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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004307273
みんなの感想まとめ
四国を舞台にした遍路の旅を描いたこの作品は、自然や人々との触れ合いを通じて、一人旅の深い意味を探求しています。著者は、44歳で初めての結願を果たし、68歳からの再挑戦において、歩くことの喜びや人生の原...
感想・レビュー・書評
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良い本すぎる
日本は差別よりも融和を尊ぶ国だから、あんまり差別とかはないとは思う。日本人にレズって言って心では思ってても態度で嫌だとされたことが無い。フランスのミシェル・フーコーはあんなに天才だけどゲイで酷い差別を受けて何回も自殺未遂してるからね。19世紀辺りのヨーロッパの同性愛は犯罪とか刑罰だからね。
『四国遍路 (岩波新書 新赤版727)』 辰濃和男 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
https://booklog.jp/item/1/4004307279
お遍路って歩く事が中心の宗教だけど、歩く事って人間のど真ん中の原点だと思うから、お遍路すると原点に帰れるんだと思うよ。
辰濃和男 (たつの・かずお)
朝日新聞社入社。ニューヨーク支局長、東京本社社会部次長、編集委員を経て論説委員。「天声人語」を13年間にわたり執筆。平成6年朝日カルチャーセンター社長。その後著述業。平成29年12月死去。東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業[2]。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した[2]。大学卒業後朝日新聞社入社[2]。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任[3][2]。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社[2][4]。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた[2]。ジャーナリストとして多数の著書を刊行している[2]。2017年12月6日、老衰のため死去[1]。87歳没。ノンフィクション作家の辰濃哲郎は息子[1]。
「半分は書くという目的のためだったが、あとの半分は、ちょっと立ち止まって自分の生き方に向き合いたいという気持ちだった。長く生きていれば随分と余計なものがこびりついてしまっているだろう。曲がりくねった幹を真っ直ぐになおすことは難しいとしても、木肌や葉に堆積した汚染物質を洗い流すことはできるだろう。いや、少なくともそういうものの存在に気づくことはできる。己の思い上がり、ひねくれ、厚顔、虚栄心などに向き合わずに生きるよりは、向き合ったうえでこれからの人生の後半戦を考えたほうがいいと、まあ、そんな殊勝な気持ちで歩いたわけだが、歩いたあとは自分の後ろ姿が少しは見えてきたし、新鮮なものがからだに吹きこんできた、という実感があった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「お遍路の旅は、たとえひとり歩きでも、「同行二人」だという。いつもお大師さんがついていてくださるという意味で、それでは「お大師さんがついていてくださる」とはどういうことなのか。これをからだで知るまでには長い道のりが必要なのだ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「お遍路の基本は、二本の足を交互に動かして前に進むことだ。三百数十万年前、人間が人間になったときのもっとも原初的な動詞、つまり「歩く」ということを日々の営みの中核にすえることから、お遍路ははじまる。直立歩行をすることは、太古の人間に戻ることで、長時間歩き続けているうちに、私たちは人間が直立歩行をはじめた三百数十万年前の感覚を呼び覚ますことができる。人間が本来身につけていながら近年とみに日陰に追いやられていたもので、それを自然感覚といってもいいし、太古感覚といってもいい。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「歩きながら、ときには、菓子パンと牛乳を買った店のおばさんと世間話をたのしみたいし、古い道しるべの前になんとなく坐っている時間をもちたい。札所は目標ではなくて通過点だ、といってしまえばお寺さんに怒られるかもしれないけれど、点と点とを結ぶ線にこそ、お遍路の無尽蔵の宝が隠されている、という思いが私にはある。お遍路の路が「みち」であることには意味がある。 寺には瞑想の場がある。人びとの願いや供養のこころ、あるいは慈悲にすがるこころが本堂の内外に満ちているのを感ずることもある。しかしお遍路の本当の宝物は路上にあるという思いが、歩くにつれてさらに深まっていった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「路上には発見がある。 たとえば山の神の社に出あう。道ばたのお地蔵さんに出あう。江戸のころに建てられたお遍路の道しるべに出あう。丁石がある。山の神の社のたたずまいも、お地蔵さんの顔も、石の道しるべや丁石も、昔の野の作品はなぜこうも形がいいのか。そこにはたくまざる気品があって遍路びとを立ち止まらせる。 歩き続けるうちに、歩くことをおろそかにした現代人がいかにして距離感覚を壊してしまったのか、ということに気づく。これも発見だった。 日々、歩いていると、三十キロ、四十キロの距離の重さがからだでわかってくる。子どものころはよく歩いた。だから三十キロ、四十キロを歩くことが相当につらいものだという距離感覚が身についていた。が、車に乗る暮らしに慣れてくると「え、三十キロ、たいしたことないよ」という気持ちになる。「三百キロだって飛ばせば一日だ」という感覚が生まれ、人間本来の等身大の距離感覚がおかしくなってくる。空間を生身のからだでとらえる感受性がまひしてくる。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「私自身は、四国の初遍路以来、東京に戻っても車に乗ることをずいぶん抑えるようになった。が、車に乗ることは乗るし、宅配便も使っている。だからあまり大威張りではいえないが、トンネルのなかを歩くたびに、私たちが便利さと引き換えに得た負の部分がここに凝縮されている、という実感があった。 国道の、白線で区切られたわずかな幅の歩道を歩いていると、魂が萎えてくるのを感ずる。この国では歩くことがなんと卑しめられていることかと思う。昔の遍路にとっては、険しい山路は難所で、平らな路は息抜きだったろう。いまは逆だ。平坦な国道が「苦」で、山道は「楽」である。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 車に脅かされながら、なぜ歩くのか。そんなにいやな思いをしてまでなぜ歩き続けるのか。そう質問されたら、私は返事に困る。そこに難行苦行があるから、といったら格好よすぎるだろう。車にもまれて歩く体験から日本の「いま」がみえてくる。その「いま」をからだにしみこませたい、といえばこれもまた優等生じみた答えになってしまう。車の流れという世の大勢に逆らってひとりで歩くのは、しみじみみじめで、そのみじめさにひたる快感、といったものが確かにある。あるいは一種の意地が私を歩かせているのかもしれない。排ガスと騒音のなかで、いまさらなんで加害者側の車に乗ることができようか、という子どもじみた反抗心もある。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「藤井寺のわきから山道になる。十二番焼山寺への道だ。四国遍路では有数の難所といわれている道だが、この道にはもう車は追ってこない。昔、歩いたときもこの道が好きだった。江戸時代の石の道しるべがある。昔の人が草鞋で踏みしめた道を、いまは寝袋を背にした若者が歩く。登山靴のじいさんが歩く。後ろから来た五十前後の歩き遍路がいった。「初日、二日はつらくて、足のマメが痛くてもう止めて帰ろうと思ったんだけど」。それでも、意を決して歩きはじめた。「不思議なことに、きょうは足が軽いんです。どんどん歩ける。うれしいですね。もううれしくって」。大きな声でそういうと、威勢よく坂を登っていった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「無数の人びとが無数の出あいのなかで、生き抜く力を授かっている。それが四国遍路の奥の深さといえるかもしれない。 「出あったときが別れだぞ」 松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。会ったときが別れだ。だから人には親切に、すべてに丁寧であれ、という教えだった。泰道師は一期一会について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の粛然としたたたずまいを感じる語は、他に類例を見ません」(『禅語百選』祥伝社、一九八五年)」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「出あう人はたいてい、歩き遍路であり、里の人だ。たとえば六番札所安楽寺を出てしばらく行き、神社の境内で雨宿りをしているとき、大阪から来たという髭面の青年に会った。「最近母が亡くなりました。母の遺言でこうやって歩きはじめたんです」と青年はいった。「画家として大成せよというんです。これも母の遺言でした」ともいった。 ゴッホが好きですね。ゴッホの絵を見ていて、さっと抱えて展示場の入り口まで走りだしたい衝動にかられることがあるなあ。 街道、って好きだな。歴史のある街道には力がみなぎっているっていう感じがしませんか。 きのうは地蔵寺の側で酒飲んで野宿してしまって、そう、おふくろは酒を慎めとも遺言しましたが、酒はやめられません。きのうは酒飲んでいて数ミリかな、浮遊したんですよ。本当です。本当に浮遊したんです。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「このあたりでしっかりと自分をみつめたくなりましてね」。そのために四国路を歩いてみる気になったという。風景との会話のような、淡い縁が続いた。 母を失う。妻を失う。夫を失う。恋人を失う。職を失う。自信を失う。そういうたくさんの「失」に遭遇した人が四国路を歩いている。なにかを失った人びとは、歩くことで、なにかを得ることができるのだろうか。「失」と向き合うことで、「得」への展開があるのだろうか。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「道に迷っているうちにふっと「我」が消えてゆく。一心になり、一心になっているうちに、こころのなかの野性に出あう。野性と出あうことですなおに歩き、正しい道に戻ることができた。たぶん、そういうことをいいたかったのだろう。こういう体験も、当事者にとっては大切な出あいだ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「十三番大日寺、十四番常楽寺、十五番国分寺、十六番観音寺、十七番井戸寺と徳島市内の札所を一気に打つ。大日寺では、合掌する巨大なてのひらに包まれた極彩色の観音さまにお参りした。「しあわせ観音」である。こういう、いかにも現代的な粧いの仏様に出あうかと思うと、常楽寺では、あららぎの古木の枝分かれした部分に安置された弘法大師の像に出あった。「あららぎ大師」である。さまざまな仏像、大師像との出あいもお遍路のたのしみの一つだ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「歩きは自分との闘いと思います」 「一歩前に出れば一歩前に出る。大丈夫」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「歩いていると鳥や虫がしきりに話しかけてくる。だから独りでも全く寂しさを感じない。毎日毎日、心の垢が落ちてゆくのがよくわかる。生きていこうとする生命力がわいてきて、自分がとても力強く感じられる」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「出発前、若い人たちと飯を食ったとき、歳のことを考えてあまり張り切りすぎないようにといわれた。しかし四国に来て見れば、八十過ぎの人が元気で歩いているし、七十過ぎの人が自転車で札所を回っている。歳のことなどに頓着してはいられない気分になっている。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「いままでは、初めから「三十キロ以上はとても無理だ」と思うことで自分を縛っていた。が、その気になれば三十五キロだって歩くことができる。疲れて倒れそうになって、壁際まで追い込まれたとき、人間には潜在的な力が湧き出てくるのだろう。それを野性の力といってもいいし、自然力のバネといってもいい。とにかくそういうものが噴き出して殻を突き破る。体得、ということのおもしろさがそこにある。 私が味わった「不思議な体験」は、実は多くのお遍路さんが体験していることだろう。「疲れてよたよたしながら山道を歩き、うす暗くなって困り果て、一心に南無大師遍照金剛を唱えていると、坂のはるか上がぽっと明るくなり、その光に導かれて歩くことができた。あれはお大師さまだったのじゃろうか」という話を昔のへんろ道で聞いたことがあった。多くのお遍路さんが、いつのまにか自分の限界を突き破って歩いていた、という体験をしている。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「むりだと思いこんでいることでも、からだを動かしているうちに、決してむりではないことがわかってくる。野性の力をひきだすことで限界を突き破ることもあれば、出番を待ちこがれていた遊びごころをひきだすことで、ゆるやかな時間をもつことのよさを知ることもできる。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「ここにはこんなすばらしい世界がある、人との出あいがある、草や花との出あいがある、それが発見でした。歩いているうちに、自分の悩みがひどくつまらないものに思えてきました」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
辰濃和男『四国遍路』(岩波新書、2001年)
良かった。
まずお遍路の道中を読者の心に思い浮かばせる情景描写が美しい。その叙述にはリズムもあり、読みやすさも兼ね備えている。この描写とともに、遍路をゆく著者の心模様、自己の内面との対話がていねいに描かれていたのが素晴らしかった。
あと数日前から辰濃和夫「四国遍路」も読んでいる。旅情ものとして読んでもたのしい一冊だが、生きることに悩んでいるときに示唆を与えてくれることばがいっぱい詰まってる。宗教家でも、えらい作家の先生でもなく、元新聞記者という視点で"遍路"を捉えようとしてるのがよいと思う。
「雨のなかを歩きながら、「雨行」「豪雨行」という修行の形態があってもいいと思った。修行のための雨は、激しければ激しいほどいい。「刻苦光明必ず盛大なり」という禅のことばがあるが、豪雨のなかを歩いているうちに、次第に、アタマのなかであれやこれやを考えることがもはやどうでもよくなってゆく。代わりに、感覚がとらえる光量がまして、「ただいま」を大切にする気分が強まってくる。いまのこの一歩を大切にする気持ちに光が差しこんでくる。風雨に身をさらす、という愚かしい歩みを続けることで、大自然の激しさや恐ろしさやゆたかさや神秘性が体にしみこんでくるように思えてくる。 体得とはそういうものだろう。 自分のなかのこずるさ、うぬぼれ、競争心、夜郎自大といった汚臭を放つこころの垢が少しずつ洗い落とされてゆくような気分になる。錯覚にすぎないのだが、雨や風が激しくなるのに比例して、洗い落とされる量がふえてゆくように思えてくる。こころの垢のすべてを洗い落とすことは無理だとしても、雨に打たれていると、少なくとも自分の内面と向き合うことができる。豪雨はやはり、もってこいの修行の場だ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「私は日本が好きで、歩くのが好きで、自然が好きです。この三つの条件を満たすのには四国の遍路が一番だと思います」 明快だった。お遍路はいいですね、たくさんの温かいお接待を受けましたといいながらも、 Dさんは残念そうに首を振った。「国道を歩くのは苦痛です。ひどいです。またお遍路をしたいとは思いますが、国道を歩くときのことを思うと疑問です」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「しかし、へんろ道を歩き続けているうちに、少しばかり考えが変わってきた。この動詞には、もっと別の、のびやかな意味があるということが分かってきた。自分の飲料を割いてコーヒーをお接待してくれたおじさんのような人びとから、いままで、どれほどたくさんのほどこしを受けてきたことだろう。〈いただく〉の節やそのほかのところでたびたび、書いてきた通りだ。 〈ほどこす〉には「広い範囲でゆき渡らせる」「あまねく及ぼす」の意味があり、そこにこそ、この動詞の本来の姿があるように思う。そこには思いやりがある。恩に着せるとか、あわれみをかけて優越感を味わうとか、そういう類のものではない。ほどこすとは恵み与えることだ。では〈恵む〉とはなんだろう。恵むは「めぐし」が動詞化したもので、めぐしは愛であり、いとおしく思うこころだ。恵むには思いやり、利他のこころ、慈愛のこころがある。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「痛みは、自分にだけあるのではない。多かれ少なかれ、だれにもあるのだ。自分だけが特別に不幸せだと思うのは間違っている。多かれ少なかれ、だれもみな不幸せを背負っている。自分だけが特別だと思ってはいけないという教えも、実際、自分が痛みを覚えてはじめて体得するのだ。 宇和島の駅前の宿まで、さまざまなことを思いながらやっとたどりついた。長い道だった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「どこだったか、恐ろしく愛想のない、不潔な宿があった。まだだれも入っていない風呂なのに浴槽に垢がこびりついていて閉口したことがある。が、前回書いた「無料宿」の体験をしてからは、宿のことはどうでもいいと自分にいい聞かせるようになった。へんろ道にはこういう宿もある、なにごとも経験だと思う。正解正解大正解だと思う。そう思うくせをつけると、案外、落ち着く。 ちょうど、五十代のときは五十代こそ人生の華だと思い、七十代になれば七十代こそ充実のときだと思う。そういう「ただいま」を大切にする心構えと、なにごとも正解だと思う姿勢は重なるのではないだろうか。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。 迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道をたのしむことだ。 国木田独歩は『武蔵野』のなかに書いている。「武蔵野に散歩する人は、道に迷ふことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「迷うことのないように仕組まれた公道だけを歩くのではなく、おおざっぱな方向さえつかんでいれば、あとは公道を避け、手さぐりで自分の道を見つけてゆくことが時にはあっていい。とりわけ、深い山にあっては、人ひとりがやっと歩けるような細い道をたどってゆくと、青紫色に光る竜胆に出あったり、コゲラが飛び立つのを見たりすることがある。四国の森で、原生林に出あうことはまれだが、迷っているうちに野性的な風景に出あうことはある。 私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。 いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「独り歩きの私を励ます意味だろうか、別れぎわに章敬師がいった。「歩くには独りがいいですね。独りになると力がでます。独りで歩いていると、ものを判断する力やさまざまなことに感謝する気持ちがわいてくる。独りになることは大切なことです」 山田無文師は「(坐禅とは)どっかり大地に坐りこんで、天地と我と一枚になる修行である」と書いている(『坐禅のすすめ』禅文化研究所、一九八二年)。よくいわれることだが、「坐」という字は土のうえに人がいるさまをいう。人と人が、大地のうえにどっしりと腰をおろしたさまが「坐」なのだ。「人と人」を指して、己と、己を見つめるもうひとりの己、という人もいる。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「そうだとすれば、土の上にじかに坐る習わしを失った私たちは、もう一人の自分と相対してゆっくりと話し合うことが下手になっているのだろうか。へんろ道では時々、なぎさや草地の上に坐りこみ、裸足になった。裸足で大地を踏み、腰を下ろしていると、体が大地の深いところから元気をもらっている、という気分になってくる。大地の気が私たちのからだに流れこんでくるときに感ずるのは融和の感覚である。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「雨の日は、主宰する雑誌『大耕』の仕事をし、晴れれば裸足になって畑仕事をした。九十四歳で、大樹が枯れるような自然死をとげるまで、悠々と暮らした。朝の温泉を欠かさなかった。「朝の温泉で飄然、三時の茶で悠然、夕べの自然酒(枸杞酒のことらしい)で漫然、この三然が私の日日の三楽である」と書いており、遊びごころを大切にした人だった。枸杞が好きで、茂ったままの若葉を鳥がついばむように食べたりしたという。大自然に融和する感覚のある人だった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「四国を歩いていて思うのは、人の情けです」。ヒゲさんがいった。 「自分のようなものを呼び止めて、ふろに入れてくれて、食事をだしてくれる人がいて、なぜこんなに情けをかけてくれるのかと。今まで自分がいた世界とは逆の世界ですからね。罪業を重ねてきた自分に対してなぜこんなにもよくしてくれるのかというとまどいがあって、はじめは、ありがたいと思いながらも、むしろつらかったですね」」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「胸に浮かんだのはこの、よく知られた西行の歌だった。四国で詠まれたものではないが、庵で暮らす法師の心象風景はたぶん、このようなものであったろう。どんなに山の奥深くのことを思ってみても、実際に住んでみなくては「あわれ」を感じとることはできない、と西行は歌う。大切なのは、そこに住むという行為なのだ。夜半、闇に溶けこんで星空を見る。暁の風が運ぶ新緑のにおいを感ずる。野分の日、激しい風の声に和するように読経を続ける。闇や風や雨との融和の日々のなかでこそ「あわれ」を知ることができる。西行はそう歌った。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「私たちは、自分が正真正銘、精一杯に生きているのだと思いこみがちだが、本当にそうだろうか。私たちは本当の人生を生きているのだろうか。実は「死者のように生きている」だけではないのか。 本当の生き方とはなにか。人よりもたくさんのモノをもつことだろうか。人よりも「よりよい」といわれる地位や肩書を得ることだろうか。豪壮な邸宅に住み、人にかしずかれ、きらびやかな装飾のなかで生きる人がほんものの人生を生きているのだろうか。死者のように生きているのに、そのことに気づかないだけではないのか。問題は「死者のように生きている」ことの自覚がある人と、ない人との違いだ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「いま、これだけたくさんの人が四国を訪れるのはなぜだろう。それは時代が病んでいるからで、多くの人が「自分は死者のように生きている」という鬱屈した思いをこころの奥深くにもっているからではないだろうか。自分の生き方にきちんと向き合っている人ほど傷は深く、その傷をかかえて迷いの道を歩いている。 死装束をつけて四国路を歩きながら、私たちは「ほんものの生き方とは、どういうものか」という問いを厳しく問い続け、やがて「死者のように生きている」自分からよみがえる道を歩きはじめる。 数え切れない人が、四国の道を歩き、苦行をし、生きるうえでいちばん大切なものはなにかを求め、自分のなかの死滅していたものをよみがえらせようとしている。それは簡単なことではないが、そのうちに、こころの傷口がしだいに癒え、新しい細胞がいきいきとよみがえってくることを体験する場合がある。むろん、そういうことを体験しえない人もいるだろうが、多くの人は闇の戒壇から光明を見るようによみがえりへの道をつかむ。だからこそ、へんろ道を「お四国病院」というのだろう。よみがえってくるものを、もともと人に備わっている「自然力」と名づけてもいいし、「宇宙感覚」「太古感覚」と名づけてもいい。厳しい修行であれば、よみがえりの度合いも飛躍的なのだろうが、私のようなものでも、自分の限界を突き破って歩き続けるとき、からだの奥底から自然力、自然治癒力の湧水が流れてくるのを感ずることがあった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「かつては死と向き合いながら歩く人が少なくなかった。重い病いにとりつかれた人は足をひきずりながら何回も八十八の霊場を回り、あるいは快癒し、あるいは行き倒れて死んだ。 は卒塔婆になり、へんろ墓に葬られた。 つらい修行を続けることでお大師さんのご利益をいただきたいというすがる気持ちもあったろう。過酷な修行を重ねれば死後は浄土へ行ける。苦しみの果てに極楽がある。あるいは生まれ変わるときに幸せになれるという信心が険しい道を歩ませたのかもしれない。へんろ道は死と背中あわせの道でもあった。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「深呼吸をするとき、大切なのは吸うことよりも吐くことだ。息を吐いて、吐き切って、肺をからっぽにしたとき初めてたくさんの新鮮な空気が肺に流れてくる。こころに淀んでいる雑多なものを流し去れば、みずみずしいきらめきをもったものがこころに流れこんでくる。と、そうは承知していても、こころのがらくたを捨て去るのはそんなに容易なことではない。いちばんいいのは、旅にでることだろう。お遍路のような長期間の修行の場であればさらにいい。お遍路をするということは、何かを捨てにゆくことで、捨てて、こころをからっぽにすれば、新鮮なものが流れこんでくるはずだ。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「難しいのはこころを洗うことだ。からだの垢はめだつが、こころの垢は、見る目をもたないとなかなか見えてこない。人は手を洗い、からだを洗う時間を習慣としてもつが、こころを洗う時間を習慣としてもつことはあまりない。坐禅や瞑想はそのためにあるのだろうが、へんろ道もそのためにある、といっていいだろう。歩きながら、思いが内側に向かうときがある。歩いていて、自分の後ろ姿がよく見えてくるときがある。歩くことは日々、自分のこころを洗うことにつながる。自分がいかに自己中心的な生き方をしてきたかとか、肩で風を切る歩き方がいかに貧しいこころの表れであるかとか、つまらないことで怒ったり、弁解がましいことをくだくだといっている自分の顔がいかに醜いものであるかとか、そういったことが見えてくる。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「江戸から昭和初期までの納め札が収集されていて、担当の人の説明によると、お遍路さんの出身地はいまの都道府県制にあてはめると四十一に及んでいるという。いまも、ほぼ全国から人が来ている。お遍路は四国の行事ではなくて、全国的行事なのだ。昔は、米、 、蜜柑、草鞋などのお接待が盛んだったという。いまもお接待は変わらない。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「なにはともあれ、六十八歳から七十歳までの間に続けた私の「区切り打ち歩き遍路」は終わった。たくさんのことを学んだ。いちばん大きいのは「動詞」を大切にする、ということだった。 動詞は、抽象的、論理的なことがらが苦手で、人のからだやこころの動きに寄り添っているところがある。等身大で、具体的で、行動的だ。そういう動詞の数々と親しむ生き方をお遍路は教えてくれた。 たとえば「食べる」という動詞がある。大切なのは、心身の中心は胃にあると思い、胃のこころを尊重し、胃の気持ちに従って食べることで、そのことによって私たちは、人間という自然、あるいは自然の一部である人間の存在に思いをめぐらすことができる。何よりも、からだを動かすことが胃を快調にし、胃が快調になれば歩く力が倍加するという循環のこころよさをお遍路の体験は教えてくれた。食べ残すことはほとんどなかった。ぜいたくなもの、高価なものは必要ではない。その土地のものをその季節に食べることは長生きの秘訣だという。へんろ道では、山のものにせよ、海のものにせよ、その土地の、その季節のものをたくさん食べた。無農薬、有機肥料の野菜をだす民宿も少なくなかった。食べることの基本は、素朴で、自然で、胃の気持ちに沿うのがいちばんだということをお遍路は教えてくれた。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「へんろ道はまた、私たちが生きてゆくうえで「歩く」という動詞がどれほど大切なことかを教えてくれた。人間を中心に据えるのではなく、自然を中心にした融和を体得するには、ひたすら歩くことが必要だった。歩きながら、こころを解き放つ機会を多くもった。自然に溶けこむためには、こころを解き放ち、五感を全開させることが大切だった。そういうことを路上で日々、学んだ。車椅子で札所を回る人もいるし、目の不自由な人もいる。病弱な人もいるだろう。どういう形の移動にせよ、人びとは修行のはてに、自然に溶けこみ、こころを解き放つ機会を多くもつ。それがへんろ道なのだ。四国路にはさまざまな人を包みこみ、よみがえらせてきた歴史がある。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「唐突なものいいになるが、「食べる」と「歩く」は縄文の時代のいちばん基本になる動詞だったろう。この二つの動詞のよりよいありようを追求するには縄文に学ぶことだ、としきりに思った。遠い縄文の時代に学ぶ、つまり森の民の生き方に学ぶことこそが未来を考える拠り所になるという感想をもった。 たとえばまた「着る」という動詞では、簡素のよさを学んだ。荷物を少なくしたいとそればかりを思い、着るもののすべてをいかに小さな包みにまとめるかを追求してゆくうちに、人がいかに少ない衣料で暮らしていけるかを知った。 滝に「打たれる」ことにしても、滝行についての百回の講義よりも、大切なのはたとえ一回でも打たれるという動詞をくぐり抜けることだと知った。曼荼羅について、たくさんの解説書を読むよりも「包みこむ」「回る」という二つの動詞に出あったことのほうが私には有益に思えた。 「捨てる」という動詞は奥が深い。自分の生き方に向き合うとき、この動詞がどれほどすばらしい働きを示してくれるかを教えてくれたのも、へんろ道だった。 まだ大切な動詞がある。四国を歩いた人の多くは、自分が歩くことができたのは自分ひとりの力ではない、自分は歩かせてもらったのだ、たくさんの人びとの助けで歩かせてもらったのだ、という気持ちになる。お接待の「ほどこす」「いただく」という動詞が、手品のように遍路びとの世間観を変えてゆき、相互合掌の世界に導いてゆくのを、路上で体得した。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「唐突なものいいになるが、「食べる」と「歩く」は縄文の時代のいちばん基本になる動詞だったろう。この二つの動詞のよりよいありようを追求するには縄文に学ぶことだ、としきりに思った。遠い縄文の時代に学ぶ、つまり森の民の生き方に学ぶことこそが未来を考える拠り所になるという感想をもった。 たとえばまた「着る」という動詞では、簡素のよさを学んだ。荷物を少なくしたいとそればかりを思い、着るもののすべてをいかに小さな包みにまとめるかを追求してゆくうちに、人がいかに少ない衣料で暮らしていけるかを知った。 滝に「打たれる」ことにしても、滝行についての百回の講義よりも、大切なのはたとえ一回でも打たれるという動詞をくぐり抜けることだと知った。曼荼羅について、たくさんの解説書を読むよりも「包みこむ」「回る」という二つの動詞に出あったことのほうが私には有益に思えた。 「捨てる」という動詞は奥が深い。自分の生き方に向き合うとき、この動詞がどれほどすばらしい働きを示してくれるかを教えてくれたのも、へんろ道だった。 まだ大切な動詞がある。四国を歩いた人の多くは、自分が歩くことができたのは自分ひとりの力ではない、自分は歩かせてもらったのだ、たくさんの人びとの助けで歩かせてもらったのだ、という気持ちになる。お接待の「ほどこす」「いただく」という動詞が、手品のように遍路びとの世間観を変えてゆき、相互合掌の世界に導いてゆくのを、路上で体得した。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「人びとの流れに逆らって歩きながら、やや漠然とした寂寥感がこころのすみに居座りはじめた。お遍路をはじめるとき「独りで歩く」ことを自分に約束した。途中でだれかに会い、宿で相部屋になり、話を交わすことはあったけれども、おおむね独りで山を歩き、野を歩き、街を歩き、海辺を歩いてきた。独りで歩きながら、そのための寂しさを感ずることがなくはなかったが、それはそれほど深いものではなく、むしろ独り旅をたのしむ気持ちがあった。いま出発点に戻ろうとして、しきりに存在を主張しはじめたこの寂しさはやや質の違うものだった。正体をつかみ難い気持ちに向かって、いったい、お前さんはなんなのだと再三問いかけてみた。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「漂泊とは、たどりつかぬことである」と書いたのは、寺山修司だった。たどりつくことはないけれども、「漂泊と、百たび書いて、あしたまた、旅立つ」とも寺山は書いている。お礼参りを続け、一番霊山寺に着いたとしてもそれが終着点ではなく、終わることのない円環運動がそこからまたはじまる、ということはわかっている。四国のお遍路がたどりつくことのない旅であることを、からだもこころも、とうに承知しているからだろうか。そのための寂しさなのだろうか。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 「山に帰る」といい残したとき、その胸にあったのは、石 山の風景だったろう、というのが私の独断的推測だ。「山」は、あるいは高野山かもしれない。山々一般かもしれない。しかし、最期に胸に浮かんだのは石 の霊峰だったと私は思う。若いころに修行した石の霊の山、標高一九八二メートル、西日本の最高峰、石 でなければならない。 私も、山に帰りたいと思うことがある。許されれば、自分の遺灰の一部は、どこかの山の木の根元に埋めてもらいたい。山に帰り、山の土に溶けて、季節の風に耳を傾けていたい。そういう思いにとらわれることがある。 いや、生きている間でも、できるだけ長い歳月、山に帰っていたい。山へ行くのではない。山に帰るのだ。山に隠り、「宇宙という生命体」の存在をいつまでも感じとっていたいし、生きている限りは深山にあって歩く力を鍛え、五感を磨きつづけたい。 山が空海にとっては学びの場であったように、私たちにとっても山は学びの場でありつづけるだろう。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「山に登るということは、山に帰ることである。再び山を降りてくることがなくなるまで、私は山に登りつづけ、帰りつづける。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「空海には六大の思想がある。高野山大学の松長有慶教授はこれを「独特の生命哲学」と述べ、思想の特質を鮮やかに説明している。以下はその受け売りだ(『大宇宙に生きる・空海』中央公論新社、一九九九年)。 六大とは、地、水、火、風、空の五大と識大をあわせたもので、これらが宇宙を表現している。地は大きな「いのち」の堅固な性格、水は冷性、火は熱性、風は流動性、空は無限の空間性を表し、識大は精神的な側面を表す。 空海は六大を、宇宙を構成する要素とは見ず、宇宙のいのちの個々の性格の表現だと考えていた。宇宙という生命体には、仏も人間もすべての生物も、すべての無生物もみな一体となり、いのちあるものとして存在している。岩にも土にもいのちがあるというところに、六大説の特長がある。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「 山に登るということは、山に帰ることである。山に帰り、人間の本来の姿に戻ることである。戻って、宇宙のひろがりを呼吸することである。そして空海のさらに前の時代、さらにさらに前の時代に生きた人たちの生きる力に学びたい。そういう意味で、私は山に帰り続けたい。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「この本は、これから四国のお遍路をしてみたいと思う人にはぜひ読んでいただきたい。お遍路の経験のある人、あるいは、お遍路に行くかどうかはともかくお遍路に関心を持っている人にも読んでいただきたい。欲をいえば、歩くことが好きな人、人生の節目を迎えてたたずんでいる人、「死者のように生きている」自分がいやで、いきいきした自分をよみがえらせたいと思っている人、そういう人びとにも読んでいただきたい、と極めて虫のいいことを願っています。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「へんろ道では、女性の歩き遍路がふえ、若い人の姿もよく見ました。何かをつかみたくて、といって歩いている若い人がふえています。人生の後半戦をよりよく暮らしたいと願って歩く中高年の人にもよく会いました。 いつか、作家の早坂暁さんと『俳句朝日』誌で四国遍路についての対談をしたときに、自分の生き方と向き合うためにお遍路をしている人がふえているという話になりました。早坂さんは「哲学的な遍路」と表現していました。お遍路の歴史を千年とするならば、千年にして初めて、哲学遍路がふえているというのです。私も同感です。生き方に向き合う遍路びと、私流にいえば「人生遍路」がふえている、というのは民衆遍路史の新しい潮流だと思います。かつての四国には、修行僧だけでなく、病気の人、村を追われた人、駆け落ちの人びとが歩いていました。いまは、超過密、超高速の世の中全体が病んでいて、息苦しさや鬱屈や疎外感に苦しむ人びと、なんとかしてこころの地獄から自分を解き放ちたいと願う人が、四国の土を踏みます。四国の人と風土は遍路びとを包みこんでくれます。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
「空海の思想を解き明かす の一つは「宇宙讃歌」でしょう。この本でも書いてきたことですが、へんろ道でこころを満たしてくれたのは、風が歌ってくれる讃歌でした。宇宙、天地、乾坤、大自然など、大いなるものへの讃歌です。一方に超過密、超高速の日常があれば、一方に、宇宙的な空間に遊ぶ非日常の世界が必要なのです。大いなるもののなかに自分自身をほうりこむことで、私たちは日常の自分のこころの硬さ、卑小さ、愚かさ、大勢順応性などに気づきます。自分をよみがえらせる作業はそこからはじまります。私にとって、千数百キロの道を歩く意味はそこにありました。」
—『四国遍路 (岩波新書)』辰濃 和男著
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自然、人がありありと目に浮かぶ。歩くのが好きな理由を言葉にしてくれたと思った。
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千数百キロに及ぶ歩き遍路紀行の傑作です。
筆者は44歳で初結願し、本書は68歳からの2回目の四国遍路となります。
東京から6回に分けての行程が詩情豊かにつづられます。朝日新聞社という大きな群れ組織に身を置いた人生を振り返りながら、「一人旅」の意味を考える。人は他人とのかかわりなしには生きていけないが、生まれるときも死ぬときも基本はひとり。一人旅は人生の原点。誰もが人生をやみくもに走ってきたが、本当に「あるべき」人生を歩んできたのかという問い。地位や名誉、富や肩書に振り回されてはいないか?お遍路は、日常的なものを捨てることから始まる。地位や名誉をまとって歩いても誰からも尊敬されることはない。試されるのは、誰もが持っている己の肉体と意識という原始の力。それは、深呼吸に似ている。肺を空っぽにしなければ、たくさんの新鮮な空気は入ってこない。
例えば、こんな人もいる。43回目の四国遍路をしている72歳の老婆と出会う。彼女には帰るところがない。極端な話だが、遍路自体が日常となった生き方もある。
特に雨の中での歩きは、否応なく自分の内面と向き合うことになる。自分の狡さ、うぬぼれ、競争心などの心の垢が風雨によって洗い落とされていくのを感じる。肉体的な苦痛を感じることなしに、他人の痛みも本当にわかることはない。
お接待する人の動機も様々。「死ぬときに、いい人生だったと思って死にたい。人に何かをしてもらうよりも、自分が人に何かをさせてもらう時の方が幸せを感じる」
辰濃 和男氏は2017年12月6日、老衰のため死去、87歳没。合掌。 -
体験談を読むことで擬似的な追体験をしてお遍路参りをより知りたかった。
一番札所から順を追った体験記を綴った体裁だが、各章ごとにテーマが決まっていてそれについて話がまとめられている。読んでいるうちにいつのまにかテーマが絡んできて「なるほど」と思うことがしばしばある。
また、その当時の体験記だけでなく著者が過去にお参りしたときの記憶や、その寺や土地の語り継がれてる逸話、関連した書物の引用などを交えての考察や、感想がただその場だけの体験記と違って読み物としても面白かった。
豊富なボキャブラリと読みやすい文章が、読んでいて心地良かった。
著者がご高齢なためか、日程がとてもゆったりしていたせいか、あるいは文章表現のせいか、とてもゆったりと回られていることが、他に読んだ体験記とは違っていると感じた。大抵はどこかで締切や期限に追われて行動してるような様子が伝わってくる。
そういう自分も、実際に期限に追われてお参りすることになるかもしれない。2006/12月。 -
[感想(良かった)]
・「お遍路」を回った時の
懐かしさが沸湧く。
・著者は動詞で定義している。
確かに分かる。
「打たれる」
「着る」
「歩く」
「頂く」
「履く」
「解き放つ」
「突き破る」
「憧れる」
「食べる」
「包み込む」
「施す
「回る」
「泊まる」
「融和する」
「迷う」
「遊ぶ」
「修行する」
「委ねる」
「哭く」
「死ぬ」
「洗う」
「捨てる」
「結ぶ」
・お遍路で「土」に目覚める感覚は
よく分かる。
[総論]
◯・「お遍路」をやろうと思う人。
・「お遍路」をやった人
ともに必読書。
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3度目の歩き遍路がコロナで中断している母の胸の内を想像しながら読みました。さすが文章が素晴らしく、心に響いてきます。机上の哲学ではない、歩きながら直に感じられた、生きた仏道が目に浮かんできます。
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前々から「四国遍路」を と考えているが、後先の事を考えて実行できていない。
自身のこうした姿勢を見つめ直すためにも、考えさせられる本だった。
まず、やってみる。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/704552 -
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お遍路たいへんだろうなぁ〜と思いながらずっと憧れてる。だから、タイトルに惹かれて読んでみた。年代的にも近い方だし、とても共感できた。一緒に歩いているような気持ちになる。いつか僕も、という想いが募る本です。
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読み終わった今、一日も早く、四国遍路を歩いて挑戦してみたいという気分にさせてくれる。
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四国遍路を歩くということ。
そのこと自体の実感の重みを感じました。
一つ一つのお寺、詳しい歴史等については多く触れていませんが
歩いていく筆者の姿がみえてくるような。
様々の人生を受けとめる、力を
私も実感したくなりました。 -
「死んだように生きる」のフレーズが忘れられません。
人との出会いが生き生きと描かれ、ワクワクしながら読みました。 -
学校の先生より、課題として。
パラパラ読んだけど面白い。
…しかしなかなか返却できずに、早く返さねばと一部分しか読めず。 -
02.6.11
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動詞と四国遍路。
さまざまな動詞が遍路に登場する。
出会う、解き放つ、突き破る。
そして、ゆだね、融和する。
四国遍路に興味がある、行きたいという人は読むべき。
四国遍路が単なる寺まわりでないことがわかるから。
2008年03月18日読了。
辰濃和男の作品
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