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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004307037
みんなの感想まとめ
この作品は、原発事故が繰り返される理由を深く掘り下げた重要な問いを投げかけています。著者は、原子力産業に根付く「議論なし、批判なし、思想なし」という文化や、技術者の倫理観の欠如、安全神話への盲信が事故...
感想・レビュー・書評
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『原発事故はなぜくりかえすのか』
高木仁三郎
『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎)は、市民科学者として原発問題に生涯をかけて取り組んだ著者が、壮絶な闘病の末に残した最後のメッセージとも言える一冊。
この本は、1999年のJCO臨界事故をきっかけに、「なぜ原発事故は繰り返されるのか?」という根本的な問いを立てている。
- 原子力産業には、「議論なし、批判なし、思想なし」という文化が根付いていると著者は指摘。
- 技術者の倫理観の欠如、安全神話への盲信、自己検証のなさが、事故の温床になっている。
- 日本社会の「公共性の欠如」や「トップダウン型の開発体制」も、事故を防げない構造的問題として描かれる。
- 放射能の危険性を軽視する風潮や、隠蔽・改ざんの常態化にも鋭く切り込む。
- 最後には、技術のあり方や人間の責任について、未来への問いかけが込められている。
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▼福島大学附属図書館の貸出状況
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(推薦者:人間発達文化学類 昼田 源四郎先生) -
未感想
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非常に読みやすい。
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あえて、今、岩波新書の故・高木仁三郎さんの遺作を手にしたのは、原発事故や原子力というテーマが、私の頭からずっと消えていないからだと思います。
読み進めるほどに、彼の言葉は、予言のように、3.11から発生する重大な事故への警告を感じました。
科学者の立場で、当時から、危険性を予見できた人。予測不可能な事故ではなく、原子力を扱う難しさ、課題の多さ、など、もっと、我々が理解し、議論をしなければいけなかったことに、反省させられます。
誰が悪い!という理屈だけではなく、真実を知らないまま、知ろうと努力しなかった結果、将来世代にも、重い十字架を背負わせていることは、忘れてはいけないと実感しました。
高木仁三郎さんの著作を、しばらく、継続的に読みたくなりました。 -
(2003.07.11読了)(2003.07.04購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
日本中を震撼させたJCOの臨界事故をはじめ、数々の原子力施設の事故から明らかになった国の政策や原子力産業の問題、技術者の姿勢を問い、これからの科学技術と人間のあり方を考える。生涯をかけて原発問題に取り組み、ガンで逝った市民科学者・高木仁三郎が闘病中に残した最後のメッセージ。 -
名著。私は事故が起こるまで、良いものではないけどそれなりの平和があればなんとか人間が管理できなくはないだろうと思っていました。これを読んで原発には廃炉を目指してもらいたいし、なるべく原発のないところで暮らしたいというスタンスがはっきりできました。
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2000年に出版され、その直後に高木氏はガンで亡くなった。
まさに生涯かけて反原発の道を貫いた人である。
中学生にでもわかる平易な文章だが、故人の信念が伝わってくる。
読み終わって思うのは、日本の文化というのは、原発のような巨大なエネルギーを扱うには、リスク管理の面からも技術革新の面からも、適していないんじゃないか?ということである。原発のような危険を伴う産業には安全をどう確立するか、という問題が常に意識されるべきだが、この安全を守るということができないのである。
原発産業に特徴的な土壌、つまり、「議論なし、批判なし、思想なし」、というのはまさに日本の社会文化そのものだ。リスクのないようなところでやってるならいいけれど、原発のように市民全体の健康を脅かすような危険を伴う巨大産業でこんなことやってたら、安全を守ろうという姿勢は生まれないのである。安全を目指すには、リスクを想定しないといけないわけで、最悪の場合を想定して研究を重ねるしか安全な技術は確立できない。でも、日本のやり方は、衝突を避け、嫌なことは見ないようにするわけだから、
建設的な研究はできないのである。
日本の原発は安全とか、日本は技術大国ですとか、どれだけ言われてきたことか。
技術というのは、手先が器用なだけじゃだめなんだってことが、今回の事故でよくわかった。思考のないところに発展はない、ってことだ。
日本は戦後、60数年かけていったい何を学んだのか。結局、外側だけ作り変えても中身はそんな簡単に変わらないのだった。
高木氏の言うように、とにかく、原発は危険が大きすぎるからやめて、危険の少ない自然エネルギーにしましょう、というのがこれからの正しい道のような気がする。採算がどうのとか、いつまでも言ってないで。事故が起こったときの危険性を考えたら原発はやめたほうがいい。単純な発想だけど、それでいいんじゃないか。 -
今から12年前、福島原発から11年前に書かれた、高木仁三郎の遺書である。化学者の放射能の扱いに比べて物理学者の放射能の扱いがいい加減ということが他の本にも書かれていない。
3.11について卒論で書こうとする学生にとって、その原発推進組織がどのようなものであったかを知るためには避けて通れない本であろう。 -
この本はガンで逝った市民科学者・高木仁三郎氏が闘病中に残したラスト・メッセージです。国の政策や原子力産業の問題、技術者の姿勢…。今だからこそ読んでいただきたいです。
はじめに言っておきます。今回の福島第一・第二原子力発電所がああいうことにならなかったら、僕はきっとこの本を読まなかったでしょう。先日、地元の新聞で著者の同級生だとおっしゃる方が、コラムで取り上げていたというのもあるのですが、この本はぜひ、読んでいただきたい文献のひとつになってしまいました。肝心の内容はというと、「生涯をかけて原発問題に取り組み、ガンで逝った市民科学者・高木仁三郎が闘病中に残した最後のメッセージ。」
ということで、僕もこの方のことはつい最近知ったばかりですが、経歴を見る限りでは、ゴリゴリの原子力関係者で、なぜ高木先生がある時期を境に反原子力の立場を貫くようになったかは残念ながら不勉強でわかりませんが、こういう本があるからこそ、『日本の原発世界一』という某ロックシンガーの歌詞のような宣伝にあーそーなんだと今まで何もしらないで電気をこうして使っていたということに読み終えたあとに少し気落ちしてしまいました。
ここに書いてあることがもし本当だとするのだったら、今回の事故は起こるべくして起こった結果なのかなと、残念ながらそんなことを考えてしまいました。しかも、それがたまたま今回の福島だったというだけで、本当は日本全国どこだってありえたのだと言うことも考えてしまいました。それでなくてもやっぱり大なり小なりもれていたんですね。放射能って。今は責任の所在を云々するときではないのかもしれませんけれど、今回のことが『想定外』だったのか?それとも『想定の範囲内』なのか。それを判断するためにどうかご自身で目を通して判断をしていただけると紹介した身としてはこれに勝る喜びはありません。 -
「会社の理念」にひたすら忠実に働くとは異常なことなんだ。
本来、自分の行いが社会にどんな影響をもたらすのか、どんな意味があるのか、という自分のもたらす公益を考えて働かなくてはならない。
それがなく、皆がただ誰かの言う「理念・方針」にしたがってだけいるから、誰も責任がとれなくなってしまうんだ。 -
原子力産業の黎明期に携わった人だからこそ指摘出来る、現場の危機意識の欠如。ごくごく当たり前のことが出来ない原子力村の人たち。自己検証をおざなりにして来たから、福島の事故は起こったのではないのか。もう少し、生きていて欲しかった。
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日本の原子力政策のトップダウン的性格に起因する、責任の所在の曖昧さ、実際に放射性物質を取り扱う技術者の認識な甘さや、データの改ざんや捏造等杜撰な管理体制等をするどく指摘されていた。どれだけ科学技術が発達していったとしても、その技術を扱うのは不完全な人間であるということを忘れてはならないと思った。
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フクシマの惨事から半年が経過しようとしている。
何もできない私はしばらくの間、余暇を読書にあてることとした。
核に関わる書籍との付き合いは不思議と焦燥感にかられる。
ゆえに一気読みになってしまう。
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