私とは何か (岩波新書 新赤版 (664))

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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306641

感想・レビュー・書評

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  • 「私は、私ならずして、私である」という「私」の基礎的事態を、繰り返し変奏するように説く。

    詳しくいうと「私は(と自分に返って)私ならずして(と自分に閉じようとする傾向を否定して、他者と共にある場所に開かれ、相手に向かって)私です」ということで、私という事態ははじめて成立する。これは日本の挨拶の仕方である「お辞儀モデル」に端的に現れているのだという。

    この時、「私は私です」と否定が入らないまま自己を押し出すのは自閉的自己執着につながり、逆に「私は、私ならずして」と立ち消えしてしまうと自己喪失になる。私という存在はかくも微妙なバランスの上に成り立っている。

    また、提示されている場所の概念が重要に思われる。
    世界は私にとっての現れの総体であり、その意味で有限である。有限であるということは、その有限性のために、無限に開かれた場に越え包まれているということだ。私は、「私ならずして」という否定によってこの場(虚空といってもいいようなもの)にひらかれる。そうすることによって初めて、具体的な世界内の様々な場所に開かれる。「絶対の他者」がいるのはこの場所を置いて他にはないだろう。

    そして「コギト」あたりから話はだんだんと難しくなっていく。今の私には西田やブーバーの議論についていけるだけの用意がない。

    面白かったのはデカルトと西田が同じ「疑うにももはや疑いようのない直接の知識」を求めたにも関わらず、その見いだされくる確実なものはまるで逆だということ。前者は自己という考える自己定立的な「者」、後者は純粋経験という脱自的な「物(事実)」だ。

    互いに汝は私の自己否定によって我々であるというしかたで、相互に存在条件になるということでなければならない、と西田は言う。

    *

    追記
    自他は相互補完的なもので、自分の顔を他者に差し出し、自分だけが他者を利用するのではなく、自分から積極的に相手にとっての他者となることが必要だ。この鷲田の考えはこの辺りにつながっているのかもしれない。

  • 私であって、私でない私。

    「おじぎをする」というのは、自分を無に落とし込むことらしいです。

  • [ 内容 ]
    「我は我なり」という。
    その「我」とは、一体どういう存在か。
    自身の立つ場所しか眼に入らず、その情念に身を任せてはいないか。
    あるいは反対に自分を失って周囲に阿(おもね)ることばかりしてはいないか。
    そして自分を無にして「他者」に開かれるとき何が起こるのか。
    西田、漱石、ルターなど東西の例を検証しつつ「私とはなにか」という問題に迫る。

    [ 目次 ]
    私とは何か?
    間奏曲-「有る私」と「無い私」
    自我と自己
    立って「我」・座して「我なし」
    実例-ルター、山川登美子、山頭火、方哉、片山広子、西田幾多郎.
    コギト
    私と汝
    自覚と自意識
    無我ということ
    「私の個人主義」と「則天去私」-夏目漱石の場合

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    [ 参考となる書評 ]

  • 後半は難解。

    「我は、我ならずして、我なり」という基礎概念が前半で丁寧に説明されている。

    これは、間奏曲〜「有る私」と「無い私」を読むと一層わかる。

    「私」について考えられる一冊。

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