学問と「世間」 (岩波新書 新赤版 735)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004307358

作品紹介・あらすじ

日本で、個人と社会の間にあって個人の行動を大きく規制している「世間」という存在を学問の世界に焦点を当てて論じた学問論。生活世界=「世間」を学問の対象とすることを説いたフッサールに拠りながら、国民から遊離した大学の学問の現状を批判的に考察し、生涯学習を中心とした現場主義による学問の再編成を提言する。

感想・レビュー・書評

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  • 大学とその中の世間

  • 『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(ともに講談社現代新書)と同様、著者が取り組んできた「世間」にかんする議論が開陳されている本です。

    著者の「世間」論は、元来学問論という視角から問題が提出されているところに大きな特徴があります。著者は、西洋の学問を輸入した近代以降の日本において、そこで議論の対象になっている西洋的な個人にもとづく社会のありようと日本人みずからがそのなかにどっぷりと身を浸している「世間」がまったく乖離してしまっていることを問題視しています。こうした問題意識は、かつて哲学者のカール・レーヴィットが日本の知識人の精神構造を批判し、丸山眞男がこれを引き取りつつ日本では西欧の学問が内面化されることがないと述べたことに通じるものといってよいように思われます。本書ではフッサールの危機書がとりあげられ、「生活世界」の概念を参照しながら、日本における「世間」に目を向けることの必要性が主張されています。

    ただ、従来の日本の人文社会科学において著者のいう「世間」がまったく議論の射程に入っていなかったというのは、やや誇張を含んでいるように思います。たとえば著者は、近代的なシステムと伝統的なシステムの二重構造を生きざるをえなかった明治以降の日本人の心性を、「故郷」を主題とする歌に見いだそうとしていますが、これに類する問題に切り込んだ見田宗介の『近代日本の心情の歴史―流行歌の社会心理史』(1967年、講談社)などの仕事があったことが思い出されます。

  • 第一にいかなる学知もいかなる書物も軽んじない。第二にどんな人から学ぶことも恥ずかしがらないこと。第三に学知を獲得した暁にも他の人々を蔑まないこと。
    教養とは自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態。
    うん、とても分かりやすいね。
    最後の大学改革の章は、阿部先生ならもう少し別の切り口で論じて欲しかったかな…。

  • 第1章 日本と西欧における人文科学の形成―「世間」と個人
    第2章 日本の学問の現在
    第3章 フッサールの学問論と日本の「世間」―“生活世界”の発見
    第4章 日本の学問の課題―“生活世界”の探究

    著者:阿部謹也(1935-2006、千代田区、西洋史学者)

  • 「世間」→「教養」と続く3部作のようだが、テーマが「学問」になってしまったので、アカデミズム寄りの大学教育改革という小さな話になってしまった。これは著者の置かれた立場が思想への影響を及ぼした結果と言えるだろう。著作の論拠としてフッサールを持ち込んだのは唐突感があり、少々繋がりも悪い印象。その後世間学は盛り上がりに欠け、他方教養主義は様々な立場を巻き込んだ論争となっている。世間と教養は共同体を語る上で密接に絡む重要なテーマであり、両者の関係性の精査や検証が今後行われる事に期待したい。

  • 2001年刊。西洋の社会哲学・社会学を対置して、日本社会の特徴、特に著者お得意の「世間」の存在を基底とし、西洋的枠組みに囚われすぎな従前の「学問」を批評しつつ、世間、すなわち生活世界(日常生活)に即した学問の在り様を模索検討する書。◆人文科学の大学教育のあり方、教養教育のあり方に関し、日本社会の負の特徴から切り込む件は十分納得いく内容。ところが、西洋的学問の基礎たる客観・主観分別論の辺りから?。特に、刑法社会学?の佐藤直樹氏の論の紹介が、舌足らずな叙述内容と相俟って、誤読・誤解してるか?との疑念が湧く程。
    流石にそれはないだろうが、客観主義刑法理論は、戦前の問題点の克服や、裁判の立証命題からの要求という実務・現実に依拠し、これを無視した書きぶりでは、学者の戯言と言われかねないレベルに堕す危惧。◆また日本の学問の課題に関し、教養における批評・批判能力、建設的な対案作成能力、漸進的・革新的な改善作業能力に触れず、これらを軽んじるかの如し。かかる能力の形成・遂行に必要な情報の総体を教養と見る観点からは、本書の教養の内実の結論が牧歌的に過ぎる感。◆×ではないが、自ら補強しつつ味読すべき書か。著者は共立女子大学学長。

  • 請求記号:I/002/A12
    選書コメント:
    日本の大学における学問は西洋からの輸入であることが多く、それが故に日本の実際の社会状況とそぐわないことも少なくない。欧米と異なり、特に「世間」というしがらみに囚われがちで「個」が確立していない日本人のあり方に目を向ける必要があること、かつ各分野の横断的交流や欧米の学問の引き写しでない現場主義的な学問の必要性を述べている。また学ぶ姿勢として「第一に、いかなる学知も、いかなる書物も軽んじないこと。第二に、どんな人から学ぶことも恥ずかしがらないこと。第三に、学知を獲得した暁にも、他の人々を蔑まないこと」(p.24)等が書かれている点でも興味深い本である。
    (環境創造学部環境創造学科 大杉由香 教授)

  • 著者は、まず西欧的な個人が執筆する論文と現実社会の世間に乖離があると指摘している(p.17)。これは割に重要だろう。本書の主張とやや離れるかもしれないが、この2つの各区域で活動する際には、「乖離」の存在を了解しておくこことで、それぞれの活動がしやすくなるのではないかと思った。

  • 浅羽通明の本のついでに。

  • 近代的システムと歴史的・伝統的システムのダブルスタンダードが問題だということはもちろん理解できたが、生涯学習のくだりはよくわからなかった。

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著者プロフィール

1935年生まれ。共立女子大学学長。専攻は西洋中世史。著書に『阿部謹也著作集』(筑摩書房)、『学問と「世間」』『ヨーロッパを見る視角』(ともに岩波書店)、『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(講談社)。

「2002年 『世間学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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