- 本 ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004305224
感想・レビュー・書評
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裏日本の定義などを云々するパートは普通でしたが、地域間格差や差別的構造を、国策をして地域毎の分業とする考え方への反論は面白かったです。
基地や原発に通底するものが見えるような気がしました。 -
いわゆる裏日本から表日本に人材が流出した
という事実は知っていたが、
本書を読み、明治初期に人だけでなくお金も裏日本から表日本へと流れ、
表日本と裏日本に不均衡な発展があった
ということを理解できた。 -
過去の新聞記事を漁っていたら、2009年春に、自分が影響を受けた本として谷本正憲石川県知事が薦めていたので購入。次読む。
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「『裏日本』とは本州の日本海地域、とりわけ北陸・山陰をいう。そしてこの呼称は単なる自然地理概念ではなく20世紀初頭、「表日本」に対するヒト・モノ・カネの供給地とされていく中で成立し、定着したのである。」
以上は著者による「裏日本」の定義。
私は北陸や山陰出身ではないどころか
ほとんどその地に足を踏み入れたこともない。
むしろいわゆる「裏日本」を犠牲として栄えた
東京でゆるゆると暮らしている。
ニュースで水不足が報じられても水道からは
水がジャージャー流れてきたし、
とんでもない停電になったこともない。
この本はまさにそういう私のような腑抜けが読むのにふさわしいのではないかと思う。
何も知らず、ただ便利な毎日が誰にでもあると
そう勘違いしている、そういう私に
衝撃を与えた一冊。
中国は革命の時に
「先知先覚」というスローガンを掲げた。
知っているひとから自覚して行動していこう。
つまりは知識人たちが、エリートがリーダーとなるそういう構造。
もちろんその先知者が夢と理想に追われている間は熱い革命となるが、
世の中が安定し、まとまると結局はただの
「上からの政治」「知ってるヒトだけ得をする世の中」になっていく。
法律は作ったヒトに有利に作られていると
言われるのがわかりやすい例だろうか。
鄧小平は「先に豊かになれるものから富め」と言うようなことを述べ、
中国は高度成長期を向かえ、沿海地区の都市は
アジア最大の都市といわれた東京を脅かすまでに
なっている。
近代日本もそれをやってきた。
そして今日本にあるもの。
発展した中国にあるもの。
一目瞭然だ。
得するヒトは得をし、
損したヒトは得をしたと思い込まされている。
豊かであるというのはどういうことか、
考えさせられる。 -
1997年に初版。手に入ったのは2009年の10刷。2003年に著者が亡くなっても版を重ねているということは、すごいことだ。しかし、2003年からはや20年余。裏日本を超える「環日本海ネットワーク」構想は、遠のいているような気がしてならない。そして強まる東京への一極集中。能登地震、豪雨の被害。著者が生きていたら、どのように今を見るのか。そう思ってしまうほど「裏日本」をつくり出す構造は強靱であると思わずにはいられない。
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裏日本という単語自体は初耳だったが、日本海側に対してもっていたイメージは裏日本そのものだった。しかし、過去には日本海側の方が豊かであった。日本海域に対するまなざしは現在に束縛されている。歴史を知ることで現在から解放してはじめて、日本海のポテンシャルは開かれる。
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・表の発展のために裏が必要とされていた
・北前船の寄港地として、また北海道との交易により栄えた時代があった。西洋船の普及や鉄道輸送に切り替わると衰退していった。
・富国強兵の原資は地租。明治20年では政府税収2/3を担っていた。裏日本が捻出した利益を太平洋側に投資する構図。
・労働力も工業化に伴い裏日本から捻出を余儀なくされた。先述の米に限らず、ひいては電力までも
・大正に入るとウラジオストクとの交易が盛んであった福井の敦賀港が栄え、新潟港を逆転する。
・明治29年に新潟で大災害が発生し致命的な被害が発生するも国は冷淡な対応。県民に意識が芽生える。
・治水や港湾、鉄道の整備などの点で国の援助の少なさに不満が噴出。ここで県議から地理的要因としてではなく地域格差を含むニュアンスで使われたのが裏日本の始まりとして事実に残る。明治38年
・「資本的表日本と民衆的裏日本」など日本海の扱いや展望について様々な言論が飛び交う
・上越線の使命は新潟経由で満州国と東京を結ぶため。まさに国家戦略によって敷かれた路線
・北海道、満州、朝鮮などへ多くの裏日本民が成功を祈願して渡っていった。満州国の建国は裏日本にとっての飛躍の機会であり、日本海湖水化をイメージすることで裏日本からの脱却を図ろうと期待した。
・裏日本という言葉が反応されるようになった高度経済成長期には、太平洋ベルトに傾斜がかかりまたも裏日本は置き去りにされた。
結局のところ、日本の成長は裏日本なくしてなかったことには変わりないが、犠牲への対価があまりに少なく、その差別されてきたという意識を過去からずっと引きずることで裏日本イデオロギーは形成されてきた。さらには原発など面倒なものを押し付けられたり、とにかく損な役回りを今も果たしている。 -
「裏日本」という言葉は差別的ニュアンスも含むとして1960年頃から既にNHKでは用いられなくなった。しかし、筆者は、この言葉を使って色々な分析を試みることで、明治以来の近代日本のあり方を問い直している。