日本の神々 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 241
レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306184

感想・レビュー・書評

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  • 幅広く神々を取り扱っているが
    少々散漫な印象的はあるかもしれない。

    最初は言葉のつながりから語彙にイメージを与えていき。
    中盤では歴史的な趨勢をおさえながら
    神や霊的なものがどのような意味を持っていたか見せる。
    終盤では実地の取材に即して展開する。

    どうも、それぞれの部分だけでも
    ひとつの本に出来るだろうという気がするので
    新書にまとめようとしたのが間違いかね。

    八幡信仰のあり方から
    沖縄の尚氏が九州から来たのではないかという話は
    面白いけど、やっぱり脱線してるんじゃないかな。

    とはいえ、沖縄でのユタの事例などは
    死のあまりの近さを考えると
    取材する信用を得るだけでも大変なものだろうと思う。
    実直で地道な学者だ。

  • 日本人は古来から神(カミ)祖霊(タマ)妖怪(モノ)を区別しなかった。すべては等しく畏敬の対象であった。本書は日本の原郷を追い求め続けた著者の膨大な知識が散りばめられている。一読、この国のさまざまな文化、風習には実に驚かされる。やはり日本は広い。本州だけでも世界7位の面積を誇る島だけのことはある。日本生まれ日本育ちであっても、聞いたことも無いような伝承、祭祀、神々が次々と紹介されていくのを読むだけで面白い。本書の後半では日本の現像を色濃く残している地として沖縄のカミや習俗へと論が進み、あの世観念の原型としてニライカナイへたどり着く。
    いかにも民俗学者らしく、著者の日本のカミへの限りない愛情が随所に感じられる。憧憬といってもよい。著者にとっては日本人の心の奥底に流れている原郷、魂のふるさとというものは当然あると確信しているようだ。そもそもそんなものが本当にあるのか、という疑問は著者には存在しない。あるに決まっているのだ。この考えに賛同するにせよしないにせよ、事実として本書に収録されている文献や口承、祭りは存在している。それらを知るだけでも一読の価値ある本である。

  • 「記紀」や「記紀」以前に興味を広げると、急に手探りの世界が広がります。
    例えば、神社を訪ねたり、書籍を読むと、アラハバキ、ミシャグジ、蛇身信仰という言葉が説明もなしに、いきなり出たりします。少しでも知識を深めたいと本書を手にとりました。さすがに、泰斗と言われるだけあって、知らない話を多く聞けました。
    イザナギ・イザナミとナーガの関連や天日槍と息長氏の接点などの指摘は、個人的に興味深いものでした。
    やがて、こういった点の知識が線となり、小さくても面となる日が楽しみです。(来るのかな〜?)

  • 高田崇史「QED」シリーズの影響で読んだ。「QED」シリーズで取り上げられていたようなことがたくさん書かれていた。あと、作者の文章が読みやすい。沖縄について詳しく書かれていたので、今度は違う地方のも読んでみたい。

  • [ 内容 ]
    かつて日本列島に住みなした人々は、風も樹も山もすべて「可畏きもの」をカミと考えた。
    すなわち災いをもたらすものも、稔りや大漁をもたらすものも、およそ人の力の及ぶべくもないすべての自然が畏怖の対象であったのだ。
    やがて天つ神に駆逐され、流竄の姿となっていくこれら神々の運命を辿りつつ、人々の暮らしの原像に迫る。

    [ 目次 ]
    第1章 神・祖霊・妖怪
    第2章 外来魂と守護神
    第3章 流竄の神々
    第4章 創世神話の展開
    第5章 生き神の思想と御霊信仰
    第6章 神観念の拡大
    第7章 神々を運ぶ海上の道
    終章 回想の神々

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

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  • おもしろいんだけど、なかなか読み進められないのはどうしてなんだぜ? ただいまようやく折り返し地点(>_<) - 2011/04/26

    読了しました。ついでに、1回感想を書いたんだけど、操作ミスで消しちゃった(/_;)。しょげたので手短に。

    読みにくい理由は、「この話をするからには、このことがわかっていることが前提」の部分の説明がかなーり端折られてる点。何しろ筆者40年の研究成果を新書1冊にまとめるということだけあって、内容は盛りだくさん。そのぶん、前提とかバックグラウンドの説明にしわ寄せがきたというところ。無理からぬことではあるのですが、新書という物理的制約から離れて考えれば、図版や地図などでの説明がもっとほしかったと思いました。

    盛りだくさんっぷりはホントに楽しめました。特に海の向こうとの関わりを、地名、神となる存在、習俗・儀式、神話内でのエピソードなどを串刺しにして、各地の共通点を抽出していくところは読み応えがありました。『縄文人遙かなる旅路』(日経ビジネス人文庫)あたりの知見と読み合わせると、谷川先生が疑問点の提示や可能性の示唆をしているところの点が線でつながっていくのではないかと思いました。いやー、神話の向こう側にあるリアルストーリーを推測するのはおもしろいね

  • 作者の思い入れが読みにくさにつながってるように思う。

  • 谷川健一と言えば『魔の系譜』(講談社学術文庫)の著者でもあるわけだけど、本書の方が谷川の専門に近いようで、いちいち含蓄がある。地名の専門家だけに名前からの分析が多くって面白い。フィールドである南島の神話伝説や祭礼が多く出てくるのが、本土の民俗と離れているものどこかそれらの原初の姿を感じさせて郷愁もある。とはいえ、それは都合のよい幻想であって、南島の民俗も本土の風習と同じ時間と時代の変化を経ているわけで原初の姿だと思い込むのは極端な進化主義である。
     まず気が引かれたのは産屋の話題である。谷川が引いたのは敦賀市立石半島の西浦七郷集落の例である。産屋、ここでは産小屋だが、これは昔、病院や町といった医師や医療設備のある程度整った場所から隔絶された山村や漁村にあった風習で、産小屋(産屋)とよばれる家屋を建てて、そこで出産間近の妊婦は家族と離れて生活し、そこで出産するのである。起源は古く、それこそ記紀の豊玉姫命の出産まで遡るかもしれない。廃れるのは交通の便が良くなったり医療環境が整えられたからで、徐々に減っていき、おおよそ1960年代あたりが産小屋や産屋を使った最後の世代なのではないかと思う。
     自分も研究室のフィールドワークで山形県小国町で現存する産屋を見てきたが、そこが最後に使われたのもそのくらいの時期だったはずである。うろ憶えなのであまり自信はない。産屋も、自分が見たのはしっかりした家屋で何度も使われた場所らしいが、それより以前は出産間近の妊婦が出るたびに建てて、使い終わると壊すというものだったらしい。必要に応じて建てて用が済むと壊すというのが、妊婦を隔離する思想により厳格であろう。作り置きになったのは建てては壊す手間を惜しむようになったからだと思われる。社会状況が変われば祭儀や風習は簡略化していくのである。
     話を立石の例に戻す。こちらは漁村である。本書において、風俗や言葉の面から漁村生活と山村生活で通じる部分がいくつか見出せるのが非常に面白い。猟師の山言葉と漁民の沖言葉の発想が似通っているといったようなところである。立石の産小屋は床に砂が敷き詰められていて、「産砂(ウブスナ)」と呼ばれている。これが「産土」つまり「ウブスナ」の語源であると谷川は主張している。柳田國男はウブスナがどこから来る言葉か知らなかったらしい。
     立石の産小屋には用が済むと火にかけて焼いたという例もある。これはコノハナサクヤヒメの出産と通じる。立石の例は産小屋の中でもより原初に近い形であると言えそうだが、産屋・産小屋は元は全国的に存在していたものである。出産風俗は生活環境の変化がよく反映されるので非常に興味深い。
     もうひとつ興味が引かれたのは創世神話および巫女の話題である。記紀などの日本神話には他の創世神話に見られる洪水神話の記述がない。人間世界には必ず「不条理」が存在している。どんな人間でもいつかは死ぬし、善悪にかかわらず不慮の事故や殺人で人は死ぬ。病にもかかるし、天災もある。これらの「不条理」を説明する装置が、人間の「原罪」を語る洪水神話である。「原罪」の存在しない楽園からの失墜こそが「不条理」を説明しうるのである。これが人間の「不条理」に対する折り合いの付け方でもある。
     では洪水神話のない日本神話では「不条理」の原因をどこに求めたか。高天原から根の国に追放されたスサノオである。彼こそが日本神話における楽園(高天原)からの失墜を引き受けたのである。洪水神話における大洪水以前の楽園への郷愁は、スサノオの「妣が国」を求め彷徨う姿として表れる。『朝霧の巫女』での南朝勢はここに集約されるのではなかろうか。
     イザナギ・イザナミの国生みの場面は大洪水後を思わせる情景から始まるが、これは故意に洪水以前の描写が削られていると谷川は推測する。それは記紀編纂の主な目的のひとつが皇統譜、つまり天皇の起源を語ることにあるからとも考えられる。兄妹の近親相姦の色が薄いのもそのためである。
     イザナギ・イザナミの兄妹神の婚姻から国が生まれ、原罪を語る楽園からの失墜もまたアマテラス・スサノオの姉弟(兄妹?)によって語られるというのは、古代日本のヒメ・ヒコ体制と通じてくる。卑弥呼は祭祀を司り、その弟王が政治を行うといったような二権政治体制である。妹(いも)は神婚した巫女であり、その兄弟が王として政治を行うのが古代日本だったのである。アマテラスも現在でこそ太陽神と同一視されているが元は太陽と婚姻した巫女である。これは沖縄の伝説をも唄う歌集『おもろそうし』に「照る妃」「照る真物(まもん)」「照る雲」「照る日」といった神女名が多いことや、本土の巫女に「下照姫」「照日の前」「照夜の前」「照手姫」などの名前が多いことからもわかる。アマテラスは元は「天照る」で政治的な意図から「天照らす」に変化していったと谷川は論じている。

     兄を霊的に守護するのは妻ではなく妹の力であり、そういう点からすると兄と妹の絆は男女の関係よりも更に強い。血縁関係に加えて霊的、政治的な関係があるからである。兄妹の強力な結びつきは近親相姦のタブー視からも強められる。兄と妹の男女関係は頑として認められないのであり、だからこそこの一種の神聖な婚姻関係は強力なのである。
     しかし思ったのは、日本民俗における男女の婚姻て宗教的神話的な価値観からすると低い評価といわざるをえないことである。これはまた別の話題になるけども武士は衆道を嗜み、妻との関係はあくまで世継ぎのためで真の恋愛は同性間のみに存在すると言い出す人間もいるし。勿論、兄妹が重んじられるのはあくまで儀礼的な意味で、本来の生殖行為や婚姻は男女間が圧倒的にメジャーである。衆道も身分階級にかかわらず見れば恐らくマイノリティであろう。兄妹関係が男女関係以上に複雑かつ重んじられたのは、当然ながら世俗から離れていなければならない場においてである。

    書いてるうちに何の話だかよくわからなくなってしまったけれど、内容が多岐にわたっていて色々と面白い本なので民俗学や神話に興味がある方にはお勧めします。

  • カミは原初的には祖霊、死霊、妖怪の三者とも区別つかぬ存在であった。可畏きもの。

    祭場と葬地

    神社をモリと訓ませる。神の依代。ヒモロギからヤシロから神社。
    ミヤと庭。

    マナ、ゼチ、ケ
    モノに活力を与える外来の威霊、食物をケ、枯れるケガレ。

    ウブ、ウム
    魂、守護霊の役割。
    赤子のウブワライ。
    ウブガミ、山の神、狼と熊。
    ウブスナ。砂から土へ。産屋、卵、籠る、先祖の再生。渚、常世、ニライカナイ。

    荒ぶる国、葦原の中国、邪鬼へ
    山人と鬼、天狗、ダイダラ坊、天邪鬼

    伏儀と女禍、イザナギとイザナミ
    ナキ、ナミはナーガ
    洪水神話。日本神話には原罪の発生となる洪水の原因が描かれていない。原罪観念の責任はスサノヲへ。楽園時代の郷愁は無く、ハハの国という原郷がある。

    ヒルメは太陽の妻
    からアマテラスへ

    エビス、ヨナタマ、ワタツミ、海霊

    南への志向、それは日本民族渡来の道でもあった。常世の観念には、祖霊の住む島、または、穀物、果実の常熟する島がある。無限に遡行する祖霊たちの時間であり他方、南に繋がる遥かな空間である。

  • 国策や仏教その他の影響によって変容してきた日本の神々。その原型を探る。
    日本の歴史を、人間として物心ついた弥生時代から現在までの長いスパンでとらえた場合、古事記・日本書紀はたかが中間地点…というような記述が冒頭あって、ものすごく感心してしまった。目からウロコとはこのことだ。内容もたいへんおもしろく、私は今、かつてないほど日本の神々のことを理解している。が、実を言うと本書を読むのは2度目。以前読んだときは、あまりピンとこなかった。同じものを読み、同じ話を聞いても、自分の方に受け取れるだけのものがないと素通りしてしまうということが良くわかる。次回読むときは、もっと理解できるようになっていますように。

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プロフィール

1921年、熊本県水俣市生まれ。東京大学文学部卒業。「風土記日本」「日本残酷物語」、雑誌「太陽」の初代編集長を経て、文筆活動に入る。「南島文学発生論」で芸術選奨文部大臣賞・第2回南方熊楠賞受賞。「海霊・水の女」で短歌研究賞受賞。1981年以来、日本地名研究所所長。2013年8月24日没。民俗学・評論・小説・短歌など多方面にわたる業績は、『谷川健一全集』全24巻に収められている。

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