- 本 ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004307136
感想・レビュー・書評
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図書館より。
まえがきで科学技術の話が出てきたので、読めるかどうか不安だったのですが、科学技術についてそこまで言及しているわけでもなくさまざまな説明や、定義付け、あいまいな文のことなど文章に関しての話が多かったので思ったよりも理解しやすかったです。
理解するとわかるの微妙な違いや、一言にわからないといっても「なぜわからない」のかをいろいろと挙げてくれたりと、自分が何かをわかろうとするとき少し意識してみようと思えるものもいろいろありました。
そして原発の危険性についても例として少し触れられていたのも印象的でした。わかっている人にはその危険性が分かっていたのに、自分はつい最近まで考えもしなかったなあ……詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は、人工知能や自動翻訳などの技術につながる研究をした元京都大学総長、国立国会図書館館長等を務め、2021年5月に亡くなったとのこと。
日々小さな頭で素朴な疑問を追いかけたり、やり直しの英語の勉強をする中で、物事を「理解する」「わかる」という過程のことが気になっていた。
一番のきっかけは、下記本書の抜粋に深く頷く思いを抱いたため。
「教えてもらったことを他の人に言ったり教えたりして、自分の知っていることを再確認するという作業をおこなうことは大切である。その作業の途中で、自分の理解したと思っていたことが、正確でなかったり、論理的におかしいということに気づくことはよくある。そこで考えなおし、自分の理解のしかたを訂正したり、またわからないところを調べなおしたりすることになる。」
こんな面白い発見があった、こんなことを聞いた、と喜んで人に伝えようとしながら、うまく説明できないことにはたと気がつくことがよくあり、それを勝手に自分の宿題として、また学び直した上で改めて話してみる、ということを繰り返していた。その過程で、自分の「理解」がどこまでは明らかで、どこまでがあやふやかということを自覚すること自体や、わからない状態からわかろうとする行動、わかった!という状態への自分自身の「理解」の変化を面白く感じていた。
一方、本書の「はじめに」では、「理解する過程がどうなっているか」といったようなことを解説するものではなく、「一般の人たちが社会において科学技術と共存していくためには、科学技術とは何かを理解しなければならず、そのためにどのようなことを考える必要があるかを明らかにすることを目ざしている」と断り書きがある。ただし、そのことを述べる過程で本質的に通じるところもあるだろう、とも。
私は「科学技術」と名付けられそうなものには苦手意識があるので、前半のその辺りは読み飛ばしであるが、「ひろゆき」流の「論破」の構造を言い当てている箇所(著者はそれら固有名詞を出しているわけではないが)や、原発の危うさに関しても触れた部分には共感した。
後半の言葉や文章と「わかる」こととの関係性の話はやはり面白く読んだ。一読目は、終章の西洋/東洋思想の比較〜21世紀は東洋的な思想が重要という結論は、短絡的すぎるような気がしたが、数日経って、またその間にエーリッヒ・フロム『愛するということ』を読んでいた影響もあるだろうが、私の今の興味関心にぴったり当てはまっていることのように思った。すなわち、西洋思想が科学技術の進展を牽引してきたこと、そして今やそれが限界を迎えていること、など。哲学の専門家ではなく、科学の専門家、しかも自動翻訳や人工知能など、今身近に触れている技術の元となった分野が専門である人からの言葉である、というのが、かえって説得力があるように感じる。
それにしても、新書はなんて素晴らしい存在なんだろうと改めて思う。日頃抱くちょっとした疑問に対して、その扉を開く役目を果たしてくれる。その先の進み方は読んだ人に委ねられている。 -
ざっと眺めた。
認知科学的な「わかる」という現象について述べたというよりも、科学的な理解とは何か、科学によって説明することについて論じている。
期待していた内容とタイトルが違った…。
科学観についてを読みたい人には良いと思う。 -
著者の名前をどこかで聞いたことがあると思ったら前国立国会図書館長だった。科学技術を理解し「わかる」ことを目的に、具体例を用いながら論理と推論の方法を説明する本。本の雰囲気は理科系の作文技術と似ていて、科学技術の説明をいかに論理的に、簡潔に、わかりやすく伝えるかを重要視している。出版されたのは2001年だが、すでに原発問題をはじめあらゆる科学技術の崩壊と衰退を危惧していた。残念なことに事故が現実となってしまったいま、改めて科学技術と向き合うべくこの本を読むべきだと思う。
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長尾NDL館長の電子図書館構想をより深く知るために読んでみました。知識、情報の考え方を、広げることができたように思います。
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わかるということについてじっくりと説明されている。
科学技術への理解について書かれているが、その他の社会的事象についても同様の考え方が当てはめられるところもある。 -
・2015年 宮崎大学 医学部 看護学科 後期
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この本は河合隼雄さんが嫌う日本思想偏重論である。つまり、西洋の科学が人間を頂点として自然を支配するという考えなのに対して、日本は人間と自然を同格として尊重する優位性を説く考えである。
しかし、河合さんの論を端的に言えば、自然崇拝派は土人扱いされる、世界は欧米に支配されているのだから欧米人がどのように考えるかを死にもの狂いで学ばねば、日本は取り残されてしまう、という論である。
つまり敵を知れ!と言っているのだ。日本人の仏教を基本とした思想はすばらしいと自画自賛ばかりしていないで、周りの国を見ろ!ということ。 -
【書誌情報】
著者:長尾 真(1936-2021) 情報工学。
通し番号 新赤版;713
ジャンル 教育
刊行日 2001/02/20
ISBN 9784004307136
Cコード 0211
体裁 新書 ・ 並製 ・ カバー
頁数 198頁
在庫 品切れ
NDC:404 : 論文集.評論集.講演集
わたちはどんなときに「わかった!」と言うのだろうか.言葉,文章,科学的内容,気分….いったい「何が」わかるのか.わかるには,何が必要で,どんなステップを踏むのか.IT,クローンなど,生活の中につぎつぎと押し寄せてくる科学技術を題材に,科学的説明とは,科学的理解とは,さらに人間的理解とは何かを考える.
〈https://www.iwanami.co.jp/book/b268532.html〉
【簡易目次】
1 社会と科学技術
2 科学的説明とは
3 推論の不完全性
4 言葉を理解する
5 文章は危うさをもつ
6 科学技術が社会の信頼を得るために
著者プロフィール
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