社会的共通資本 (岩波新書 新赤版 696)

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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306962

感想・レビュー・書評

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  • 社とは本来、土を耕すという意味。農家50戸をもって社となす。そして、社には必ず学校をおく。コモンズの訳語として「社」が最適だろうか、というのが著者宇沢弘文。果たして、その概念は正しいのだろうか。

    社会的共通資本は、地球そのもの。インフラや制度、都市や農村もそうだという。もっと具体的に書くなら、公園とか図書館とか道路。皆でお金を出し合って共有する財や、自然に存在して私有化されていない資源の事と考える。そこで思い浮かぶのは、共有地の悲劇。みんなで使うから、使い方が杜撰に。シェアハウスのトイレ掃除はやりたくないみたいな事で、当番制のようなルールや監視、ペナルティがないとトイレの汚れは放置、悪化するので、まさに悲劇だ。

    この共有地の悲劇というキーワードは、生物学者ガーレット・ハーディンの論文が発端。私有制の欠如が原因だとする新古典派経済学。解決策として、私的合理性と社会的合理性を矛盾なく投合することが課題。しかし、歴史的なコモンズ、共有地は無条件なオープンアクセスではない。つまり、現実社会には、野放図な共有地は意外に存在せず、国であれ地域社会であれ、ある集団の管理下には置かれているものだ。

    そこからこぼれ落ちるような、真の共有地。まさに悲劇の可能性を持つのは、本著の最終章で述べられる地球温暖化の話。それと付け加えるなら、世界平和や平等などの「現象の維持」だろうか。動学的ではなく、今、この瞬間を維持する幸福感。成長ノルマで奴隷化された現代社会において、静学的に「維持」を唱える事。このことが公共経済学に重要な視点ではないかと感じた。


  • 宇沢弘文教授の数式のない経済学。
    まずここは、著者による「ゆたかな社会」についての明快な定義の引用から始めるべきであろう。

    「ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration: 熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。」

    そしてこの実現を妨げている最大の要因が資本主義経済、とくに資源の私有を無制限に肯定するメカニズムである、というのがおそらく著者の基本的立場なのだろう。

    私は、資本主義に対して、かつて民主主義についてチャーチルが語ったのと同じような感覚を持っている。すなわち、資本主義は最悪の資源配分方法である、これまで試みられてきた他のすべての方法を除いて、というような。とくに今日のようにお互いの顔の見えない巨大化した社会においては。

    “democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time”(W. Churchill)

    これを打破するために著者が導入するのが社会的共通資本である。
    昨今、地域コミュニティなんかではコモンズの考え方がリバイバルしていたりするのをみると、著者の先見性には驚かされる。
    また、実際読んでみると一部で誤解されているような意味でのマルキストでもなんでもなく、資本主義に基づかない効率的な資源配分を模索するというごく真っ当なテーマを追究していることがよくわかる。

    その上で、あえて言うなら、うーん、多分宇沢先生バイトしたことないな。ていうか働いたことないんじゃないかな。
    これ、今流行りの斎藤幸平さんにも感じたことなんだが。

    はたらいたことない、をより簡単に言うと要するにモノに値段をつけたことがないんじゃないかなと。
    例えばカテキョーだって時給の設定を間違えたら生徒は集まらない。これは何も金融資本主義のせいではない。

    自分の手がける商品の性能や、世の中の需要や、自分のプライドや、そんなこんなを総動員して決めるのが値付け。働くっていうのは自分の労働への値付けという面もある。

    資源配分を歪めているのは、強欲な独占資本、というほど宇沢先生の議論は単純ではないけれど、一度でも自力でモノを売れば新しい発見もあるんじゃないですか、という感想も持った。
    というわけで、俗世間で働いている暇などないほどの知の巨人の考察、と考えれば極めて有益な本。

  • 私の尊敬する
    大学の先生から
    ゼミで学びました

    どんな社会になっても変えてはいけない考えはあると思います
    基盤となる考えです

  • 1928年生まれの著者

    2000年刊行の岩波新書

    なのだが、内容は2021年現在深刻に語られているすべての経済的、SDGS的持続可能社会への道標となる考察に満ちている。

    俊英としてアメリカ経済学界でノーベル賞受賞のスター学者たちの中にあっても一目置かれていたという宇沢氏が、日本に帰国、高度成長真っ只中で積み上げていった知見。

    時代より早過ぎたのかなあ。
    そして本書に書かれていることが、過去50年に少しでも顧みられていたならば、地球の現在はもう少しマシになっていたはず。

    しかし、経済が自己増殖し続け、環境も人のコミュニティも破壊し続け、ついには崖っぷちまで来てしまった現状、理性や良心や次世代への思いやりなどを当てにしていてはその力に歯止めをかけることはできない。

    藤原正彦氏などに共通する、旧制高校出身エリートの良心を感じる本。





  • 難しいことを易しく、経済学的視点から社会のシステムについて述べている。ポスト資本主義、アフター(ウィズ)コロナの社会システムとしてかなり素晴らしい案だと思う。2000年の著作。著者の慧眼に敬服。

  • 9月27日、宇沢弘文先生が亡くなったニュースを読まなければ、この本は積んだままだったであろう。
    経世済民が経済学の根本思想であるということを考えされられる論考であった。
    社会的共通資本という言葉の意味を理解することは、一定限度の前提知識を有するために、この本を読むにも多少の骨折りはいるだろう。
    しかし、自由主義経済が、世界中で行き止まりを長らく叫ばれているなかでは、宇沢氏の指摘はとても有意義であり、多くの人が知りうるべきものと考えられる。
    宇沢さんが、農家の青年と知り合ったことで、人間的に様々な刺激を受けたと書かれた文章を目にして小躍りしてしまった。

    大学教育を受けていない人にも、必ずエネルギーを与えてくれる一冊であるはずだ。

  • 社会的共通資本という概念枠組み(フレームワーク)は良いのだが、思想内容には共感できないところが多かった。
    筆者が農民を好きなのは伝わってきた(笑)
    あと、「大学の先生は、いいご身分ですねえ」と言いたくなった。さんざん「大学の自由」と言いつつ、「大学の社会的コスト」については一言も言及しない。都合の悪い話はしないんだねえ。不誠実だ。

  • Audible で聞いている。言葉がこなれていて分かりやすい。明快な文章だ。

  • 22年前に本書が出版され、日本では宇沢氏の言葉は響いたのであろうか。
    社会的共通資本に対して市場メカニズムを適用し食い尽くすことは、一時的な経済発展を将来世代の安心と天秤にかけて自分達の経済発展を優先するに等しい愚行である。
    既にツケを回された"将来世代"である我々が更に自分達の子どもや孫に同じ愚行をせず、何ができるかを考え行動する事が求められる。

  • 「豊かさとは何か」という問いから始まって、血肉の通った生命としての人間をどう経済に組み込むか、と考えたら避けては通れない本。人間的で、文化的な生活を維持するために必要な社会的共通資本をないがしろにし、私的所有に任せてしまった結果、社会のあらゆる領域で人間的な営みが失われている。大気や森林といった自然にせよ、教育や医療といった諸制度にせよ、社会的共通資本は社会全体の財産であるから、国家や利潤というものに左右されてはならない。本書はこうした視点から社会の諸制度のあり方を素描するもので、そのマインドに共感する人は多いのではないかと思う。

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著者プロフィール

中央大学研究開発機構教授
中央大学地球環境研究ユニット(CRUGE)責任者

「2000年 『地球環境政策』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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