社会的共通資本 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.44
  • (16)
  • (38)
  • (57)
  • (11)
  • (2)
本棚登録 : 604
レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004306962

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784004306962

  • 著者の宇沢氏が主張する制度主義の根幹は、社会的共通資本とそれを管理する社会組織の在り方である。

    社会的共通資本とは、
    1,自然環境(土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋)
    2,社会的インフラストラクチャー(道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設)
    3,制度資本(教育、医療、金融、司法、行政)
    を指し、それぞれの分野の専門的知見に基づき、職業的規律に従って管理、運営されなくてはならず、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場基準に従って行われるものではない。
    資本主義下における利潤動機が常に倫理・社会・自然的条件を逸脱し、様々な規制を無効化してしまい、富や所得の分配の不平等に拍車をかけてしまう中で、どこで歯止めをかけるべきかという視点にたった考え方であり、本書で著者が述べていることの根幹である。
    この考え方に則り、各分野での基本的な在り方に言及する。
    農業では、現在の安倍政権で進めているような工業と同様な農地集約を進めた規模の経済は、共通資本としての農業文化を蔑ろにしてしまうという。
    機材・社会・文化人間的な役割としての農村に着目し、労働人口をそこに残しながらの小規模生産性向上を目指すべきだというのだ。
    具体的には「三里塚農社」という構想のもと、の作物生産に限定しない中間投入物としての加工、生産、販売、研究開発までをも含んだ今で云うところの6次産業的な広がりを持たせる、そこに上記のような役割を安定的に維持させて、工業にも十分に対抗できる環境を築くこととしている。

    都市については、著者のかねてからの持論でもある自動車の社会的費用を考慮に入れ、歩くことを原則とした設計を主張し、医療では医療的最適性と経済的最適性の乖離に対して警鐘を鳴らしている。ここでもフリードマンの主張する市場原理に基づく医療報酬の考え方に対して、厳しい批判を与えている。
    その他、教育や金融に対しても同じような視点から原稿の問題点と、同様の方向性に則った解決法について述べている。

    主張している内容の正しさ、理想的でもある制度については、よく理解できるし共感する。
    根本的には今の日本の社会制度の中で、社会的共通資本とするべきものの位置づけ、運用をどのようにすべきか、と言っているとも捉えられる。
    資本主義の中で官僚が大幅に関与してきた日本の社会は、ある意味で他の資本主義国家よりも宇沢氏の主張する社会に近いのだろうが、問題はその官僚が作り上げた制度の誤りであり、既得権益にハマり動こうとしない専門的知見を持った職業団体の在り方なのだろう。
    そうだとすると、安倍政権の岩盤規制への挑戦を見ても、少し変えるだけでもあの労力と時間がかかることを考えると、この方向への舵切りは現実性が感じられないのは確かである。

  • 「社会的共通資本」のお話。「ソーシャルキャピタル」という言葉の方がよく耳にする。感覚的に理解しているつもり、なところがあったので初めて宇沢本にあたる。しかし悪い意味で裏切られた、あくまで本の構成として。新書とはたまにこういう裏切りがあるからして、やはり買うにはひける。いずれにしても経済学の方面からきた概念なのだということは承知した。こういう人の考えはそれこそ大講義室で内職しながら聴いてみたかった。岩波赤の感触。

  • 2015/02/04:読了
     社会的共通資本というのは納得できるのだが、書いてある個別事例が、いまいちピントこない。
     例)農村-三里塚農社 聞いたことない。
                成功例じゃないと思う。
       都市-自動車の社会的費用
            日本の都市のうち、東京都区内、大阪市内は、鉄道社会だと思う。
            増田 悦佐さんの分析のほうがピンとくる。
      例) 日本文明・世界最強の秘密: 増田 悦佐: 本

    参考
    コモンズに生きる人間〜『社会的共通資本』 : ブックラバー宣言
    URL : http://syunpo.exblog.jp/21928241

  • 2015/01/04

  • すべて第一章の「社会的共通資本の考え方」に戻り、通底するのは人が幸せに生きていく為の経済活動とはどうあればいいのかという問いの書だったと考える。本来経済学(学とあるものはすべて)は、人が幸せにあるために問い・積み上げられていくものであるはずなのに、今の社会はいわゆるお金が増える=幸せというように、主体が人からお金に倒置されてしまっている。
    その背景には、国や企業という組織の枠組が古くなってしまっていて、その枠組そのものの定義が揺らいでいる為なのではないかと思う。もっと突き詰めるなら人存在そのもの。そのために価値定義が確立している(と思われる)お金が主客転倒した形で引っ張る世界になっているのではないか。
    この本はそういう観点から考えると、「社会的共通資本」という概念を立ち上げることで、もう一度、お金に使使われるのではなく、その「社会的共通資本」という枠組みの中で道具として使うものに戻すことを論じたものと捉える。

  • 医療、農業、教育などを資本主義でもなく官でもない社会的共通資本とする社会の提示をする宇沢さんの
    思想はいまこそフラットに発想の源泉とすべきかもです。

  • 農村や大学の環境について、エビデンスも無くただただ牧歌的な風景をノスタルジックに語る。本当に学者?

  • 社会的共通資本の考え方は、このような歴史の捻転をなんとか是正して、より人間的な、より住みやすい社会をつくるにはどうしたらよいか、という問題を経済学の原点に返って考えようという意図のもとにつくり出されたものである。(p.43)

    農業が若者たちにとって魅力的でなくなってしまったもっとも大きな原因は、農業に従事することによって得られる職業的充実感が少なくなり、知的な意味でも、社会的な意味でも、存在感が極めてうすいものになってしまったことにあるのではないだろうか。(p.68)

    自動車の社会的費用について、第二の構成要素は、自動車事故によって惹き起こされる生命、健康の損失をどのように評価したらよいかという問題である。自動車の利便の一つが、各人が必要に応じて、手軽に自動車を利用できるということである。とくに、自ら居住する場所から直接に自動車を利用できるという利点は大きい。このことは同時に、自動車利用にともなう直接的危険がきわめて大きいにもかかわらず、それを、日常性の観点から小さく意識することが多い。(中略)自動車事故にともなう生命、健康の喪失にかんする社会的費用は、このような新古典経済学の枠組みのなかで考えられるべきものであってはならない。むしろ、このような自動車事故が可能なかぎり最低限に抑えられるような道路構造を想定して、このような道路をつくるために現実の道路を恵贈するためにどれだけ費用がかかるかということによって、自動車事故にかんする自動車の社会的費用が推測されなければならない。このことはじつは、どのような道路構造が望ましいものであるかということに関わるものであって、究極的に、どのような都市構造を私たちは求めているのか、どのような交通体系が望ましいのかという問題に関わってくるものである。(p.107-110)

    教育は、人間が人間として生きているということをもっとも鮮明にあらわすものである。一人一人の人間にとっても、各人の置かれた先天的、歴史的、社会的条件の枠組みを超えて、知的、精神的、芸術的営みを始めとして、あらゆる人間的活動について、進歩と発展を可能にしてきたのが教育の役割である。(p.124)

    大学は、他の教育機関と本質的に異なるものとなる。知識の探求、他の実利的、実用的な目的からまったく独立して、知識の探求のみをおこなう場として、大学の本来の存在理由がある。このような大学の目的から、大学人の行動様式、習慣、基本的性向にかんしておのずからである共通のパターンが生み出されることになる。それは、学問研究が、自由な精神にもとづいて、しかも科学技術的に細心の知識を用いておこなわれるような環境のもとではじめて実現可能となるものだからである。そこには、大学以外の教育機関にみられるような規律、規則の類いは存在する余地はない。(p.151)

  • 効率性を無二の指標とする新古典派の経済理論からではなく、ヴェブレンを代表とする<span style='color:#ff0000;'>制度主義の考え方から、現代日本の農業問題、都市問題、医療問題、地球環境問題など幅広い分野にわたって、解決の方向性を示唆</span>しようと試みた論説。
    制度主義とは、宇沢によれば、
    <blockquote>「資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするもの」(p1)</blockquote>
    ヴェブレンの思想的根拠は、デューイのリベラリズムに負う。ヴェブレンの考え方を具体的に表現するのが、「社会的共通資本」である。<span style='color:#ff0000;'>社会的共通資本は</span>、
    <blockquote>「分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件」(p4)</blockquote>
    であって、大気、海洋などの自然環境、道路、水道などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融などの制度資本に分かれる。
    適切な社会的共通資本を生み出す経済制度は、
    <blockquote>「一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものではなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくり出されるもの」(p20)</blockquote>
    である。さらに、
    <blockquote>社会的共通資本の管理を委ねられた機構は、あくまでも独立で、自立的な立場に立って、専門的知見にもとづき、職業的規律に従って行動し、市民に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。(p23)</blockquote>
    以上のような立場から、宇沢は、農業については「社」による運営、都市については、社会費用をうまく内在化させる最適性の追求、教育については営利の排除などを主張する。

全46件中 21 - 30件を表示

著者プロフィール

元東京大学名誉教授
1928年生まれ。51年東京大学理学部数学科卒業、56年スタンフォード大学経済学部研究員、58年同助手、59年同助教授、60年カリフォルニア大学バークレー校経済学部助教授、61年スタンフォード大学経済学部準教授、64年シカゴ大学経済学部教授、68年東京大学経済学部助教授、69年同教授、89年東京大学を定年退官、新潟大学経済学部教授、中央大学経済学部教授、同志社大学社会的共通資本研究センター所長などを経て、2014年死去

「2017年 『経済と人間の旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

社会的共通資本 (岩波新書)のその他の作品

宇沢弘文の作品

ツイートする