「わかる」とは何か (岩波新書 新赤版713)

  • 岩波書店 (2001年2月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004307136

みんなの感想まとめ

科学技術の理解とは何かを深く考察する内容であり、特に「わかる」という概念の微妙な違いや、その背後にある理由を探ります。文章の中でのあいまいさや定義付けについても丁寧に説明されており、読者にとって理解し...

感想・レビュー・書評

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  • 「知る」こと「わかる」ってどういうことなのだろう。
    まず始めは、映画「ゼログラビティ」を見たことでこの本を読んでみた。
    私はSFが好きだが想像力が問題なのでできれば映像化したものを見る(しかない)。文字や数式ではとても頭の中で鮮明な絵にならない、想像力と理解力には限界があって(-_-;)

    この作品について宇宙科学者の説明を読んだ。「ゼログラビティ」という映画作品と、現実の研究現場の進歩とのずれを好意的に解説したものだった。 
    映画を、科学的な見方で楽しむことが出来たなら、いっそう深い感動が味わえたのではないかと思うが。ほとんどの場合、娯楽作品からのメッセージは科学をまぶした人間的なストーリーを楽しんでもいいかもしれないと思っている。好きな小説を選んで読んでいるように。

    それでも、出来ることなら作品を丸ごと楽しめたらもっと愉快ではないだろうか。
    私は、科学的な分野を理解するのはあまりにも無知で。物理科学にしても、数学や化学にしてもほんの基礎の基礎をかじったくらいで、登っても登っても次の頂が現れ、研究者でも未だ見たことのないような山が未来永劫続いているような気がする。科学という学問の世界を、文字や映像を離れて理解しようとするのは無理かもしれない。
    しかし、今書かれたり作られたりしているのはまさしく、基礎は現代の学問であって、「全ての作品は今を越えるものではない」という文学作品を語る言葉もどこかで読んだことがあるが。

    映画を見て、作品は今の科学技術の全てなら、楽しむのは今を基にして想像されるフィクションばかりだろうか。
    4Kというものが現れた、そんな日進月歩の現代で、想像力が広がること、それはフィクションというジャンルのとても面白いものであっても、いつか形を変えてでも現実化される夢では無いだろうか。スクリーンに映し出される見えない世界は美しい。映像は未来への夢と希望があまりにも美しい。

    探っても探ってもたどり着かない、奇怪で巧緻で更に奥深い創造主(という言葉は便宜上の産物であり、存在したとしても、たとえばそれをXとしたとしても)から見ればみれば創造物のマクロ的な作業の解明に過ぎないとしても、やはり進歩という以外に無い、知識の広がりだと思う。

    話は変わるが、病気をして初めて現代医学の進歩を体験した。検査技術はもとより、進んだ検査器具、大掛かりな装置、放射性同位元素を使った染色検査。手術の際のさまざまな器具や進んだ技術。優秀な医師の分かりやすく難しいことを優しく伝える説明技術。そしてほとんど確実だと証明された実験的な治療法。適切な時期に恵まれ、私は進んでその治療法を受けてこれもまことに幸いなことに癌が完治した。
    聞けば何にでも答えてくれる、専門の医師や医療技術者を前にどんなに、肉体の構造に無知だったか、細胞の神秘的な集合体であるように見える肉体、臓器について、見えない心というものををいつもすべてのことに対して優位においていたことを感じた。
    相互関係はまた別に考えるとしても。

    科学も化学もそうだが、身をもって知る、現場に立ち会って初めて分かる。私は想像力が思いやりだなどと分かったようなことを言ってきたが、その想像力は体験した事実があってこその想像であり思いやりかもしれないと思うようになった、最近ではつい口ごもり一言で言い切ることが出来なくなった。
    思いやりの無さは想像力が欠けているからかもしれないけれど。それはあながち常に間違っているとは言い切れない。


    前置きが長くなったが、この本は「化学技術」がわかることについて、「言葉」「文章」「科学技術と社会の繋がり」について
    わかることのヒントが書かれている。
    読めば面白く、頭の整理が出来る。

    はじめに

    多くの一般読者は、本書の「わかる」とは何か」という表題から、学校の教室において先生の説明を理解する過程がどうなっているかといった、学校教育における生徒の理解問題を取り扱っている本、あるいは社会や自然の事象のしくみはどうすればわかるのかを説明する本を予想されるだろう。しかし、残念ながら本書はそのような場面はあつかっていない。本書は、一般の人たちが社会において科学技術と共存していくためには、科学技術とは何かを理解しなければならず、そのためにどのようなことを考える必要があるかを明らかにすることを目指している。(略)


    1.社会と科学技術
    2.化学的説明とは
    3.推論の不完全性
    4.言葉を理解する
    5.文章は危うさをもつ
    6.科学技術が社会の信頼を得るために


    特に6の

    ・ 社会科学と自然科学
    ・ 人間感情を重視する
    ・ 学問への信頼
    ・ 自然科学を超えて


    科学を理解することから、東洋と西欧の思想の違い、歴史的な信教の相違、など哲学的な考察も添えてある。

    そういった意味で、21世紀は東洋的思想が広く世界中に認識されるべき時代であり、私たちは自身と誇りを持ってこれを主張し、全世界の人々に理解させる努力をする必要があるものと考えられる。これを言語的転回になぞらえていえば、アジア的転向(Asiatic turn)といってもよい、ものの考え方の転向だろう。
     ここに述べた議論はひじょうに乱暴でまちがった考えであると、哲学思想史の専門家から指摘されるかもしれない。しかし、言わんとするところは、絶対的であると思われているかも知れない西欧思想、理性への信仰も、これからの時代にかならずしも妥当なものであるとはいえず、日本人のもつ思想、私が私なりに育ててきた考え方もこれからの時代において大きな存在価値をもつ可能性があるのだということである。21世紀はアジアの世紀であるとすれば、それはこのアジア的転向の意味である、いいたいのである。


    そして おわりには
    科学的知識は、実験・実証に支えられた壮大な体系をなしていて、これを十分信頼できることはまちがいないが、そのような確実な科学的学問体系といえども、ある種の場面では不覚にもほころびを見せるときがある。したがって、自然科学であってもつねにその正しさを確認し、適用を誤らないように注意することが必要である。まして、最近よくもてはやされている「知」というものは、もっとも不確かで壊れやすいものである。知をもてあそぶ風潮があるとすれば、それは危険なことといわねばなるまい。よく知・情・意というが、20世紀が知の時代であったとすれば、どうやらその時代は終わりかけており、情の時代、心の時代は徐々に転換していきつつあると感じられる。
     私たち一般の人間にとっては「もってまわった理屈を聞かされ、これは科学だからまちがっていないと自分自身にいい聞かせ納得したつもりになっているが、じつは自分にとっての存在感はそこにはない。理屈はつけられないが、自分はこちらのほうに与する、こちらのほうが心にぴったりくる、ということのほうが、実は十分に知っての真実であり、実在なのである」といった側面もある。こういった形の真実をますます大切に思う時代がくるという予感もする。
     それは、科学によって奪われ、失ってしまった人間性をふたたび回復しようとする動きと見ることもできよう。科学は、こういうことについても十分か理解と認識をすること、つまり、この矛盾するふたつの体系を同時的にあつかっていく力を持つ必要がこれからはあるわけで、それができなければ、化学の力は21世紀には徐々に衰退していかざるをえないであろう。



    考えさせてくれるとても読み応えのある内容だった。時には脳をクリーニング、リフレッシュする必要があるな(o^―^o)
    が、それにしても・・・書いても読んでもしんどい。

  • 図書館より。
    まえがきで科学技術の話が出てきたので、読めるかどうか不安だったのですが、科学技術についてそこまで言及しているわけでもなくさまざまな説明や、定義付け、あいまいな文のことなど文章に関しての話が多かったので思ったよりも理解しやすかったです。

    理解するとわかるの微妙な違いや、一言にわからないといっても「なぜわからない」のかをいろいろと挙げてくれたりと、自分が何かをわかろうとするとき少し意識してみようと思えるものもいろいろありました。

    そして原発の危険性についても例として少し触れられていたのも印象的でした。わかっている人にはその危険性が分かっていたのに、自分はつい最近まで考えもしなかったなあ……

  • 著者は、人工知能や自動翻訳などの技術につながる研究をした元京都大学総長、国立国会図書館館長等を務め、2021年5月に亡くなったとのこと。

    日々小さな頭で素朴な疑問を追いかけたり、やり直しの英語の勉強をする中で、物事を「理解する」「わかる」という過程のことが気になっていた。
    一番のきっかけは、下記本書の抜粋に深く頷く思いを抱いたため。
    「教えてもらったことを他の人に言ったり教えたりして、自分の知っていることを再確認するという作業をおこなうことは大切である。その作業の途中で、自分の理解したと思っていたことが、正確でなかったり、論理的におかしいということに気づくことはよくある。そこで考えなおし、自分の理解のしかたを訂正したり、またわからないところを調べなおしたりすることになる。」
    こんな面白い発見があった、こんなことを聞いた、と喜んで人に伝えようとしながら、うまく説明できないことにはたと気がつくことがよくあり、それを勝手に自分の宿題として、また学び直した上で改めて話してみる、ということを繰り返していた。その過程で、自分の「理解」がどこまでは明らかで、どこまでがあやふやかということを自覚すること自体や、わからない状態からわかろうとする行動、わかった!という状態への自分自身の「理解」の変化を面白く感じていた。

    一方、本書の「はじめに」では、「理解する過程がどうなっているか」といったようなことを解説するものではなく、「一般の人たちが社会において科学技術と共存していくためには、科学技術とは何かを理解しなければならず、そのためにどのようなことを考える必要があるかを明らかにすることを目ざしている」と断り書きがある。ただし、そのことを述べる過程で本質的に通じるところもあるだろう、とも。

    私は「科学技術」と名付けられそうなものには苦手意識があるので、前半のその辺りは読み飛ばしであるが、「ひろゆき」流の「論破」の構造を言い当てている箇所(著者はそれら固有名詞を出しているわけではないが)や、原発の危うさに関しても触れた部分には共感した。
    後半の言葉や文章と「わかる」こととの関係性の話はやはり面白く読んだ。一読目は、終章の西洋/東洋思想の比較〜21世紀は東洋的な思想が重要という結論は、短絡的すぎるような気がしたが、数日経って、またその間にエーリッヒ・フロム『愛するということ』を読んでいた影響もあるだろうが、私の今の興味関心にぴったり当てはまっていることのように思った。すなわち、西洋思想が科学技術の進展を牽引してきたこと、そして今やそれが限界を迎えていること、など。哲学の専門家ではなく、科学の専門家、しかも自動翻訳や人工知能など、今身近に触れている技術の元となった分野が専門である人からの言葉である、というのが、かえって説得力があるように感じる。

    それにしても、新書はなんて素晴らしい存在なんだろうと改めて思う。日頃抱くちょっとした疑問に対して、その扉を開く役目を果たしてくれる。その先の進み方は読んだ人に委ねられている。

  • ざっと眺めた。
    認知科学的な「わかる」という現象について述べたというよりも、科学的な理解とは何か、科学によって説明することについて論じている。
    期待していた内容とタイトルが違った…。
    科学観についてを読みたい人には良いと思う。

  • 著者の名前をどこかで聞いたことがあると思ったら前国立国会図書館長だった。科学技術を理解し「わかる」ことを目的に、具体例を用いながら論理と推論の方法を説明する本。本の雰囲気は理科系の作文技術と似ていて、科学技術の説明をいかに論理的に、簡潔に、わかりやすく伝えるかを重要視している。出版されたのは2001年だが、すでに原発問題をはじめあらゆる科学技術の崩壊と衰退を危惧していた。残念なことに事故が現実となってしまったいま、改めて科学技術と向き合うべくこの本を読むべきだと思う。

  • 長尾NDL館長の電子図書館構想をより深く知るために読んでみました。知識、情報の考え方を、広げることができたように思います。

  • ・2015年 宮崎大学 医学部 看護学科 後期

  • 科学技術があたりまえに日常生活に溶け込むようになったいま、研究者は素人が「わかる」ような説明責任があるし、消費者も真に「わかる」ための努力が望まれるのかもしれない

  • ・2015年 宮崎大学 医学部 看護学科 後期

  • わかるということについてじっくりと説明されている。
    科学技術への理解について書かれているが、その他の社会的事象についても同様の考え方が当てはめられるところもある。

  • この本は河合隼雄さんが嫌う日本思想偏重論である。つまり、西洋の科学が人間を頂点として自然を支配するという考えなのに対して、日本は人間と自然を同格として尊重する優位性を説く考えである。
    しかし、河合さんの論を端的に言えば、自然崇拝派は土人扱いされる、世界は欧米に支配されているのだから欧米人がどのように考えるかを死にもの狂いで学ばねば、日本は取り残されてしまう、という論である。
    つまり敵を知れ!と言っているのだ。日本人の仏教を基本とした思想はすばらしいと自画自賛ばかりしていないで、周りの国を見ろ!ということ。

  • ふむ

  • 【書誌情報】
    著者:長尾 真(1936-2021) 情報工学。
    通し番号 新赤版;713
    ジャンル 教育
    刊行日 2001/02/20
    ISBN 9784004307136
    Cコード 0211
    体裁 新書 ・ 並製 ・ カバー
    頁数 198頁
    在庫 品切れ
    NDC:404 : 論文集.評論集.講演集

    わたちはどんなときに「わかった!」と言うのだろうか.言葉,文章,科学的内容,気分….いったい「何が」わかるのか.わかるには,何が必要で,どんなステップを踏むのか.IT,クローンなど,生活の中につぎつぎと押し寄せてくる科学技術を題材に,科学的説明とは,科学的理解とは,さらに人間的理解とは何かを考える.
    https://www.iwanami.co.jp/book/b268532.html

    【簡易目次】
    1 社会と科学技術
    2 科学的説明とは
    3 推論の不完全性
    4 言葉を理解する
    5 文章は危うさをもつ
    6 科学技術が社会の信頼を得るために

  •  本書は、同じ「わかる」についての書物の中でも、特に科学/技術を「わかる」という観点から説いたもの。著者いわく、本書のもととなる文章は「科学における説明と理解」といってよいものだった。つまり「科学技術が社会に正しく理解されるためにはどのようなことを科学技術に従事する者が注意しなければならないか」ということについて論じている。したがって、対象(この場合科学)がはっきりしている場合の「わかる」についての論であるという点が、これまでの「わかる」に関する書籍と性質を異にする。
     「わかる」ための技術はどこかのタイミングで、一般的な技術論から、対象ごとに固有の技術論を磨く段階に入るものと思う。これは、世の中にあるものすべてを対象とするということを意味するので、とても極めつくせるものではないが、現代を生きていく上で「何をわかるべきか」を先に考えると、だいぶ絞られてくる。こうして絞った中で、科学/技術という対象は、間違いなく優先度の高いものであり、この点で本書の意義は極めて大きい。

    はじめに
    1 社会と科学技術
    2 科学的説明とは
    3 推論の不完全性
    4 言葉を理解する
    5 文章は危うさをもつ
    6 科学技術が社会の信頼を得るために
    おわりに

  • 著者は「わかった!」と「理解できた」には感覚としての本質的な違いがあると述べる。「わかった!」は、対象となる内容に関連する知識はもちつつも、その知識だけでは解釈しきれなかった際に、何かしらのヒントを得た結果、完全に解釈できたという状態。一方の「理解できた」は、これまで知らなかった知識を与えられて、それが論理的に自分のもっている知識と整合的であるという場合である。

  • 何となく分かったようなそうでないような ^_^

  • 思索
    哲学

  • 735円購入2010-01-21

  • 科学とはなにか、説明とはいったいどんな営みか。科学は社会に対して説明責任を果たさねばならない。そのためにわかりやすく、伝えることが重要だ、という内容。

  • 2001年刊。著者は京都大学工学部教授・総長。本書はタイトルから想起される認知心理学の書でなく、世上に流通流布する「説明」(ロジック)の理解に必要な要素を解説。テーマは様々だが①演繹・帰納といった推論過程、②推論過程を可及的に短くし得る方法如何(⇒一義的方法は無く場面により違う)、③客観的推論の具体的内容、④推論の道具たる言語、語や文章解釈の方法論、⑤科学の社会的認知の方法等々。面白いが、広範囲すぎるため内容が散漫になっている気がしないではない。なお著者は多分、コンピュータ・人工知能等情報工学の専門家か。

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著者プロフィール

公益財団法人国際高等研究所 京都大学元総長

「2017年 『〝もう一つの文明〟を構想する人々と語る日本の未来 自然と共に生きる豊かな社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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