- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004304722
作品紹介・あらすじ
何のために人間は名前を付けるのか。名前には意味があるのか。どうして言語学は固有名詞をまっとうなテーマとして扱ってこなかったのか。人が自由に名付けるのを許されないのはなぜか。民族によってはナナシさんやビンボーさんだって珍しくはない。あらゆる角度から名前を考え、「名付けるもの」としての人間の歴史を振り返る。
感想・レビュー・書評
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【概要】
モノの名前(名詞)、ありようの名前(形容詞)、動きの名前(動詞)・・・色々な事柄に名前が付けられるところから言語が始まる。その中で異色な存在が「固有名詞」である。固有名詞は普通名詞より先に誕生するものなのか?それとも普通名詞から固有名詞に昇華されるものなのか?「名前」というものに対し、様々な角度から切った一冊。
2019年11月06日 読了
【書評】
読んだ本に対する評価の高低は、読んだ人間の理解力の高さや知識の深さによって大きく左右する。・・・なんてことを思った一冊だった。
前半は、非常に引き込まれた内容だった。「普通名詞が先か?固有名詞が先か?」じゃないけれど、普通名詞と固有名詞の違いであったり、著者以外の固有名詞に対する考えなどの紹介がされたりと、「なるほど」と強く感じさせる内容が多くあった。
たとえばアダム・スミス(「国富論」って聞いたことないかな?「神の見えざる手」の人)の「道徳感情論」では、「川というものをテムズでしか知らない『無知な』人間にとっては、別の川を見た時もテムズと言うはずだから、全ての名詞の期限は固有名詞だったと主張している・・・なんてことを紹介してくれたり。逆にJ・スチュワート・ミルなどは「固有名詞は、単に『他のものと区別するため』のもの」(超要約)としちゃってたり。
確かに英語などでは固有名詞に a/an といった冠詞をつけることで固有名詞の「他者(物)と区別された感」をなくし没個性のものにしちゃったり(例:a Suzuki で「鈴木さんという方(どこの鈴木さんかわからない鈴木さん)」になる)するから、固有名詞の普通名詞化みたいな現象も、ありえる。前半はニヤニヤしながら読み進んでた。
ところが後半は、モンゴル関連の事柄からの派生があり、少し・・・正直に言うと、関心が薄らいだ感が読者としての自分に出てきちゃって。多分、言語学や人の名前、地名に対しての背景知識がもう少し深かったら違った楽しみ方ができたと思う。
たとえば3年後・5年後、今一度手に取って読んでみると、新しい発見があったりするのではないかと思ったね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者の専門は社会言語学であり、名前をめぐる社会的・文化的問題の諸相を考察しています。
第1部「言語学と名前学」は、科学的であろうとしてきた言語学が「意味」に踏み込むことを避けようとしてきたことが指摘され、さらに意味を持たず指示機能だけしか果たさないと考えられてきた名前は、従来の言語学の中でほとんど扱われてこなかったことが論じられています。その上で第2部以降では、「名付け」の社会言語学というべき観点から、名前をめぐるさまざまな問題が取り上げられています。 -
数年前、自分の子どもに「悪魔」という名前をつけようとした人がいた。役所はそれを受け付けなかった、というかそれ以上にマスコミをはじめ世間がそれを許さなかった。モンゴルでは「チョットグル」という名前があるらしい。その意味は悪魔。どうしてそんな名前をつけるかというと、悪魔がやってきたときに「おれも悪魔だぞ」なんて言って追い払おうということらしい。まあ、魔除けのようなもの。「悪魔」という名前をつけた日本人夫妻は、そんなこと考えていたかどうかは知らないけど。まあ、子どもは親の所有物ではないから、親が選んだものによってその子の将来に不利益があるとしたら、ちょっと考え物だ。話はずれるけど、茶髪の親に茶髪の子というのも同じような構造に見える。本書にはいろいろな名前が登場する。本来、言語学では固有名詞については扱わないのだそうだ。だけど、言語学者である著者はあえて固有名詞、個人の名前に焦点をしぼって話を進める。そこから、新しい言語学の可能性が見えてくるのかも知れない。まあそんな大げさなことを言わなくても、名前の由来を知るというのはちょっと楽しい。もう少し具体例をあげていこう。僕は、以前東京の国立(クニタチ-百恵ちゃんが住んでいるからその町を選んだ)という町で暮らしていた。何度も「コクリツ」と読み間違えた。京都にもどってしばらくは逆に「コクリツ」を「クニタチ」と読み間違えて困ったりもした。さてその名の由来は、わりと有名な話だけど、国分寺と立川の間に新しくできたから、その2つの頭文字をとったのだそうだ。何と単純。何と紛らわしい。でも、とってもステキな町です。外国人の名前を見てみよう。ドイツ人のヴィンデルバントは「おむつのひも」という意味。ロシア人のドゥルノピヤーノフは「いやらしい酔っぱらい」。ベズィメンスキーは「名無し」。モンゴル人、ヘンチビシは「誰でもない」、フンビシは「人間ではない」、いろんな名前がある。バースト「うんこまみれ」というのまである。やはり魔除けのようなものがあるのかも知れない。最後に日本人。もうこんな漢字は使ってはいないけど(使っていたら問題だ)、十六娘と書いて「ネゴロ」、十八女と書いて「サカリ」と読ませることもあったそうだ。ネゴロという姓の人なら知っている、その人は根来と書く。
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言語学的な本でした。しかし、私が関心を持っている内容にも用いることができそうな部分もあり、読めて良かったです。少し難しかったです。
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[ 内容 ]
何のために人間は名前を付けるのか。
名前には意味があるのか。
どうして言語学は固有名詞をまっとうなテーマとして扱ってこなかったのか。
人が自由に名付けるのを許されないのはなぜか。
民族によってはナナシさんやビンボーさんだって珍しくはない。
あらゆる角度から名前を考え、「名付けるもの」としての人間の歴史を振り返る。
[ 目次 ]
第1部 言語学と名前学(名前の支配;ことばと名前 ほか)
第2部 名前学から見た固有名詞(言語記号の恣意性と固有名詞;固有名詞の弁別性 ほか)
第3部 固有名詞の語源(ユダヤ人の美しい名前;民間語源(フォルクスエティモロギー)について ほか)
第4部 名づけの諸相(さまざまな名づけ;モンゴル人の名前から考える)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
自由な文体。接続詞をもう少し補ってほしいと思った。しかし、内容は固有名の語源に関する面白い話や、名前の付け方に関する逸話など楽しく読めた。著者が研究しているという影響だろうが、ロシア・モンゴル・ユダヤ人の言葉についての話が多い。
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これも妻の蔵書。たくさん田中克彦氏の本があったがタイトルに引かれて持ち帰って読んでみた。ちょっと私にとっては苦手なジャンルで、読み終わるのにちょっと時間がかかったが、内容はとってもおもしろかった。理解ができているとは思えないけれど。
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名詞について、特に固有名詞について考察するもの。
なんというか、うーん。。
まぁまぁ面白かったですよ。
でもやっぱ『ことばと国家』が面白すぎただけに、ね。 -
固有名詞とは何か、なぜ言語学を固有名詞を対象としないのか等、タイトルから受ける印象よりだいぶ硬い・学問的なテーマを扱っている。
言語学者なだけあって文章は簡潔だが、内容自体がやや難しいので頭を使う必要がある。その分得られるものも大きく、恐らく名前というものについてここまで真剣に考えたことのある人は滅多にいないと思う。
新書の割には読み応えのある、まさに「読書の秋」に似合う良書。ちょっと言語学にも興味を持ち始めてしまった。
350円。