊。

  • 大神神社の告白を契機に日本古来の神が仏教に帰依という形で始まった神宮寺の興りなど面白かった。

    仏教に「罪の意識」…?
    うーん、ちょっと言い切りすぎかなぁ。そこが引っかかってしまい、色々頭に入ってこなかった。。。

  • 神仏習合に至る事情が
    解説されておるかんじの内容

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/705279

  • (後で書きます。参考文献リストあり)

  • YA3a

  • 学生時代から何度も読み返している。日本における神道と仏教の融合はどう起こったのか。仏教伝来のときもそうなのだけど、政治的に仏教の性質が都合のよい点を持っていて、でも天皇家の正統性が続く日本では、神仏習合というかたちで存在するしかなかったのかなと思う。神仏習合自体は日本という国に合わせたスタイルというだけであって、その意味において「特殊」とも言いがたいか。すべて同書の解釈が正しいとも言い切れないところはあるのだけも、仏教を学ぶなかでの日本における解釈書として読むもよし、日本史における土地所有概念のありかたを学ぶために読むもよし

  • その昔(9世紀頃)「神様やってるのが辛いので、仏に帰依としたい」と、神社の神様が言ったそうだ。律令制度の求心力低下を、仏教の力で補うという政ごとの論理であろうが、形式上は、神の方から仏にすり寄っていったのが事の発端らしい。その後、平安末期から鎌倉期にかけて、力を増した仏門の勢力は、積極的に神道のリソースを取り込んでいく。本書では、神仏習合のこうした歴史をひも解いているが、なぜ神仏習合なのかという本質論についての解説が、やや弱い気がした。

  • 古代から中世にかけて隆盛した神仏習合の様相を、主にその社会的背景から論じた書。神身離脱に基づく神宮寺の建立、怨霊信仰などの神仏習合的言説が、どのような社会的要因から生じたのかを考察する。
    本書は神仏習合的言説を成立せしめた歴史的・社会的要因を読み解くことを目的としている。しかし、その論述には大きな問題がある。というのも、本書における著者の仏教認識が誤っているからだ。筆者は「仏教の根本は、何よりも、物や人間に対する欲望に人間の罪の源泉があり、罪を償うためには苦行によって欲望の根を断ち、その世界から解放されて悟りの境地に達することこそ究極の目的である、という教説にある」(p75)などとして、仏教を善悪二極対立(罪=悪、悟=善)の贖罪宗教と捉えているのだが、これは全くの間違いである。なお筆者は、儒教も善悪二極対立で語っている他、阿弥陀浄土信仰をキリスト教のメシア思想やゾロアスター教の影響下に生まれたものなどと語っており、その宗教知識の正確性には大いに疑問符が付く。
    本書の問題は、この間違った仏教理解に基づいて神仏習合を解釈していることである。例えば、神身離脱について筆者は「社会の発展の結果、私有財産を有するようになった豪農や地方豪族がそれに罪悪感を覚え、私有を罪とする仏教に共鳴してその思いを神々に仮託した」と述べている。しかし、仏教は財産の私有を忌避こそすれそれを罪としている訳ではないし、そもそも地方豪族たちが財産の私有を悪と捉え罪悪感を覚えたという説自体疑問である。また神身離脱を語る物語はあくまで仏教の価値観(神々もまた六道輪廻する衆生である)に基づいているのであって、そこでの神々は仏教から独立した(「本来の神道から外れて罪業に苦しむ」)存在として語られている訳ではない。さらに、筆者は怨霊信仰を(私有を罪とする価値と個我に目覚めた)没落貴族たちと密教が結託した反王朝社会運動と解しているが、これについては寧ろ民間の疫神信仰との関連を考慮すべきだと思う(筆者は民間の御霊会を王朝の残酷さや罪を糾弾するものとしているが、実際にはこうした御霊会では個人としての怨霊は意識されず疫神が念頭に置かれていた)。
    その他、末法思想に一言も触れずに平安期の浄土信仰を語ったり、本地垂迹などにおける神道側のアプローチに言及しなかったりと、その主張には問題が多い。資料の扱いについても、鎌倉時代成立の『北野天神縁起』に見られる思想をそのまま道真死亡直後の社会通念とするなど雑な点が見られる。全体として神仏習合の本質を語っているとは言えず、おすすめはできない。

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