- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004307075
作品紹介・あらすじ
豊かな臨床経験に立脚して、人の生き方や社会について鮮やかな分析と提言を行うことで知られる著者が、家族のこと、戦争への感性と抵抗、文学や哲学とのかかわり、青春の夢と屈折、修業時代の逸話などをまじえ、みずからの半生を語る。上巻は幼少期から心理学に目覚めるまで。
感想・レビュー・書評
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河合隼雄先生の自伝。
どんな風に育ち、何を考え、どんな選択をしてこられたのか、とても興味深く、ぐいぐい惹き込まれます。
ユーモアと、豊かな世界観にほっとしました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
河合隼雄さんの半生を語った自伝。エピソードに富み、幼少の時代背景やご家族の様子もわかり、微笑ましい。上巻では幼少時から心理学へと傾倒していくまで。下巻はアメリカ留学からスイスユング研究所からユンギアンの資格を得るまで。人間、河合隼雄の理解には欠かせない本ではないでしょうか。
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会社の先輩にお薦めされた河合隼雄の自伝。人間への興味を突き通した著者の思考に隠れた背景が、著者の言葉で語られている。臨床心理学への興味と、学問とはならないかもしれない不安。青春時代に劣等感と葛藤を持つからこそ、その後の人生で大きく羽ばたけるのかもしれません。
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(2016年10月再読)河合隼雄先生は大学卒業後、3年ほど高校で数学を教えていました。しかし、その間も大学院で心理学の勉強も続けられており、ロールシャッハ診断法などで力を発揮しました。そして、大学で心理学の講師をされたりした後、アメリカ、スイスと留学し、日本で初めてユング派分析家としての資格を取られた方です。箱庭療法を初めて日本に持ち込んだのも河合先生です。また、臨床心理士やスクールカウンセラーの制度確立に尽力されています。京都大学を退官された後は、国際日本文化研究センター(日文研)の所長も務められました。その後、文化庁長官に就任され、その心労がたたったのか、脳梗塞で倒れられ、意識が戻らないまま亡くなられました。本書は、スイスのユング研究所へ留学されたあたりまでの、人世の前半部分の伝記となります。岩波書店社長(当時)の大塚信一さん相手に語り降ろされたのをまとめてあるので、非常に読みやすく仕上がっています。本当は、人生後半部分についてもぜひ書いていただきたかったのですが、残念ながらそれはかないませんでした。村上春樹さんは河合先生と親交がありましたが(対談もおもしろい)、村上さんが唯一読んだことのある河合先生の著書が本書だったそうです。
もともとの生まれは丹波篠山。田舎ではあるのですが、お父様が歯医者さんで、わりとリベラルな家庭で育たれたようです。男ばかりの6人兄弟の下から2番目。すぐ下の弟さんを5歳のときに亡くされており、それが一番古い記憶だそうです。そこから本書は始まります。兄弟の中で自分だけ運動が苦手で、どちらかというと家で本でも読んでいる方が好きだったようです。けれど、お父様は「子どもは遊ぶのが本分」と、小学生の間の読書はあまり良いとは思っておられなかったそうです。中学生になると自由に本が読めるようになって、年長のお兄さんたちから借りたりして、いろいろ読まれたようです。
私は自伝が大好きで、いろんな人のものを読んでいますが、とくに興味深いのはいろいろな人との出会いの話です。本書に出てくる最初の有名人は梅棹忠夫先生です。河合隼雄さんが直接指導を受けたのではなく、お兄さんの河合雅雄さん(こちらは、サルの研究者。雅雄さんの「人間の由来」も抜群におもしろい)の、京大動物学教室での指導教官が梅棹先生でした。雅雄さんは学生時代、肺結核のため丹波篠山の自宅で療養中でした。卒業研究でウサギを飼ったりされているのですが、その進捗状況を見るためにわざわざ梅棹先生が訪ねて来られたりしています。隼雄さんはもともと数学が専門だったので、湯川秀樹先生の量子力学か何かの講義も一応聞いているそうです。理学部自治会では伊谷純一郎さん(こちらもサルの研究者)とよくしゃべったそうです。京大人文科学研究所(人文研)も出てきます。桑原武夫、今西錦司の大先生、お二人は名前だけですが、ものも食わずに本ばかり読んでいると紹介されているのが鶴見俊輔さんです。多田道太郎さんとはマンガについての仕事をいっしょにしたそうです。私も鶴見・多田両先生とは若いころ現代風俗研究会(現風研)でご一緒させていただきました。それから、下巻の後半に出てくるのがニジンスキー。とはいっても登場するのはその奥さん。本人は精神を病んで入院中。スイス留学中に奥さんの日本語教師をしていたそうです。私は20代前半に舞踏をちょこっとだけかじっていたので、この名前にかなり敏感に反応してしまいました。いろんな出会いがあるものです。
河合先生は夏休みには実家に帰って、中学生なんかに数学を教えていたそうです。本家河合塾です。それで、大学卒業後は高校の先生になりたいと思い始めます。しかし、高校教師を見ているとどうも情熱もなく堕落していく人が多い。そんな中、自分が習っていた中で信頼のできる先生に話を聞きに行きます。「中学校や高校の教師は同じことを教えているので自分たちが進歩しなくなる。なんにも進歩しない人間というのは魅力がない。自分は国文学についていつも研究している。それは学会から見れば大したことないかも知らんけれども、自分なりにずっと研究は続けてきている。自分がどこかで進歩しているということを、中学生、高校生には何も教えないのだけれど、みんな感じているんじゃないか。だから、別に数学でなくてもいいから、自分が進歩し続けられるものをしっかりと持っている限りは高校の教師になってもいいと自分は思う。」ということをその先生は言われたのだそうです。とても大切なことだと思います。それで、心理学の勉強を続けられたようです。
アメリカに留学してから、河合先生はユングの本に出合っています。「人間の心に直接迫ることが書いてあるんで、「これやッ!」と思うたんですよ。」「分析家になるためには自分自身を知らねばならない、だからまず自分が分析を受けねばならない、と書いてあるんですよ。」そこでシュピーゲルマンという先生に分析を受けに行くと、分析料は1時間1ドルでいいと言われます。ふつうは25ドルくらい。安すぎる。自分は留学生だし、本も買わなければいけない、お金がたくさんいる、だから安くしてくれた。けれど、自分にとって非常に大切な分析。それが1ドルでいいというのは納得がいかない。そのことが夢にまで出てくる。シュピーゲルマンに思いを告げますが、それはわかった、けれども分析料は1ドルでいいと言われます。ここで、河合先生の言った言葉がいい。「ここであなたがぼくにしてくれたことをぼくはどこかでするだろう。日本でするか、どこでするかわからないけれども、あなたのしたことをそのままする。それはあなたに対して払うんじゃないけど、あなたのしたことの意味をくんで行うのです。」シュピーゲルマンはとてもよろこんだそうです。(ペイ・イット・フォワードというのと同じような感じでしょうか。「恩送り」ということばは今知りました。)さらに留学中の出来事。アメリカでは博士号(Ph.D.)をとらないと臨床心理士の資格が取れない。そのためにいろいろと講義をきかないといけない。しかし、それは臨床家になるための役に立たないのではないかと大学院生たちは思ったそうです。そこでクロッパーという教授に質問を投げかける。すると、「臨床家となるためのエゴ・ストレングスのために役立っている」つまり強い自我を確立するためにそれは要るんだと言われたのです。大学院生たちはその一言で黙ったそうです。うーん、受験勉強にも同じことが言えるかもしれないですね。その後、スイスのユング研究所に留学。ここでの話も大変おもしろいのですが、紙幅がつきそうです。非常にユニークな研究所だったようです。夢の話とか、シンクロニシティのこととか、もう偶然なのか、必然なのかわからないような話が次々に出てきます。ぜひ読んでみてください。
最終盤でバイリンガルの精神面についての危険について語られています。こういった話は本書で初めて知ったと思います。
本書は、岩波の大塚さんに引き出されるまましゃべったため、非常に主観的な内容になったと、ことわられています。それに続けて「私はいわゆる客観よりも主観のほうに、いつも賭けてきた人間なのだから、それが反映されていると言うこともできる。」とあとがきをしめくくられています。
河合先生にはもっと活躍してほしかっただけに、残念でなりません。しかし、亡くなられてから何冊本が出版されていることか・・・ -
河合隼雄さんが好きなので、図書館にあったこの本を借りて読んだ。彼の人生や考え方に触れられる本。
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臨床心理学の権威、河合隼雄先生の自伝的書。
京大数学科になじめなかった話など、同じ京大生として共感するところも多かった。
この本を読むまで、人の人生はすべて因果律で成り立っていて必ず原因と結果があるものだという考え方だったのだが、心の問題を取り扱う場合はそれがいい方法ではないということがわかった。
人生をあるがままにとらえる事の方がいい場合もある。そのことに気づかされたことに、読んでよかったと思った。
自伝なので、専門的な単語もあまり出てこず読みやすい一冊だと思う。 -
09104
07/01 -
2008.05.01読了