戦争論 (岩波新書 新赤版 632)

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  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306320

感想・レビュー・書評

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  • 思ってた内容はとは大分違いました。私にはかなり難解な内容でした。セルビア内戦については予備知識がないので、まったく分かりませんでした。ただ、チトーというカリスマ的独裁者が治めている間は民族間の争いが表面化しなかった、くらいの認識でした。
    しかし、中で紹介されている、『南京の真実』と『アウシュビッツは終わらない』は読んでみます。

  • 専門用語が多くて読むのが大変ですが、日本の徴兵制が出来た流れ、なんかは興味深いです。ただやっぱりこういう本は思想に偏りは出てくるのかなーと思います。それらが本当に誰にとっても共通の認識なのか、他のも読んでみないといけないなっと思います。

  • 図書館より。
    期待していた内容は戦争を哲学的に、または心理学的にも踏み込んだ内容だったのですが、どちらかというとアウシュヴィッツのことや南京、各地の内戦などの歴史的な事柄の解説が印象的でした。

    第二章の日本が強国を目指しての徴兵制を始めてからの歴史は学校でもぱっと片づけられていたので、この本で今までより深く知ることができました。

    読むのに時間をかけてしまい理解をしっかりとしきれなかったので、また再挑戦したいなあ。

  • 明治維新から太平洋戦争に至るまで、日本人が「暴力を国有化」するのに本来必要な過程を経なかったという指摘が興味深かった。

  • ▼何のために戦うのだろうか。目的があれば戦争が正当化されると言いたいのではない。そうだとしても、それ自体が目的として戦われる戦争には問題がある。
    ▼相手が間違っているから私たちは戦うのだろうか。しかし、少なくとも国際関係上においては、いわゆる宗教の《真理》の脱争点化がコンセンサスとされてきた。
    ▼冷戦後の「新らしい戦争」においては、既に「旧い戦争」における合理性が妥当しなくなってきている。
    ▼「誰もが武器を捨てれば平和になる」あるいは「悪を滅ばせば平和になる」――どうやら、私たちの住む世界はそう単純ではないようだ。この世界で求められているアプローチもまた、旧い合理性を超えたものでなければならないのだろう。

  • [ 内容 ]
    すさまじい暴力と破壊の爪痕を人類の歴史にのこした二つの世界大戦、そしていまなおつづく内戦、民族紛争。
    20世紀とはまさに戦争の世紀だった。
    世界はなぜ戦争になるのか?
    われわれは戦争という暴力をどのようにし認識し、いかなる言葉で語るべきなのか。
    新たな思想的枠組みを探り20世紀をとらえかえす歴史哲学の探究。

    [ 目次 ]
    近代の戦争(戦争の近代的パラダイム;戦争と国民国家;近代における暴力批判;戦争のための国家―ナチの場合)
    軍隊国家の誕生―近代日本(徴兵令の施行;軍隊をモデルにした国家;百年戦争」の日本)
    死と暴力の世紀(暴力に直面した20世紀;ガスと炎―ホロコースト;アウシュヴィッツ後の言説;戦争と近代技術)
    冷戦から内線へ(冷戦というパラダイム;内線とジェノサイド;連邦の崩壊;あたらしいタイプの言説)
    20世紀末の戦争(あらたなタイプの戦争;バルカンとヨーロッパ;あらたな帝国の登場)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •  『戦争論』というクラウゼヴィッツの向こうを張るような題名だけどきちんとクラウゼヴィッツの名著を読み込みその歴史的限界をわかりやすく指摘するところから始まるところは『戦争論』としてはきちんとした議論をしている。しかも新書という性格からわかりやすくなっている。わかりやすさだけを追求して国家と民族にしがみついたところからしか発想できずに「公か私か」なんて脅しをかけてくるような同名書とは比較にならない。
     二〇世紀は戦争の世紀だっていうけど、それらの戦争の本質を分析していってクラウゼヴィッツを超えたところに本書の価値はあるみたいだ。まずは近代の戦争の特長を分析した上で各論に入っている。もちろん日本がなぜ戦争をしてきたのかについて近代日本という国家が軍隊をモデルとした軍隊国家として誕生したという説明をしている。平和教育が形骸化したのはどこかに戦争そのものを見つめる視点がなかったからではないだろうか。おのれの国家と民族の利害を通じてしか戦争と平和を考えてこなかったから加害者か被害者かという立場性でしか侵略も原爆も説明されていないのではないか。歴史を哲学の目で再検討することで著者はするどく問題提起をしてくる。
     次いでナチスのホロコーストの意味、さらに戦後の冷戦からその崩壊後に訪れたいくつかの内戦の問題に触れていく。例えばルワンダにおけるツチ族とフツ族の内戦は実は植民地時代にヨーロッパが持ち込んだいかがわしい人種主義によるものだったと分析する。多木氏によれば「人種主義とは植民者のイデオロギーによる民族の歴史の捏造であり政治化である」という。これは日本についても言えることでマンガの『戦争論』はまさしくこの捏造そのものだと思ってしまう。
     旧ユーゴスラビアの内戦はその悲惨さにおいて新しい近代戦争の典型を示すものだろうが、その内戦のさなかに『サラエウォ旅行案内』という冊子が発行されたという。その皮肉な表題のみならず、内容も皮肉に満ちているようなのだが、その『サラエウォ旅行案内』は民族主義からもナショナリズムから完全に逃れており、そこに希望が見いだされるのだという。そこから著者が得た教訓は「権力の言説にはまらないこと」であり、「それを超えて希望を見いだす言説を創造することがいっそう必要」なのだということである。
     今のわれわれが問われているのもそういう言説の創造ではないだろうか。


    ☆☆☆☆ 平和教育を見直していくには必読!

  • 第三章までは、まあ理解できたし、興味深い文献も紹介されている。だが四章以降はちょっと…、まず理解が困難だ。まず文章の意味からして分かりにくい。それに、本書でしばしば主語になる「われわれ」とは誰のことか? 「われわれの考えでは〜」といきなり述べだすのだが、いったい著者の属す学会のような世界?「日本人」?「先進国」?…あいまいで判然とせず、結果として、聞き手になる「われわれ以外」が分からない。これは重要なことだと思うのだが。後半で言及される「戦争の世界性」、ということの意味もなかなか理解できない。戦争について勉強を進め、機会があれば再読したほうがいいかもしれないが、いま読み終わってみても隔靴掻痒の箇所、解説が乏しいところも多く、途方にくれてしまった。

  • 詳細はわからないけど、大まかな俯瞰図が見えたような気がする。高いところから見るにはちょうどいいかも。

  • 2冊

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著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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